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第8部 分かたれる道
3-2深い心の傷もいつか癒える日が来るのだろうか……?
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時間は、十二時少し前。私は〈南地区〉の上空を、大型のエア・ドルフィンで飛んでいた。つい先ほど、観光案内を終え、お客様を、オススメのレストランに、送り届けたところだ。
ここ最近、エア・カートばかりだったので、エア・ドルフィンは久しぶりだった。今日のお客様は『風を思い切り感じたい』と、ご希望だったので、この機体を選んだ。やっぱり、全身に風を浴びるのは、空を飛ぶ、醍醐味だよね。
昔は、小型のエア・ドルフィンで飛び回っていたから、毎日、当たり前にやっていたけど。最近は、エア・カートを使う機会が多いし。仕事が忙しくて、風を楽しむ余裕が、なくなってしまった。
まぁ、観光案内は、お客様に楽しんでもらう仕事だから、これは、しょうがない。でも、見習い時代のように『風を楽しみながら、自由気ままに飛びたいなぁー』って思うことが、最近、よくあるんだよね。
私は、気持ちを切り替えると、午後のお客様の、観光ルートを考え始めた。すると、唐突に、声を掛けられる。
視線を横に向けると、いつの間にか、エア・カートが並走していた。そこには、爽やかな笑顔で手を振っている、ツバサさんの姿があった。
「やぁ、風歌ちゃん。案内が、一段落したところかい?」
「ツバサさん、こんにちは。つい先ほど、終わったばかりです」
「もし、時間があるなら、一緒にランチでもどう?」
「はい。次の予約まで、時間がありますので、喜んで」
「それは、よかった」
ツバサさんは、手信号で『ついて来て』と、合図を送ると、スピードを上げて行く。私もそのあとを追い、風を切りながら、軽やかに飛んでいくのだった……。
******
私たちは〈南地区〉に来ていた。ここは、高級マンションや、大きな家が立ち並ぶ、セレブエリア。一般家屋も、お店も、とても大きくて、綺麗な建物ばかりだ。私は、普段、足を運ばない場所なので、あまり詳しくはない。
その高級住宅街の一角にある、レストランにやって来た。ツバサさんは、お店の人と知り合いのようで、軽く言葉を交わすと、二階の個室に案内される。
純白のテーブルクロス。整然と並べられた、ピカピカのグラスや、フォークにナイフ。壁に飾られた絵画や、調度品。ほのかに明るい、オシャレな照明など。どれをとっても、高級感があふれている。流石は、セレブタウンのレストランだ。
ツバサさんは、席に着くと、案内してくれたウエイターさんに『いつもの』と、注文する。彼は、笑顔で小さくうなずくと、静かに部屋を出て行った。そうとう、来慣れている感じだ。
「あの――いつも、こんな凄いお店で、ランチしているんですか?」
「いや、まさか。いつもは、普通のカフェで、適当に、ランチを済ませているよ。今日は、偶然、風歌ちゃんに出会えたから。たまには、ゆっくり、話したいと思ってね。ここのところ、お互い忙しくて、話す機会が、全くなかったでしょ?」
「そういえば、そうですね。以前、お会いしたのって、昨年の暮れでしたっけ……?」
ツバサさんは、たまに、リリーシャさんに会いに〈ホワイト・ウイング〉にやって来る。でも、最近は、私も営業に出ているので、すれ違いが多かった。
「人気になるのは、いいけど。大切な人との時間が、減っちゃうのが、考えものなんだよね。町の中でも、常に見られているから、自由に会えないし」
「本当に、そうですね。自分を応援してくれる人が多いのは、とても嬉しいです。でも、親しい友人とも、リリーシャさんとも、会える時間が減ってしまって――」
