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第5部 厳しさにこめられた優しい想い
1-5僕の親友はとても不器用で繊細なだけどそこがいいんだよね
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午後、七時過ぎ。僕は今〈南地区〉にある、ダイニングバー〈カンパネラ〉に向かっている。本当は、他に予定があったんだけど、急きょキャンセルして、こちらにやって来た。なぜなら、リリーから『飲みに行こう』と、お誘いが来たからだ。
リリーからお誘いが来るなんて、物凄く珍しい。昔から、誘うのはいつも、僕のほうからだ。それに、食事じゃなくて『飲み』のお誘いは、とても珍しい。そもそも、リリーって、外じゃ、あまり飲まないからね。
おそらく、仕事で何か、あったんだろうなぁ……。
でも、これは、いい傾向と言える。なぜなら、リリーはいつも、何事も自分一人で、抱え込んでしまうからだ。僕は親友として、何でも力になってあげたいと、いつも思っている。ただ、言ってくれないと、分からない。
それに、あまり踏みこみ過ぎるのも、マズイんだよね。リリーは昔から、自分の殻に、こもる癖がある。なので、その領域には、親友の僕でも、簡単には踏み込めない。下手に踏み込むと、逆に傷付けてしまうから。
要するに、リリーって、かなり面倒な性格だ。繊細で傷つきやすい癖に、いつも平気なフリをするし。本当は、助けが必要なのに、何でも自分やろうとするし。
大雑把で細かいことを気にせず、どんなことも、気楽に人に頼ってしまう僕とは、正反対の性格だ。まぁ、子供のころからの付き合いで、そこら辺は慣れてるし。そういう、面倒な部分も含めて、彼女が大好きだ。
どうも僕は、面倒な性格の人間が、割と好きみたいなんだよね。たぶん、自分が単純すぎる性格で、面白みがないからだと思う。面倒な人間を見ていると、色々と興味深いし、つい世話を焼きたくなる。
目的の店がある、商業ビルの上空に到着すると、ゆっくり下降していった。駐車場の、空いているスペースを見つけると、スーッと着陸し、エア・ボードから飛び降りた。
「ちょっと、遅くなったけど。まぁ、大丈夫かな」
時間は、七時十二分。リリーには、用事を片付けてから、七時ごろに行くと伝えてあった。
僕は、約束の時間から、遅れて行くことが多い。リリーの場合は、いつも時間ピッタリか、早めに来ている。でも、僕の場合は『三十分までは遅れても OK』って感覚だ。もちろん、悪気があって、やってる訳じゃない。
ビルの正面に回ると、そこには、見知った人物が立っていた。夜闇のせいかもしれないけど、何か表情が暗い気がする。少し俯いたまま、彼女は、じっと立ち尽くしていた。
うーむ、今日は、割と重症っぽいかな?
「やぁリリー、こんばんは。ゴメン、色々あって、遅くなっちゃってさ」
僕は元気よく、彼女に声を掛けた。
すると、一瞬の間があってから、
「こんばんは、ツバサちゃん。急に呼び出してしまって、ごめんなさい。他に用事があったのでしょ? 大丈夫?」
リリーは、こちらに振り向き、笑顔を浮かべながら答える。反応が遅かったから、何か考え事でもしていたのだろう。
「先に入って、始めてれば良かったのに。予約、入れてあるんだからさ」
「でも、急に呼び出してしまったから。先に入るのは、悪いと思って」
「そんな訳ないじゃん。僕が、そんな細かいこと、気にすると思うかい?」
「それも、そうね」
リリーは、微笑みながら答える。
相変わらず、生真面目な性格だ。幼馴染みの僕にまで、気を使う必要はないのに。子供のころからずっと一緒で、姉妹みたいなもんなんだから。でも、それが、リリーなんだよね。
「じゃ、行こうか。もう、おなかペコペコでさー」
「また、お昼ごはん、食べそこねちゃったの?」
