革命の夜は二度来ない

白藤結

文字の大きさ
60 / 67

三章(12)

しおりを挟む
 走る、走る、走る、走る。ざあざあと雨の降る中、ただひたすらに駆ける。
 目的地なんて決まっていない。なにせエリクの居場所などまったく知らないのだから。

 がむしゃらに走っていると、いつの間にか革命広場にまでやって来ていた。急な雨で客足が途絶えたからだろうか、屋台の店主がそこかしこで閉店の準備を進めている。

(エリクは……)

 雨で目が開けづらいけれど、アデライドは必死に瞼を押し上げて周囲を見回す。

 しかし、エリクらしき人影は見当たらない。

 やっぱり……と落胆し、次はどこに行こうかと思っていると、「おい、嬢ちゃん!」と声がした。そちらを向けば、つい数時間前に革命について尋ねた、あのワッフルゴーフルの屋台の店主がいて。
 彼は焦った様子でこちらに近づいてくると、自らが羽織っていた外套がいとうをアデライドに巻きつけてきた。

「え、あの……!」
「いいから着とけ! 風邪をひきたいのか!?」

 アデライドは静かに首を横に振る。風邪をひいて寝込んでいる暇なんてない。一刻も早くフィリップを説得して、反革命派の計画を止めなければならないからだ。
 店主はアデライドが外套を着やすいように調整するのを見ると、ほっと息をついた。そして。

「そんで、あの兄ちゃんはどうした?」
「……はぐれたんです」

 本当はきちんと別れまで済ませているのだけれど。
 店主はやはり怪しいと思っているのか、若干疑わしそうな視線を向けてくるが、深く追求してくる気はないらしい。「ふうん」とよくわからない声を発しつつ、視線を革命広場の奥へと向けた。

「とりあえず屋台で待っとけ、探してきてやる」
「え、でも……」
「こういうときは助け合いだろ? 申し訳なく思うのならまた買いに来てくれ」

 そう言うと、店主は雨の中どこかへ駆け出した。

「あ、外套……」

 体を覆うそれを見下ろしてぽつりと呟く。あまりの展開の早さに返しそびれてしまった。

(……離れられなくなったわね)

 はあ、とため息をつく。外套を返すためにも店主にもう一度会わなければならない。屋台に置いて言ってもいいのだが、そうなると盗難される可能性があるからあまり得策ではないだろう。
 とりあえずとぼとぼと歩き、あの店主の屋台で雨宿りをする。以前来たときはもう一人店員と思われる女性がいたのだが、彼女は帰ったようで今は誰もいなかった。

 ぼんやりとその場で待つ。バシャバシャと水の跳ねる音が聞こえるたび、ビクリと肩を跳ねさせた。
 アデライドはそっと自らの体をかきいだく。
 おそらくもうそろそろ、屋敷でもアデライドがいないことに気づかれたのではないだろうか? そうなると捜索隊が出されて見つかるのも時間の問題となる。

(せめてエリクには会いたいんだけど……)

 探しに行きたいが、ここを動くわけにはいかなくてじれったい。焦りばかりがどんどん降り積もっていく。
 どうしよう……と思っていれば。

「ァ……ラ!」

 かすかに聞こえてきた声に、アデライドはバッとそちらを向いた。
 雨の降りしきる中、一人の人物が革命広場に入ってきたところだった。外套をまとうことなく、びしょ濡れになりながらこちらへと走ってくる。
 その人物は。

