名もなき春に解ける雪

天継 理恵

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秋の章 揺れる秋桜1

 夏が終わって、秋が来た。

 長い休みが明けて、また学校生活が始まると、毎日はまた忙しくなった。
 休み明けにテストがあって、その後はすぐに体育祭があって。文化祭も近くなって慌ただしくなって来たけど、それでも私と白雪さんは、いつも通り一緒の時間を過ごしてる。

 けど、花火大会の後から、何かが少しだけ変わった気がする。
 上手く言葉にできないけど……白雪さんが、前よりも優しくなった気がする。わかりやすい何かがあるわけじゃなくて、ちょっとした言葉とか態度とか……そういう、ホントに小さな変化。

 私はそれがすごく嬉しくて——でも同時に、どこか不安にも感じた。

 前までの私なら、私のことを気にしてくれてるんだって、無邪気にはしゃいでたと思う。
 だけど今は、白雪さんの言葉や行動の意味を、深く考えてしまう。


 ——初めてのキス。

 それは、ずっと夢に見てた瞬間だった。


 唇が触れた瞬間の感触は、今でも忘れられない。
 ほんのりあったかくて、ふわふわして……身体の芯に、甘い雷が走ったようで。
 そんな夢のような出来事を、私はあれから毎日、何度も何度も思い出してる。

 あの時、目を閉じることも忘れて、信じられない気持ちで白雪さんを見つめてた。
 唇の感触を感じて、遅れて何をされたかがわかって、麻痺したような頭の片隅で、「唇ってこんなに柔らかいんだ」って、どこかぼんやり考えてた。

 大好きな白雪さんとのキスは、本当に幸せだった。
 苦しいくらいの好きがあふれて、嬉しいのに涙が滲んで、心の中は嵐みたいだった。


 なのに私は——その後、少し、怖くなった。


『…………こういうことかなと思ったんだけど……違ったかな』

 
 キスの後の言葉の意味が、心に引っかかってしまったから。

 堪えきれずに打ち明けた好きの気持ちに、何も言葉が返らなかったから。

 
 ——白雪さんは、私のこと、好きじゃないんだ。


 わかっていたことなのに、そう感じる瞬間が増えたのは……きっと私が白雪さんのことを、好きになりすぎたせいなんだと思う。


 初めて名前を呼ばれた、あの瞬間から。


 私の中で、「好きになってくれるのかもしれない」って期待が、どんどん膨らんでしまった。
 だから私は……そうじゃないんだって感じるたびに、寂しくて、悲しくて、苦しくなってるんだと思う。


 私たちは、これからどうなるんだろう。


 あの夏、触れてしまったその先に、秋が来て。


 揺らぎ始めた関係が、どこに辿り着くのか——私はまだ、わからないままでいた。



 秋の章 揺れる秋桜



「夏休み、あっという間だったねー」

 ミートボールを口に入れながら、凛がつぶやいた。美樹たちは揃ってうんうんと頷きながら、憂鬱そうなため息をつく。

「マジ遊び足りないよね。あたしと美樹の場合、部活も合宿もあったし、ホント一瞬で終わったわ」

 イスの背もたれに寄り掛かりながら、優里が菓子パンをかじった。
 バレー部のふたりは、休みの間に日に焼けて、すっかり小麦色になってる。特に美樹は海に行ったせいか、かなり濃い色になってる。
 
「ねぇ、美樹はどうだったの?彼氏と行った海。楽しかった?」
「泊まりだったってホント?」
「もしかして……ついにヤっちゃった?」

 美樹の彼氏の話題になり、急にみんなが色めき立つ。
 恋愛話になると、みんないつも興味津々だ。キスしたのかとか、エッチしたのかとか……すぐそういう話になる。

 前までなら私も喜んでその輪に加わってたけど……今はちょっと、そんな気になれない。

 どうしても——白雪さんのことを考えちゃうから。

 話題を振られた美樹が、ふと机に頬杖をついた。ちょっと気だるげに、どこか余裕を気取りながら。

「……ヤったよ。海行った日に、初体験済ませた」
「えーッ!?ホントに!?」
「マジでマジで!?えっ、どうだった?」
「超聞きたいッ!」

 美樹の答えに、優里と凛と真由香が、沸騰したように騒ぎ出した。
 私も驚いて気になったけど、これは聞かなくても語られるやつだって察しがついた。

「どうだったって、フツーに痛かった。全っ然気持ちよくなかった。ていうか向こうが張り切ってたんだけど、焦るわ急ぐわでもう散々。やっぱマンガみたいに上手くはいかないよね」
「えぇ……やっぱ痛いんだ……」
「初めてってそんなもんなのかぁ」

 凛と優里が、あからさまにガッカリする。私はそれを聞きながら、黙って卵焼きを口に運ぶ。

「上手くいかなかったせいで、微妙にケンカにもなってさ。正直、感動的な初体験とはいかなかったよね」
「えー、夢がないー」
「でも、好きだから後悔はしてないよ?そのうちふたりで上手くなればいっかとも思ってるし。積み重ねでしょ?こーいうのって」

 そう言い切った美樹は、どこか大人びていた。
 夏休みに入る前とは、何かが違う。初体験というイベントを超えて、美樹と彼は、きっとお互いの距離を近づけたんだと思う。

 それに比べて、私は——。

 考えかけて、ふるふると頭を振った。
 考えたって落ち込むだけ。それに、比べたって仕方ないってわかってる。

 ……それでも。
 やっぱり、思ってしまう。

 私は白雪さんとまだ、「ちゃんとした」恋人同士になれていないんだって。

 あのキスのことだって、私だけが特別に思っていて……白雪さんはきっと、深く気にしてなくて。

 だからきっと、白雪さんの中で、私は友達でしかないんだ。
 その証拠に——あれから白雪さんは、私に一度も触れてこない。

「……ごめん。職員室に呼ばれてるんだ。ちょっと行ってくるね」

 なんだか居たたまれなくなって、残したお弁当を閉じて、そっと席を立った。適当なウソだけど、特に問い詰められもしない。みんな、美樹のエッチ話で大盛り上がりしてる。

 教室を出て扉を閉じれば、美樹たちの楽しげな声が遠ざかる。
 前までは寂しさを感じていたのに、今はどこか、離れられてホッとしてる。


 ——今の私、ウソついてばっかりだな。


 美樹たちにも、白雪さんにも、隠し事ばっかり。
 ホントのことを言えないまま、ひとりで息苦しくなってる。

 でも、わかってるんだ。
 こんなの全部、自業自得。
 みんなに良い顔して、物分かりのいい『良い子』でいるだけ。

 ——それでも、私は怖いの。
 だって、私は嫌われたくない。
 みんなに、白雪さんに、好かれていたいから。
 
 臆病な自分を情けなく思いながら、ふと顔を上げる。
 廊下の窓から見える桜はもう、少しずつ枯れかけてる。あの輝いていた緑の葉は、夏の終わりと一緒に黄色く変わりかけていて、いずれ散っていくんだって、心のどこかがつぶやいた。


 ——今までこんなこと、気にしたことなかったのに。
 

 変わっていくのはきっと、季節と景色だけじゃない。

 みんなも、私も、白雪さんも。

 何もかもが変わっていくんだろうなって——遠くなった秋の空を見上げながら、ひとり、浮かぶように思った。

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