名もなき春に解ける雪

天継 理恵

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秋の章 揺れる秋桜4

 ——二十三時。
 お互いお風呂から上がって、寝る準備を済ませた就寝前。今、私の部屋のベッド横には白雪さん用の布団があって、そこに寝てもらってる。
 小さなベッドランプのオレンジの光が、薄ぼんやりと部屋を灯してる。いつもは消して寝てるけど……今日だけは白雪さんを見ていたくて、点けたままにすることにした。

「……明るくないですか?」
「平気だよ」

 ベッドから、隣の布団を覗き込む。白雪さんは背中を向けていて、表情は見えない。

「……もう、寝ますか?」
「……そうだね」

 静かな返事に、言葉を続けられなくなる。

 ——お風呂を上がった後、パジャマ姿で出てきた白雪さんに、ずっとドキドキしてた。初めて見るラフな姿にときめいて、逃げるように入れ替わりでお風呂に入った。
 ……もしかしたらって思って、念入りに髪や身体を洗って。
 自分の必死さを理解しながら、それでも、その先の時間に夢を見ていた。

 ——だけど結局……何もなかった。

 キスどころか、指ひとつ、触れられることさえも。

 ふたりで横になって、初めのうちはなんとか会話を繋いでたけど、一日一緒にいたせいか、私からの会話のネタはもう無くなってしまった。
 

 途切れた間に、無言が揺れてる。


 白雪さんはこのまま寝ちゃうんだろうなって思いながらも、なんとかそれを阻止したくて……でも、何も話せなくて。
 どうにも出来ないまま、いろんな冷たい気持ちが膨らんで、私の期待は押し潰されていく。
 胸の鼓動がどんどん小さくなって、私はそんな悲しさを、布団の端と一緒にギュッと握りしめた。


 ——お願い。
 こっちを向いて、白雪さん。
 私を見て。
 私に……触れて。


 声にならない声が縋りだす。
 だけど、隠した気持ちは届くことなんてない。


 ——やっぱり白雪さんは、私のことなんて、好きでもなんでもないんだ。

 滲む視界をごまかすように、ぎゅっとまぶたを閉じる。
 ……もう、寝てしまおう。寝て起きたらきっと、こんな気持ちは薄れてる。仕方ないかって、また笑える。


 ——そう思った、その時だった。

「……眠れないのかい?」

 声をかけられて見れば、向けられていた背中が突然、静かに振り返った。
 薄暗い部屋の中で、柔らかなオレンジを灯した瞳が、私に向けられる。
 
 目が合う。
 ——唇が、震える。

 私は、何も言えなかった。
 予感がする。この唇を開けば、きっと、何もかもが止められなくなるって。
 

 「抱きしめてください」
 「キスしてください」
 「好きって、言ってください」
 

 そんなワガママな言葉たちが、今にも飛び出そうとしてる。
 でもそれを口にすれば絶対、面倒な女だと思われる。
 それだけは嫌。絶対に嫌!

 瞳を逸らせもしないまま押し黙る私に、白雪さんがそっと視線を外した。
 綺麗なラインの眉が、ひっそりと歪む。その表情に、私の胸が苦しくなる。

「……羽澄くん。君は……私との付き合いが、辛いんじゃないのかな」
「………………え?」
「ふとした瞬間に、寂しそうな表情をしているから。……きっと、私と居ることで、苦しめられているんじゃないかと思って」
「そんな……っ、そんなことないですッ!!」

 思わずがばりと身を起こす。その言葉は痛いくらい胸に刺さって——でも、どうしても否定したかった。

「私は……っ!白雪さんと一緒にいるのが、幸せなんです!!好きで好きで仕方なくて……ずっと、一緒にいたいんです!!」

 必死だった。
 別れようって言われるんじゃないかって怖くなって、必死に好きって気持ちを伝えた。
 だけど——私のその言葉が、白雪さんをさらに歪ませた。

「……私は、君に好きという気持ちを返せない。君といると楽しいし、今日こうして祝ってくれたことも、とても嬉しかった。けれど……君に対する気持ちが特別なものだという確信は、今も、ない」
 
