北畠の鬼神

小狐丸

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 天文十四年(1545年)三月

 一年が経ち、俺が満五歳になり小氷河期にあたるこの時代の冬の寒さが漸く温み、春の足音が聞こえ始めたこの頃、俺の暮らす南伊勢は賑わいを見せ始めていた。

 二年前から父晴具は、僅か三歳の俺に守役を付け、二つの村を領地として与えた。それは俺を養子に出すのではなく、寺に僧として入れるのでもないと、家臣達に示したのだ。将来嫡男具教の補佐をさせると。

 これには有り難い事に、殆どの家臣が喜んでくれた。
 自分で言うのもなんだが、幼いながら文武に非凡な才を見せる俺は、尚武の家風が強い北畠氏家臣団に非常に評判が良かった。
 これは見ようによっては危険な事だ。家督相続に波風を立てる存在など、養子に出すか寺に入れてしまうのが普通なのだから。
 まぁ兄上とは年齢が離れている事もあり、上の二人の兄上とは違い、俺の場合はあまり問題にされなかったのも幸運だった。

 厳格な身分制度のなかった前世と、鍛冶屋の息子に生まれた末に、鬼となった前々世の記憶のある俺は、誰とでも分け隔てなく接する優しい人柄だと思われている。加えて前々世の名残なのか整った容姿と合わせ、家臣や領民に愛されても、御家騒動には発展しないと父上や兄上も思っているのだろう。

 公家の北畠家の当主としては相応しくないからな。


 そして与えられた二つの村で、俺はこの時代には革新的な取り組みを始めた。
 村の子供達や河原者の子供達、家臣の子供達に報酬を渡し、新田の開墾と農政の改革を始めたんだ。

 この時代の田圃は湿田も多く、そこに種籾を直接乱雑にばら撒いていた。湿田を乾田にする事により米と麦の二毛作が可能になれば、領民の暮らしももっと楽になるのではと俺は考えた


 俺は、領地にある田圃を観察し、山や里山を見て回った。そしてこの時代の農業技術の拙さを目にし、改革を決めたんだ。
 既存の田畑の形を弄るのは難しいが、新規開墾した田畑は四角い形に整えた。
 そして直播きをやめ、育苗から一定の間隔で苗を植え付ける正条植えを指示した。
 正条植えという革新的な手法が、史実より約三百年早く伊勢の地で始まった瞬間だった。

 肥料も寄生虫の危険のある、人糞や屎尿の直播きを辞めさせ、魚肥や腐葉土を使った堆肥作りを始め、別の場所に集められた人糞や屎尿は、ある目的の為に使用する予定だ。

 そしてこの取り組みは、次の年の収穫で結果を出すと、その二つの村から父晴具の直轄地、兄具教の直轄地へと広がるのは時間の問題だった。

 俺の取り組みは田圃だけじゃない。

 例の取り組みは、最低でも三年以上掛かるので一旦置いておいて、俺は自分で銭を稼ぐ為に色々と動き出した。

 俺の貰った領地である二つの村の一つは、里山があり川が流れる多気御所から遠くない場所に在った。

 その村で俺は椎茸栽培を始めた。この時代、干し椎茸は大変高価で取引されていた。椎茸が大量に栽培出来れば、これからの資金繰りも楽になるだろう。

 もう一つの村は海近くの村で、漁業と農業を営む村だった。
 俺は此処の村で塩づくりを始める。
 この時代の入り浜式塩田は重労働で出来る塩の量も少ない。
 そこで流下式枝条架併用式塩田を父上にお願いして造って貰った。

 父上もこの試みが成功すれば、領内の塩田を切り替えていくと言っていた。

 田畑の改革、椎茸栽培、塩田と手を付け、次に山側の村でちゃんとした炭焼き窯を作らせてた。山の間伐材を伐採した物を炭にする。そこで採れる副産物の木酢液は田畑の害虫対策に使用する。

 何故俺が幼いながら、生き急ぐように民の生活を豊かにし、更に銭を稼ぐことを考えているのかと言うと、史実での北畠氏の悲惨な最期を知っているからだ。

 尾張と美濃の二ヶ国を領有した織田信長が、次に目を付けたのは伊勢湾の掌握。それには権威だけで旧態然とした北畠氏は邪魔だったのだろう。
 兄上など家臣だった者に裏切られ殺されている。

