名もなき春に解ける雪

天継 理恵

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夏の章 焦がれる花火4

 調べてやってきたカフェは、動物園から徒歩十分くらいのところにあった。
 こぢんまりとした小さなカフェはアンティーク風の外観で、壁は深い緑色。モザイクランプが吊るしてあったり、不思議なカタチの彫刻が置いてあったりする、オシャレな感じのお店だった。
 
 もしかしたら満席かもって心配だったけど、たまたま席が空いたところだったみたい。運が良くてよかった!
 すぐ席に案内されて、お水とメニューを渡される。メニューはそう多くないけど、他のお客さんのスイーツを見るとどれも美味しそうだ。

「白雪さん何にします?」
「私はパンペルデュ・シュクレと、紅茶のセットにしようかな。このお店の看板メニューみたいだしね」
「ぱんぺるでゅ……?」
「パンペルデュは、フレンチトーストのことだよ。フランス語で『失われたパン』や、『駄目になったパン』って意味なんだ」
「え、フレンチトーストってダメなパン扱いなんですか!?」
「元々、古くなって固くなったパンをどうにか美味しく食べようという試みから生まれたものだからね。日本では今や立派なスイーツ扱いだけど、ここは本格的みたいだ。パンペルデュ・サレもある」
「パンペルデュ……サレ?」
「塩味の惣菜風だよ。つまり、しょっぱいフレンチトースト」
「……フレンチトーストって、甘いものしかないと思ってました」

 まさか食べ物にまで詳しいなんて……。白雪さんの知識の幅って、ホントにすごいな。

 圧倒されてたら、「桜井さんは?」って聞かれて慌ててメニューを見る。
 フレンチトーストもいいけど、私はケーキがいいな。あっ、キャラメルチーズケーキって美味しそう!

 結局、白雪さんはフレンチトーストとアイスティーを、私はキャラメルチーズケーキとホットの紅茶を頼むことにした。
 しばらくしてテーブルに並ぶと、私はウキウキとケーキの写真を撮る。あとでインスタに上げるんだ!
 
「いただきます」

 そんな私の目の前で、白雪さんがフォークを手に取った。
 フランスパンで出来たフレンチトーストに、スッとフォークが入る。固いはずのパンは、耳までふわふわみたい。なんなく切ってはフォークに刺し、白雪さんは優雅なしぐさで口に運んでく。

「うん。美味しい」

 静かに微笑んだ笑顔に見惚れちゃう。
 白雪さん、甘いものも好きなんだ。新しい発見かも。
 ぽーっと見入ってたら、「食べないのかい?」って聞かれて、慌てて私もフォークを手に取った。
 ケーキを口に入れてみれば、甘くて濃厚なキャラメルの味がする。甘さの中にほろ苦さのある、ちゃんとしたキャラメルの味。それがチーズケーキの味を引き立ててて——

「私のも美味しいです!」

 勢いで感想を伝えたら、白雪さんの笑みが深まった。

 ——アイスティーのグラスに寄せる唇が、柔らかくストローを咥える。

 その自然なしぐさに、なんだかちょっとドキッとする。
 ……やだな、私、ヘンなとこ気にしすぎかも。
 
「あ、あのっ!白雪さんって、紅茶好きなんですか?」

 白雪さんの唇から意識を離そうと、思いつきで会話を持ちかける。アイスティーに落ちていた白雪さんの視線がふいっと上がって、ストローから唇が離れる。

「お昼の時、水筒に入れた紅茶飲んでますよね。わざわざ家から淹れてくるくらいだから、好きなのかなって思って」
「ふふっ。よく見ているね」
「え、いや、ちょっと気になっただけです!」

 「どれだけ見てるんだ」って思われたかも!
 そう思って焦ったけど、白雪さんは気にした様子もなく話を続ける。

「紅茶は飲み物の中で比較的好きな方だよ。世界中で親しまれているから、茶葉の産地だけでも沢山あるし、等級や加工でも種類が変わるから飽きないんだ」
「……やっぱり、そういう『好き』なんですね。白雪さんって、調べたり学んだりすることが大好きなんですね」
「うん。我ながら好奇心の塊だと思うよ。常軌を逸しているレベルでね」

 どこか自虐するみたいに笑って、もう一口アイスティーを口にする。
 シロップもミルクも入れない、白雪さんみたいなストレートティーを。

「桜井さんは?普段は何を飲んでいるんだい?」
「私ですか?えっと、私は緑茶が多いかな。家で飲み慣れてるから、あったらつい選んじゃうんですよね」
「なるほど。習慣なんだね」
「かもしれないです」

 ケーキを一口食べて、ホットの紅茶を飲む。私のはお砂糖がひと匙入ってて、ほんのり甘い味がする。

「緑茶か。お茶の世界も、掘り下げるととても深くて面白いね。桜井さんは、紅茶も烏龍茶も緑茶も、全て同じ茶葉から出来ているのは知っているかい?」
「え!?全部一緒なんですか!?だいぶ味が違うのに!」
「そうなんだよ。発酵の過程の違いで、同じ茶葉でも違うお茶になるんだ。不発酵で緑茶、半発酵で烏龍茶、完全に発酵したものが紅茶。知ってみると、これだけでも面白いだろう?」
「……たしかに。私、今まで知らないで飲んでました」

