216 / 363
第6部 飛び立つ勇気
2-1新年って何か生まれ変わった気分になるよね
しおりを挟む
一月七日。私は、朝五時に起きて、身支度を整えた。いつもの早朝出勤よりも、さらに早い時間だ。私にしては珍しく、身支度にも、しっかりと時間を掛ける。制服のしわを伸ばし、髪もとかして綺麗に整えた。
今日は、一段と気合が入っている。なぜなら、仕事初めだからだ。でも、それだけじゃない。先日の空港でのやり取りが、私の心の中で、熱い原動力になっていた。
まさか、物凄く常識的なお母さんが、あんなことを言うとは、思いもしなかった。今までは、何かに付けて『夢を見ないで現実を見ろ』と、言っていたのに。よりによって『頂点を獲れ』だなんて……。
私を認めてくれた、という訳ではなさそうだ。単に、私の心の迷いが、読めていたのかもしれない。私は、こちらに来て、日が経つにつれ、考えが現実的になって来ていた。なぜなら、自分の無力さと、世の中の厳しさを、痛感したからだ。
それに、大きな問題を立て続け手に起こし、周りに多大な迷惑をかけて、身の程を思い知った。だから、これからは、大人しく、無難に生きようと思っていた。でも、それは、現実を知ったというより、単に弱腰になっていただけかもしれない。
それを、お母さんは、見抜いたんだと思う。頂点を目指すのが、どれほど大変で無謀なことか、今の私ならよく分かる。それでも、お母さんの一言で、心の中でくすぶっていた目標に、大きな炎が灯った。
無理でも、無茶でも、無謀でも、真正面からぶつかって行くのが、私のやり方だ。やっぱり、この性格は変えられないし、抑え込むことも出来なかった。そのせいで、また、周りの人に、迷惑を掛けてしまうかもしれない。
だから、ただ無茶をするんじゃなくて、頭を使って無茶しようと思う。頭のいい人なら、そもそも、無謀なことはしないから、物凄く矛盾しているのは分かる。でも、私には、こんな生き方しかできないから。
「私は、私だ。何事からも逃げずに、全力でぶつかって行こう。もし、失敗して迷惑をかけたら、全力で謝るだけ。失敗を恐れるな、私。よし、今日も全力で行くぞっ!!」
私は、鏡の前で、バシッと頬を叩いた。机に置いてあった同意書を、大事に手にすると、ハシゴを降り、物置部屋の外に出る。長い廊下を進むと、全力で階段を駆けおりて行くのだった――。
******
私は、会社に着くと、軽く準備運動したあと、掃除用具を取りに行った。まずは、水路に停めてあるゴンドラに、ハタキを掛け、ほうきとちり取りを使って、ごみをとっていく。そのあと、雑巾で綺麗に磨いて行った。
外が終わると、ガレージの中に行き、一台ずつ丁寧に掃除をしていく。年末に、念入りに掃除しておいたし、建物の中なので、綺麗なままだ。それでも、一切、手を抜かずに心を込めて、全力で掃除をして行く。
何も考えずに、ただ黙々と。ただ、全力を出すことだけに、意識を向ける。いつ振りだろうか? ここまで、頭を真っ白にして、黙々と仕事をするのは。
もちろん、普段だって、全力でやっていた。それでも、慣れてくると、だんだん心に、余裕が生まれて来る。だから、色んなことを考えながら、仕事をやっていた。でも、今は、始めたばかりのころと同じで、ただ無心にやっている。
おそらく、これが初心なんだと思う。でも、日々やっている内に、つい忘れてしまう、とても大事な気持ちだ。
ガレージの中が終わると、私はほうき手に、庭を隅から隅まではいて行く。外は寒いのに、いつの間にか、体が熱くなってきていた。
よし! いい感じで、体が温まって来た。もっと全力で、もっと集中して。私の中の全てを懸けて……。
ほうきを動かしながら、自分の中の気持ちを、さらに高めて行った。庭の掃除が終わると、掃除用具をかたずけ、一通り、指をさしながらチェックする。
「機体よし! 敷地内よし! 窓ふきは後でやるとして、次は事務所だね」
私は、グッとこぶしを握り締めると、早足で事務所に向かった。
扉の魔力関知パネルに触れると、一瞬、青く光ったあと、緑色に変わる。直後、カチッと音がして、扉のロックが外れた。この扉の魔力ロックは、私とリリーシャさんの魔力が登録してあり、魔力認証によって、ロックを解除することが可能だ。