「北畠氏を滅ぼさせはしない」

 俺は北畠氏の滅亡回避の為、自重などかなぐり捨て、全力でやれる事をやると自身に誓った。

 まだまだやりたい事は沢山ある。

 粗銅からの金銀を抽出と銅銭の私鋳。
 石鹸の製造と領民の衛生環境改善。
 じゃが芋やさつま芋などの荒地でも育つ作物の早期輸入。
 大柄な馬を集めて繁殖牧場を造る。
 捨て子や人買いに売られた子供の保護。

 粗銅は南蛮絞りを職人に教え、道順にお願いして忍びの結界を張った場所で秘密裏に進めないといけない。
 石鹸は油座が厄介なので、自前で油を調達する方法を考えないとな。油座の奴らなんて、石鹸の材料が油なんて分からないだろう。
 飢饉対策に荒地でも育つさつま芋は是非とも欲しい。お酒の原料にもなるしな。
 そうそう、お酒と言えば清酒もお金になりそうだ。是非作らないとな。いや、俺が飲みたい訳じゃないよ。
 馬も出来るだけ大きく優秀な雄馬を探さないとな。
 やる事が一杯で目が回りそうだ。

「家臣達の意識も変えていかないとな」

 北畠氏が一枚岩となるよう努力しないとな。



 領地以外でも、俺自身の成長も著しいものだった。
 未だ使い熟しているとは言い難いが、俺の身の内には、人の身には過ぎた『氣』の力を内包しているのを把握していた。それは前々世では膨大な妖気を使い、妖術を使用していたからこと体の中にある何かに気がついたのだが、今世の俺の中のモノは、おそらくは妖気が浄化された氣の力。それのお陰なのか俺の身体能力は、現時点で並みの大人を大きく凌いでいた。
 これも二度の輪廻転生を経験したからか、前々世の鬼の王だった事が影響しているのかは分からないが。
 ただ、酒呑童子の頃に使えた妖術の類いは全く使えないが、これは仕方ないだろう。

 兄上(具教)から剣術の手ほどきを受け、新当流の基本を収め、型だけなら既に中極意の型を修得していた。

 前々世の鬼だった頃は、太刀を振るってはいても、剣術は鬼故の身体能力の高さでゴリ押しする自己流だった。前世でも剣道をしていた俺にとって、新当流を学ぶのは楽しく夢中になった。



 そしてこの春、俺は武術の師と出逢う。


 春の柔らかな日差しの中、多気御所にこの時代では老齢と言える五十代半ばの武芸者が数人の弟子を連れて訪れたのは、多岐御所の梅も終わり掛けた頃だった。兄である具教の剣術の師である塚原卜伝殿が高弟を連れ多気御所を訪れた。時代が静かに動き始める。

《塚原土佐守高幹、戦国時代の兵法家で父より鹿島古流を、養父より天真正伝香取神道流を修め、鹿島新当流を開いた人物》

 兄の具教は武術を好み、様々な武芸者を招いては教えを受けていた。塚原卜伝殿もその一人だ。


 そしてその日、多気御所を訪れた塚原卜伝殿は兄具教に歓待を受ける。

「左少将殿、いや、左中将に成られたのでしたかな、暫く世話になり申す」
「土佐守殿。いえ師匠は私の剣の師なのですから、お気遣いは無用に御座います」

 兄上はこの春、従五位下、左近衛中将となっていた。

 久しぶりの師弟の再会を喜ぶ席で、卜伝殿の視線が俺を興味深く観察している気がする。

 数名の見知った重臣や北畠氏当主の父上(晴具)が居並ぶ中に、場違いにも思える少年と呼ぶには幼い子供が座っているのだ。目立たない訳がない。

 自惚れる訳じゃないが、前々世や前世を彷彿させる、幼いながらも目を惹きつけてやまぬ整った顔立ちは、そこに居るだけで視線を集めるようだが、それを俺はいまいち理解していなかった。自分でも容姿は整っている自覚はあるものの、名門の血筋なのか、父上や兄上も十分整った容姿だったし、この場合卜伝殿が向ける視線の意味はそうじゃないとだけは分かっていたから。