「エリク!」

 外套をなびかせ、アデライドは彼の元に駆け寄った。そのままの勢いで彼に抱きつき、胸元をきゅっと握って見上げる。そして彼の言葉を待つことなく口を開いた。

「反革命派がなにか計画を起こそうとしているわ」

 彼はピシリと固まった。目を見開き、じっとこちらを見つめる。

「あと計画はこの街で起こすものじゃないと思う。なにか移動準備をしていたから……。お願い、伝えて。わたしは反革命派を止めたいの」

 しばらく呆然としていたものの、エリクはハッと我に返って「……わかった」と頷いた。
 そのことにほっと安堵の息をつく。

「ありがとう、エリク」
「アデラの頼みだからな。それくらいはするよ」

 アデライドを安心させるためか、そう言ってエリクはニカッと笑う。その笑みが頼もしい。
 これで、これで大丈夫。なんとかなる。
 そう思ったところで気がついた。

「――あ、エリク、気をつけて。エリクのことは知られているから、もしかしたらあなたも危険になるかも」
「わかった。注意するよ」

 神妙な顔で頷くエリク。これでもう言い残したことはないはずだ。

(早く戻らないと)

 ここにいたら見つかったとき、エリクも害されてしまうかもしれない。下手したら親切に外套を貸してくれた店主だって。
 そんなのは絶対に嫌だ。
 そう思い、エリクから離れて屋敷のそばへ戻ろうとした――けれど。

 エリクの両腕が背後に回り、きつく、きつく抱きしめられる。それが震えているのは、寒さからだろうか?

「……エリク?」
「……戻るつもりなのか?」

 ざあざあと雨が降りしきる中、か細い声が雨音に混じって耳に届く。
 その問いかけに、もしかして、という予感が生まれる。もしかして、彼は。

 ためらいがちに「ええ」と頷けば、ぎゅうっと腕の力が強くなる。体がぴったりとくっつくけれど、まったく力を弱める気配がない。

「エリク」

 彼の腕を振り解こうとしたけれど、余計に締めつけられて一向に離されない。
 そんなことをしている間にも、追っ手が来るのかもしれないのに。

「エリク、お願い、離して」
「いやだ」
「どうして?」
「……もう二度と、アデラと会えないかもしれないから」

 ぎゅうっと締めつけられる。
 彼の言葉に、不謹慎だけれど胸が温かくなった。じんわりと目頭が熱くなって、幸せだという気持ちが溢れてくる。
 アデライドだって、このまま彼と一緒にいられたらいいと思う。フィリップの説得を諦めてしまえば? と、誰かが囁く。

 でも。

 とめどなく溢れてくる感情を握りつぶし、「エリク」と呼びかける。

「ありがとう。そんなふうに思ってくれて」

 おそらく彼はずっと心配してくれていたのだろう。だからこんな時間にもかかわらず、この近辺にいたに違いない。それがとてつもなく嬉しかった。

「でも、わたしは行かなきゃいけないの。……いえ、行きたいの。それが、わたしにとっての正義だから」

 世間一般から見れば、アデライドの選択は間違いかもしれない。このまま戻ったところでフィリップと会う機会などできず、説得できないまま計画が実行されてしまうのかもしれない。

 それでも。
 これがアデライドにとっての正義だから。正しいことだから。
 それに従って行動をしたかった。

 ――エリクの隣にいられる自分であるために。

 そうしなければわたしは一生後悔する。エリクの隣にいられる自信がなくなる。
 だから。

「エリク」

 なんとかして腕を持ち上げ、彼の頬に触れる。雨に濡れた肌はひんやりとしていて、血の気を失っていて。

「お願い」

 アデライドは安心させるように笑みを浮かべた。これで背中を押してくれればいいと思いながら、自然に見えるように。
 ……雨音だけが世界に満ちた。いくつもの雫が彼の頬を伝っていて、その表情も相まって、まるで泣いているかのようだった。
 じっとエリクを見つめていると、やがて彼はそっとため息をついた。

「………………わかった」

 しぶしぶといった様子の声。それで充分だった。
「ありがとう」と言えば、彼はそっと目を伏せる。

「……アデラ、絶対に戻って来いよ」
「もちろんよ。まだあのパティスリーのケーキを食べ切れていないもの」
「そっか」

 エリクは小さく苦笑するけれど、それはどこか泣き笑いのようにも見えて。
 アデライドは静かに彼を抱きしめた。

「ねえ、エリク。また会いましょう」
「……あー、もう。そんなことされると離したくなくなるんだけど」
「それはダメよ。わたしはわたしの正義を貫くために行くんだから」
「わかってる」