ナギサちゃんも、フィニーちゃんも、上位階級に昇進してからは、ほとんど、会う機会がない。たまに、女子会で、会うだけだ。この女子会も、予定が合わなくて、毎月は、できなくなってしまった。
リリーシャさんも、朝と夕方、ちょこっと会うだけ。朝は、観光案内の準備が、忙しいし。夕方は、日報を、まとめなければならない。なので、本当に、会話できる時間が、限られている。
日々立て続けに、観光案内を行って。休憩時間をとるのも、やっとなぐらい忙しい。だから、気にしている暇がないだけで。実際には、大事な人たちに会えないのは、物凄く寂しい。私、結構、寂しがりなので……。
「でも、同じ町に住んでるんだし。会おうと思えば、いつでも会えるから。こればかりは、慣れるしかないね。休日に、会いに行けばいいんだし」
「ツバサさんは、休日に、リリーシャさんと、会ってるんですか?」
「たまに、リリーの家には、顔を出しているよ。一緒に、夕飯を食べたりとか。風歌ちゃんは、行ってないの?」
「うーん、全然ですね。以前、行ったのって、四ヵ月ぐらい前だった気が――」
年末の『大金祭』で配るクッキーは、毎年、リリーシャさんの家で、一緒に作っている。リリーシャさんも、たくさん配る人がいるので、一緒に作ったほうが、効率的だからだ。
「意外と、あっさりした、付き合いなんだね。風歌ちゃんなら、もっと、親しくしてるのかと、思っていたけど」
「私は、基本的に、突っ込んで、付き合う性格なんですけど。リリーシャさんだけは、特別なんです。私にとっては、憧れのシルフィードで、大先輩で、全ての先生で。今でも、雲の上の存在なんです。本物の天使、みたいな……」
私は、いまだに、リリーシャさんと、初めて出会ったころの印象が強い。行き場のなかった私に、優しく手を差し伸べてくれた姿は、本当に、天使のように見えた。
それに、上位階級になった今でも、リリーシャさんは、私のはるか上にいる。まるで、天上界にでも、いるような存在だった。それぐらい、私は、リリーシャさんに強く憧れ、心から尊敬している。
「あははっ、確かに、リリーの二つ名には『天使』が付いてるけど。彼女は、天使じゃなくて、普通の人間だよ。普段は、ボーッとしているし、割と面倒な性格だし。そんな、特別な存在じゃないよ」
「そうなんですか――?」
「きっと、離れた場所から見ているから、そう感じるんじゃないかな。距離を詰めれば、どんなに凄い人だって、ただの人間だよ。僕なんかが、まさに、そんな感じでしょ?」
彼女は、両手を広げ、おどけて見せる。
確かに、ツバサさんは、いつも気さくだし、距離が近いから、特別な感じはしない。そういえば、初めて会った日から、普通に、気兼ねなく話してたもんね。
「ただ、リリーは、特別に、ガードが堅いからね。こちらが、一歩踏み込めば、向こうは一歩、退いちゃうし。親しい人間にすら、滅茶苦茶、気を遣ってるし。距離感や接し方が、とても繊細なんだよね」
「僕は、子供のころから、ずっと一緒だったし。同い年だから、接しやすいけど。風歌ちゃんは、後輩という立場上、少し難しいかもね」
そう言うと、ツバサさんは、そっと、ティーカップに口をつける。
アリーシャさんの一件があって以来、リリーシャさんとの距離は、確実に近づいたと思う。それでも、まだ、遠い存在に感じるし。私は、まだ、彼女のことを、詳しくは知らなかった。
毎日、顔は合わせているし、会話もしている。でも、それは、仕事上での、先輩と後輩の関係に過ぎなかった。プライベートなことに関しては、一切、触れていない。お互いに、意識的に、線引きしている気がする。
他の人が相手なら、初対面でも平気で、ずけずけ踏み込んで行くんだけど。どうしても、リリーシャさんが相手だと、遠慮してしまう。その理由が、私自身にも、よく分からない。
「リリーのことが、怖いのかい?」
「えっ……?! いえ、リリーシャさんは、滅茶苦茶、優しいですよ。怖いだなんて」
「そうじゃなくて。『リリーを、傷つけるのが怖い?』って話」
