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第3部 笑顔の裏に隠された真実
4-7前に空があれば飛びたくなるし道があれば走りたくなる
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私は浴槽につかり、完全にくつろいでいた。いつもは、会社のシャワーを浴びるだけなので、お湯につかるのは、久しぶりだ。それに、ランニングのあとの、熱いお風呂は最高だった。まるで、お湯が、体にしみこんで来るみたいな感じがする。
リラックスしたら、眠くなって、ウトウトしてきた。だが、ハッとして目を開く。なぜなら、ここは、ノーラさんの部屋の風呂だからだ。
私はいつも通り、会社帰りに、ランニングをしながら帰って来た。すると、アパートの入口で、ノーラさんに出会い、夕飯に誘ってくれたのだ。
しかも、夕飯を準備している間に、お風呂まで貸してくれた。ランニングのあと、サッパリしたかったので、超助かった。
普段、体を洗うのは、会社のシャワーだ。早朝や勤務時間のあとに、使わせてもらっている。
でも、夜のランニングのあとは、タオルで綺麗に体をふいて、着替えるだけで我慢していた。さすがに、営業終了後の会社に、シャワーを浴びに行くわけには、いかないので……。
前々から思ってたけど、部屋に、洗面所も風呂もトイレもないから、滅茶苦茶、不便なんだよね。元々は、物置だった屋根裏部屋だから、水道が来てないのは、しょうがない。それに、家賃が激安だから、贅沢は言えないよね。
私は、ガバッと立ち上がると、ゆっくり浴槽から出た。ちょっと名残り惜しいけど、他所の部屋で、くつろぎ過ぎる訳にも行かない。それに、何といっても、夕飯がお待ちかねだ。
扉を開け、洗面所に行くと、置いてあったバスタオルで、ワシャワシャと髪と体をふく。あとは、棚に置いてあった、バスローブを借りて着る。
「よし、これでオッケー」
私は、スリッパをはくと、洗面所を出て、ダイニングに向かった。すると、テーブルの上には、すでに、夕飯の準備が整っていた。キッチンのほうからは、とても香ばしい匂いが、漂って来る。
うーん、超おいしそー。ノーラさんの料理は、絶品だからねぇ。この匂いは、肉料理かな? もう、空腹も限界だし、早くお腹一杯、食べたーい!
仕事上がりに、二時間、ぶっ続けで走っているので、物凄いカロリーを消費している。それに、今日のお昼は、ナギサちゃんが、会社の用事で来れなかったので、お店で買ったパンだけった。夜もパンの予定だったので、非常にありがたい。
「お風呂、ありがとうございました。あと、洗濯機とバスローブまで、使わせていただいて、すいません」
お風呂に入ってる間、洗濯機を借りて、ウェアを洗濯中だった。帰るまでには、乾燥していると思う。
こっちの洗濯機って、洗うスピードは同じだけど、乾燥は魔法で行うから、凄く早いんだよね。水を、水素と酸素に分解する『水魔法』の応用らしい。
「ちょうど今、出来上がったところだ。座って待ってな」
「はい、失礼します」
本当なら、運ぶのを手伝ったり、したいんだけど。余計なことをすると、超怒られるので、ここは大人しく従う。ノーラさんは、手際がいいので、足手まといになるだけだし――。
テーブルの上には、超豪華な料理が並んでいた。山盛りのサラダに、カットフルーツの入ったヨーグルト。大きなピッチャーに入った、ミルクとオレンジ・ジュース。
鶏肉の照り焼きスライスに、香草をのせたもの。野菜・肉・チーズがたっぷりのった、焼き立てのピザ。ボリュームはもちろん、非常に健康的なメニューだ。
さらに、目の前には、見るからに、美味しそうなスープの入った、白い皿が置かれた。緑がかっているから、野菜をすりつぶしたスープだろうか?
