私異世界で成り上がる!! ~家出娘が異世界で極貧生活しながら虎視眈々と頂点を目指す~

春風一

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第2部 母と娘の関係

5-1レース直前なのにいまだに仕上がっていない件

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 私はパンの入った紙袋を大事に抱え、ノーラさんの部屋の扉の前に立っていた。何か、妙に緊張する。ノーラさんって怖いから、会う時はちょっと緊張してたけど、あれとは違う感覚だ。

 以前は、ただの大家さんだと思ってから、気楽だった。でも『元シルフィード・クイーン』と知ってから、急に存在感が大きくなり、凄く身構えてしまう。

 元々シルフィード業界は縦社会で、特に『上位階級』の人たちは別格だ。『元シルフィード・クイーン』は、この業界の大御所であり、雲の上の存在だった。本来なら、見習いが話し掛けられるような相手ではない。

 それはさておき、今回は『ウォーター・ドルフィン』を貸してもらった、お礼をしに来た。リリーシャさんの言った通り、ノーラさんに相談したら、あっさり貸してくれたのだった。

〈サファイア・ビーチ〉の施設に預けてあった機体を借りて、毎日、仕事が終わったあとに練習していた。

 ただ、暗くなると危険なため、仕事終わりに、三十分ほどしか練習できない。もう、レースまで一週間を切っているので、かなりギリギリだ。でも、練習量が少なすぎるので、仕上がっているとは、とても言えない状態だった。

 私が扉をノックすると、中から返事が聞こえ、扉が静かに開く。

「ノ……ノーラさん。いつも、お世話になっております。これは、大変つまらない物ですが」 

 私は頭を深々と下げながら、紙袋を前に差し出した。

「って、何だい改まって?」
「い、いえ。いつも、お世話になっておりますし。今回は、レースの練習のご協力、大変ありがとうございました」

 私は使い慣れない言葉を並べ、何とか誠意を伝えようとする。

「別に、私は何もしちゃいないよ。てか、気持ち悪いから、その話し方やめな。何か悪いものでも、拾い食いしたのかい?」

「いくらお腹空いてても、そこまでしませんって! いや、じゃなくて『元シルフィード・クイーン』の大先輩に、失礼がないようにと思っただけですから」

 その直後『バチーン!』と音が響き、頭に衝撃が走る。私は、慌てて額を両手で押えた。

「あだっ!! 急に何するんですかっ?」
 いきなりデコピンされ、さすがに私もイラッとして反論する。

「それで、いいんだよ。今は正真正銘の、ただのアパートの大家さ。つまんないこと、気にしてんじゃないよ」
「はぁ――」

 そうは言われても、超大先輩だと、身構えちゃうんだよね。体育会系思考なので、どうしても、先輩には畏敬の念を抱いてしまう。

「とりあえず、入りな」

 いつも通り、ノーラさんは、さばさばと言い放った。私は彼女のあとについて、ゆっくり部屋に入って行く。

 ノーラさんは、先ほど私が渡したパンの袋をテーブルに置くと、キッチンに入って行った。どうやら、お茶の用意をしているようだ。

 私はテーブルの前で、じっと立っていた。変に手伝おうとすると『余計なことするな』と怒られそうなので、大人しく待っていたのだ。

 やがて、ティーカップの載ったトレーを持ち、ノーラさんが戻ってくる。

「何ボサッと突っ立ってるんだ。サッサと座ったらどうだい?」
「はいっ、失礼します」

 やっぱ、緊張する……。いつも通りと言われても、やはり『元シルフィード・クイーン』なのを、意識してしまう。

 ノーラさんが私の前に差し出したのは、コーヒーの入ったカップだった。カップも受け皿も、こった花柄が入ったアンティークだ。

 結構、食器とか、こだわってるんだよね。それに、凄くいい香りがする。コーヒー豆も、いいものを使っているに違いない。

「自分で入れな」
 ノーラさんは、ミルク差しと砂糖の入れ物を差し出してきた。

 ぶっきらぼうだけど、相変わらず細やかな気遣いだ。流石は、元シルフィード・クイーン。って、それは関係ないのかな。ノーラさん、大雑把そうに見えて、几帳面だからね。

 私がミルクと砂糖をたっぷり入れていると、ノーラさんがパンの袋の中を覗き込んだ。

「これは、リリー嬢ちゃんの入れ知恵かい?」
 ノーラさんは、怪訝な表情をしながら尋ねてくる。

「いえ、以前、リリーシャさんから『ノーラさんは、ぶどうパンが好き』って、聴いたことがあったので。いろんなお店を回って、実際に食べ比べてみて、一番おいしかったのを買って来ました」