 しばらくお互いの感触を堪能すると、どちらからともなく体を離していった。別れの言葉を口にしようとして、ふと外套の存在を思い出す。

「あ、エリク。これを返しておいてくれるかしら? あなたを呼びに行った屋台の店主に借りたのよ」
「わかった。絶対に返すよ」

 そして。
 アデライドは意識して笑みを浮かべた。

「……行ってきます、エリク」
「行ってらっしゃい、アデラ。絶対、また会おうな」
「もちろんよ。エリクもお願いね」
「当然」

 こちらを安心させるかのように、余裕たっぷりの笑みを浮かべるエリク。
 彼と離れたくはなかったけれど、その思いを断ち切り、アデライドは駆け出した。

 あの屋敷へ戻るために。フィリップを説得するために。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

やさしい・悪役令嬢

きぬがやあきら
恋愛
「そのようなところに立っていると、ずぶ濡れになりますわよ」 と、親切に忠告してあげただけだった。 それなのに、ずぶ濡れになったマリアナに”嫌がらせを指示した張本人はオデットだ”と、誤解を受ける。 友人もなく、気の毒な転入生を気にかけただけなのに。 あろうことか、オデットの婚約者ルシアンにまで言いつけられる始末だ。 美貌に、教養、権力、果ては将来の王太子妃の座まで持ち、何不自由なく育った箱入り娘のオデットと、庶民上がりのたくましい子爵令嬢マリアナの、静かな戦いの火蓋が切って落とされた。

そう言うと思ってた

mios
恋愛
公爵令息のアランは馬鹿ではない。ちゃんとわかっていた。自分が夢中になっているアナスタシアが自分をそれほど好きでないことも、自分の婚約者であるカリナが自分を愛していることも。 ※いつものように視点がバラバラします。

二度目の子育て~我が子を可愛がったら溺愛されました

三園 七詩
恋愛
私は一人娘の優里亜の母親だった。 優里亜は幼い頃から体が弱く病院でほとんどの時間を過ごしていた。 優里亜は本が好きでよく私にも本の話をしてくれた。 そんな優里亜の病状が悪化して幼くして亡くなってしまう。 絶望に打ちひしがれている時事件に巻き込まれ私も命を落とした。 そして気がつくと娘の優里亜が大好きだった本の世界に入り込んでいた。

10年間の結婚生活を忘れました ~ドーラとレクス~

緑谷めい
恋愛
 ドーラは金で買われたも同然の妻だった――  レクスとの結婚が決まった際「ドーラ、すまない。本当にすまない。不甲斐ない父を許せとは言わん。だが、我が家を助けると思ってゼーマン伯爵家に嫁いでくれ。頼む。この通りだ」と自分に頭を下げた実父の姿を見て、ドーラは自分の人生を諦めた。齢17歳にしてだ。 ※ 全10話完結予定

次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢

さら
恋愛
 名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。  しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。  王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。  戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。  一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。

転生皇女はフライパンで生き延びる

渡里あずま
恋愛
平民の母から生まれた皇女・クララベル。 使用人として生きてきた彼女だったが、蛮族との戦に勝利した辺境伯・ウィラードに下賜されることになった。 ……だが、クララベルは五歳の時に思い出していた。 自分は家族に恵まれずに死んだ日本人で、ここはウィラードを主人公にした小説の世界だと。 そして自分は、父である皇帝の差し金でウィラードの弱みを握る為に殺され、小説冒頭で死体として登場するのだと。 「大丈夫。何回も、シミュレーションしてきたわ……絶対に、生き残る。そして本当に、辺境伯に嫁ぐわよ!」 ※※※ 死にかけて、辛い前世と殺されることを思い出した主人公が、生き延びて幸せになろうとする話。 ※重複投稿作品※

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

処理中です...