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第一部
二章(12)
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秋も深まり、少しだけ肌寒くなってきた。重ね着をすることが増えてわずかに動きづらくなったため、いくつもの本を同時に開いて眺めているのがちょっと大変になる。
それでもクラリスは今日も今日とて大量の本を置いて見比べていた。最近やっているのは、言語の違う同じ本を読み比べ、些細な表現の違いを見つけてその理由を考える、ということだった。学術書では文章が硬いためかあまり大きな違いは見受けられないものの、貴族令嬢たちに広く読まれているというロマンス小説だとたまにすごく大きな違いがある。
たとえばこの国では成人は男女ともに十五歳で社交界デビューもその年だが、隣国ラウウィスでは男の成人が十五、女の成人が十七となっており、社交界デビューも男女によって年齢に違いがあるのだとか。となるとこの国で書かれた小説で「主人公は社交界デビューをしたばかりの十五歳の女の子」となっていると、ラウウィスの慣習に当てはめて読めばそれは矛盾しているということになる。そのためラウウィス版では「成人年齢は男女ともに十五歳だとする」という注釈が加えられる、もしくは登場人物たちの年齢を操作しなければならなくなるのだ。
ほかにも慣用句など、直訳をしては意味が通じないものも存在する。それに関しては意訳をせねばならないため、そこにどのような表現を使うのかで翻訳者の真価が問われるのだ。それを見つけるのが楽しい。
と言ってもクラリスは言語の専門家ではないので、なかなか進んでいないが。どうしてこのような表現にしたのか、と毎回小一時間悩む羽目になる。それでも理由がわからないときだってあるから、精神的につらい作業だ。
今も床に座りながらいろいろと辞書をたぐって悩んでいると、ルークが部屋に入ってくる気配がした。声がする。穏やかなテノールの響きに、ひときわ強く心臓が脈打った。
「クラリス様」
――なに?
彼のほうを見ることなく手で問いかける。視線は辞書に落としたままだ。ペラリとページをめくる。まだ、お目当ての表現はない。
「今日の午後の講義ですが、予定変更です」
ページをめくろうとしたときにそう言われ、クラリスは思わずルークのほうを見た。彼の瞳には焦りが窺え、表情もどこか固い。今までこんなことを言われたことがないから、おそらくよほどのことが起こったのだろう。果たして、いったいどのような……
そんなことを思いながら、クラリスは――何があったの? と尋ねた。ルークは一言ひとことを噛み締めるように口を動かす。
「王妃様から、お茶会のお誘いがございました」
――母さまから!?
クラリスは頬が緩むのを感じられずにはいられなかった。母とはもう何年もお茶会をしたことがない。ずっとずっとほかの令嬢やご夫人方を集めて王城の中庭で楽しげに茶会をする姿を遠目に見ているしかなくて、しかもあまり私的な会話もしたことがなかった。そんな母と会える上に、お茶会だなんて。全身を徐々に高揚感が満たしていく。どうしてこれを喜ばずにいられようか?