「一応、食べたんだけどさ。最近、妙にお腹空くんだよね」
「ウフフッ、何それ?」
僕たちは、和やかに世間話をしながら、フローターに乗って、ビルの七階に向かって行った。
******
ダイニングバー〈カンパネラ〉は、僕の行きつけの、お気に入りの店だ。料理が美味しいし、お酒の種類もそろっている。それに、結構な穴場で、常連がメインなため、店は静かな雰囲気だ。ここなら、ファンサービスに、気を使う必要もなかった。
店に入り、店員に名前を告げると、いつも座っている、定位置の席に案内された。窓から夜の街が見渡せる、特等席だ。ここから、美しい夜景を見ながら、のんびりお酒を飲むのが大好きだ。
「ツバサさん、いらっしゃいませ。今日は、どうしますか?」
席に着いてほどなくすると、マスターがやって来た。
「お腹空いたから、何か適当に料理を。あと、今日は、いいワインある?」
「本日、入ったばかりの、特上の赤ワインがありますが」
「じゃあ、それボトルで。あと、マティーニ貰おうかな」
「かしこまりました」
マスターは会釈すると、静かに歩き去って行った。
僕は、お酒以外の注文は、いつも適当だ。ここの料理は、何でも美味しいし。基本、好き嫌いはない。お酒は、そこそこ、こだわるけどね。まぁ、結果的に胃袋に収まれば、何でもいいかな。
リリーは、自分でも料理を作るから、割と味には、こだわるみたいだ。でも、お酒は、ワインだったら何でも OK。あと、食事は小食なくせに、お酒は結構な量を飲む。しかも、いくら飲んでも、酔わない体質だ。ちょっとだけ、饒舌になるけどね。
「ツバサちゃんは、お仕事、忙しいの? いつも、残業しているみたいだけど」
「まぁ、相変わらずだね。それに、残業と言っても、後輩や同僚との付き合いだよ」
「やっぱり、大手は大変ね。人が多いと、人間関係も大変でしょ?」
「たまに『もういくつか、体があったらいいのに』なんて思うけどね。でも、みんなと色々話すのは、楽しいよ」
仕事が終わったあとは、同僚たちと、サロンで世間話や情報交換をする。あと、後輩たちから、教えを請われたり、各種質問をされることも多い。だから、仕事の終了後、一、二時間は、コミュニケーションの時間だ。
それが終わって、社員食堂に行っても、また、色んな人との交流があった。昼間は、お客様と交流し、夜は社内の人間と交流する。基本、来るもの拒まずだから、常に誰かしらと、コミュニケーションをとっていた。
だから、たまに一人になりたくて、こういう店に来る。ただ、リリーだけは別だ。家族のようなもんなんで、気を使う必要がなく、思いっ切り気が抜ける。うちの兄貴たちと、同じ存在だ。
リリーと、軽く話していると、マスターがワゴンを押しながらやってくる。まずは、ハムとチーズの盛り合わせの皿を、テーブル中央に。その隣に、スライスしたパンとクラッカー。最後に、ワインクーラーを置く。
そのあと、ワインオープナーを使って、手早くコルクを抜いた。コルク抜きは、意外と難しいけど、いつ見ても、マスターの手際は見事なものだ。
「お注ぎしますか?」
「いや、僕がやるから大丈夫」
「メインの料理は、後ほどお持ちしますので。ごゆっくりどうぞ」
マスターは、ヴィノ・ロックをテーブルに置くと、静かに立ち去った。これは、一度、開けたワインにつける、ガラス製の栓だ。
グラスにワインを注ぐと、そっとリリーの前に差し出した。僕は、マティーニのグラスを、そっと持ち上げると、
「仕事お疲れ、リリー」
「ツバサちゃんも、お仕事お疲れ様」
二人で軽くグラスを触れ、乾杯した。
一口、飲んでグラスを置くと、単刀直入に訊いてみる。
「それで、風歌ちゃんと、何かあった?」
「えっ……何で分かったの?」
「そりゃ、リリーが悩むことなんて、風歌ちゃんのことしかないじゃん」