早く食べたくて、ソワソワしていると、
「まだ、メインが一皿あるから、もうちょっと待ってな」
言いながら、ノーラさんは、キッチンに向かって行った。
先ほどから気になっている、この香ばしい匂い。これは、間違いなく、肉料理だと思う。鶏肉はすでに置いてあるから、豚かな? 牛かな? 超楽しみ!
ほどなくして、ジューッという豪快な音と、甘い油の香を漂わせながら、料理が運ばれて来た。黒い鉄板の上にのっていたのは、何と、極厚のステーキだった!
肉に掛けられたソースが、鉄板の熱で、耳障りのいい音を立てながら、泡立っている。目の前に置かれた瞬間、私は思わず、歓喜の声を上げてしまった。
「おおぉぉー、お肉だー!! 超分厚いお肉ー! 生きててよかったー!」
おそらく、この場にナギサちゃんがいたら、表現力のなさを、突っ込まれていたに違いない。でも、本当に感動し過ぎて、それ以外の言葉が、思いつかなかったのだ。
「何をギャーギャー、騒いでるんだ。大げさな」
「こんな凄いお肉、こっちに来て、初めてなんで。思わず、感極まってしまって……」
パン以外の物が、食べられるだけでも、嬉しいのに。こんなに、分厚いステーキが出て来たら、興奮するに決まってる。
「相変わらず、ちゃんとした食事を、していないようだね。特別、豪華な料理を、作ったつもりは無いんだが」
「一応、食べてはいますけど。基本、三食パンだけなので。それ以外の料理は、全部、凄いご馳走に見えちゃんですよ。特に、肉なんて、滅多に口に入らないので」
実家にいた時は、毎日、当たり前に、食べていた手料理。でも、それが、物凄く贅沢だったことに、こっちに来てから、初めて気が付いた。
毎日の食費は、結構かかるし。料理を作るのだって、物凄く大変だよね。一人暮らしで、日々の生活に苦労して、ようやくそのことが理解できた。
「ま、冷めないうちに食べな」
「はい、いただきます!」
両手を合わせ、目を閉じ、心の底から感謝の気持ちを込め、いただきますをする。こっちに来てからは、食前のあいさつも、物凄く真剣にやるようになった。
食べ物の、ありがたみを知ったのもあるけど、ナギサちゃんの影響が、大きいのかな。ナギサちゃんはいつも、食事の前に、真剣にお祈りしてるからね。
まずは、スプーンを手に取り、スープを一口、飲んでみる。凄くクリーミーで美味しい。たぶん、ソラ豆かなんかの、ポタージュだと思う。口当たりがいいので、あっという間に完食する。お皿を横にどけると、本命のステーキに、取り掛かった。
フォークで押さえながら、ナイフを入れた瞬間、断面から肉汁が、どばーっとあふれ出し、甘い油の香が漂って来た。
ヤバイ――これ、絶対に美味しいお肉だ!!
私は、緊張で少し手が震えた。一呼吸して、気持ちを落ち着けてから、ゆっくり口の中に入れる。噛んだ瞬間、口の中が、肉汁とソースの旨みで、大洪水になった。あまりの美味しさと満足感で、一瞬、頭が真っ白になる。
何コレ、何コレ?! 超ヤバイんですけど! 激ウマなんですけど! これぞ、肉の中の肉! キング・オブ・お肉!!
「このお肉、美味し過ぎです! 滅茶苦茶、高級なお肉じゃないですか?」
私は、興奮気味に尋ねる。
「別に、そんな凄いもんじゃないよ。行きつけの肉屋で買って来た『ノア牛』さ」
「えーっと、ノア牛って地元のですか?〈北地区〉の牧場で、育てていたりとか?」
「まぁ、この町でも育てているが、牛のブランド名だよ。肉質が柔らかく、油ものっているので、大陸のほうでは、かなり高値で取引されているらしいね」
「って、やっぱり、高級牛じゃないですか?」
肉が物凄く柔らかいし、油もあって、すっごくジューシー。ブランド牛ってことは、松坂牛みたいな感じかな? だとしたら、超お高いんじゃないの……?