しかしルークの表情は浮かないもので。どうしたのだろう? と訝しげに思っていると、彼はためらいがちに声を発した。
「実は……エリオット様もやって参ります」
ひゅっ、と息を呑んだ。
エリオット。ハルディア公爵家の嫡子で、クラリスの従兄弟。五歳年上の十九歳で、彼も王家の血を濃く受け継いでいることから、国王の唯一の子でありながらも話すことのできないクラリスに代わって王位に就くだろうと、今でも口々に噂されている人物だった。
クラリスはあまり彼のことが得意ではなかった。根からの真面目な人物で良い人なのは、わかる。よく知っている。だけど自分ではなく彼が次期国王だと目されているため、一方的に苦手意識を持ってしまっていた。
……どうしても、嫉妬してしまうから。自分がいるにも関わらず彼のほうが父の後継だろうと言われているのが羨ましくて、妬ましくて。もちろんそう言われるために彼だって並々ならぬ努力をしてきたのだろう。それは容易に想像できる。しかし、どうしても感情が制御できなくて。
――…………そう。
「……欠席の連絡をなさいますか?」
ルークはおそらくクラリスの心情を理解してくれているのだろう。優しい言葉をかけてくれる。けれど少し考えて……首を横に振った。
――大丈夫よ。なんとかなるわ。
貴重な母との茶会だから、やはり参加したかったのだ。ルークは目を細める。
「……無理はしないでください」
紫紺の双眸が、心配げにこちらを見下ろしていた。――ありがとう、と言葉を返して、クラリスはルークに言う。
――侍女たちに、お茶会の用意をするよう伝えて。あと……そうね、エッタはまだ完璧に手話を読み取れるわけじゃないから、ルーク、ついてきてくれる? 手話通訳をお願い。
「かしこまりました」
ルークはゆっくりと一礼をすると、機敏な動きで侍女たちに次々と命令を下していった。
それを眺めながら、クラリスはこっそりと辞書をたぐる作業に戻る。……が、しかし、すぐにルークに見つかって強制的に中断されてしまったのだった。
午後三時。お茶会を始めるのにちょうど良い時間になると、クラリスはルークや何人かの侍女を連れて庭園へ向かった。美しい花々が咲き誇る庭園をゆっくりと進み、奥へと進んでいく。時折人とすれ違い、そのたびに首を傾げられた。おそらくずっと引きこもってあまり人と顔を合わせないようにしていたから、クラリスが誰なのかわかっていないのだろう。
(手話を学んでからはルークさえいれば話せるのだから、もっと外に出るべきだったかしら?)
今更ながらにそんなことを思いつつ進んでいく。しばらくして衛兵の立つ小さな門が見えたため、ルークに取り次ぎを頼んだ。彼は小さく頷くと衛兵と会話をする。すぐに許可は取れたらしく、クラリスは衛兵によって開かれた門の間を通って中へ入っていった。
この先は王族と招待された者しか入ることができないことになっている、特別な庭園だ。今回のお茶会の参加者はすべて王族に連なる者であるため、ここで行うことになったのだろう。もしくは聞かれづらい話をするからか。
少しだけ不安になったが、もう後戻りはできない。感情をあまり外に出さないようにして進めば、すぐに純白のパラソルとテーブルが見えてきた。そこに座る人物たちも。
柔らかな栗色の髪と藍色の瞳を持つ母は、赤茶色のドレスを着て微笑んでいた。
それでもクラリスは今日も今日とて大量の本を置いて見比べていた。最近やっているのは、言語の違う同じ本を読み比べ、些細な表現の違いを見つけてその理由を考える、ということだった。学術書では文章が硬いためかあまり大きな違いは見受けられないものの、貴族令嬢たちに広く読まれているというロマンス小説だとたまにすごく大きな違いがある。
たとえばこの国では成人は男女ともに十五歳で社交界デビューもその年だが、隣国ラウウィスでは男の成人が十五、女の成人が十七となっており、社交界デビューも男女によって年齢に違いがあるのだとか。となるとこの国で書かれた小説で「主人公は社交界デビューをしたばかりの十五歳の女の子」となっていると、ラウウィスの慣習に当てはめて読めばそれは矛盾しているということになる。そのためラウウィス版では「成人年齢は男女ともに十五歳だとする」という注釈が加えられる、もしくは登場人物たちの年齢を操作しなければならなくなるのだ。
ほかにも慣用句など、直訳をしては意味が通じないものも存在する。それに関しては意訳をせねばならないため、そこにどのような表現を使うのかで翻訳者の真価が問われるのだ。それを見つけるのが楽しい。
と言ってもクラリスは言語の専門家ではないので、なかなか進んでいないが。どうしてこのような表現にしたのか、と毎回小一時間悩む羽目になる。それでも理由がわからないときだってあるから、精神的につらい作業だ。
今も床に座りながらいろいろと辞書をたぐって悩んでいると、ルークが部屋に入ってくる気配がした。声がする。穏やかなテノールの響きに、ひときわ強く心臓が脈打った。
「クラリス様」
――なに?
