名もなき春に解ける雪

天継 理恵

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春の章 遠くに咲く花4

 次の朝。制服に袖を通した私は、意気揚々と家のドアを開け、学校へと向かった。
 満員電車だって全然へっちゃら。今日の私は、ちょっと無敵な気分だ。

 学校に着き、ガラッと勢いよく教室の扉を開ける。

「おはよう!」

 無駄に元気な声を上げたら、クラスのみんなが一瞬、きょとんとしてこっちを見た。
 集まる視線の中、気にもせず席に着けば、後ろの席では美樹が「おはよう」すら忘れて唖然としてた。

 カバンから勉強道具を取り出しながら、私は今日から実行する、『白雪さんとお友達になろう計画』のことを考えてた。
 シミュレートはバッチリ。計画に抜かりはない。はず!

 そんな風に息巻いてた私の背が、つん、とつつかれた。つついたのは美樹だ。振り返れば、探るような上目でじーっと見てくる。

「おはよ。どしたん?テンション高いけど、なんかあった?」
「ううん?何もないけど?」

 強いていえば、これからある予定なんだけど。
 でも、白雪さんのことを噂のネタにしてる美樹たちには、この計画を言いたくない。言ったってバカにされるのがオチだし、なんなら……ハブられるかもしれないし。

 美樹はふーんと引き下がったけど、まだ怪しんでるっぽい。
 でも気にしない。たぶん美樹も、そこまで興味ないだろうし。


 一時限目の教科書とノートを置きながら、窓の外に目を向ける。先週までかろうじて残っていた桜は、すっかり散って葉だけになってる。

 ——もう、葉桜の時期なんだなぁ。

 枝の葉の緑は、春の終わりにきらきらと輝いてる。
 たとえ花がなくたって、これから訪れる夏に向けて葉を伸ばす桜は、きっと綺麗なんだろうなぁって。

 なんとなく、そう思った。


***

 ——キーンコーン、カーンコーン。

 昼休みの訪れを告げるチャイムが鳴った。でも今日は、私の計画の開始を告げるチャイムでもある。

 いつも通り美樹たちと机を寄せ合うと、私はおしゃべりを始めた美樹たちに合わせることなく、急いでお弁当を食べる。

「あれ?羽澄、今日当番だっけ?」
「ううん。でも、行きたいとこがあって。食べ終わったらちょっと行ってくるね」

 追及されるかなと思ったけど、特に何も言われなかった。
 おかしいなとは思われてるかもしれないけど、聞かれない方がいい。私は空になったお弁当箱を手早く片付けると、自分の分の机だけ元に戻して、颯爽と教室を飛び出した。

 行く先は、もちろん図書室。
 当番じゃない日に行くのは、何気に初めてだ。

 本来は本を読んだり借りたりするところだけど……今は、違う目的が生まれてる。


 白雪さんに会うこと。


 クラスが離れている私たちが、唯一接点を持てる場所は図書室だけ。
 そういう、ある意味ヨコシマな目的で行くのはどうかなとも思ったし、なんならこれ、もしかしてストーカーってやつ?とも思ったけど……
 
 女の子同士だし、お友達になりたいだけだし、いいよね?これくらい。


 図書室に入って、まず本棚の前で立ち止まる。適当に何か読もうと手を伸ばしかけて、ふと白雪さんが読んでた本を探す。

 『けだものの檻』。くすんだ赤茶の表紙に金色の文字が刻まれた、布張りの分厚い本。古いだけあってページ端は黄ばんでるし、角は擦り切れてる。

 私はその本を胸に抱えながら、図書室の中を見渡す。するとちょうど白雪さんが入ってきて、迷いなく本棚から本を手に取った。
 長机に向かって、静かに腰を下ろす後ろ姿。
 ——私は、その側にそっと歩み寄った。

「白雪さん。こんにちは」

 いつになく落ち着いて声をかければ、白雪さんが私に気がついた。

「桜井さん?今日も委員の仕事かい?」

 顔を上げるしぐさに、艶めく黒髪が揺れる。いつ見てもホントに綺麗……。

「今日は本を読もうと思って来たんです。白雪さんが読んでた本が気になっちゃって」

 笑顔で表紙を見せれば、白雪さんがゆっくりと瞬いた。

「……それを読むのかい?」
「はい!白雪さんが面白いって言ってたから、読んでみたくなって」

 親しみを込めた、とびきりの笑みを飾る。そんな私に、白雪さんの眉がちょっと曇った。

「……私は面白かったけど、桜井さんにはどうかな」
「え?」
「話は暗いし、軽めとはいえ肉体的、精神的グロ描写が多いんだよ。そういうのが気にならないならいいけど、そうじゃないならお勧めはしないよ」

 え!?グロいの!?私苦手なのに!?
 ……そう言われてみれば、そういう感じのタイトルに見えてきた……!

「ぐ、グロいって、どれくらい……?」
「拘束された身体に焼印を押されたり、閉じ込められた檻で狂っていく過程があったり。文体も捻くれているし、全編通してそういう話だから、読んでいて楽しいものではないと思うよ」

 それくらいならなんとか読め——ううん、やっぱ私には合わないような……でもでも、白雪さんが面白いって言ってたものだし!

 本とにらめっこして、どうしようって考えちゃう。そうしたら、くすっと小さな笑い声が聞こえた。
 あれ。私、笑われてる?

「桜井さんは普段、どんな本を読むんだい?」
「え、あの……実は、少女マンガばっかりで……」
「ふむ、少女マンガか。ということは、恋愛ものが好きなのかな」
「そうなんですっ!読んでてドキドキするような、キュンとしちゃうような……そういうお話が好きですっ」
「そうか。なら、ちょっと待っていて」

 白雪さんが席を立って、ふらっと本棚の方へ行く。ぽかんと見送れば、白雪さんは一冊の文庫本を手に、すぐに私の元に戻ってくる。

「はい、これ。女性同士の恋愛ものだけど、この作者の作品は心情寄りですごく読みやすいし、文量も多くない。普段読書をしないなら、これくらいが君向けだと思うよ」

 そう言って差し出されたのは、水彩で描かれた女の子が表紙の文庫本。柔らかいタッチだけど、ファンシーな色合いがすごく可愛い。
 受け取ったら、胸がじんわりしてきて……思わず、白雪さんをじっと見つめちゃう。

「……私のために、探して来てくれたんですか?」
「読書をするなら、好きなものを読むのが一番だと思っただけだよ。まぁ、気にいるかどうかの保証はないけどね」
「そんなことないです!選んでくれただけで嬉しいし、その……っ、あ、ありがとう」
「どういたしまして」

 すとんと席に座り直して、白雪さんは本を読み始める。私はその隣にお邪魔して、集中する彼女をちらちら見ながら、選んでくれた本を読んでみる。
 ……たしかに、すごく読みやすい。難しい言葉が出てこないし、話もわかりやすい。

 読むのに夢中になりかけて、ふと思う。

 ——白雪さんって、女の子同士の恋愛モノも読むんだ。全然偏見なさそうだし、なんかすごく自然な感じがして……いいなぁ。

 読むのが少女マンガばっかりって言っても、バカになんてしなかった。
 それどころか、私が好きなものを聞いて、これが好きそうだってオススメしてくれた。


 私のこと、こんな風に気にしてくれた人……初めてかもしれない。


 そう思ったら、急に胸がじわっと熱くなった。
 すごく嬉しい気持ちと、少しだけ苦しいような気持ちが生まれて、なんだか涙が出そうになる。


 ——なんだろう……この、不思議な気持ち。
 
 
 甘苦しいような気持ちが消えない。
 胸がぎゅっとして、やけにバクバク音を立ててる。
 
 おかしいと思いながらも、もう一度、白雪さんの横顔を盗み見る。

 長い睫毛が、音もなく瞬く。
 その美術品みたいな美しさは幻想的で、やっぱりどこか近寄りがたい。


 けど——少しだけ。

 この手を伸ばして、触れてみたいと。

 心のどこかで——そう、思っていた。

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