名もなき春に解ける雪

天継 理恵

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夏の章 焦がれる花火6


「花火大会?」

 放課後。やってきた日本茶専門カフェで、湯気の立つ緑茶を手に取った白雪さんが、私に聞き返した。
 私は背筋を伸ばしながら、両膝の上に手を揃えて、ちらちらと白雪さんを窺う。

「八月の第四水曜日にあるんです。出店も出る、お祭りみたいなやつなんですけど……白雪さんと行けたら嬉しいなって思って」

 誘ってはみたものの、白雪さんは来てくれるのかなってすごく不安になる。でも私の中ではもう、何を着ていくかも、出店で何を買うのかも全部決まってるし……どうしても一緒に行きたいんだ。
 
 自信もないまま、大人しく答えを待つ。そうしたら、白雪さんはスクールバッグから手帳を取り出した。手のひらよりもちょっと大きめの、スモーキーブルーのやつ。柄とかデコが一切ないところが白雪さんらしい。
 
「……うん。その日は予定が今の所ないから、構わないよ」
「ホントですか!?私と花火大会、行ってくれるんですか!?」
「ふふっ。念を押さなくても行くよ。花火は好きだしね」

 よかった……!ついつい押しちゃったけど、オッケーもらえた!ていうか白雪さんって花火好きなんだ……心に刻んどこ!

「じゃあ、予定立てたら連絡します!」
「ありがとう。いつも羽澄くんに任せて悪いね」
「そんなことないです!私が白雪さんに会いたくてしてるんですから!」

 「羽澄くん」って呼ばれて、またドキッっとしちゃう。
 「羽澄」でも、「羽澄ちゃん」でもない呼び方。くん付けされるのは人生初だけど、でもそれが最高に白雪さんらしくてにっこりしちゃう。
 ……それに、白雪さんだけが呼んでくれる呼び名なんだって思うと——すごく、特別に思えちゃう。

「今日のお店も選んでくれてありがとう。日本茶専門店は来たことがなかったから、良い勉強になったよ。ハンドドリップ式というのは初めてだったから、すごく新鮮だよ」
「喜んでもらえてよかったです!この前カフェでお茶の話になって、お茶って面白いんだなって興味が湧いたから、こういうお店もいいかなって思って」
「あの話に興味を持ってくれたのか。……それなら、話した甲斐があったかな」

 溶けるような微笑みに、赤くて形のいい唇がカーブを描く。
 艶めいたその部分に視線が吸い寄せられて、ふと、昼間にみんなと話してたファーストキスの話がよみがえってくる。

 ……やだ、私、めちゃくちゃ意識してる!!

 恥ずかしくなって、気を逸らそうと慌ててお茶を飲む。冷ましもしないで飲んじゃったから、あまりの熱さに「あつッ!」って声を出しちゃった。
 ……うぅ、舌火傷したかも。あ、白雪さんちょっと笑ってる……。

「羽澄くんは、家でよく緑茶を飲んでると言っていたね」
「え……?覚えててくれたんですか?」
「もちろんだよ。家ではどんな時に飲んでいるんだい?」
「ウチでは夕食後に必ず出てくるんです。ちっちゃい頃からそうだったんで、飲むのが当たり前になってる感じで」
「そうか。緑茶のタンニンやカテキンは、消化を良くして胃腸を整えてくれる効果があるからね。理に適った、良い習慣だ」

 さらりと披露された知識に、ただの食後のお茶が急に偉くてすごいヤツみたいに思えてくる。
 お父さんとお母さんが好きなだけで、そんな深い意味なんてないはずなのにな。

「緑茶ってそんな効果あったんですね。私、知らないで飲んでました」
「ふふっ。知らないことって、周りにたくさんあるからね」
「そうですね……。あ、そうだ白雪さん!もしよかったら、今度私が淹れたお茶飲んでくれませんか?私、家でよく淹れさせられてるんで、ちょっとだけ自信あるんですよ?」

 それは、何の気もないお誘いだった。
 深い意味もなく、ただ飲んで欲しいなって、そう思っただけ。 
 ——なのに。

「それは……羽澄くんの家に、誘われているのかな」
「えっ!?」

 まさかそんな風に解釈されると思ってなくて、危うく飲んでたお茶を吹き出しそうになっちゃった!
 そんなの考えてなかったよ!?ホントに!

「そっ、そういうつもりで言ったんじゃないです!」
「ああ、違ったのか。夕食後の習慣だと言うから、てっきりそういう意味かと思ったよ」
「それはたしかに、そう聞こえなくもないですけどっ……!あ、でも!もし来てくれたら、それはそれですごく嬉しいんですけど!」
「そうかい?なら、機会があればお邪魔させてもらうよ」

 含みもなく言って、白雪さんが優雅に湯呑みを口に運ぶ。
 ……白雪さんにとっては、ウチに来ることなんて、そんなに大したことじゃないのかな。
 でも、私にとっては……ちょっとだけ、特別な誘いだったんだけどな。


 ぽつり、と。

 心の中に、雫が落ちたような揺れが生まれる。

 それがなんなのかはわからなくて——私は、曖昧に微笑んでしまう。


 ——それから私たちは、日が暮れるまで、他愛のない話で笑い合っていた。


「長居をし過ぎたね。そろそろ帰ろうか」
「え?」

 驚いて時計を見れば、もう十九時近い。……白雪さんと話してると、時間があっという間すぎて怖くなる。

「……そうですね。そろそろ、帰らなきゃですね」

 返す声が、しょんぼりと沈む。

 まだ帰りたくない。
 そう思っても——言葉には出来ない。


 ……言ったらきっと、白雪さんを困らせちゃうから。


 カフェを出て、駅前に着く。改札前まで来れば、もうお別れの時間だ。
 「それじゃあ」って笑って、名残惜しい気持ちを飲み込んで、ゆっくりと手を振る。

 ——この時間は、いつも寂しい。

 改札を通って遠ざかっていく背中を、いつも見えなくなるまで見送るけど、白雪さんが振り向いてくれることはない。

 それがなんだか——胸を、騒がせる。

「……っ、白雪さん!」

 耐えられなくなって、人の群れに飲み込まれそうなその背中を、呼び止めてしまう。

 白雪さんが、ゆっくりと振り向く。
 その背中が、瞳が——遠く感じる。


「……また、明日!」


 寂しいなんて、言えるはずもなかった。
 だから私は、一生懸命、笑顔で見送る。


 白雪さんが、笑顔で手を振ってくれた。
 そしてすぐに前を向き直して、足を止めることなく去っていった。

 その姿に、ズキッと胸が痛んで——私は、その場から動けなくなる。

 ——大丈夫。
 花火大会の約束はしたし、休みの間、LINEもしていいって言ってくれた。
 そうだ。夏休みの宿題も教えてもらおうかな。花火大会以外にも、会える日がないか聞いてみよう。
 うん、そうしよう。


 そんな風に考えてる自分が、なんだかやけに必死になってる気がして……


 少しだけ、怖かった。


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