「あぁ――そうですね。ちょっと、怖いかもしれません……」
リリーシャさんは、完璧で美しいけど。どことなく、危うさを感じる。力を入れたら、粉々になってしまいそうな、ガラス細工のような印象だ。だから、距離を置いて、見ているだけなのかもしれない。
「でも、傷つけるのが怖かったら、誰とも付き合えないじゃない? 誰にだって、心があるし。どんな人だって、傷つくことはあるんだから。僕みたいな、楽天的な人間だって、たまには、傷つくし。みんな、条件は同じだよ」
「そうですよね――。私みたいな、単純な性格でも、時には、凄く傷ついたり、激しく落ちこんだりするので」
「ただ、時が経てば、ちゃんと、治るでしょ? 心の傷は、風邪みたいなものさ。たまに掛かるけど、最後は治る。けっして、不治の病じゃないんだよ」
ツバサさんは、優しげな笑顔を浮かべる。
そうだ。多少、時間が掛かっても、傷ついた心は、いつかは治る。なら、リリーシャさんは、完全に、治ったのだろうか……?
「あの――リリーシャさんは、もう、大丈夫なんでしょうか? その、アリーシャさんのことは……?」
この時期になると、どうしても、思い出してしまう。風も温かくなってきて、花も咲き始める、楽しい季節。しかし、三月は、とても悲しい出来事があった、特別な月でもあるのだ。
『三・二一事件』は、この町の人なら、誰もが知っている。年に一度、その日だけは、町中のお店や会社、全てのお役所がお休みになり、慰霊祭が行われていた。
この日は、一年中、活気のある〈グリュンノア〉が、静寂と悲しみに包まれる。でも、一番、悲しいのは、間違いなく、リリーシャさんだ。
ここ最近、私は、リリーシャさんの様子を、慎重に確認していた。今のところ、特に、変わったところはない。しかし、実際には、どうだか分からなかった。彼女は、けっして、感情を表に出さないからだ。
「慰霊祭のこと、気にしているのかい?」
「はい。今年は、私も上位階級のシルフィードとして、正式に、式典に参加するので。リリーシャさんのことが、物凄く気になって――」
「まぁ、完全には、吹っ切れていないだろうね。というか、一生、引きずるんじゃないかな? リリーの、あの性格だと」
「えっ……?! でも、さっき、傷は治るって――」
ある意味、予想通りの答だけど。それでは、リリーシャさんは、一生、悲しみを背負って、生きなければならない……。
「普通の傷ならね。でも、人の死は、別だよ。大切な人が、この世を去る際は、素敵な思い出と共に、一生、消えない傷も、残して行くんだ。それは、僕も同じ。アリーシャさんは、僕にとっても、憧れの人だったからね」
「でも、僕は、傷よりも、幸せな思い出のほうが多いよ。アリーシャさんのことを考えると、素敵な笑顔しか、思い浮かばないから。共に過ごした時間は、お互い、常に笑顔だったからね」
ツバサさんは、窓の外を、遠い目で見ながら語る。
「消えない傷があっても、人は、悲しい出来事を、楽しい出来事で、上書きして行くんだ。心の中が、楽しいことで一杯になれば、過去の傷なんて、忘れちゃうんだよ」
「そのことに、気付けるかどうかは、リリーしだいだね。ただ、人一倍、真面目で、抱え込みやすい性格だから。誰かの助けが、必要かもね」
ツバサさんは、私に、意味ありげな視線を向けてきた。
「えーっと――私が、ですか? でも、いったい、何をすれば……?」
「別に、何もする必要はないよ。風歌ちゃんは、今まで通りで」
「えっ……?」
ツバサさんは、にっこりと微笑む。
「リリーに、何かしてあげたいと思うから、悩んでるんでしょ?」
「うーん、そうですね」
「でも、何かをするんじゃなくて。自分が、精一杯、楽しんで、やっていればいんだよ。結果的に、それは、周りの人も、楽しく幸せにするから」
「それだけで、いいんですか?」