 今日、持って来たのは〈風車亭〉のぶどうパンだ。中にたっぷりクリームチーズが入っており、濃厚な風味が、干しぶどうと合っていて、とても味わい深い美味しさだった。

 スピの情報を元に、色んなパン屋を食べ歩いて、ようやく見つけ出した。今まで食べたパンの中でも、五本の指に入る逸品だ。でも、私の好みが、ノーラさんの口に合うかどうか――。

「自分でこの店を見つけるとは、少しはこの町が、分かって来たじゃないか」 
「有名なお店なんですか?」

 ここのお店は、スピで調べたのではなく、偶然、見つけたんだよね。基本、下調べしてから行くタイプじゃないので。練習中に偶然、見つける場合が多い。

「そんなに有名じゃないけど、この町が出来たばかりのころからある老舗で、パン通の人間が買いに行く店さ。昔ながらのパンばかりで、最近の若者向きではないかもしれないね」

「確かに、レトロなお店ですよね。パンも、変わった物や、派手な感じのはないですけど。どれも美味しいし、特にパンの生地が絶品なんです。噛むほどに美味しくなるんで」

 パンの食感とか、ほんのりした甘さとかが、絶妙なんだよね。ただ、見た目のデザインは地味で、古風な感じがする。あと、変わり種のパンも置いてなく、スタンダードな品揃えだ。 

「ほう、知識や常識はからっきしの癖に、舌は意外とまともじゃないか」

「こっちに来てから、一日三食パンですから。生地や焼き具合の違いとか、微妙なところまで分かるし、パンの知識ばっかり付いちゃって。確かに、基本的な知識は、まだまだ知らない事だらけですけど……」

 そういえば、パンのこと、ずいぶん詳しくなったよね。昔は、コンビニの菓子パンぐらいしか食べなかったから、よく分からなかったけど。今は、味・香・食感の違いまで、よく分かる。

「まぁ、いいんじゃないかい。その土地を知るには、まずは、食べ物からって言うからね。パン目当てで来る観光客も、結構いるんだから。パンの知識を極めれば、いずれ役に立つだろうさ」

「だと、いいんですけど」

 ナギサちゃんには『余計な知識はいいから、ちゃんと勉強しなさい』って、いつも怒られてるからね。はたして、パンの知識が、役立つ日が来るのだろうか?

「で、レースの準備のほうは、どうなんだい?」
「練習は、毎日、仕事上がりに通ってます。とはいえ、一回三十分ぐらいなんで、練習時間が、心もとないんですけど」

 ちょうど調子が出て来た辺りで、時間が終了になってしまう。最初のころなんか転んでばかりで、まともに走る間もなく、終わってしまっていた。

「走れるようには、なったのかい?」

「乗るだけなら、初日に出来るようになりました。ただ、一番の問題は、ターンですね。ゆっくりとなら曲がれるんですけど。スピードを命一杯に出していると、上手く曲がれなくて。大きく流れたり、転倒したりして、かなり苦戦してます……」

 楽しく走る分には、もう充分に乗れるようになった。でも、レースだから、速くないと意味ないんだよね。

「初日で乗れるようになっただけでも、十分さ。普通に乗れるまで、一週間以上かかる人もいるからな」
「毎日、エア・ドルフィンを乗り回してるので、そのお蔭だと思います」

 ちなみに、ウォーター・ドルフィンには『オート』と『マニュアル』の二種類がある。オートは『マナ・クリスタル』の力で動くタイプ。マニュアルは、エア・ドルフィンと同じで『搭乗者の魔力』で動くタイプだ。

 レジャー用は、オートタイプが多い。しかし、レース用の機体は、細かな魔力制御が必要なため、全てマニュアルになっている。

 マニュアル機は、魔力制御ができないと動かせない。なので、マニュアルの、エア・ドルフィンに乗ったことのない人は、初めはかなり苦戦するらしい。最近は、エア・ドルフィンも、オートタイプが増えて来たようなので。