ただ、管理権限は、リリーシャさんにあるので、制限を掛けられると、私は入れなくなってしまう。一般の企業だと、休日や勤務時間外は、制限が掛かっているらしい。でも、うちは、いつでも入れるように、制限は掛けられていなかった。
そのお蔭で、早朝出勤しても、事務所内に入ることが出来る。そういえば、私が入社して数日後には、魔力登録してくれたんだよね。それだけ、私を信頼してくれているということだ。
中に入ると、まずは、照明を付ける。天井に光の玉が現れ、事務所内を明るく照らし出す。年末に綺麗にしたから、特に汚れたり、散らかっている部分はない。
私は、カーテンを開けて、窓枠に指で触れる。そのあと、机の上も、指でなぞってみた。ほんの少量だけど、ほこりが付いている。目に付きにくいだけで、日数たつと、ほこりが溜まってくるんだよね。
私は、事務所の奥に行き、ハタキ、雑巾、水の入ったバケツを持って来た。まずは、隅々までハタキを掛けて行く。その際に、汚れがないか、細かくチェックしていった。汚れを見つけたら、あとで念入りに、雑巾がけだ。
背伸びをして、高いところまで。膝をついて、低い場所やスキマの奥まで。目に付きにくい場所や、見えないところも、念入りに。掃除で大事なのは、一切、手を抜かないことだ。だから、目に付かない部分も、心を込めて行う。
私が、入社したてのころ。最初に、リリーシャさんに教わったことだ。昔は『何でそんなところまで?』って思ってたけど、今はその大切さが分かる。大事なのは、気持ちだからだ。
掃除で手を抜けば、他の仕事も、手を抜くようになる。心を込めて出来なければ、他のことも、心を込めて出来なくなってしまう。要するに、掃除とは、全ての基本で、接客にも繋がっているのだ。
それが、分かってからというもの、私は全力で掃除をするようになった。掃除すら、全力で出来ない人間が、他のことが、まともに出来るわけがないのだから。
室内の全てに、はたきを掛け終わると、今度は雑巾を手にした。雑巾を水に浸したあと、思いっ切り水をしぼる。そういえば、最初のころは、びちゃびちゃの雑巾を、平気で使ってたっけ――。
正しい、雑巾のしぼり方や、雑巾がけのしかたも、全てリリーシャさんが教えてくれた。しかも、嫌な顔一つせずに、とても優しく、いつも笑顔で。
無知で非常識な私を教えるのは、さぞ大変だったはずだ。そう考えると、リリーシャさんって、本当に凄いよね。うちの母親だったら、一瞬で切れてたと思う……。
机の上を腰を入れて、しっかりと拭いて行く。結構、腕の力もいるし、中腰なので、足腰にも負担が掛かる。黙々とやっていたら、額に汗がにじんできた。真剣にやると大変だけど、綺麗になるのを見ていると、とても清々しい気分になる。
黙々と雑巾がけをしていると、ふと後ろから声を掛けられた。
「風歌ちゃん、おはよう」
この柔らかな声は、リリーシャさんだ。顔を見なくても、優しい表情をしているのは、容易に想像がつく。
私は、手を止めて、サッと振り向くと、すぐに頭を下げた。
「おはようございます、リリーシャさん。今年もまた、一年間、よろしくお願いいたします。今まで以上に、全力で頑張ります!」
ビシッと腰から九十度に曲げ、気合の入った、今年、一発目のあいさつをする。
「風歌ちゃん、こちらこそ、よろしくね。今年もまた、一年間、一緒に頑張りましょうね」
「はいっ!」
ゆっくり頭を上げると、そこには、いつも通りの、柔らかな笑顔を浮かべたリリーシャさんが、静かに立っていた。
あぁ、この優しい表情を見ると、本当に安心する。この世界に、帰って来たんだなぁーって、実感できる。なぜなら、リリーシャさんこそが、私の帰る場所だからだ。
「相変わらず、元気ね。風歌ちゃんは」
「はい! それだけが、取り柄ですから」
「でも、以前よりも、もっと元気になった気がするわ。何か、いいことあった?」
「えぇ、まぁ――。あっ、そうだ」
私は急いで、自分の机に向かう。置いてあった同意書を手にすると、リリーシャさんの前に進み出た。
「遅くなって、申しわけありませんでした」
頭を下げながら、そっと差し出す。
「遠くまで、ご苦労様。ご両親とは、上手く話せたの?」
「お蔭様で、この仕事を続けることも、認めてもらいました。まだ、仮ではあるんですけど」
完全に、認めてもらえた訳ではない。全ては、今後の頑張りと結果しだいだ。
「そう。それは、本当に良かったわ。じゃあ、ちゃんと、全て話せたのね」