「うん、そういうもんだよ。実際、風歌ちゃんが来てから、リリーは、とても明るくなったからね。それは、風歌ちゃんが、毎日、楽しくやってたからでしょ?」
「言われてみれば、そんな気も――」
特に、最初の一年目は、自分のことで、一杯一杯だった。そもそも、アリーシャさんの件も、全く知らなかったし。シルフィードになれたのが、滅茶苦茶、嬉しくて、毎日が、バラ色だった。
リリーシャさんに『見習いは楽しむのが仕事』って、言われてたから。様々なイベントに参加して、毎日、全力で楽しんでいたし。あのころは、何も考えずに、物凄く、シンプルに生きてたよね。
「じゃあ、見習い時代。毎日、楽しく飛び回ってたことは、少しは、リリーシャさんの、お役に立っていたんでしょうか?」
「もちろん。少しどころか、滅茶苦茶、強力な、心の栄養剤になってたよ。僕もね、風歌ちゃんを見ていて、気付いたんだ。何かしてあげるよりも、自分自身が、元気に楽しく振舞ったほうが、効果があるって」
「なるほど……。そういう方法も、あるんですね」
ただ、必死に、何かしてあげたい。役に立ちたい。今までは、これしか、考えていなかった。
「リリーは、特殊なんだよ。分かりやすく言えば、花みたいなもんかな。変に世話をするより、明るい日の光に当てたほうが、元気になるから」
「確かに、リリーシャさんって、花みたいなイメージですよね」
美しくて、可憐で繊細。下手に触れようとすると、元気がなくなってしまう。私は、誰に対しても、距離を詰めて、おせっかいをしてしまうけど。リリーシャさんは、間接的なやり方のほうが、向いているようだ。
「本当に、面倒な性格だよね。デリケートで傷つきやすくて、寂しがり屋で。そのくせ、やたら、他人に気を遣うし。何があっても、平然と振る舞うし。あぁ見えて、一度、言い出したら、絶対に曲げない、頑固なところもあるし」
「でも、そんなリリーのことが、放ってけなくて、大好きなんだよね。僕も、風歌ちゃんも」
ツバサさんは、とても優しい笑みを浮かべる。
「はいっ、心から大好きです!」
私も、元気な笑顔で答えた。リリーシャさんを、大好きな気持ちは、ツバサさんにだって、負けない自信がある。
「そんな訳だから。とりあえず、何もしないで、大丈夫だよ。きっと、慰霊祭が近づけば、また、落ち込んだりするだろうけど。僕たちは、少し離れたところから、見守りながら、精一杯、明るく元気に、やっていればいいから」
「そうですね。じゃあ、いつもよりも、五割増しぐらいで、元気にやります」
「うんうん。それでこそ、風歌ちゃんだよ」
その後、運ばれてきた料理を食べながら、世間話で盛り上がる。ツバサさんの話は、相変わらず、面白い。カッコイイ人なのに、滅茶苦茶、ユーモアがあるんだよね。大人気なのも、うなずける。
慰霊祭が近づいてきて、少しモヤモヤしていたけど。ツバサさんのお蔭で、気持ちがスッキリした。
大事な人に『何かしてあげたい』という気持ちは、とても、大切だと思う。でも、必ずしも、直接、何かをするのが、ベストとは限らない。
私は、これからも、精一杯、明るく輝いて行こうと思う。それが、リリーシャさんを幸せにする、一番の方法なのだから……。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
次回――
『悲しみを乗り越え前を向いて進んで行こう』
悲しみ苦しみも、自分の力だけで断ち切れる力が、人間にはある
ここ最近、エア・カートばかりだったので、エア・ドルフィンは久しぶりだった。今日のお客様は『風を思い切り感じたい』と、ご希望だったので、この機体を選んだ。やっぱり、全身に風を浴びるのは、空を飛ぶ、醍醐味だよね。
昔は、小型のエア・ドルフィンで飛び回っていたから、毎日、当たり前にやっていたけど。最近は、エア・カートを使う機会が多いし。仕事が忙しくて、風を楽しむ余裕が、なくなってしまった。