彼のほうを見ることなく手で問いかける。視線は辞書に落としたままだ。ペラリとページをめくる。まだ、お目当ての表現はない。
「今日の午後の講義ですが、予定変更です」
ページをめくろうとしたときにそう言われ、クラリスは思わずルークのほうを見た。彼の瞳には焦りが窺え、表情もどこか固い。今までこんなことを言われたことがないから、おそらくよほどのことが起こったのだろう。果たして、いったいどのような……
そんなことを思いながら、クラリスは――何があったの? と尋ねた。ルークは一言ひとことを噛み締めるように口を動かす。
「王妃様から、お茶会のお誘いがございました」
――母さまから!?
クラリスは頬が緩むのを感じられずにはいられなかった。母とはもう何年もお茶会をしたことがない。ずっとずっとほかの令嬢やご夫人方を集めて王城の中庭で楽しげに茶会をする姿を遠目に見ているしかなくて、しかもあまり私的な会話もしたことがなかった。そんな母と会える上に、お茶会だなんて。全身を徐々に高揚感が満たしていく。どうしてこれを喜ばずにいられようか?
しかしルークの表情は浮かないもので。どうしたのだろう? と訝しげに思っていると、彼はためらいがちに声を発した。
「実は……エリオット様もやって参ります」
ひゅっ、と息を呑んだ。
エリオット。ハルディア公爵家の嫡子で、クラリスの従兄弟。五歳年上の十九歳で、彼も王家の血を濃く受け継いでいることから、国王の唯一の子でありながらも話すことのできないクラリスに代わって王位に就くだろうと、今でも口々に噂されている人物だった。
クラリスはあまり彼のことが得意ではなかった。根からの真面目な人物で良い人なのは、わかる。よく知っている。だけど自分ではなく彼が次期国王だと目されているため、一方的に苦手意識を持ってしまっていた。
……どうしても、嫉妬してしまうから。自分がいるにも関わらず彼のほうが父の後継だろうと言われているのが羨ましくて、妬ましくて。もちろんそう言われるために彼だって並々ならぬ努力をしてきたのだろう。それは容易に想像できる。しかし、どうしても感情が制御できなくて。
――…………そう。
「……欠席の連絡をなさいますか?」
ルークはおそらくクラリスの心情を理解してくれているのだろう。優しい言葉をかけてくれる。けれど少し考えて……首を横に振った。
――大丈夫よ。なんとかなるわ。
貴重な母との茶会だから、やはり参加したかったのだ。ルークは目を細める。
「……無理はしないでください」
紫紺の双眸が、心配げにこちらを見下ろしていた。――ありがとう、と言葉を返して、クラリスはルークに言う。
――侍女たちに、お茶会の用意をするよう伝えて。あと……そうね、エッタはまだ完璧に手話を読み取れるわけじゃないから、ルーク、ついてきてくれる? 手話通訳をお願い。
「かしこまりました」
ルークはゆっくりと一礼をすると、機敏な動きで侍女たちに次々と命令を下していった。
それを眺めながら、クラリスはこっそりと辞書をたぐる作業に戻る。……が、しかし、すぐにルークに見つかって強制的に中断されてしまったのだった。
午後三時。お茶会を始めるのにちょうど良い時間になると、クラリスはルークや何人かの侍女を連れて庭園へ向かった。美しい花々が咲き誇る庭園をゆっくりと進み、奥へと進んでいく。時折人とすれ違い、そのたびに首を傾げられた。おそらくずっと引きこもってあまり人と顔を合わせないようにしていたから、クラリスが誰なのかわかっていないのだろう。
(手話を学んでからはルークさえいれば話せるのだから、もっと外に出るべきだったかしら?)
今更ながらにそんなことを思いつつ進んでいく。しばらくして衛兵の立つ小さな門が見えたため、ルークに取り次ぎを頼んだ。彼は小さく頷くと衛兵と会話をする。すぐに許可は取れたらしく、クラリスは衛兵によって開かれた門の間を通って中へ入っていった。
この先は王族と招待された者しか入ることができないことになっている、特別な庭園だ。今回のお茶会の参加者はすべて王族に連なる者であるため、ここで行うことになったのだろう。もしくは聞かれづらい話をするからか。
少しだけ不安になったが、もう後戻りはできない。感情をあまり外に出さないようにして進めば、すぐに純白のパラソルとテーブルが見えてきた。そこに座る人物たちも。
柔らかな栗色の髪と藍色の瞳を持つ母は、赤茶色のドレスを着て微笑んでいた。
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