「今の私の気持ちを、全て伝えてきました。お詫びもお礼も、含めて」
「なら、これからは、安心して仕事に専念できるわね」
リリーシャさんは、飛び切り素敵な笑顔を浮かべる。
「はい。これも全ては、リリーシャさんのお蔭です。もし、リリーシャさんに、帰るように言われなかったら、今もまだ、悶々としていたと思います。これから先も、ずっと親から、逃げ続けていたかもしれませんし」
あまりにも、いきなり過ぎたし。かなり、強引なやり方だった。しかし、リリーシャさんが、実家に帰る、きっかけを与えてくれなければ、ずっと先延ばしにしていたと思う。
「私は、ちょっと背中を押しただけ。問題を解決したのは、全て風歌ちゃんの力よ」
リリーシャさんは、静かに答える。
「いいえ。全ては、リリーシャさんのお蔭です。あと、私のわがままを認めてくれた、両親たちも。結局、全ては、私を応援してくれた人たちのお蔭なんです。だから、私が今ここにいられるのは、沢山の人の、優しさの結晶だと思います」
「だからこそ、全ての人の、想いや優しさに答えるために。私は、全身全霊を懸けて、頑張ります。それが、一番の恩返しだと思いますので」
私は、リリーシャさんの目を見ながら、真剣に気持ちを伝えた。これが、今の私の想いの全てであり、ここにいる理由だから。
「やっぱり、変わったわね、風歌ちゃん」
「えっ、そうですか?」
「えぇ、以前とは、別人みたい」
たった数日で、何かが変わったとは思わない。でも、気持ちと目標は、少し変わった。というか、一周して、最初に戻って来ただけなんだけどね。
頂点を獲ると約束してきた以上、もう後戻りはできない。今までとは、比べ物にならないぐらいの、努力と覚悟が必要だ。でも、大丈夫。初めて、こっちの世界に来た時から、そのつもりだったんだから。
今までは、前に進むだけだったけど。これからは、一段ずつ、階段を上がって行こう。夢を叶えるために、約束を守るために。そして、いつか恩返しをするために……。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
次回――
『大人になるとは何かを捨てることなんだろうか?』
たぶん大人になる過程を経るうちに何かが鈍くなってしまうんだろう
今日は、一段と気合が入っている。なぜなら、仕事初めだからだ。でも、それだけじゃない。先日の空港でのやり取りが、私の心の中で、熱い原動力になっていた。
まさか、物凄く常識的なお母さんが、あんなことを言うとは、思いもしなかった。今までは、何かに付けて『夢を見ないで現実を見ろ』と、言っていたのに。よりによって『頂点を獲れ』だなんて……。
私を認めてくれた、という訳ではなさそうだ。単に、私の心の迷いが、読めていたのかもしれない。私は、こちらに来て、日が経つにつれ、考えが現実的になって来ていた。なぜなら、自分の無力さと、世の中の厳しさを、痛感したからだ。
それに、大きな問題を立て続け手に起こし、周りに多大な迷惑をかけて、身の程を思い知った。だから、これからは、大人しく、無難に生きようと思っていた。でも、それは、現実を知ったというより、単に弱腰になっていただけかもしれない。
それを、お母さんは、見抜いたんだと思う。頂点を目指すのが、どれほど大変で無謀なことか、今の私ならよく分かる。それでも、お母さんの一言で、心の中でくすぶっていた目標に、大きな炎が灯った。
無理でも、無茶でも、無謀でも、真正面からぶつかって行くのが、私のやり方だ。やっぱり、この性格は変えられないし、抑え込むことも出来なかった。そのせいで、また、周りの人に、迷惑を掛けてしまうかもしれない。
だから、ただ無茶をするんじゃなくて、頭を使って無茶しようと思う。頭のいい人なら、そもそも、無謀なことはしないから、物凄く矛盾しているのは分かる。でも、私には、こんな生き方しかできないから。
「私は、私だ。何事からも逃げずに、全力でぶつかって行こう。もし、失敗して迷惑をかけたら、全力で謝るだけ。失敗を恐れるな、私。よし、今日も全力で行くぞっ!!」
私は、鏡の前で、バシッと頬を叩いた。机に置いてあった同意書を、大事に手にすると、ハシゴを降り、物置部屋の外に出る。長い廊下を進むと、全力で階段を駆けおりて行くのだった――。