まぁ、観光案内は、お客様に楽しんでもらう仕事だから、これは、しょうがない。でも、見習い時代のように『風を楽しみながら、自由気ままに飛びたいなぁー』って思うことが、最近、よくあるんだよね。
私は、気持ちを切り替えると、午後のお客様の、観光ルートを考え始めた。すると、唐突に、声を掛けられる。
視線を横に向けると、いつの間にか、エア・カートが並走していた。そこには、爽やかな笑顔で手を振っている、ツバサさんの姿があった。
「やぁ、風歌ちゃん。案内が、一段落したところかい?」
「ツバサさん、こんにちは。つい先ほど、終わったばかりです」
「もし、時間があるなら、一緒にランチでもどう?」
「はい。次の予約まで、時間がありますので、喜んで」
「それは、よかった」
ツバサさんは、手信号で『ついて来て』と、合図を送ると、スピードを上げて行く。私もそのあとを追い、風を切りながら、軽やかに飛んでいくのだった……。
******
私たちは〈南地区〉に来ていた。ここは、高級マンションや、大きな家が立ち並ぶ、セレブエリア。一般家屋も、お店も、とても大きくて、綺麗な建物ばかりだ。私は、普段、足を運ばない場所なので、あまり詳しくはない。
その高級住宅街の一角にある、レストランにやって来た。ツバサさんは、お店の人と知り合いのようで、軽く言葉を交わすと、二階の個室に案内される。
純白のテーブルクロス。整然と並べられた、ピカピカのグラスや、フォークにナイフ。壁に飾られた絵画や、調度品。ほのかに明るい、オシャレな照明など。どれをとっても、高級感があふれている。流石は、セレブタウンのレストランだ。
ツバサさんは、席に着くと、案内してくれたウエイターさんに『いつもの』と、注文する。彼は、笑顔で小さくうなずくと、静かに部屋を出て行った。そうとう、来慣れている感じだ。
「あの――いつも、こんな凄いお店で、ランチしているんですか?」
「いや、まさか。いつもは、普通のカフェで、適当に、ランチを済ませているよ。今日は、偶然、風歌ちゃんに出会えたから。たまには、ゆっくり、話したいと思ってね。ここのところ、お互い忙しくて、話す機会が、全くなかったでしょ?」
「そういえば、そうですね。以前、お会いしたのって、昨年の暮れでしたっけ……?」
ツバサさんは、たまに、リリーシャさんに会いに〈ホワイト・ウイング〉にやって来る。でも、最近は、私も営業に出ているので、すれ違いが多かった。
「人気になるのは、いいけど。大切な人との時間が、減っちゃうのが、考えものなんだよね。町の中でも、常に見られているから、自由に会えないし」
「本当に、そうですね。自分を応援してくれる人が多いのは、とても嬉しいです。でも、親しい友人とも、リリーシャさんとも、会える時間が減ってしまって――」
ナギサちゃんも、フィニーちゃんも、上位階級に昇進してからは、ほとんど、会う機会がない。たまに、女子会で、会うだけだ。この女子会も、予定が合わなくて、毎月は、できなくなってしまった。
リリーシャさんも、朝と夕方、ちょこっと会うだけ。朝は、観光案内の準備が、忙しいし。夕方は、日報を、まとめなければならない。なので、本当に、会話できる時間が、限られている。
日々立て続けに、観光案内を行って。休憩時間をとるのも、やっとなぐらい忙しい。だから、気にしている暇がないだけで。実際には、大事な人たちに会えないのは、物凄く寂しい。私、結構、寂しがりなので……。
「でも、同じ町に住んでるんだし。会おうと思えば、いつでも会えるから。こればかりは、慣れるしかないね。休日に、会いに行けばいいんだし」
「ツバサさんは、休日に、リリーシャさんと、会ってるんですか?」
「たまに、リリーの家には、顔を出しているよ。一緒に、夕飯を食べたりとか。風歌ちゃんは、行ってないの?」
「うーん、全然ですね。以前、行ったのって、四ヵ月ぐらい前だった気が――」
