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紫苑色のシオン

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諦観2(1とは繋がりはありません)

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  独りになりたくない。怖いから。

  私の知っている彼は明るく、人懐っこい性格故に友達も多く、色んな人から好かれていた。決して中心にいるわけではないが、その近くにはいる。そんなクラスの中心グループの一人だった。
  彼を知る人は口を揃えて「良い奴」という。都合の良い奴とかそんな皮肉めいた言葉ではない。純粋なまでに良い奴、なのだ。喧嘩の仲裁もみんなが納得するほどの公平さを以てして行う。誰も拾わないようなゴミを率先して拾う。頼まれ事も基本するが、断り方も嫌味など一切無い。正真正銘、「良い奴」だった。
  そんな彼には当然、恋人がいた。美男美女、というわけではないが、お互いが幸せそうにしており、誰もが羨む関係性であった。
  彼は当然、幸せな将来を築いていくのであろう。誰もがそう確信めいていた。
  私もそう思う。彼は幸せになる「べき」存在だと。権利ではない。義務レベルでそうあるのだと考えていた。

  しかし、急に彼は変わってしまった。

  今まで仲の良かった友人とは一切連絡を取らないようになり、明るかった性格もなりを潜め、言葉を発さない暗い人間になってしまった。
  誰もが戸惑った。心配して声をかけるも、「何でもない」と冷たくあしらうだけ。その冷たい言い方と声は誰も今まで聞いたことの無い物だった。
  みんなが心配するが、誰も寄せ付けない雰囲気や態度のせいで、近付かなくなった。

  僕は自覚した。僕は人間でない。人間の形をした「何か」。人間もどきなのだと。
  僕には恋人がいた。心の底から好きな人で、愛していた。彼女以外目に入らないほど、惚れていた。世界で一番可愛く、美しい人だと本気で言える程、惚れ込んでいた。
  心の底から、命に変えても幸せにしたい。幸せになって欲しいと思えた。そんな彼女の隣に僕は居たいと、願った。
  そんな彼女の誕生日が近づいていた。喜んで貰いたくて、色々何をしようかとか、何を贈ろうかと考えていた。
  そして彼女の驚いた顔と、その後にやってくる幸せそうな彼女の顔を想像するだけで、勝手に頬が緩んでしまうというもの。
  僕は、「良かれと思って」彼女をお祝いしようとした。

  結果から言った方がいいかな。
  彼女を酷く傷付けてしまったのだ。幸せを願った彼女が自殺という二文字が過ぎってしまうぐらいに傷付けたのだ。
  そんな彼女の隣にはもう居られなくなった。当然、別れてしまった。
  しかし問題はそこでは無かった。そう、違う。
  問題は、「未だに何がダメだったのか分からない」のである。僕は最善を尽くしたつもりだった。しかし、僕にとっての幸せと彼女にとっての幸せは大きく違うものだったのだ。
  絶望した。心の底から愛した人のことを全く、分かっていなかった事に。
  それからは自分のことが人間ではない別物にしか思えなくなった。
  いやいや、自分を責めるのはいくらでも出来る。しかし、彼女への贖罪は今じゃないと。だけど、彼女と話す機会はもう与えられない。連絡も取れない。
  なら、どうすれば...。
  ずっと考えた。考えに考えた。
  そして行き着いた先、それが、「独りで生きていく」だった。
  自分は幸せにしたいと思ったとしても、不幸にしてしまう存在だ。だからこれ以上誰かを不幸にしないためにも、独りで生きなくてはいけない。それが彼女への贖罪と、自分への罰であった。
  誓った。一生かけて、罪を償う、と。

  彼はずっと独りを貫き通していた。みんなは結局、彼女と別れて自暴自棄になってしまった、という結論に落ち着き、放っておく事に決定した。
  私は違和感しかなかった。本当に彼がそれだけであそこまで変わってしまうものなのかと。
  彼と話をしなければならない。なぜか義務めいたものを感じていた。
  「ねぇ、私には話してほしいな」
  勇気を持って話しかけた私を彼はちらりと一瞥し、そして驚いたように目を見開いた。
  長時間説得し、何とか話してくれた。涙を零しながら、嗚咽を吐きながら、苦しそうに。
  彼の決意を聞いた時には私も、釣られて泣いてしまった。
  「独りになるのが怖くないの?」
  そんなわけがない。人は、独りになるのが怖いから集団になろうとするのだ。だから怖くないわけがない。なのに。
  「独りになるのは、怖いよ」
  枯れた声で、彼は言った。そうだ、分かってるからこそ、彼は独りになる事を選んだんだ。
  私は酷な事を聞いた。
  そして酷な一言を聴いた。

  「独りになりたく...ないよ...」

  涙声で濁ったその一言は錘のようにずしりと、心に重くのしかかった。
  私はそんな彼に、何もしてあげられなかった。


  次の日、私の机の中にメモが1枚、入っていた。
  (昨日の事は忘れてほしい)
  その一言が書いてあった。彼からだ。
  彼は、あの最後の言葉を吐いてしまったのを後悔しているのだろうか。うん、しているはずだ。でなければ、罪滅ぼしにならないから。彼はその思いを押し殺して独りにならなければいけないのだろう。
  私に彼は救えない。彼は、孤独という苦しみに生きる以外の道を捨ててしまったのだから。「幸せになるべき」から「不幸になるべき」存在となってしまった彼を、私は諦めて、観るしかできなかった。だけど、決して見捨てない。最後まで彼を私は観る。

  それが私、彼の元恋人としての贖罪だからだ。
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