******
私は、会社に着くと、軽く準備運動したあと、掃除用具を取りに行った。まずは、水路に停めてあるゴンドラに、ハタキを掛け、ほうきとちり取りを使って、ごみをとっていく。そのあと、雑巾で綺麗に磨いて行った。
外が終わると、ガレージの中に行き、一台ずつ丁寧に掃除をしていく。年末に、念入りに掃除しておいたし、建物の中なので、綺麗なままだ。それでも、一切、手を抜かずに心を込めて、全力で掃除をして行く。
何も考えずに、ただ黙々と。ただ、全力を出すことだけに、意識を向ける。いつ振りだろうか? ここまで、頭を真っ白にして、黙々と仕事をするのは。
もちろん、普段だって、全力でやっていた。それでも、慣れてくると、だんだん心に、余裕が生まれて来る。だから、色んなことを考えながら、仕事をやっていた。でも、今は、始めたばかりのころと同じで、ただ無心にやっている。
おそらく、これが初心なんだと思う。でも、日々やっている内に、つい忘れてしまう、とても大事な気持ちだ。
ガレージの中が終わると、私はほうき手に、庭を隅から隅まではいて行く。外は寒いのに、いつの間にか、体が熱くなってきていた。
よし! いい感じで、体が温まって来た。もっと全力で、もっと集中して。私の中の全てを懸けて……。
ほうきを動かしながら、自分の中の気持ちを、さらに高めて行った。庭の掃除が終わると、掃除用具をかたずけ、一通り、指をさしながらチェックする。
「機体よし! 敷地内よし! 窓ふきは後でやるとして、次は事務所だね」
私は、グッとこぶしを握り締めると、早足で事務所に向かった。
扉の魔力関知パネルに触れると、一瞬、青く光ったあと、緑色に変わる。直後、カチッと音がして、扉のロックが外れた。この扉の魔力ロックは、私とリリーシャさんの魔力が登録してあり、魔力認証によって、ロックを解除することが可能だ。
ただ、管理権限は、リリーシャさんにあるので、制限を掛けられると、私は入れなくなってしまう。一般の企業だと、休日や勤務時間外は、制限が掛かっているらしい。でも、うちは、いつでも入れるように、制限は掛けられていなかった。
そのお蔭で、早朝出勤しても、事務所内に入ることが出来る。そういえば、私が入社して数日後には、魔力登録してくれたんだよね。それだけ、私を信頼してくれているということだ。
中に入ると、まずは、照明を付ける。天井に光の玉が現れ、事務所内を明るく照らし出す。年末に綺麗にしたから、特に汚れたり、散らかっている部分はない。
私は、カーテンを開けて、窓枠に指で触れる。そのあと、机の上も、指でなぞってみた。ほんの少量だけど、ほこりが付いている。目に付きにくいだけで、日数たつと、ほこりが溜まってくるんだよね。
私は、事務所の奥に行き、ハタキ、雑巾、水の入ったバケツを持って来た。まずは、隅々までハタキを掛けて行く。その際に、汚れがないか、細かくチェックしていった。汚れを見つけたら、あとで念入りに、雑巾がけだ。
背伸びをして、高いところまで。膝をついて、低い場所やスキマの奥まで。目に付きにくい場所や、見えないところも、念入りに。掃除で大事なのは、一切、手を抜かないことだ。だから、目に付かない部分も、心を込めて行う。
私が、入社したてのころ。最初に、リリーシャさんに教わったことだ。昔は『何でそんなところまで?』って思ってたけど、今はその大切さが分かる。大事なのは、気持ちだからだ。
掃除で手を抜けば、他の仕事も、手を抜くようになる。心を込めて出来なければ、他のことも、心を込めて出来なくなってしまう。要するに、掃除とは、全ての基本で、接客にも繋がっているのだ。
それが、分かってからというもの、私は全力で掃除をするようになった。掃除すら、全力で出来ない人間が、他のことが、まともに出来るわけがないのだから。
室内の全てに、はたきを掛け終わると、今度は雑巾を手にした。雑巾を水に浸したあと、思いっ切り水をしぼる。そういえば、最初のころは、びちゃびちゃの雑巾を、平気で使ってたっけ――。
正しい、雑巾のしぼり方や、雑巾がけのしかたも、全てリリーシャさんが教えてくれた。しかも、嫌な顔一つせずに、とても優しく、いつも笑顔で。
無知で非常識な私を教えるのは、さぞ大変だったはずだ。そう考えると、リリーシャさんって、本当に凄いよね。うちの母親だったら、一瞬で切れてたと思う……。