年末の『大金祭』で配るクッキーは、毎年、リリーシャさんの家で、一緒に作っている。リリーシャさんも、たくさん配る人がいるので、一緒に作ったほうが、効率的だからだ。
「意外と、あっさりした、付き合いなんだね。風歌ちゃんなら、もっと、親しくしてるのかと、思っていたけど」
「私は、基本的に、突っ込んで、付き合う性格なんですけど。リリーシャさんだけは、特別なんです。私にとっては、憧れのシルフィードで、大先輩で、全ての先生で。今でも、雲の上の存在なんです。本物の天使、みたいな……」
私は、いまだに、リリーシャさんと、初めて出会ったころの印象が強い。行き場のなかった私に、優しく手を差し伸べてくれた姿は、本当に、天使のように見えた。
それに、上位階級になった今でも、リリーシャさんは、私のはるか上にいる。まるで、天上界にでも、いるような存在だった。それぐらい、私は、リリーシャさんに強く憧れ、心から尊敬している。
「あははっ、確かに、リリーの二つ名には『天使』が付いてるけど。彼女は、天使じゃなくて、普通の人間だよ。普段は、ボーッとしているし、割と面倒な性格だし。そんな、特別な存在じゃないよ」
「そうなんですか――?」
「きっと、離れた場所から見ているから、そう感じるんじゃないかな。距離を詰めれば、どんなに凄い人だって、ただの人間だよ。僕なんかが、まさに、そんな感じでしょ?」
彼女は、両手を広げ、おどけて見せる。
確かに、ツバサさんは、いつも気さくだし、距離が近いから、特別な感じはしない。そういえば、初めて会った日から、普通に、気兼ねなく話してたもんね。
「ただ、リリーは、特別に、ガードが堅いからね。こちらが、一歩踏み込めば、向こうは一歩、退いちゃうし。親しい人間にすら、滅茶苦茶、気を遣ってるし。距離感や接し方が、とても繊細なんだよね」
「僕は、子供のころから、ずっと一緒だったし。同い年だから、接しやすいけど。風歌ちゃんは、後輩という立場上、少し難しいかもね」
そう言うと、ツバサさんは、そっと、ティーカップに口をつける。
アリーシャさんの一件があって以来、リリーシャさんとの距離は、確実に近づいたと思う。それでも、まだ、遠い存在に感じるし。私は、まだ、彼女のことを、詳しくは知らなかった。
毎日、顔は合わせているし、会話もしている。でも、それは、仕事上での、先輩と後輩の関係に過ぎなかった。プライベートなことに関しては、一切、触れていない。お互いに、意識的に、線引きしている気がする。
他の人が相手なら、初対面でも平気で、ずけずけ踏み込んで行くんだけど。どうしても、リリーシャさんが相手だと、遠慮してしまう。その理由が、私自身にも、よく分からない。
「リリーのことが、怖いのかい?」
「えっ……?! いえ、リリーシャさんは、滅茶苦茶、優しいですよ。怖いだなんて」
「そうじゃなくて。『リリーを、傷つけるのが怖い?』って話」
「あぁ――そうですね。ちょっと、怖いかもしれません……」
リリーシャさんは、完璧で美しいけど。どことなく、危うさを感じる。力を入れたら、粉々になってしまいそうな、ガラス細工のような印象だ。だから、距離を置いて、見ているだけなのかもしれない。
「でも、傷つけるのが怖かったら、誰とも付き合えないじゃない? 誰にだって、心があるし。どんな人だって、傷つくことはあるんだから。僕みたいな、楽天的な人間だって、たまには、傷つくし。みんな、条件は同じだよ」
「そうですよね――。私みたいな、単純な性格でも、時には、凄く傷ついたり、激しく落ちこんだりするので」
「ただ、時が経てば、ちゃんと、治るでしょ? 心の傷は、風邪みたいなものさ。たまに掛かるけど、最後は治る。けっして、不治の病じゃないんだよ」
ツバサさんは、優しげな笑顔を浮かべる。
そうだ。多少、時間が掛かっても、傷ついた心は、いつかは治る。なら、リリーシャさんは、完全に、治ったのだろうか……?