「馴染みの肉屋だから、安く買えるんだよ。これでも一応、元シルフィードだからな。町のあちこちで、顔が利くんだよ」
「あー、なるほど――」
シルフィードをやっていると、色々な人と、知り合いになる機会が多い。ましてや『元シルフィード・クイーン』ともなれば、知名度の高さも絶大だ。
それにしても、どの料理も超美味しい。相変わらず、ノーラさんの料理の腕前は、一級品だ。私は、次々と料理に手を伸ばし、黙々と食べて行く。美味しいだけじゃなくて、栄養バランスも素晴らしい。
「で、どうなんだ? 毎日、走っているようだが、少しは物になって来たのか?」
「えっ……知ってたんですか?」
ノーラさんには、何も言ってないんだけど。ランニング後に出会ったのも、今日が初めてだし。
「そりゃ、毎朝、毎晩、走ってりゃ気付くだろ。管理人なんだから、住人のことぐらい、把握してるさ」
夜はまだしも、早朝ランニングまで、知っていたとは――。
「だいぶ、昔の勘が戻ってきましたけど、持久力は、まだまだですね。こっちに来てから、全く走ってなかったですし。移動は全て、エア・ドルフィンなので、すっかり、足がなまってしまって」
「そんな状態で『ノア・マラソン』に、間に合うのか? 中途半端な状態で出れば、怪我をするだけだぞ」
肉を静かに切りながら、ノーラさんは尋ねて来る。
「って、何で知ってるんですか? 私が『ノア・マラソン』に出ること」
もちろん、マラソンに参加することも、一言もいっていない。
「この時期に走り込むったら、それしかないだろ? シルフィードが空飛ぶのに、脚力も持久力も、必要ないんだから」
「まぁ、そうなんですけど……」
大雑把そうな感じの割りには、ノーラさんって、勘が鋭いよね。何か、色々と見透かされてるし。
「ウォーター・ドルフィンに乗る『サファイア・カップ』は、まだしも。『ノア・マラソン』に出る、酔狂なシルフィードは、見たことがないよ。マラソンを走っても、仕事にも実績にも、全く関係ないだろ?」
「確かに、仕事には、全く関係ないですよね。友達にも、同じこと言われました。でも、私って何でもやってみないと、ダメな性格なんですよね。シルフィードも、やって見なきゃ分からないんで、実際に、家を飛び出して来ちゃったわけで――」
やれるかどうか、分からない場合は、やってみるのが一番だと思う。もちろん、それで、何らかの問題が、発生するかもしれないけど。それはその時、考える方向で。やって失敗するより、やらずに諦めるほうが、私にとっては辛いことだから。
「あははっ。お前は相変わらず、馬鹿で考えなしだな」
ノーラさんは、大きな声で豪快に笑う。
「いや、ちゃんと考えてますよ! まぁ、頭がよくないのは、認めますけど……」
単に知識がないだけで、結構、色々考えてるんだよね。考えるのが苦手なだけで、考えない訳じゃないから。でも、知らないことって、考えられないから。結局、行動したあとに、考える場合が多いけど。
「まぁ、馬鹿は嫌いじゃないよ。馬鹿をやれるのも、若いうちだけの、特権だからね。でも、食事もまともに食べずに走っても、効果がないだろ?」
「確かに、カロリーも栄養も、全然、足りない状態で。それで、シルフィードの友達が、毎日、昼食を、差し入れしてくれているんです。お蔭で、何とか栄養補給は、できています」
ナギサちゃんたちのお蔭で、今のところは、順調に行っていた。むしろ、パンだけだった前よりも、元気になった気がする。
「よく、そんな状態で、走ろうと思ったな。友達が、助けてくれなかったら、どうするつもりだったんだ?」
「ぐっ……そこまでは、考えていませんでした」
差し入れがなかったら、本当にヤバかった。やっぱり、持つべきは友だね。
「でも、自分が行ける所まで行ってみたい。自分の限界までやったみたい。って気持ちが、抑えきれなくて。やっぱ、変ですかね?」
可能性が1%でもあるなら、やってみるのが、私のポリシーだ。お蔭で、昔から、無謀だのなんだの、言われてばかりだけど。
「変というか、ただの馬鹿だな」
「んがっ――。そんなに、バカバカ言わないで下さいよっ。私、毎日かなり頑張って、勉強してますし」
社会人になってからは、我ながら、よく勉強していると思う。だって、学生時代よりも、勉強時間が長いもん。
「勉学の話じゃなくて、やってることが、馬鹿だって言ってるんだよ。他の子たちと違って、学校にも行ってない、親の後ろ盾もない、ギリギリの困窮した生活」
「そんな中で、さらに大変なことをやろうなんて、馬鹿じゃなきゃ、何なんだ? 苦痛が大好きな、変態なのか?」
ノーラさんは、真顔で厳しいツッコミをしてくる。言葉の鋭さは、ナギサちゃん以上だ……。
「いや、変態じゃないですって! 辛いのも苦しいのも、大嫌いですよ。そもそも、向こうの世界にいた時は、ゴロゴロ、ダラダラして、超ダメ人間でしたから」
「胸を張って、言うことか?」
いや、まったくもって、その通りなんですが――。
「でも、目の前に空があれば、飛びたくなるし。道があれば、走りたくなるし。進めるなら、どんどん進んでみたいんです」
「ノア・マラソンだって、ただ、ゴールがあるなら、そこまで走ってみたい、ってだけで……。恵まれた環境や、特別な理由がないと、ダメなんですか?」
やりたいからやる。今までの人生、私は、それだけで生きてきた。
「いいや。でも、やるには、結果を出すことだ。変なことをして、失敗すれば『馬鹿』と言われ、成功すれば『天才』と言われる。世の中の評価は、結果が全てだ」
「ただ、頑張りましたじゃ、話にならん。変だと思われたくなければ、結果を出せ。そのつもりがないなら、最初からやめておけ。お前には、余計なことをしてる余裕は、ないのだろ?」
ノーラさんの厳しい言葉が、グサッと心に突き刺さる。
楽しく走って、あわよくば、完走できたらラッキー、ぐらいに思ってた。でも、その考えが、物凄く甘いことに気付く。ノーラさんの言葉は、物凄く正論だ。
私は、シルフィードになるために、この町に来た。しかも、他の人たちに比べ、大きなハンデを背負っている。伝統的な職業の、シルフィードに、異世界人がなるというだけで、異例のことだ。
さらに、親からの援助もなく、シルフィード学校すら行っていない。遊んでいる余裕など、全くないのだ。なら、やる以上、全力で結果を出しに行かないと――。
「絶対に、完走しますから、見ててください!」
私は、完全に覚悟を決めた。
「ほう、言うじゃないか。もし、本当に走り切ったら、シルフィード史上初の『ノア・マラソン完走者』になるだろうな」
「史上初……」
これは、達成したら、物凄い快挙なのでは――?
「まぁ、ノア・マラソンなんかに出る、馬鹿なシルフィードが、今までいなかった、ってだけのことさ」
「んがっ……」
「だが、そんな事は、どうでもいい。今はとにかく食え。食って血肉にして、少しでも力を付けろ」
「はいっ!」
おっしゃー、モリモリ食べて、力を付けるぞー! そんでもって、完走に目標を切り替えだ。
ノア・マラソン完走に向けて、気合入れて、頑張りまっしょい!
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
次回――
『キャンプ場で行われる肉の王女と野菜の女帝の戦い』
肉・肉・野菜・肉・野菜
リラックスしたら、眠くなって、ウトウトしてきた。だが、ハッとして目を開く。なぜなら、ここは、ノーラさんの部屋の風呂だからだ。
私はいつも通り、会社帰りに、ランニングをしながら帰って来た。すると、アパートの入口で、ノーラさんに出会い、夕飯に誘ってくれたのだ。
しかも、夕飯を準備している間に、お風呂まで貸してくれた。ランニングのあと、サッパリしたかったので、超助かった。
普段、体を洗うのは、会社のシャワーだ。早朝や勤務時間のあとに、使わせてもらっている。
でも、夜のランニングのあとは、タオルで綺麗に体をふいて、着替えるだけで我慢していた。さすがに、営業終了後の会社に、シャワーを浴びに行くわけには、いかないので……。
前々から思ってたけど、部屋に、洗面所も風呂もトイレもないから、滅茶苦茶、不便なんだよね。元々は、物置だった屋根裏部屋だから、水道が来てないのは、しょうがない。それに、家賃が激安だから、贅沢は言えないよね。
私は、ガバッと立ち上がると、ゆっくり浴槽から出た。ちょっと名残り惜しいけど、他所の部屋で、くつろぎ過ぎる訳にも行かない。それに、何といっても、夕飯がお待ちかねだ。
扉を開け、洗面所に行くと、置いてあったバスタオルで、ワシャワシャと髪と体をふく。あとは、棚に置いてあった、バスローブを借りて着る。
「よし、これでオッケー」
私は、スリッパをはくと、洗面所を出て、ダイニングに向かった。すると、テーブルの上には、すでに、夕飯の準備が整っていた。キッチンのほうからは、とても香ばしい匂いが、漂って来る。
うーん、超おいしそー。ノーラさんの料理は、絶品だからねぇ。この匂いは、肉料理かな? もう、空腹も限界だし、早くお腹一杯、食べたーい!
仕事上がりに、二時間、ぶっ続けで走っているので、物凄いカロリーを消費している。それに、今日のお昼は、ナギサちゃんが、会社の用事で来れなかったので、お店で買ったパンだけった。夜もパンの予定だったので、非常にありがたい。
「お風呂、ありがとうございました。あと、洗濯機とバスローブまで、使わせていただいて、すいません」
お風呂に入ってる間、洗濯機を借りて、ウェアを洗濯中だった。帰るまでには、乾燥していると思う。
こっちの洗濯機って、洗うスピードは同じだけど、乾燥は魔法で行うから、凄く早いんだよね。水を、水素と酸素に分解する『水魔法』の応用らしい。
「ちょうど今、出来上がったところだ。座って待ってな」
「はい、失礼します」
本当なら、運ぶのを手伝ったり、したいんだけど。余計なことをすると、超怒られるので、ここは大人しく従う。ノーラさんは、手際がいいので、足手まといになるだけだし――。
テーブルの上には、超豪華な料理が並んでいた。山盛りのサラダに、カットフルーツの入ったヨーグルト。大きなピッチャーに入った、ミルクとオレンジ・ジュース。
鶏肉の照り焼きスライスに、香草をのせたもの。野菜・肉・チーズがたっぷりのった、焼き立てのピザ。ボリュームはもちろん、非常に健康的なメニューだ。
さらに、目の前には、見るからに、美味しそうなスープの入った、白い皿が置かれた。緑がかっているから、野菜をすりつぶしたスープだろうか?
早く食べたくて、ソワソワしていると、
「まだ、メインが一皿あるから、もうちょっと待ってな」
言いながら、ノーラさんは、キッチンに向かって行った。
先ほどから気になっている、この香ばしい匂い。これは、間違いなく、肉料理だと思う。鶏肉はすでに置いてあるから、豚かな? 牛かな? 超楽しみ!
ほどなくして、ジューッという豪快な音と、甘い油の香を漂わせながら、料理が運ばれて来た。黒い鉄板の上にのっていたのは、何と、極厚のステーキだった!
肉に掛けられたソースが、鉄板の熱で、耳障りのいい音を立てながら、泡立っている。目の前に置かれた瞬間、私は思わず、歓喜の声を上げてしまった。
「おおぉぉー、お肉だー!! 超分厚いお肉ー! 生きててよかったー!」
おそらく、この場にナギサちゃんがいたら、表現力のなさを、突っ込まれていたに違いない。でも、本当に感動し過ぎて、それ以外の言葉が、思いつかなかったのだ。
「何をギャーギャー、騒いでるんだ。大げさな」
「こんな凄いお肉、こっちに来て、初めてなんで。思わず、感極まってしまって……」
パン以外の物が、食べられるだけでも、嬉しいのに。こんなに、分厚いステーキが出て来たら、興奮するに決まってる。
「相変わらず、ちゃんとした食事を、していないようだね。特別、豪華な料理を、作ったつもりは無いんだが」
「一応、食べてはいますけど。基本、三食パンだけなので。それ以外の料理は、全部、凄いご馳走に見えちゃんですよ。特に、肉なんて、滅多に口に入らないので」
実家にいた時は、毎日、当たり前に、食べていた手料理。でも、それが、物凄く贅沢だったことに、こっちに来てから、初めて気が付いた。
毎日の食費は、結構かかるし。料理を作るのだって、物凄く大変だよね。一人暮らしで、日々の生活に苦労して、ようやくそのことが理解できた。
「ま、冷めないうちに食べな」
「はい、いただきます!」
両手を合わせ、目を閉じ、心の底から感謝の気持ちを込め、いただきますをする。こっちに来てからは、食前のあいさつも、物凄く真剣にやるようになった。
食べ物の、ありがたみを知ったのもあるけど、ナギサちゃんの影響が、大きいのかな。ナギサちゃんはいつも、食事の前に、真剣にお祈りしてるからね。
まずは、スプーンを手に取り、スープを一口、飲んでみる。凄くクリーミーで美味しい。たぶん、ソラ豆かなんかの、ポタージュだと思う。口当たりがいいので、あっという間に完食する。お皿を横にどけると、本命のステーキに、取り掛かった。
フォークで押さえながら、ナイフを入れた瞬間、断面から肉汁が、どばーっとあふれ出し、甘い油の香が漂って来た。
ヤバイ――これ、絶対に美味しいお肉だ!!
私は、緊張で少し手が震えた。一呼吸して、気持ちを落ち着けてから、ゆっくり口の中に入れる。噛んだ瞬間、口の中が、肉汁とソースの旨みで、大洪水になった。あまりの美味しさと満足感で、一瞬、頭が真っ白になる。
何コレ、何コレ?! 超ヤバイんですけど! 激ウマなんですけど! これぞ、肉の中の肉! キング・オブ・お肉!!
「このお肉、美味し過ぎです! 滅茶苦茶、高級なお肉じゃないですか?」
私は、興奮気味に尋ねる。
「別に、そんな凄いもんじゃないよ。行きつけの肉屋で買って来た『ノア牛』さ」
「えーっと、ノア牛って地元のですか?〈北地区〉の牧場で、育てていたりとか?」
「まぁ、この町でも育てているが、牛のブランド名だよ。肉質が柔らかく、油ものっているので、大陸のほうでは、かなり高値で取引されているらしいね」
「って、やっぱり、高級牛じゃないですか?」
肉が物凄く柔らかいし、油もあって、すっごくジューシー。ブランド牛ってことは、松坂牛みたいな感じかな? だとしたら、超お高いんじゃないの……?
「馴染みの肉屋だから、安く買えるんだよ。これでも一応、元シルフィードだからな。町のあちこちで、顔が利くんだよ」
「あー、なるほど――」
シルフィードをやっていると、色々な人と、知り合いになる機会が多い。ましてや『元シルフィード・クイーン』ともなれば、知名度の高さも絶大だ。
それにしても、どの料理も超美味しい。相変わらず、ノーラさんの料理の腕前は、一級品だ。私は、次々と料理に手を伸ばし、黙々と食べて行く。美味しいだけじゃなくて、栄養バランスも素晴らしい。
「で、どうなんだ? 毎日、走っているようだが、少しは物になって来たのか?」
「えっ……知ってたんですか?」
ノーラさんには、何も言ってないんだけど。ランニング後に出会ったのも、今日が初めてだし。
「そりゃ、毎朝、毎晩、走ってりゃ気付くだろ。管理人なんだから、住人のことぐらい、把握してるさ」
夜はまだしも、早朝ランニングまで、知っていたとは――。
「だいぶ、昔の勘が戻ってきましたけど、持久力は、まだまだですね。こっちに来てから、全く走ってなかったですし。移動は全て、エア・ドルフィンなので、すっかり、足がなまってしまって」
「そんな状態で『ノア・マラソン』に、間に合うのか? 中途半端な状態で出れば、怪我をするだけだぞ」
肉を静かに切りながら、ノーラさんは尋ねて来る。
「って、何で知ってるんですか? 私が『ノア・マラソン』に出ること」
もちろん、マラソンに参加することも、一言もいっていない。
「この時期に走り込むったら、それしかないだろ? シルフィードが空飛ぶのに、脚力も持久力も、必要ないんだから」
「まぁ、そうなんですけど……」
大雑把そうな感じの割りには、ノーラさんって、勘が鋭いよね。何か、色々と見透かされてるし。
「ウォーター・ドルフィンに乗る『サファイア・カップ』は、まだしも。『ノア・マラソン』に出る、酔狂なシルフィードは、見たことがないよ。マラソンを走っても、仕事にも実績にも、全く関係ないだろ?」
「確かに、仕事には、全く関係ないですよね。友達にも、同じこと言われました。でも、私って何でもやってみないと、ダメな性格なんですよね。シルフィードも、やって見なきゃ分からないんで、実際に、家を飛び出して来ちゃったわけで――」
やれるかどうか、分からない場合は、やってみるのが一番だと思う。もちろん、それで、何らかの問題が、発生するかもしれないけど。それはその時、考える方向で。やって失敗するより、やらずに諦めるほうが、私にとっては辛いことだから。
「あははっ。お前は相変わらず、馬鹿で考えなしだな」
ノーラさんは、大きな声で豪快に笑う。
「いや、ちゃんと考えてますよ! まぁ、頭がよくないのは、認めますけど……」
単に知識がないだけで、結構、色々考えてるんだよね。考えるのが苦手なだけで、考えない訳じゃないから。でも、知らないことって、考えられないから。結局、行動したあとに、考える場合が多いけど。
「まぁ、馬鹿は嫌いじゃないよ。馬鹿をやれるのも、若いうちだけの、特権だからね。でも、食事もまともに食べずに走っても、効果がないだろ?」
「確かに、カロリーも栄養も、全然、足りない状態で。それで、シルフィードの友達が、毎日、昼食を、差し入れしてくれているんです。お蔭で、何とか栄養補給は、できています」
ナギサちゃんたちのお蔭で、今のところは、順調に行っていた。むしろ、パンだけだった前よりも、元気になった気がする。
「よく、そんな状態で、走ろうと思ったな。友達が、助けてくれなかったら、どうするつもりだったんだ?」
「ぐっ……そこまでは、考えていませんでした」
差し入れがなかったら、本当にヤバかった。やっぱり、持つべきは友だね。
「でも、自分が行ける所まで行ってみたい。自分の限界までやったみたい。って気持ちが、抑えきれなくて。やっぱ、変ですかね?」
可能性が1%でもあるなら、やってみるのが、私のポリシーだ。お蔭で、昔から、無謀だのなんだの、言われてばかりだけど。
「変というか、ただの馬鹿だな」
「んがっ――。そんなに、バカバカ言わないで下さいよっ。私、毎日かなり頑張って、勉強してますし」
社会人になってからは、我ながら、よく勉強していると思う。だって、学生時代よりも、勉強時間が長いもん。