机の上を腰を入れて、しっかりと拭いて行く。結構、腕の力もいるし、中腰なので、足腰にも負担が掛かる。黙々とやっていたら、額に汗がにじんできた。真剣にやると大変だけど、綺麗になるのを見ていると、とても清々しい気分になる。
黙々と雑巾がけをしていると、ふと後ろから声を掛けられた。
「風歌ちゃん、おはよう」
この柔らかな声は、リリーシャさんだ。顔を見なくても、優しい表情をしているのは、容易に想像がつく。
私は、手を止めて、サッと振り向くと、すぐに頭を下げた。
「おはようございます、リリーシャさん。今年もまた、一年間、よろしくお願いいたします。今まで以上に、全力で頑張ります!」
ビシッと腰から九十度に曲げ、気合の入った、今年、一発目のあいさつをする。
「風歌ちゃん、こちらこそ、よろしくね。今年もまた、一年間、一緒に頑張りましょうね」
「はいっ!」
ゆっくり頭を上げると、そこには、いつも通りの、柔らかな笑顔を浮かべたリリーシャさんが、静かに立っていた。
あぁ、この優しい表情を見ると、本当に安心する。この世界に、帰って来たんだなぁーって、実感できる。なぜなら、リリーシャさんこそが、私の帰る場所だからだ。
「相変わらず、元気ね。風歌ちゃんは」
「はい! それだけが、取り柄ですから」
「でも、以前よりも、もっと元気になった気がするわ。何か、いいことあった?」
「えぇ、まぁ――。あっ、そうだ」
私は急いで、自分の机に向かう。置いてあった同意書を手にすると、リリーシャさんの前に進み出た。
「遅くなって、申しわけありませんでした」
頭を下げながら、そっと差し出す。
「遠くまで、ご苦労様。ご両親とは、上手く話せたの?」
「お蔭様で、この仕事を続けることも、認めてもらいました。まだ、仮ではあるんですけど」
完全に、認めてもらえた訳ではない。全ては、今後の頑張りと結果しだいだ。
「そう。それは、本当に良かったわ。じゃあ、ちゃんと、全て話せたのね」
「今の私の気持ちを、全て伝えてきました。お詫びもお礼も、含めて」
「なら、これからは、安心して仕事に専念できるわね」
リリーシャさんは、飛び切り素敵な笑顔を浮かべる。
「はい。これも全ては、リリーシャさんのお蔭です。もし、リリーシャさんに、帰るように言われなかったら、今もまだ、悶々としていたと思います。これから先も、ずっと親から、逃げ続けていたかもしれませんし」
あまりにも、いきなり過ぎたし。かなり、強引なやり方だった。しかし、リリーシャさんが、実家に帰る、きっかけを与えてくれなければ、ずっと先延ばしにしていたと思う。
「私は、ちょっと背中を押しただけ。問題を解決したのは、全て風歌ちゃんの力よ」
リリーシャさんは、静かに答える。
「いいえ。全ては、リリーシャさんのお蔭です。あと、私のわがままを認めてくれた、両親たちも。結局、全ては、私を応援してくれた人たちのお蔭なんです。だから、私が今ここにいられるのは、沢山の人の、優しさの結晶だと思います」
「だからこそ、全ての人の、想いや優しさに答えるために。私は、全身全霊を懸けて、頑張ります。それが、一番の恩返しだと思いますので」
私は、リリーシャさんの目を見ながら、真剣に気持ちを伝えた。これが、今の私の想いの全てであり、ここにいる理由だから。
「やっぱり、変わったわね、風歌ちゃん」
「えっ、そうですか?」
「えぇ、以前とは、別人みたい」
たった数日で、何かが変わったとは思わない。でも、気持ちと目標は、少し変わった。というか、一周して、最初に戻って来ただけなんだけどね。
頂点を獲ると約束してきた以上、もう後戻りはできない。今までとは、比べ物にならないぐらいの、努力と覚悟が必要だ。でも、大丈夫。初めて、こっちの世界に来た時から、そのつもりだったんだから。
今までは、前に進むだけだったけど。これからは、一段ずつ、階段を上がって行こう。夢を叶えるために、約束を守るために。そして、いつか恩返しをするために……。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
次回――
『大人になるとは何かを捨てることなんだろうか?』
たぶん大人になる過程を経るうちに何かが鈍くなってしまうんだろう
0
あなたにおすすめの小説
『異世界庭付き一戸建て』を相続した仲良し兄妹は今までの不幸にサヨナラしてスローライフを満喫できる、はず?