「あの――リリーシャさんは、もう、大丈夫なんでしょうか? その、アリーシャさんのことは……?」
この時期になると、どうしても、思い出してしまう。風も温かくなってきて、花も咲き始める、楽しい季節。しかし、三月は、とても悲しい出来事があった、特別な月でもあるのだ。
『三・二一事件』は、この町の人なら、誰もが知っている。年に一度、その日だけは、町中のお店や会社、全てのお役所がお休みになり、慰霊祭が行われていた。
この日は、一年中、活気のある〈グリュンノア〉が、静寂と悲しみに包まれる。でも、一番、悲しいのは、間違いなく、リリーシャさんだ。
ここ最近、私は、リリーシャさんの様子を、慎重に確認していた。今のところ、特に、変わったところはない。しかし、実際には、どうだか分からなかった。彼女は、けっして、感情を表に出さないからだ。
「慰霊祭のこと、気にしているのかい?」
「はい。今年は、私も上位階級のシルフィードとして、正式に、式典に参加するので。リリーシャさんのことが、物凄く気になって――」
「まぁ、完全には、吹っ切れていないだろうね。というか、一生、引きずるんじゃないかな? リリーの、あの性格だと」
「えっ……?! でも、さっき、傷は治るって――」
ある意味、予想通りの答だけど。それでは、リリーシャさんは、一生、悲しみを背負って、生きなければならない……。
「普通の傷ならね。でも、人の死は、別だよ。大切な人が、この世を去る際は、素敵な思い出と共に、一生、消えない傷も、残して行くんだ。それは、僕も同じ。アリーシャさんは、僕にとっても、憧れの人だったからね」
「でも、僕は、傷よりも、幸せな思い出のほうが多いよ。アリーシャさんのことを考えると、素敵な笑顔しか、思い浮かばないから。共に過ごした時間は、お互い、常に笑顔だったからね」
ツバサさんは、窓の外を、遠い目で見ながら語る。
「消えない傷があっても、人は、悲しい出来事を、楽しい出来事で、上書きして行くんだ。心の中が、楽しいことで一杯になれば、過去の傷なんて、忘れちゃうんだよ」
「そのことに、気付けるかどうかは、リリーしだいだね。ただ、人一倍、真面目で、抱え込みやすい性格だから。誰かの助けが、必要かもね」
ツバサさんは、私に、意味ありげな視線を向けてきた。
「えーっと――私が、ですか? でも、いったい、何をすれば……?」
「別に、何もする必要はないよ。風歌ちゃんは、今まで通りで」
「えっ……?」
ツバサさんは、にっこりと微笑む。
「リリーに、何かしてあげたいと思うから、悩んでるんでしょ?」
「うーん、そうですね」
「でも、何かをするんじゃなくて。自分が、精一杯、楽しんで、やっていればいんだよ。結果的に、それは、周りの人も、楽しく幸せにするから」
「それだけで、いいんですか?」
「うん、そういうもんだよ。実際、風歌ちゃんが来てから、リリーは、とても明るくなったからね。それは、風歌ちゃんが、毎日、楽しくやってたからでしょ?」
「言われてみれば、そんな気も――」
特に、最初の一年目は、自分のことで、一杯一杯だった。そもそも、アリーシャさんの件も、全く知らなかったし。シルフィードになれたのが、滅茶苦茶、嬉しくて、毎日が、バラ色だった。
リリーシャさんに『見習いは楽しむのが仕事』って、言われてたから。様々なイベントに参加して、毎日、全力で楽しんでいたし。あのころは、何も考えずに、物凄く、シンプルに生きてたよね。
「じゃあ、見習い時代。毎日、楽しく飛び回ってたことは、少しは、リリーシャさんの、お役に立っていたんでしょうか?」
