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第一部
一章(1)
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複雑な廊下を、ルーク記憶を頼りに進んでいく。ヘクターという国王の側近は、王女の自室までの道のりを口頭で一回説明しただけだったから、正直王女の部屋にたどり着けるのかどうかは怪しい。その上、王族の私室のある王城の奥へ入るのは初めてだから、今歩いている道が本当に王女の部屋に繋がっているのかさっぱりわからない。けれどどうやらきちんと行けたらしく、しばらくして到着した、目的地だと思われる部屋を守る衛兵に尋ねれば、そこはちゃんと王女の部屋だった。ほっと息をつき、中への取り次ぎを頼む。
やがて侍女に導かれ、ルークは部屋の中に足を踏み入れた。
王女の私室は過度な装飾のない、落ち着いたものだった。しかしやはり王族は王族。棚ひとつとっても繊細な飾りがびっしりと刻まれており、家具一つ一つがルークには手を出せないほど高価であるのが窺えた。
思わずごくりと唾を飲み込む。これから毎日この部屋に通うこととなるが、こんな高級品に溢れた部屋に慣れるとは思えないし、よしんば慣れたとしても今までの生活に戻れなくなりそうで恐ろしかった。
部屋の主である王女は侍女を隣に控えさせて、花柄のソファーに座っていた。目が合った途端、ぺこりと頭を下げられる。王女らしくない姿に瞬間胸にもやっとした感情を抱いたが、話せない彼女はこうしなければ挨拶も交わせないのだ。仕方がないだろう。
王女は侍女に、国王がしていたように手のひらを上に向かせると、そこに何やら書き始めた。
「このような、無礼な、態度で、すみません。王女の、クラリス、です」
途切れ途切れに、侍女が王女の代わりに言葉を紡いでいく。なるべく相手を待たせないために、単語が書かれるごとにそれを読み上げているのだろう。しかしそのせいで逆に子供っぽい話方になってしまっている。
やはり文字だと時間がかかってしまうか、と冷静に判断しながら、ルークは「このたび王女殿下の教育係を拝命いたしました、ルーク・アドランです。よろしくお願いいたします」と挨拶を返す。
王女はひとつ頷き、また書き始めた。
「よろしく、お願いします、ルーク」
「はい」
……沈黙がおりた。元々ルークは会話が得意なほうではないし、捗るとしてもそれは学術的なことや仕事のことで、だ。雑談などはどうやって話を広げれば良いのかまったく見当もつかない。
それにルークは王女の教育係となる。今まで誰かに物事を教えることはあっても、その場合身分差を気にしない親しい者ばかりだったから、王女という目上の者相手に、教育係としてどのような態度を取ればいいのかわからなかった。あまり恭しすぎてもいけないだろうし、かと言って上から目線なのも不敬だし……
果たしてどれくらいの距離感でいるべきなのだろうか、とこっそり悩んでいると、また声が届いた。侍女の声を借りた、王女の言葉だ。
「本当に、これで、良いのですか? この通り、私は、何もできない、王女ですが……」
王女のエメラルドの瞳は、ルークのほうを見つめていながらも、どこかためらうように視線がわずかに揺れていた。その弱々しく儚げな様子に、守らなければ、という庇護欲がそそられるが、それはぐっ、と抑え込む。努めて冷静に、ルークは告げた。
「国王陛下の命令ですから、もちろんです。――王女殿下、こちらからもご質問していいでしょうか?」
王女はしっかりと頷いた。どうやらそれだけで事足りる返事のときは、侍女の手に字を書くことはないらしい。そこもまた王族らしくない、と思いながら、ルークはばっさりと口にした。
「王女殿下は何を目標としているのでしょうか? ……それによって、どの程度の教育が求められるのか変わりますので」