釈 余白(しやく)
ファンタジー
毒親の父が不慮の事故で死亡したことで最後の肉親を失い、残された高校生の小村雷人(こむら らいと)と小学生の真琴(まこと)の兄妹が聞かされたのは、父が家を担保に金を借りていたという絶望の事実だった。慣れ親しんだ自宅から早々の退去が必要となった二人は家の中で金目の物を探す。
その結果見つかったのは、僅かな現金に空の預金通帳といくつかの宝飾品、そして家の権利書と見知らぬ文字で書かれた書類くらいだった。謎の書類には祖父のサインが記されていたが内容は読めず、頼みの綱は挟まれていた弁護士の名刺だけだ。
最後の希望とも言える名刺の電話番号へ連絡した二人は、やってきた弁護士から契約書の内容を聞かされ唖然とする。それは祖父が遺産として残した『異世界トラス』にある土地と建物を孫へ渡すというものだった。もちろん現地へ行かなければ遺産は受け取れないが。兄妹には他に頼れるものがなく、思い切って異世界へと赴き新生活をスタートさせるのだった。
連載時、HOT 1位ありがとうございました!
その他、多数投稿しています。
こちらもよろしくお願いします!
https://www.alphapolis.co.jp/author/detail/398438394
スーパーの店長・結城偉介 〜異世界でスーパーの売れ残りを在庫処分〜
かの
ファンタジー
世界一周旅行を夢見てコツコツ貯金してきたスーパーの店長、結城偉介32歳。
スーパーのバックヤードで、うたた寝をしていた偉介は、何故か異世界に転移してしまう。
偉介が転移したのは、スーパーでバイトするハル君こと、青柳ハル26歳が書いたファンタジー小説の世界の中。
スーパーの過剰商品(売れ残り)を捌きながら、微妙にズレた世界線で、偉介の異世界一周旅行が始まる!
冒険者じゃない! 勇者じゃない! 俺は商人だーーー! だからハル君、お願い! 俺を戦わせないでください!
『辺境伯一家の領地繁栄記』序章:【動物スキル?】を持った辺境伯長男の場合
鈴白理人
ファンタジー
北の辺境で雨漏りと格闘中のアーサーは、貧乏領主の長男にして未来の次期辺境伯。
国民には【スキルツリー】という加護があるけれど、鑑定料は銀貨五枚。そんな贅沢、うちには無理。
でも最近──猫が雨漏りポイントを教えてくれたり、鳥やミミズとも会話が成立してる気がする。
これってもしかして【動物スキル?】
笑って働く貧乏大家族と一緒に、雨漏り屋敷から始まる、のんびりほのぼの領地改革物語!
「キヅイセ。」 ~気づいたら異世界にいた。おまけに目の前にはATMがあった。異世界転移、通算一万人目の冒険者~
あめの みかな
ファンタジー
秋月レンジ。高校2年生。
彼は気づいたら異世界にいた。
その世界は、彼が元いた世界とのゲート開通から100周年を迎え、彼は通算一万人目の冒険者だった。
科学ではなく魔法が発達した、もうひとつの地球を舞台に、秋月レンジとふたりの巫女ステラ・リヴァイアサンとピノア・カーバンクルの冒険が今始まる。
『異世界ごはん、はじめました!』 ~料理研究家は転生先でも胃袋から世界を救う~
チャチャ
ファンタジー
味のない異世界に転生したのは、料理研究家の 私!?