「もちろん。少しどころか、滅茶苦茶、強力な、心の栄養剤になってたよ。僕もね、風歌ちゃんを見ていて、気付いたんだ。何かしてあげるよりも、自分自身が、元気に楽しく振舞ったほうが、効果があるって」
「なるほど……。そういう方法も、あるんですね」
ただ、必死に、何かしてあげたい。役に立ちたい。今までは、これしか、考えていなかった。
「リリーは、特殊なんだよ。分かりやすく言えば、花みたいなもんかな。変に世話をするより、明るい日の光に当てたほうが、元気になるから」
「確かに、リリーシャさんって、花みたいなイメージですよね」
美しくて、可憐で繊細。下手に触れようとすると、元気がなくなってしまう。私は、誰に対しても、距離を詰めて、おせっかいをしてしまうけど。リリーシャさんは、間接的なやり方のほうが、向いているようだ。
「本当に、面倒な性格だよね。デリケートで傷つきやすくて、寂しがり屋で。そのくせ、やたら、他人に気を遣うし。何があっても、平然と振る舞うし。あぁ見えて、一度、言い出したら、絶対に曲げない、頑固なところもあるし」
「でも、そんなリリーのことが、放ってけなくて、大好きなんだよね。僕も、風歌ちゃんも」
ツバサさんは、とても優しい笑みを浮かべる。
「はいっ、心から大好きです!」
私も、元気な笑顔で答えた。リリーシャさんを、大好きな気持ちは、ツバサさんにだって、負けない自信がある。
「そんな訳だから。とりあえず、何もしないで、大丈夫だよ。きっと、慰霊祭が近づけば、また、落ち込んだりするだろうけど。僕たちは、少し離れたところから、見守りながら、精一杯、明るく元気に、やっていればいいから」
「そうですね。じゃあ、いつもよりも、五割増しぐらいで、元気にやります」
「うんうん。それでこそ、風歌ちゃんだよ」
その後、運ばれてきた料理を食べながら、世間話で盛り上がる。ツバサさんの話は、相変わらず、面白い。カッコイイ人なのに、滅茶苦茶、ユーモアがあるんだよね。大人気なのも、うなずける。
慰霊祭が近づいてきて、少しモヤモヤしていたけど。ツバサさんのお蔭で、気持ちがスッキリした。
大事な人に『何かしてあげたい』という気持ちは、とても、大切だと思う。でも、必ずしも、直接、何かをするのが、ベストとは限らない。
私は、これからも、精一杯、明るく輝いて行こうと思う。それが、リリーシャさんを幸せにする、一番の方法なのだから……。
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次回――
『悲しみを乗り越え前を向いて進んで行こう』
悲しみ苦しみも、自分の力だけで断ち切れる力が、人間にはある
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美味しい笑顔があふれる、異世界グルメファン タジー!
酒好きおじさんの異世界酒造スローライフ
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酒井健一(51歳)は大の酒好きで、酒類マスターの称号を持ち世界各国を飛び回っていたほどの実力だった。
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異世界転生したおっさんが唯一のチートだけで生き抜く世界
主人公のゴウは異世界転生した元冒険者
引退して狩をして過ごしていたが、ある日、ギルドで雇った子どもに出会い思い出す。
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