例えば。王女がこのままの平穏な生活を望むのならば、ルークは最低限の知識しか与えないつもりだった。社交で失敗しないためのルールを教えたり、声に代わる伝達手段を用意したり、国の現在の情勢について教えたり……その程度だ。しかし、今現在王位継承者でありながらも存在を軽んじられている彼女が王位を目指すのならば、もしくは王族として何かしらの形で国政に関わりたいと願うのならば。それに見合うだけの知識を与えるつもりだったし、それだけの知識量を持っているという自負もあった。
じっ、と王女を見つめる。エメラルドがゆらゆらと、あたかも湖面のように揺れていた。動揺しているのがありありと伝わる、その態度。けれどルークは何も言うことなく、ただただ静かに王女の言葉を待った。
傍らに控える侍女は、王女に助け船を出そうと思っていて、けれど言葉が見つからないのか、口をはくはくと開いたり閉じたりするだけだった。オロオロと、この空気をどうにかするための方法を考えている。
――やがて、数分ほど経って、ルークはため息をついた。
「わかりました。とりあえず何になりたいのかすらもわからない、ということですね」
そう言えば、王女は目に見えて落ち込んだ。……王女のこの素直さは、美点だと思う。この権謀術数渦巻く王城で、これほどまでに率直で、感情をあらわにし、気を緩めることのできる存在はめったにいないだろう。
だがしかし、それではこの陰謀が横溢した世界を生きていくことはできない。そのため美点でありながらも欠点だと言えよう。
そう思いながら、王女を慰める言葉を紡ぐ。
「大丈夫です。見つからないというのは、判断材料が少ない、というだけですから。それならばこれから知識を増やし、決めていけば良いのです」
すると、王女はほっと息をついた。彼女の太ももの上で指が何かを描くが、反対側に座っているためよくわからなかった。だけどおそらく文字だろう、というのは簡単に推察できる。あたかもほかの人が独り言を呟くように、彼女は自らの太ももに文字を書いたのだろう。
となるとこの癖も直さなければならないな、と思いながら、ルークは口を開いた。
「では、本日は突然のことでしたので、また明日参ります。そのときからいろいろなことを始めましょう。――とりあえず、なりたいものが決まったときにその選択肢を掴めるよう、ありとあらゆることを教えていきたいと思いますが、よろしいですね?」
わずかに視線を逸らしながら、王女はこくりと頷いた。その様子に、あまり勉強をしたくないという感情が透けて見え、思わずため息をつきたくなったが、こらえる。注意は明日からしていけば良いだろう。そう判断し、ルークは「失礼いたします」と言って部屋を出た。
やがて侍女に導かれ、ルークは部屋の中に足を踏み入れた。
王女の私室は過度な装飾のない、落ち着いたものだった。しかしやはり王族は王族。棚ひとつとっても繊細な飾りがびっしりと刻まれており、家具一つ一つがルークには手を出せないほど高価であるのが窺えた。
思わずごくりと唾を飲み込む。これから毎日この部屋に通うこととなるが、こんな高級品に溢れた部屋に慣れるとは思えないし、よしんば慣れたとしても今までの生活に戻れなくなりそうで恐ろしかった。
部屋の主である王女は侍女を隣に控えさせて、花柄のソファーに座っていた。目が合った途端、ぺこりと頭を下げられる。王女らしくない姿に瞬間胸にもやっとした感情を抱いたが、話せない彼女はこうしなければ挨拶も交わせないのだ。仕方がないだろう。
王女は侍女に、国王がしていたように手のひらを上に向かせると、そこに何やら書き始めた。
「このような、無礼な、態度で、すみません。王女の、クラリス、です」
途切れ途切れに、侍女が王女の代わりに言葉を紡いでいく。なるべく相手を待たせないために、単語が書かれるごとにそれを読み上げているのだろう。しかしそのせいで逆に子供っぽい話方になってしまっている。
やはり文字だと時間がかかってしまうか、と冷静に判断しながら、ルークは「このたび王女殿下の教育係を拝命いたしました、ルーク・アドランです。よろしくお願いいたします」と挨拶を返す。
王女はひとつ頷き、また書き始めた。
「よろしく、お願いします、ルーク」
「はい」
……沈黙がおりた。元々ルークは会話が得意なほうではないし、捗るとしてもそれは学術的なことや仕事のことで、だ。雑談などはどうやって話を広げれば良いのかまったく見当もつかない。