魔法効果つきの“ごはん”で人を癒やし、王子を 虜に、ついには王宮キッチンまで!
心と身体を温める“スキル付き料理が、世界を 変えていく--
美味しい笑顔があふれる、異世界グルメファン タジー!
酒好きおじさんの異世界酒造スローライフ
天野 恵
ファンタジー
酒井健一(51歳)は大の酒好きで、酒類マスターの称号を持ち世界各国を飛び回っていたほどの実力だった。
ある日、深酒して帰宅途中に事故に遭い、気がついたら異世界に転生していた。転移した際に一つの“スキル”を授かった。
そのスキルというのは【酒聖(しゅせい)】という名のスキル。
よくわからないスキルのせいで見捨てられてしまう。
そんな時、修道院シスターのアリアと出会う。
こうして、2人は異世界で仲間と出会い、お酒作りや飲み歩きスローライフが始まる。
家ごと異世界転移〜異世界来ちゃったけど快適に暮らします〜
奥野細道
ファンタジー
都内の2LDKマンションで暮らす30代独身の会社員、田中健太はある夜突然家ごと広大な森と異世界の空が広がるファンタジー世界へと転移してしまう。
パニックに陥りながらも、彼は自身の平凡なマンションが異世界においてとんでもないチート能力を発揮することを発見する。冷蔵庫は地球上のあらゆる食材を無限に生成し、最高の鮮度を保つ「無限の食料庫」となり、リビングのテレビは異世界の情報をリアルタイムで受信・翻訳する「異世界情報端末」として機能。さらに、お風呂の湯はどんな傷も癒す「万能治癒の湯」となり、ベランダは瞬時に植物を成長させる「魔力活性化菜園」に。
健太はこれらの能力を駆使して、食料や情報を確保し、異世界の人たちを助けながら安全な拠点を築いていく。
おっさん武闘家、幼女の教え子達と十年後に再会、実はそれぞれ炎・氷・雷の精霊の王女だった彼女達に言い寄られつつ世界を救い英雄になってしまう
お餅ミトコンドリア
ファンタジー
パーチ、三十五歳。五歳の時から三十年間修行してきた武闘家。
だが、全くの無名。
彼は、とある村で武闘家の道場を経営しており、〝拳を使った戦い方〟を弟子たちに教えている。
若い時には「冒険者になって、有名になるんだ!」などと大きな夢を持っていたものだが、自分の道場に来る若者たちが全員〝天才〟で、自分との才能の差を感じて、もう諦めてしまった。
弟子たちとの、のんびりとした穏やかな日々。
独身の彼は、そんな彼ら彼女らのことを〝家族〟のように感じており、「こんな毎日も悪くない」と思っていた。
が、ある日。
「お久しぶりです、師匠!」
絶世の美少女が家を訪れた。
彼女は、十年前に、他の二人の幼い少女と一緒に山の中で獣(とパーチは思い込んでいるが、実はモンスター)に襲われていたところをパーチが助けて、その場で数時間ほど稽古をつけて、自分たちだけで戦える力をつけさせた、という女の子だった。
「私は今、アイスブラット王国の〝守護精霊〟をやっていまして」
精霊を自称する彼女は、「ちょ、ちょっと待ってくれ」と混乱するパーチに構わず、ニッコリ笑いながら畳み掛ける。
「そこで師匠には、私たちと一緒に〝魔王〟を倒して欲しいんです!」
これは、〝弟子たちがあっと言う間に強くなるのは、師匠である自分の特殊な力ゆえ〟であることに気付かず、〝実は最強の実力を持っている〟ことにも全く気付いていない男が、〝実は精霊だった美少女たち〟と再会し、言い寄られ、弟子たちに愛され、弟子以外の者たちからも尊敬され、世界を救って英雄になってしまう物語。
(※第18回ファンタジー小説大賞に参加しています。
もし宜しければ【お気に入り登録】で応援して頂けましたら嬉しいです!
何卒宜しくお願いいたします!)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる