名もなき春に解ける雪

天継 理恵

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冬の章 雪に散る花

 私たちは変わってしまった。

 身体を重ねたあの夜から、何もかもが変わってしまった。

 ……ううん、違う。
 白雪さんは何も変わらない。変わったのは、私だけ。


 白雪さんに抱かれて、想いを止められなくなった——私、ひとりだけ。



 冬の章 雪に散る花



 あれから私たちは、今まで通り、休み時間や放課後を一緒に過ごしていた。
 週二回の昼休みと、放課後と、帰り道。
 そんないつもの時間が、物足りなく感じ始めた。

「白雪さん。お昼休み……もっと会えないんですか?できれば、毎日一緒がいいです」
「毎日?でも、羽澄くんにはクラスで一緒に食べている子たちがいるんだろう?」
「美樹たちのことはいいんです。それよりも、白雪さんと一緒にいたいから」
 
 白雪さんの顔が、ハッキリと曇った。考えるような素振りをしてるけど……どう断ろうか、言葉を選んでるように見えた。

「……クラスの友人は、大切にしたほうがいいよ。……私も、本を読む時間が欲しいしね」

 なるべく優しく、柔らかに。私の望みを拒否した白雪さんの笑顔は、やけにぎこちなかった。

 ——無理を言ってるって、わかってた。

 白雪さんの都合とか、ひとりでいたい時間があるんだろうなってわかっていたのに、それでも私は、求めずにいられなかった。
 
「私といると、楽しいって言ってくれたじゃないですか……」

 諦められずに、まるで恨み言みたいにつぶやいた。駄々をこねる子どもみたいに、私の気持ちを押し通そうとした。
 それがどれだけ迷惑なことか頭ではわかっていたのに、「でも、恋人同士なんだから」っていう心の声が黙ってなかった。


「私たち、もう、身体を重ねた仲でしょ?」って——。


 ……結局、白雪さんは私のワガママを受け入れてくれた。

 中庭で過ごすにはもう寒すぎる季節になって、私たちは誰も来ない資料室でこっそり食べるようになった。
 資料室への廊下の途中、窓から外を見れば、目に入るのは寒々とした裏庭のベンチ。春も夏も秋も、太陽の下のあの場所で、白雪さんとお昼を一緒に食べあった。
 そんな記憶が眩しく思い出されて——同時に、あの頃の自分と今の自分を、比べてしまった。

 あの頃は、ただ会えるだけで嬉しかった。
 言葉ひとつ交わせるだけで嬉しかった。


 でも——今は、もう。


 振り払うように、裏庭から目を背けた。
 ……重く歪んでしまった気持ちをこれ以上、知りたくなかったから。


 そうやって私は、見ないふりを、わからないふりをし続けた。
 
 いつか、好きになってくれる。
 いつか、私だけを見てくれる。

 そんな願望だけを支えに、白雪さんの隣に居座り続けた。


「今度の休み、一緒にどこか行きませんか?」
「昨日、LINE返してくれるの遅かったですね」
「冬休みはどこに行きましょうか?」
「来年、同じクラスになれたらいいですね!」

「白雪さん!」

「白雪さん」

「白雪さん……」


 ——私の毎日は、白雪さんだけだった。
 
 でも、白雪さんは違う。

 途切れる会話の端に、そっと外れる視線に、私を遠ざけようとしてるのを感じた。一日、また一日と冷え込んでいく気温のように、私たちの間の空気も、温度を失くして冷たくなっていくようだった。


 ——冬が深まっていく。
 十二月になって、一年の終わりが近づいていく。

 世間はクリスマス一色で、街はもう、イルミネーションやクリスマスツリーで賑やかに飾られていた。
 道ゆくカップルたちはみんなやたらと幸せそうで、美樹も真由香も、イブは彼氏と過ごすんだって嬉しそうに笑ってた。


 なのに私は——まるで、取り残されたみたいだった。


 ——ある放課後の図書室。
 白雪さんと初めて出会ったその場所で、私たちは肩を並べてた。
 白雪さんがカバンから本を取り出して、ページを開く。その隙間から取り出されたのは、私がプレゼントした、秋桜の栞だった。
 使ってくれてるんだって、すごく嬉しくなった。
 でも——取り出された栞は、すぐに机の上に避けられてしまった。