 ティーカップを持ち上げて、親しんでいたはずの紅茶を揺らしてみる。ゆらゆらと揺れる水面が、急に知らない色や香りに思える。

「私は、このお茶というものが、人間の感情に似ていると思うんだ」
「……人間の、感情?」
「そう。例えば『嫌い』という感情があったとして、その発酵具合で名前も深さも変わる。
軽い『嫌い』はちょっとしたイラつきや忌避。それが進むと明確な嫌悪になり、果ては憎悪や怨恨になる。心の中に生まれた感情が熟成され、形を変える……そう考えると、お茶と人間の感情は似た構造に思えるんだ」

 お茶を思わぬものに結びつけて語る白雪さんに、思わずぽかんとしてしまう。
 ……でも、言いたいことはなんとなくわかって、おずおずと話に乗ってみる。

「……それなら、『好き』も一緒ですよね。可愛いものとかに対するちょっとした『好き』もあれば、推しへの熱い『好き』もあって、それよりもっと『好き』になったら……恋になる、とか」

 言って、急に自分語りしてるみたいで恥ずかしくなった。
 パクパクとケーキを口に運んで、ちょっとだけ熱くなる頬を隠す。そんな私に、白雪さんは噛み締めたような間の後、嬉しそうに微笑んだ。

「……その通りだよ。『好き』も同じだ」

 賛同してもらえたのが嬉しかったのか、白雪さんの笑顔は、いつになく柔らかかった。

 ——なんか、可愛い。

 いつも綺麗だと思って見ている顔に、初めての気持ちが生まれる。同じドキドキのはずが、今までとは違う音に聞こえる。

 ——この気持ちって、なんだろう。

 どんどんと熱くなっていく顔と胸の中に、言葉を続けられなくなる。白雪さんのことをもっと見ていたいのに、それさえ出来ないでいる。
 
 やだ、黙ったままでおかしいと思われないかな。でも、なんて返せばいいんだろう。私、何にも考えてなかった。

 頭の中がいっぱいになって、どうしようって思ってたら——そこに、急に人の声が割って入ってきた。

「もうっ!タクマってまたそれなの!?」

 むくれたような、女の子の大きな声がする。気になって目を向ければ、隣の席の同い年くらいの女の子が、彼氏らしき男の子と会話をしている最中だった。

「前にリオも好きだって言ってたじゃん」
「そうだけど、ずっと同じのなんてつまんないじゃん!」

 何の話かわからないけど、本気でケンカしてるわけじゃないみたい。
 そんなありがちなカップルの会話に気を取られてたら、向かい側で白雪さんがめちゃくちゃカップルを見てた。
 え、どうしちゃったんだろう、急に。

「……桜井さん」
「はい?どうしました?」
「桜井さんは、私と付き合ってどうしたいのかな」
「はっ!?ええっ!?」

 思わぬところに踏み込まれて、店中に響くような大声が出る。今度は隣のカップルが——ううん、店の人たちみんなが、私たちを見てる。

「今までちゃんと聞いていなかったなと思って。君の好きとは違うと答えたけれど、君の望みがあれば、それを可能な限り考慮したいとは思っているんだ」
「そっ、そんなの!無理して考えてもらわなくても大丈夫ですっ!!」
「無理をするつもりはないよ。可能な限りと言っただろう?だから、私に何か望みがあるなら、遠慮なく言ってくれるかな」
「や、そんなこと、突然言われても……!パッとは浮かばないっていうか、恥ずかしいっていうか……っ!」

 ウソ!大ウソ!!普段いろいろ妄想してるから、してみたいこともされたいこともいっぱいある!!
 でも妄想してる相手に「言ってみろ」なんて言われて、ペラペラしゃべれるはずないよ……!

「望みがない……わけじゃなさそうだね。……ふむ」

 白雪さんが何やら考え込んでる。何を考えてるのかさっぱりわかんなくて、次に飛び出すセリフにヒヤヒヤ……ううん、ドキドキ?ワクワク?もうよくわかんない!!

 頭がパンクしたところで、白雪さんが顔を上げる。
 そして、まっすぐに私を見る。


 ——ばくん!と、鼓動が破裂する。


「じゃあ、こうしよう。今から私は、君のことを名前で呼ぶことにする。小さいことかもしれないが、恋人というのは、やはり名前で呼ぶのが主流だろう?」
「えっ、ええっ!?白雪さんが、私の名前、呼んでくれるんですか!?!?」
「ふふっ。また取り乱してるね」
「取り乱すに決まってますッ!!」

 もう、周囲へのメーワクなんて考えられなかった。全力で反応する私は、声のボリューム調節なんて出来るはずもなく、壊れたスピーカーみたいに騒いでしまう。


 店中の視線が集まってる。
 私よりも白雪さんを見つめるその視線の渦の中で——白雪さんは、堂々と、私だけを見ている。
 
「こうした歩み寄りをしようかと考えるくらい、今日は楽しかったんだ。だから——また一緒に出かけよう。……羽澄くん」


 その声が、耳に届いた瞬間。

 頭の奥がぽわんとして、世界がぼんやりして……息を吸うのも忘れてた。


  ——今、白雪さんが、私の名前を……。

 「羽澄くん」って——。



 もう、そこから何も考えられなかった。

 たった一度だけ、名前を呼ばれた。

 ただそれだけで、見えてる景色の色の数が、何倍にも増えたみたいだった。


 世界が急に、明るく、鮮明に見える。


 壁の白が、テーブルの木の色が、紅茶の琥珀色が。


 ——きらきらと、眩しいくらいに、光ってる。



 白雪さんが笑ってる。

 澄んだ瞳に、私だけを映して。


 その瞳に映れることが、こんなにも嬉しくて、ドキドキして、誇らしくて。


 ……恋って、こんな風に幸せで幸せで、苦しくなることなんだって。


 胸が潰れそうなくらい、私は、思い知っていた。
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