とても長い付き合いだ。表情を見れば、大体のことは分かる。それに、最近、リリーが喜ぶのも悲しむのも、全て風歌ちゃんがらみだ。風歌ちゃんが来てからというもの、リリーの表情が、とても豊かになった気がする。
「風歌ちゃん、体は問題ないんでしょ? 記憶も戻ったみたいだし。他に何か、悩むことなんて有ったっけ?」
「それが――。風歌ちゃんに、厳しい態度をとってしまって」
あぁ、なるほど、そういうことか。まぁ、危ない事故だったんだし、言うことは言っとかないとね。
「どんな感じで言ったの?」
「実はね……」
リリーは、ことの顛末を静かに語った。
ふむ、別に言うほど、厳しくはないと思うけどなぁ。というか、普段が、甘すぎるんだよね。しかし、ちょっと厳しく言って、自分が傷ついてたら、どうしょうもないじゃん? まぁ、リリーらしいけどさ。
「今回は、一歩間違えれば、命を落としてたんだから。厳し目に言うのは、普通じゃん? 大雑把な僕だって、それぐらいは言うよ」
「そうかしら? もっと、優しく言ったほうが、よかったんじゃないかしら? 退院したばかりだったのに――」
リリーは、言いながら表情を曇らせる。
つくづく、人に注意したり怒るのが、苦手な性格だ。長い付き合いだけど、昔から、リリーが怒ったとこ、見たことないもんなぁ。
「そんなこと無いって。普段が甘すぎるだけで、今回のは、ようやく普通レベルだよ。そもそも、罰則は、協会と航空管理局が決めたものじゃん。それを伝えただけなんだから、何も問題ないさ」
「でも『一切、仕事をさせない』は、言い過ぎじゃないから?」
リリーは、この世の終わりのような、深刻な表情を浮かべる。
「いや、それ当り前のことだから。まったく、リリーは心配性だね」
僕は、リリーの表情を見て、思わずクスクスと笑ってしまった。
「ちょっと、ツバサちゃん。私、真面目な話を、しているのだけど。何か、おかしなところでも有った?」
「そりゃ、おかしいよ。普通、その程度のことで、悩まないから。風歌ちゃんだって、別に気にしてないと思うけどなぁ。あの子、精神的にタフだし。怒られても、素直に受け止める度量を、持ってると思うよ」
「だと、いいのだけど……」
風歌ちゃんは、とても素直な子だ。ああいうタイプは、吸収が速いから、遠慮せずに、どんどん言ったほうがいいと思う。それに、リリーと違って、引きずらないタイプだから。言われて、ちょっとへこんだとしても、すぐに持ち直すはずだ。
「もう、リリーは怒るのやめたら? 厳しくするの、全く向いてないから。今まで通り、甘やかして育てればいいじゃん」
「でも、それじゃ、風歌ちゃんの為にならないでしょ?」
「大丈夫だよ。リリーより、よっぽど強いし。自分で、どんどん成長していくよ。それより、リリーのほうが成長しないと、置いて行かれちゃうんじゃないの?」
「――かもしれないわね」
リリーは、小さく微笑んだ。
まったく、僕の幼馴染みは、相変わらず面倒くさい性格だ。何でも器用にこなして、頭もいいくせに。いつも、つまらないことで悩んでいる。
ガラスのように繊細な心で、誰に対しても優しいのは、子供のころから変わっていない。ま、そこが、いいんだけどね。
ちょうどその時、料理が運ばれて来た。テーブルには、トマトパスタと、鶏肉の香草焼きが置かれる。トマトと香草の、鮮烈な匂いが、鼻孔をくすぐった。
「おぉー、来た来た。ほら、リリーも、どんどん飲んで、食べて。明日は休みなんだから、朝まで付き合うよ」
リリーのグラスに、トポトポとワインを注ぎながら声を掛ける。
「ツバサちゃん、大丈夫? あまり、お酒強くないでしょ?」
「平気平気。リリーに介抱してもらうから」
「もう、いつも大変なのよ、結構」
二人で笑い合う。ようやく、いつものリリーの笑顔に戻った。
人ってのは、思ったよりも成長が速いし、年齢以上に大人だったりする。風歌ちゃんも、放っておいたって、一、二年すれば、立派なシルフィードになるはずだ。僕はこれからも、この二人の関係を、温かく見守っていこうと思う。
アリーシャさんからも頼まれてるし、僕にとって、たった一人の親友だからね……。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
次回――
『空が飛べないとストレスが溜まってため息しか出てこない』
たとえ“翼”があっても 空がなければ鳥は飛べん
リリーからお誘いが来るなんて、物凄く珍しい。昔から、誘うのはいつも、僕のほうからだ。それに、食事じゃなくて『飲み』のお誘いは、とても珍しい。そもそも、リリーって、外じゃ、あまり飲まないからね。
おそらく、仕事で何か、あったんだろうなぁ……。
でも、これは、いい傾向と言える。なぜなら、リリーはいつも、何事も自分一人で、抱え込んでしまうからだ。僕は親友として、何でも力になってあげたいと、いつも思っている。ただ、言ってくれないと、分からない。
それに、あまり踏みこみ過ぎるのも、マズイんだよね。リリーは昔から、自分の殻に、こもる癖がある。なので、その領域には、親友の僕でも、簡単には踏み込めない。下手に踏み込むと、逆に傷付けてしまうから。
要するに、リリーって、かなり面倒な性格だ。繊細で傷つきやすい癖に、いつも平気なフリをするし。本当は、助けが必要なのに、何でも自分やろうとするし。
大雑把で細かいことを気にせず、どんなことも、気楽に人に頼ってしまう僕とは、正反対の性格だ。まぁ、子供のころからの付き合いで、そこら辺は慣れてるし。そういう、面倒な部分も含めて、彼女が大好きだ。
どうも僕は、面倒な性格の人間が、割と好きみたいなんだよね。たぶん、自分が単純すぎる性格で、面白みがないからだと思う。面倒な人間を見ていると、色々と興味深いし、つい世話を焼きたくなる。
目的の店がある、商業ビルの上空に到着すると、ゆっくり下降していった。駐車場の、空いているスペースを見つけると、スーッと着陸し、エア・ボードから飛び降りた。
「ちょっと、遅くなったけど。まぁ、大丈夫かな」
時間は、七時十二分。リリーには、用事を片付けてから、七時ごろに行くと伝えてあった。
僕は、約束の時間から、遅れて行くことが多い。リリーの場合は、いつも時間ピッタリか、早めに来ている。でも、僕の場合は『三十分までは遅れても OK』って感覚だ。もちろん、悪気があって、やってる訳じゃない。
ビルの正面に回ると、そこには、見知った人物が立っていた。夜闇のせいかもしれないけど、何か表情が暗い気がする。少し俯いたまま、彼女は、じっと立ち尽くしていた。
うーむ、今日は、割と重症っぽいかな?
「やぁリリー、こんばんは。ゴメン、色々あって、遅くなっちゃってさ」
僕は元気よく、彼女に声を掛けた。
すると、一瞬の間があってから、
「こんばんは、ツバサちゃん。急に呼び出してしまって、ごめんなさい。他に用事があったのでしょ? 大丈夫?」
リリーは、こちらに振り向き、笑顔を浮かべながら答える。反応が遅かったから、何か考え事でもしていたのだろう。
「先に入って、始めてれば良かったのに。予約、入れてあるんだからさ」
「でも、急に呼び出してしまったから。先に入るのは、悪いと思って」
「そんな訳ないじゃん。僕が、そんな細かいこと、気にすると思うかい?」
「それも、そうね」
リリーは、微笑みながら答える。
相変わらず、生真面目な性格だ。幼馴染みの僕にまで、気を使う必要はないのに。子供のころからずっと一緒で、姉妹みたいなもんなんだから。でも、それが、リリーなんだよね。
「じゃ、行こうか。もう、おなかペコペコでさー」
「また、お昼ごはん、食べそこねちゃったの?」
「一応、食べたんだけどさ。最近、妙にお腹空くんだよね」
「ウフフッ、何それ?」
僕たちは、和やかに世間話をしながら、フローターに乗って、ビルの七階に向かって行った。
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ダイニングバー〈カンパネラ〉は、僕の行きつけの、お気に入りの店だ。料理が美味しいし、お酒の種類もそろっている。それに、結構な穴場で、常連がメインなため、店は静かな雰囲気だ。ここなら、ファンサービスに、気を使う必要もなかった。
店に入り、店員に名前を告げると、いつも座っている、定位置の席に案内された。窓から夜の街が見渡せる、特等席だ。ここから、美しい夜景を見ながら、のんびりお酒を飲むのが大好きだ。
「ツバサさん、いらっしゃいませ。今日は、どうしますか?」
席に着いてほどなくすると、マスターがやって来た。
「お腹空いたから、何か適当に料理を。あと、今日は、いいワインある?」
「本日、入ったばかりの、特上の赤ワインがありますが」
「じゃあ、それボトルで。あと、マティーニ貰おうかな」
「かしこまりました」
マスターは会釈すると、静かに歩き去って行った。
僕は、お酒以外の注文は、いつも適当だ。ここの料理は、何でも美味しいし。基本、好き嫌いはない。お酒は、そこそこ、こだわるけどね。まぁ、結果的に胃袋に収まれば、何でもいいかな。
リリーは、自分でも料理を作るから、割と味には、こだわるみたいだ。でも、お酒は、ワインだったら何でも OK。あと、食事は小食なくせに、お酒は結構な量を飲む。しかも、いくら飲んでも、酔わない体質だ。ちょっとだけ、饒舌になるけどね。
「ツバサちゃんは、お仕事、忙しいの? いつも、残業しているみたいだけど」
「まぁ、相変わらずだね。それに、残業と言っても、後輩や同僚との付き合いだよ」
「やっぱり、大手は大変ね。人が多いと、人間関係も大変でしょ?」
「たまに『もういくつか、体があったらいいのに』なんて思うけどね。でも、みんなと色々話すのは、楽しいよ」
仕事が終わったあとは、同僚たちと、サロンで世間話や情報交換をする。あと、後輩たちから、教えを請われたり、各種質問をされることも多い。だから、仕事の終了後、一、二時間は、コミュニケーションの時間だ。
それが終わって、社員食堂に行っても、また、色んな人との交流があった。昼間は、お客様と交流し、夜は社内の人間と交流する。基本、来るもの拒まずだから、常に誰かしらと、コミュニケーションをとっていた。
だから、たまに一人になりたくて、こういう店に来る。ただ、リリーだけは別だ。家族のようなもんなんで、気を使う必要がなく、思いっ切り気が抜ける。うちの兄貴たちと、同じ存在だ。
リリーと、軽く話していると、マスターがワゴンを押しながらやってくる。まずは、ハムとチーズの盛り合わせの皿を、テーブル中央に。その隣に、スライスしたパンとクラッカー。最後に、ワインクーラーを置く。
そのあと、ワインオープナーを使って、手早くコルクを抜いた。コルク抜きは、意外と難しいけど、いつ見ても、マスターの手際は見事なものだ。
「お注ぎしますか?」
「いや、僕がやるから大丈夫」
「メインの料理は、後ほどお持ちしますので。ごゆっくりどうぞ」
マスターは、ヴィノ・ロックをテーブルに置くと、静かに立ち去った。これは、一度、開けたワインにつける、ガラス製の栓だ。
グラスにワインを注ぐと、そっとリリーの前に差し出した。僕は、マティーニのグラスを、そっと持ち上げると、
「仕事お疲れ、リリー」
「ツバサちゃんも、お仕事お疲れ様」
二人で軽くグラスを触れ、乾杯した。
一口、飲んでグラスを置くと、単刀直入に訊いてみる。
「それで、風歌ちゃんと、何かあった?」
「えっ……何で分かったの?」
「そりゃ、リリーが悩むことなんて、風歌ちゃんのことしかないじゃん」
とても長い付き合いだ。表情を見れば、大体のことは分かる。それに、最近、リリーが喜ぶのも悲しむのも、全て風歌ちゃんがらみだ。風歌ちゃんが来てからというもの、リリーの表情が、とても豊かになった気がする。
「風歌ちゃん、体は問題ないんでしょ? 記憶も戻ったみたいだし。他に何か、悩むことなんて有ったっけ?」
「それが――。風歌ちゃんに、厳しい態度をとってしまって」
あぁ、なるほど、そういうことか。まぁ、危ない事故だったんだし、言うことは言っとかないとね。
「どんな感じで言ったの?」
「実はね……」
リリーは、ことの顛末を静かに語った。
ふむ、別に言うほど、厳しくはないと思うけどなぁ。というか、普段が、甘すぎるんだよね。しかし、ちょっと厳しく言って、自分が傷ついてたら、どうしょうもないじゃん? まぁ、リリーらしいけどさ。
「今回は、一歩間違えれば、命を落としてたんだから。厳し目に言うのは、普通じゃん? 大雑把な僕だって、それぐらいは言うよ」
「そうかしら? もっと、優しく言ったほうが、よかったんじゃないかしら? 退院したばかりだったのに――」
リリーは、言いながら表情を曇らせる。
つくづく、人に注意したり怒るのが、苦手な性格だ。長い付き合いだけど、昔から、リリーが怒ったとこ、見たことないもんなぁ。
「そんなこと無いって。普段が甘すぎるだけで、今回のは、ようやく普通レベルだよ。そもそも、罰則は、協会と航空管理局が決めたものじゃん。それを伝えただけなんだから、何も問題ないさ」
「でも『一切、仕事をさせない』は、言い過ぎじゃないから?」
リリーは、この世の終わりのような、深刻な表情を浮かべる。
「いや、それ当り前のことだから。まったく、リリーは心配性だね」
僕は、リリーの表情を見て、思わずクスクスと笑ってしまった。
「ちょっと、ツバサちゃん。私、真面目な話を、しているのだけど。何か、おかしなところでも有った?」
「そりゃ、おかしいよ。普通、その程度のことで、悩まないから。風歌ちゃんだって、別に気にしてないと思うけどなぁ。あの子、精神的にタフだし。怒られても、素直に受け止める度量を、持ってると思うよ」
「だと、いいのだけど……」
風歌ちゃんは、とても素直な子だ。ああいうタイプは、吸収が速いから、遠慮せずに、どんどん言ったほうがいいと思う。それに、リリーと違って、引きずらないタイプだから。言われて、ちょっとへこんだとしても、すぐに持ち直すはずだ。
「もう、リリーは怒るのやめたら? 厳しくするの、全く向いてないから。今まで通り、甘やかして育てればいいじゃん」
「でも、それじゃ、風歌ちゃんの為にならないでしょ?」
「大丈夫だよ。リリーより、よっぽど強いし。自分で、どんどん成長していくよ。それより、リリーのほうが成長しないと、置いて行かれちゃうんじゃないの?」
「――かもしれないわね」
リリーは、小さく微笑んだ。
まったく、僕の幼馴染みは、相変わらず面倒くさい性格だ。何でも器用にこなして、頭もいいくせに。いつも、つまらないことで悩んでいる。
ガラスのように繊細な心で、誰に対しても優しいのは、子供のころから変わっていない。ま、そこが、いいんだけどね。
ちょうどその時、料理が運ばれて来た。テーブルには、トマトパスタと、鶏肉の香草焼きが置かれる。トマトと香草の、鮮烈な匂いが、鼻孔をくすぐった。
「おぉー、来た来た。ほら、リリーも、どんどん飲んで、食べて。明日は休みなんだから、朝まで付き合うよ」
リリーのグラスに、トポトポとワインを注ぎながら声を掛ける。
「ツバサちゃん、大丈夫? あまり、お酒強くないでしょ?」
「平気平気。リリーに介抱してもらうから」
「もう、いつも大変なのよ、結構」
二人で笑い合う。ようやく、いつものリリーの笑顔に戻った。
人ってのは、思ったよりも成長が速いし、年齢以上に大人だったりする。風歌ちゃんも、放っておいたって、一、二年すれば、立派なシルフィードになるはずだ。僕はこれからも、この二人の関係を、温かく見守っていこうと思う。
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