「勉学の話じゃなくて、やってることが、馬鹿だって言ってるんだよ。他の子たちと違って、学校にも行ってない、親の後ろ盾もない、ギリギリの困窮した生活」
「そんな中で、さらに大変なことをやろうなんて、馬鹿じゃなきゃ、何なんだ? 苦痛が大好きな、変態なのか?」
ノーラさんは、真顔で厳しいツッコミをしてくる。言葉の鋭さは、ナギサちゃん以上だ……。
「いや、変態じゃないですって! 辛いのも苦しいのも、大嫌いですよ。そもそも、向こうの世界にいた時は、ゴロゴロ、ダラダラして、超ダメ人間でしたから」
「胸を張って、言うことか?」
いや、まったくもって、その通りなんですが――。
「でも、目の前に空があれば、飛びたくなるし。道があれば、走りたくなるし。進めるなら、どんどん進んでみたいんです」
「ノア・マラソンだって、ただ、ゴールがあるなら、そこまで走ってみたい、ってだけで……。恵まれた環境や、特別な理由がないと、ダメなんですか?」
やりたいからやる。今までの人生、私は、それだけで生きてきた。
「いいや。でも、やるには、結果を出すことだ。変なことをして、失敗すれば『馬鹿』と言われ、成功すれば『天才』と言われる。世の中の評価は、結果が全てだ」
「ただ、頑張りましたじゃ、話にならん。変だと思われたくなければ、結果を出せ。そのつもりがないなら、最初からやめておけ。お前には、余計なことをしてる余裕は、ないのだろ?」
ノーラさんの厳しい言葉が、グサッと心に突き刺さる。
楽しく走って、あわよくば、完走できたらラッキー、ぐらいに思ってた。でも、その考えが、物凄く甘いことに気付く。ノーラさんの言葉は、物凄く正論だ。
私は、シルフィードになるために、この町に来た。しかも、他の人たちに比べ、大きなハンデを背負っている。伝統的な職業の、シルフィードに、異世界人がなるというだけで、異例のことだ。
さらに、親からの援助もなく、シルフィード学校すら行っていない。遊んでいる余裕など、全くないのだ。なら、やる以上、全力で結果を出しに行かないと――。
「絶対に、完走しますから、見ててください!」
私は、完全に覚悟を決めた。
「ほう、言うじゃないか。もし、本当に走り切ったら、シルフィード史上初の『ノア・マラソン完走者』になるだろうな」
「史上初……」
これは、達成したら、物凄い快挙なのでは――?
「まぁ、ノア・マラソンなんかに出る、馬鹿なシルフィードが、今までいなかった、ってだけのことさ」
「んがっ……」
「だが、そんな事は、どうでもいい。今はとにかく食え。食って血肉にして、少しでも力を付けろ」
「はいっ!」
おっしゃー、モリモリ食べて、力を付けるぞー! そんでもって、完走に目標を切り替えだ。
ノア・マラソン完走に向けて、気合入れて、頑張りまっしょい!
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次回――
『キャンプ場で行われる肉の王女と野菜の女帝の戦い』
肉・肉・野菜・肉・野菜
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ある日、深酒して帰宅途中に事故に遭い、気がついたら異世界に転生していた。転移した際に一つの“スキル”を授かった。
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都内の2LDKマンションで暮らす30代独身の会社員、田中健太はある夜突然家ごと広大な森と異世界の空が広がるファンタジー世界へと転移してしまう。
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第18回 ファンタジー小説大賞 読者投票93位
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主人公のゴウは異世界転生した元冒険者
引退して狩をして過ごしていたが、ある日、ギルドで雇った子どもに出会い思い出す。
知識チートで町の食と環境を改善します!! ユルくのんびり過ごしたいのに、何故にこんなに忙しい!?
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