それにルークは王女の教育係となる。今まで誰かに物事を教えることはあっても、その場合身分差を気にしない親しい者ばかりだったから、王女という目上の者相手に、教育係としてどのような態度を取ればいいのかわからなかった。あまり恭しすぎてもいけないだろうし、かと言って上から目線なのも不敬だし……
果たしてどれくらいの距離感でいるべきなのだろうか、とこっそり悩んでいると、また声が届いた。侍女の声を借りた、王女の言葉だ。
「本当に、これで、良いのですか? この通り、私は、何もできない、王女ですが……」
王女のエメラルドの瞳は、ルークのほうを見つめていながらも、どこかためらうように視線がわずかに揺れていた。その弱々しく儚げな様子に、守らなければ、という庇護欲がそそられるが、それはぐっ、と抑え込む。努めて冷静に、ルークは告げた。
「国王陛下の命令ですから、もちろんです。――王女殿下、こちらからもご質問していいでしょうか?」
王女はしっかりと頷いた。どうやらそれだけで事足りる返事のときは、侍女の手に字を書くことはないらしい。そこもまた王族らしくない、と思いながら、ルークはばっさりと口にした。
「王女殿下は何を目標としているのでしょうか? ……それによって、どの程度の教育が求められるのか変わりますので」
例えば。王女がこのままの平穏な生活を望むのならば、ルークは最低限の知識しか与えないつもりだった。社交で失敗しないためのルールを教えたり、声に代わる伝達手段を用意したり、国の現在の情勢について教えたり……その程度だ。しかし、今現在王位継承者でありながらも存在を軽んじられている彼女が王位を目指すのならば、もしくは王族として何かしらの形で国政に関わりたいと願うのならば。それに見合うだけの知識を与えるつもりだったし、それだけの知識量を持っているという自負もあった。
じっ、と王女を見つめる。エメラルドがゆらゆらと、あたかも湖面のように揺れていた。動揺しているのがありありと伝わる、その態度。けれどルークは何も言うことなく、ただただ静かに王女の言葉を待った。
傍らに控える侍女は、王女に助け船を出そうと思っていて、けれど言葉が見つからないのか、口をはくはくと開いたり閉じたりするだけだった。オロオロと、この空気をどうにかするための方法を考えている。
――やがて、数分ほど経って、ルークはため息をついた。
「わかりました。とりあえず何になりたいのかすらもわからない、ということですね」
そう言えば、王女は目に見えて落ち込んだ。……王女のこの素直さは、美点だと思う。この権謀術数渦巻く王城で、これほどまでに率直で、感情をあらわにし、気を緩めることのできる存在はめったにいないだろう。
だがしかし、それではこの陰謀が横溢した世界を生きていくことはできない。そのため美点でありながらも欠点だと言えよう。
そう思いながら、王女を慰める言葉を紡ぐ。
「大丈夫です。見つからないというのは、判断材料が少ない、というだけですから。それならばこれから知識を増やし、決めていけば良いのです」
すると、王女はほっと息をついた。彼女の太ももの上で指が何かを描くが、反対側に座っているためよくわからなかった。だけどおそらく文字だろう、というのは簡単に推察できる。あたかもほかの人が独り言を呟くように、彼女は自らの太ももに文字を書いたのだろう。
となるとこの癖も直さなければならないな、と思いながら、ルークは口を開いた。
「では、本日は突然のことでしたので、また明日参ります。そのときからいろいろなことを始めましょう。――とりあえず、なりたいものが決まったときにその選択肢を掴めるよう、ありとあらゆることを教えていきたいと思いますが、よろしいですね?」
わずかに視線を逸らしながら、王女はこくりと頷いた。その様子に、あまり勉強をしたくないという感情が透けて見え、思わずため息をつきたくなったが、こらえる。注意は明日からしていけば良いだろう。そう判断し、ルークは「失礼いたします」と言って部屋を出た。
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