「鬼王丸、私の剣の師である土佐守殿だ、ご挨拶しなさい」
「はい兄上。土佐守様、北畠晴具が四男、鬼王丸と申します。何卒よろしくお願い致します」

 兄上が自己紹介する様に言うと、俺は歳に似合わぬ流暢な口調で丁寧な対応をしてみせた。わざわざ子供の口調で話す方が難しいし、恥ずかしい。

「鬼王丸殿か、そう堅苦しくする事はない。某の事は卜伝とでも呼んで下され」
「はい、卜伝様とお呼びします」

 俺が卜伝殿と話すのを父上と兄上が慈愛の目でニコニコと微笑んで見守っている。とても気恥ずかしくなるが、ここは甘んじて受け止めていると、それを感じた卜伝殿は、俺が父上や兄上に愛されているのを感じたんだろう、にこりと笑っていた。

 裏切り裏切られ、親が子を殺し、子が親を殺すのが当たり前の戦国の世に、何処か微笑ましいものを見せて貰った。そう卜伝殿に言われて恥ずかしくて赤くなる俺を他所に、父上と兄上は当然だと頷いている。




ーーーーーーーー

 卜伝は改めてこの部屋に入った瞬間から気になっていた鬼王丸という幼子を今一度よく観察した。
 その佇まいは幼子のようで、不自然な程自然体。ひとかどの武芸者と見誤る程の雰囲気を漂わせている。

 面白い。卜伝が感じたのは、その一言に尽きた。

「師匠、鬼王丸は私の目から見ても非凡な才を持つと思っています」
「ふむ、左中将殿の言うように、中々面白い童と見受ける」
「おお! 師匠もそう思われるか! 実は鬼王丸には、私自ら新当流の中極意まで教えていますが、兄馬鹿と笑って貰っても構いませぬ。鬼王丸の才は私を遥かに超えると信じています」
「ほぉ、左中将殿がそこまで言われるか……」

 既に一廉の剣士である具教の言葉に、卜伝が益々鬼王丸に興味を示す。

「鬼王丸は四男で養子に出すか、寺に入れるか悩んだのだが、この子は家臣や領民に人気がある故、自由に育てる様にしておるのじゃ」
「父上、鬼王丸を寺などに出すなどと、お辞め下さい。鬼王丸は私の右腕として将来北畠家の為に活躍して貰うのですから。それでどうでしょう、一度鬼王丸を見て貰えますか」
「うむ、某で良ければ喜んで見させて貰おう」

 卜伝も鬼王丸程の年齢の子供を指導する機会も何度かあったが、只ならぬ気配の鬼王丸の才を見てみたいと思っていた。




 多気御所の鍛錬場に卜伝とその弟子達、晴具と具教が見守る中、鬼王丸が具教から教えられた新当流の基本の型から中極意までを披露する。

 小さな身体に合わせて具教自ら削り出し与えた木刀を構え丁寧に型を使う。

 その姿は到底初心者には見えず、卜伝の弟子達が驚きに目を見開いている。

 それは、ただ単に型をなぞっているだけの動きではなかった。一つの動作に込められた理りを理解している動きだ。
 有り得ない。それが初めて鬼王丸を見た卜伝の弟子達の正直な思いだろう。

 卜伝は考える。鬼王丸に新当流を教えるのはいい。しかし連れて来た弟子と一緒では、弟子が鬼王丸の才を見て潰れかねないと思った。

「鬼王丸は如何ですか?」
「まだ幼い故、はっきりとは言えぬが、間違いなく剣の才は非凡であろう」
「師から見てもそう思われますか」
「もう何年か成長すれば、我が手ずから育ててみたい逸材じゃろうな」

 それを聞いて具教は我が意を得たりと卜伝に鬼王丸の弟子入りを願い出た。

「それでは鬼王丸を見て貰えますか」
「うむ、暫く滞在する故、基本的な事を指導してみよう。本格的にはもう少し身体が固まってからじゃな」
忝いかたじけない。滞在中は精一杯持て成します故、御ゆるりと過ごして下さい。鬼王丸も礼を言いなさい」
「土佐守様、よろしくお願いします」
「師匠と呼ばれるが宜しかろう」
「はい、お師匠様」

 その日から卜伝とその弟子達が多岐御所に滞在して、具教や家臣、鬼王丸に稽古を付ける日が始まった。

 人の枠を超えた身体能力と、膨大な氣の力を生まれ持った鬼王丸の躍進が始まる。



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