 白雪さんが、苦しげに胸の内を打ち明ける。

 ——その言葉は、まるで、死刑宣告みたいだった。

 好きという気持ちを望む私の、恋の息の根を、止めるような。

「…………それでも、いいんです。私は……白雪さんと……一緒に、いたいから」

 ——どうか、離れないでと。
 好きなんて言えなくても、そばにいてと。

 死にかけた恋にしがみつく私に、白雪さんが、静かに身を起こした。

「……本当に、それでいいのかい」

 優しい声だった。憐れむような声だった。
 私は涙をこぼさないように堪えながらも……まっすぐ、力強く頷いた。

「……そうか」

 そんな私に、白雪さんは——そっと、手を、差し伸べた。

 白く長い指が、私を待ってる。
 意味もわからず固まる私に、白雪さんは告げる。

「…………なら……こっちに、来るかい」
「………………え……?」

 ——幻聴かと思った。
 望みすぎた私が、都合のいい幻を見ているのかと思った。

 だけどその瞳は、怖いほどに真剣で。
 瞳の中の光が、覚悟を重たく輝かせて、音もなく揺れていた。

 そして、見つめられた私は——誘われるままに、ゆっくりとベッドから足を下ろした。

 ぎし、と、ベッドが音を立てる。
 その音に重なって、私の胸が、密かに軋む。

「…………しらゆき、さん」

 迷いながら、弱々しく名前を呼ぶ。
 差し出されたその手を取れば、白雪さんが、そっと抱きしめてくれる。

 ——初めての、白雪さんの腕の中。
 優しい体温。同じシャンプーの香り。触れる身体の柔らかさ。
 夢見ていた心地が、今、現実になって私を包む。

「……私はきっと、君を傷つけることになるよ」

 触れ合った身体から、迷いが伝う。
 だけど私は、手放したくなんてなかった。どんな形でも繋がっていたくて、白雪さんの背中に手を回して、ぎゅっと抱きしめ返した。

「……私のこと…………少しでも、大切に想ってくれてるなら……」

 温もりに、頬を寄せる。
 掠れる声で……白雪さんを、求める。
 
「もう、何ももらえなくてもいい……それでも、あなたの手に触れられたい。……傷つけ、られたい」
 

 ——息を、飲む音がした。

 見えない顔は今、どんな表情をしているんだろう。
 私の望みに——白雪さんは、何を思うんだろう。


 待っていても、言葉は返らなかった。


 だけど、返事の代わりに、白雪さんの指が私の頬を撫でた。
 なめらかなその指が滑り落ちて、私のあごを、優しくそっと持ち上げて——

 見つめ合った瞬間に、唇が、重なった。

 ずっと待ってた、二度目のキス。
 触れただけの一度目とは違う、押し付け合うようなキス。
 柔らかさと、熱さと、互いの形を感じ合うような——。

「……触れても、いいかな」
「……………はい。触れて、ください……」

 離れた唇の吐息が、特別な夜の始まりを切り出す。
 私が望みを返せば、白雪さんは、私のパジャマのボタンに手をかける。

 ひとつ、またひとつと、ゆっくり開かれていく。
 隠していた私のすべてが、白雪さんの目に晒される。

 ——すごく、恥ずかしかった。
 どんな風に見えてるんだろうって思うと、怖かった。


 でも——全部見てほしいって、そう思った。


 白雪さんの指が触れる。
 隅々まで、私を探る。
 誰にも見せたことのない、自分でも触れたことのない、奥の奥まで。

 それは重ね合いなんて呼べないような、一方的に与えられるだけのもので。何もかも委ねては、触れる白雪さんの温度に、私の全ては溶かされていた。
 
 白雪さんは、優しかった。

 見つめた瞳には見たことのない、知らない熱が灯っていて——

 心と身体が、強く震えた。


「……しらゆきさん……っ!すき……!だいすきっ……」


 甘く上ずる声で、何度も伝えた。
 蕩けるような熱と一緒に、私は白雪さんに必死で縋った。


 ——与えられるすべてが、すごく愛おしかった。


 私は、たしかに幸せだった。
 たとえそれが施しだとしても、私たちはずっと、確かめ合って、探り合っていたんだと思う。
 
 繋がれる何かを求めて。
 通じ合う何かを信じて。
 わからないまま——肌を重ねることを、選んだんだと思う。


 その行為の行き着く先が、すれ違いなんだって、わかっていても。
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