 白雪さんはもう、本しか見ていない。
 文字を追う瞳は、栞を見つめたりなんかしない。

 押し花になった秋桜は、こんなにも一生懸命咲いてるのに。

 見捨てられたようなその栞を見るのが、苦しかった。どうしても声をかけたくなって口を開きかけたけど、没頭する横顔に、何も答えてもらえない恐怖が過ぎった。

「……羽澄くん?」

 黙って見つめる私に気がついて、白雪さんが本から視線を上げた。
 見つめ返す目が、怖いくらい澄んでる。
 初めて見た時から綺麗だと思っていた真っ黒な瞳は、温度が感じられないほどに冷静で、まるで私の反応から心を観測しているようだった。

 何もかもを見通して、私を「知って」。

 なのに——本当に知ってほしい気持ちは、いつも、見過ごしていく。


「……なんでも、ないです」

 小さく呟けば、視線は本へと戻っていく。
 やっぱりなって思って……心が折れそうになる。


 だけど私は、めげていられないって気持ちを奮い立たせた。
 どうしても今日、伝えようと心に決めてたことがあったから。


 「イブの日に、デートしましょう」

 そう、約束すること。

 
 白雪さんと、クリスマスに飾られた街を一緒に歩きたい。
 恋人らしくイブを一緒に過ごして、また忘れられない夜を迎えたい。
 
 そんな夢を、絶対に叶えるんだって思ってた。……ううん。一緒に過ごすのが、当然だと思ってた。

 
 なのに。


「え…….…?イブの日……会えないんですか……?」

 ——私の誘いは、あまりにもあっさりと断られてしまった。
 
「クリスマスイブは、毎年家族とコンサートに行くんだ。今年もその予定があるから、その日は会えない」

 図書室を出て、学校からの帰り道。葉を落としきった裸の木が並ぶ道の途中で、私は愕然と足を止めた。

「でも……クリスマスイブですよ?ちょっとでも会えないんですか?それか、次のクリスマスの日に会えないんですか?」

 白雪さんが振り返る。
 断られると思っていなかった私がしつこく食い下がると、その必死さに、白雪さんの眉が曇った。

「……悪いけど、次の日も朝から予定があるんだ」

 ——クリスマスもダメなの?

 ………………どうして?

「本当にすまない。他の日ならなんとか——」
「……他の日なんて……そんなの、意味ない」

 気がつけば、白雪さんの言葉を遮っていた。
 胸が、喉が。込み上げる何かに、焼かれてく。

「私たち、恋人同士なんですよ?なのにイブの日に会えないなんて……そんなの、おかしいですよ」

 積もり積もった我慢はもう、止められなかった。
 言葉を選ばず責める私に、白雪さんは視線を落として、どこかに言葉を探す。

 ——ああ、やっぱり。
 白雪さんは、私を見てくれないんだ。

 そう思った瞬間、胸の奥に閉じ込めていた不満が、重い扉をこじ開けた。

「おかしい……とは、思わないけど」

 白雪さんの一言一言に、ジリジリと胸が焦げつく。
 導火線に火がついたように、今にも心が破裂しそうになる。

 ——ふいに、冷たい風が吹き抜けた。
 乱れた長い髪に瞳を隠して、白雪さんは、苦しげに口を開く。

「私にも予定があるんだよ。それはわかって欲し——」
「わかりませんッ!!わかりたくないッッ!!」

 ——爆発は、突然だった。
 続けられる拒絶を聞いていたくなくて、反射的に喚いた。
 
 慣れない大声に、喉がひくつく。
 浅くなった息が、冬の空気に白く散る。
 それでも——責める言葉は、止まらなかった。

「……私たち、付き合ってるんじゃないんですか…………?恋人同士で……手も繋いだし、キスもしたし、エッチだって……してくれたじゃないですか」
「それは………………」

 いつも毅然とした白雪さんが、答えを出せずに言い淀む。その曖昧な態度が、私の苛立ちに火を注ぐ。
 
「……白雪さんにとって、私って、なんなんですか……?」

 ずっと抱えていたものをぶつければ、白雪さんが小さく唇を噛んだ。
 あんなに私の知らないこと、たくさん知ってたのに。……どうして私が一番知りたいことは、答えてくれないの?

「ただの友達のつもりなんですか……?私が好きだって必死に言ってるから、それがあまりにも可哀想で、仕方なく恋人ごっこをしてくれてるんですか?」

 酷いことを言ってる。
 けど、本当は否定してほしかった。

 そう思っても——言葉ひとつ、返ってこない。

「…………嬉しかったのに」

 幸せだと思っていた好きの気持ちが、色を無くしてく。

「白雪さんから名前を呼んでくれて……手を繋いでくれて、キスしてくれて、すごく、嬉しかったのに……っ」

 満たされていると思っていた想いが、からっぽな夢のように醒めていく。

「白雪さんにとって、私はただの観察対象で、実験動物みたいなものなんでしょ……?エッチした時だって……私の気持ちなんて、なにも考えてなかったんですよねッ!!」

 ——こんなこと、本当は言いたくなかった。
 わかってた。言ったらきっと、取り返しがつかなくなるって。
 でももう、止まれなかった。
 どうしても、本当の気持ちを知りたくて。
 私が大切だって、たった一言だけでも欲しくて。


 なのに——言葉にした瞬間。

 白雪さんの表情が、瞳が、一瞬にして凍りついた。


「……なにか…………言ってよ……違うって、そんなことないって、どうして言ってくれないんですか!?」

 問い詰める私の目に、涙が滲み出す。
 振り切れた感情が鼓動を暴れさせる。カバンを強く握る手はもう、凍るように冷たい。

「……ねぇ……白雪さん……っ」

 涙に揺れる声で、しがみつくように呼ぶ。

 白雪さんは——私から、瞳を逸らす。


 それが、全ての答えだった。


「……っ、もう、無理です……っ。白雪さんが、私を見てくれないなら…………」

 心はもう、粉々だった。
 白雪さんでいっぱいだったはずの器は壊れて、あふれてた気持ちは、全部涙に変わって流れてく。

「もう……っ、白雪さんとは、会いません……っ。ご飯も食べないし……一緒に帰りもしませんっ……」

 しゃくり上げながら突きつければ、視線を伏せたままの白雪さんが一瞬、肩を揺らした。
 けど、ただ、それだけ。

 震える喉で、大きく息を吸った。

 肺に冬の空気が満ちて——最後の言葉が、凍ったまま吐き出される。


「…………今まで、付き合ってくれて、ありがとうございました」


 静かに、別れの言葉を残して——私はその場から、逃げるように走り出した。

 アスファルトを蹴って、白雪さんから離れてく。
 遠ざかる不安と悲しみに足を止めそうになって、でも、ここにいちゃいけないって走った。

「…………うっ……あぁ……っ、ぁあ……っ!」

 乱れる息の合間に、堪えきれなかった寂しさがこぼれだす。
 上手く呼吸ができなくなって、苦しくなった私は、白雪さんと秋に来た公園で足を止めた。

 あの日、ふたりでジェラートを食べた銀杏の木の下で、嗚咽をこぼしながら泣き喚いた。

 泣いて、泣いて、泣きまくりながら——心のどこかで、白雪さんが追いかけてきてくれるのを待ってた。


『ごめん。羽澄くんの気持ち、考えられてなかった』

『言われて気がついたよ。私には、羽澄くんが必要だ。そばに居て欲しい』

『君が、好きだから』


 ——都合の良い夢が叶うのを、密かに期待してた。
 往生際悪く、ふたりの思い出の場所に縋っていた。


 だけど、いつまで待っても、白雪さんが追いかけてきてくれることはなかった。


 ——私は泣き続けた。
 愛してほしいって願いを込めた泣き声を、叫ぶように上げて。

 でもそれも、時間が経てば経つほど、ただの絶望に変わっていった。


 流れる涙と一緒に、白雪さんとの思い出がこぼれ落ちていく。

 春。図書室で初めて出会った時のこと。
 一目惚れのように惹かれて、なんとか友達になりたいって頑張って、勢いで告白したこと。

 夏。初めてのデートと花火大会。名前を呼ばれて、手を繋いで、キスをしたこと。
 一緒の時間を過ごせば過ごすほど、知れば知るほど、好きになっていったあの日。

 秋。……白雪さんの誕生日に、ウチでお泊まりをして——身体を重ねたこと。
 「好き」と言えない白雪さんに、それでもいいと、傷つけられたいと望んで、抱いてもらったこと。
 
 あの時、見返りは求めないと覚悟したはずだったのに……私は、期待してしまった。
 白雪さんを、信じてしまった。


 白雪さんは、好きじゃない人を、抱いたりなんかしないって。


 でも、そんなことはなかったんだ。
 憐れみで手を差し伸べられるくらい、白雪さんは優しくて——残酷だったんだ。
 
 
 信じていた気持ちが、震える白い吐息になって空に昇っていく。


 白——いつか、彼女みたいだと思った色。


 それが霞むように消えていくのを見送りながら、静かに受け止めた。


 私たちは、今、確かに終わったんだ、と。


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