「でも、エア・ドルフィンとは、かなり違いますよね。加速のしかたも違うし、波の動きや水の抵抗もあるので、まっすぐ走るだけでも大変で。そもそも、今までは、全速力で走ることを、意識したことが無いので――」

 空を飛ぶのも、空気抵抗はあるけど、水の抵抗とは全く比べ物にならない。あと、波って、風と違ってかなり不規則だから、読み辛いんだよね。

「ただ目的地に移動するのと、速く走るのは、全く別次元さ。常に高出力の魔力供給が必要だし、魔力制御の精度も、普通に走るのとは段違いだからな」

「ですよねぇ。たった三十分の練習でも、すっごく疲れるんですよ。やっぱり、全力で走ると、魔力の消耗が激しいんですかね?」

 体力には自信があるのに、練習後は物凄く疲れる。どうやら、体力と魔力は別物らしい。

「それもあるが、高い集中力に加え、常に恐怖との戦いだからさ。空を飛んでる時は、転倒を恐れたことなんて無いだろ?」

「確かに、そうですね。空だと衝突でもしない限り、転倒はあり得ないし。でも、海面だと、ちょっと気を緩めると、すぐに転倒するんですよね」

 もう、嫌というほど、転倒しまくった。エア・ドルフィンには、転倒という概念がないから、初めての経験だ。

「特に、スピードが出てる時のコーナーは、恐怖しかないですよ。いまだに上手く曲がれないし、無理するとすぐ転ぶし」

 怖いもの知らずの私でも、全力でコーナーに突っ込むのは、相当な勇気が必要だ。全力ターンのたびに、冷や汗が出る。あと、スピードが出てる時に転ぶと、物凄く痛い。 

「ちゃんと曲がる時に、魔力制御しているのか? アクセルだけで調整しても、高速では曲がれないぞ」
「あーっ、なるほど。ずっと全力供給でした……」

 速く走ることに、全ての意識が行ってしまっている。それに、アクセル操作だけで、一杯一杯だ。

「普段、エア・ドルフィンで飛ぶ程度なら、一定の魔力で十分だからな。だが、レースの場合は、コーナーだけじゃなく直線でも、細やかな魔力制御が必要だ」

「うーん、アクセルと魔力制御を別々に行うって、結構、難しいですよね? もう、レースまで一週間もないのに、間に合うかなぁ――?」

 ただでさえ、練習時間が少ないので、上手く出来るようになるか、かなり微妙だった。そもそも、私は複数のことを同時に行うのって、物凄く苦手なんだよね。

「ローカル・レースは、素人しか出てこないから、そこそこ走れれば、いい勝負ができるだろうよ。あとは、運と参加メンバーしだいだな」

「でも、やるからには、絶対に優勝したいです!」 
「ま、せいぜい頑張んな」

 ノーラさんは、口元を軽く吊り上げ、フッと鼻で笑った。

「あーっ! 私には無理だと思ってますね?」
「そりゃ無理だろ。エア・ドルフィンだって、つい最近、乗り始めたばかりの、ひよっこだってのに」 

 確かに、そりゃそうだ。数ヵ月前は、エア・ドルフィンを、十センチほど浮かせるだけでも、一苦労だった。こっちの世界の人のように、子供のころから魔力制御をしていた訳じゃないから。

「勝負は、やって見なきゃ、分からないですもん」
「デカい口は、実際に勝ってから叩きな。私は口だけの人間は、大嫌いなんだよ」

 ノーラさんは、キッと鋭い視線を向けて来る。やっぱ、眼力が半端ない。

 かつて『最速のシルフィード』と言われ、プロ並みの操縦技術のある人から見たら、私なんて、ただのひよっこに過ぎないだろう。

 でも、私はなんといっても、超負けず嫌いだ。例え経験が少なかろうと、条件が悪かろうと、やるからには、絶対に負けたくない。

 よーし、シルフィードの実績のためにも、ノーラさんをギャフンと言わせるためにも、何としても優勝を狙いに行くぞー。

 サファイア・カップの優勝を目指して、全力で頑張りまっしょい!


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次回――
『日の出を見るとグワーッてやる気が出るよね』

 太陽と月と地球がある限り、どこでだって幸せになるチャンスはあるわ
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