14 / 22
14 ねえ、シャブリと生牡蠣があるのよ・・・
しおりを挟む
僕はおそらくはツーサイズは大きいであろう優実の恋人のTシャツを着て、彼女のベッドに身体を横たえていた。
さて、一体どうしたものか・・・。
ほんの数分前、僕らは鈍く霧がかかった月が照らす夜道を二人で歩いていた。
仕事を終える時間が重なったとき、僕らは大体ニンジンの向かいにあるカフェでビールを飲み、そして僕は彼女のフラットまで徒歩で送っていっていた。
それは僕のささやかな楽しみで、幸せな時間だった。
そして、それ以上のことを望んだりはしていなかった・・・と思う。
その夜だって、僕はとくに大胆なことをするつもりはなかった。
「ねえ。お腹が痛いんだけど、トイレを貸してくれないかな」
彼女のフラットの前に着いたとき、もしも女性を口説こうとしているのであったなら、驚くほど陳腐で滑稽なセリフで僕は彼女の部屋に入れてもらった。
ただ、一つだけ純然たる事実を告げるなら、本当に僕はそのときお腹が痛かったのだ。
トイレを借りたらすぐに帰るつもりだった。
しかし、おそらくは心の何処かでは賽を転がしていたのかもしれない。どんな目が出るのだろうと期待をしながら。
トイレから出た僕に彼女は、「なぁ、少し飲んでく?梅酒とカップヌードルがあんねん」と、嬉しそうに、その奇妙なコンビネーションをすすめた。まるでそれらが抜群の相性を誇るワインとアペタイザーかのように。
それは、僕に「ねえ、シャブリと生牡蠣があるのよ・・・」みたいな感じに響いた。
僕はいうまでもなく嬉しかった。
バレンタインデーに好きな女の子から電話がかかってきて、公園に誘われたみたいに嬉しかった。
小学一年生のときに、そんなことがあった。
そして僕は浮かれていたのか、緊張してたのか、もらったチョコレートを公園のベンチに置き忘れて帰宅し、母親にこっぴどく叱られた記憶がある。
僕らは梅酒で軽く酔っぱらい、カップヌードルを豪快に音をたてて啜った。
そして僕はその晩、彼女のフラットに泊まることにした。
彼女の誘いに甘い淫靡な響きはなかったように思う。
しかし、彼女は一緒にベッドで寝ようといい、シャワーを浴びている。僕は彼女の恋人のTシャツを着て、ベッドに身体を横たえている。
さて、一体どうしたものか・・・。
彼女を抱くのか?しかし、それはあんまりじゃあないか?恋人の男には少しばかり残酷な気がするし、僕にはとても早急な気がする。
うーむ、と軽く唸り、身体の向きを変えたとき、視界の端でフワフワしたそれが動いた。
始めは巨大なテディ・ベアでも倒れてきたのだと思った。しかし、それは着ぐるみのあの男だった。
「なんだ君か・・・。ところで、いきなり質問なんだけど、それは一体なんの動物なんだい?」
「ポッサムだよ。一昨日、公園で会ったじゃないか」
ああ、ポッサム。
ポッサムというのは、オーストラリアやニュージーランドで広く生息している狸のような動物で、僕もつい先日、仕事帰りに間近でお目にかかることができた。
野性動物としては警戒心が足りていないような、もたついた動きと愛らしい表情に好感がもてた。
「それで、どうかしたのかい?なぜここに?」
「君が迷っているからさ。好きな女の子の部屋に二人っきりでいるってのに、とんだ腰ぬけだね、君は」
「草食動物のくせに随分と肉食なことをいうもんだね」
僕は皮肉のつもりでそう言ってやった。僕には僕のやり方や生き方があるのだ。彼にそんなことを言われる覚えはない。
すると、ポッサムは小馬鹿にしたように笑った。
「僕らは雑食さ。山猫のように獲物を追いかけ回すことはなくても、もし栗鼠が片足を引き摺って現れたら、躊躇せず襲いかかるよ。
君はいつも良い子ぶってるよ。そして恵まれていて余裕があるんだね。僕らの毛皮ってね、高値で売れるんだよ。僕らは捕まったら皮を剥がれる。だから君が想像するより、必死で戦い、生きているのさ。
それだけを言いにきたんだよ。そろそろ帰るよ。彼女がドライヤーで髪をとかし終わる頃だ。どうか手遅れになりませんように。気づいた頃にはもう遅い。捕まって皮を生きたまま剥がされる。そして激痛が永遠に続くのさ」
ポッサムが窓から出ていくのと、彼女がバスルームのドアを開けるのは、ほぼ同時だった。
「どうかしたん?梅酒、飲み過ぎたん?」
窓を睨みながら、凍ったような・・・あるいは解凍されかけているような僕の表情を見て彼女が訊いた。
「ねえ・・・」
「セックスしようか」
気がつくと僕は彼女にそう言っていた。
もしかしたら、僕はその後に、「シャブリと生牡蠣があるからさ・・・」と続けるべきだったのかもしれない。
さて、一体どうしたものか・・・。
ほんの数分前、僕らは鈍く霧がかかった月が照らす夜道を二人で歩いていた。
仕事を終える時間が重なったとき、僕らは大体ニンジンの向かいにあるカフェでビールを飲み、そして僕は彼女のフラットまで徒歩で送っていっていた。
それは僕のささやかな楽しみで、幸せな時間だった。
そして、それ以上のことを望んだりはしていなかった・・・と思う。
その夜だって、僕はとくに大胆なことをするつもりはなかった。
「ねえ。お腹が痛いんだけど、トイレを貸してくれないかな」
彼女のフラットの前に着いたとき、もしも女性を口説こうとしているのであったなら、驚くほど陳腐で滑稽なセリフで僕は彼女の部屋に入れてもらった。
ただ、一つだけ純然たる事実を告げるなら、本当に僕はそのときお腹が痛かったのだ。
トイレを借りたらすぐに帰るつもりだった。
しかし、おそらくは心の何処かでは賽を転がしていたのかもしれない。どんな目が出るのだろうと期待をしながら。
トイレから出た僕に彼女は、「なぁ、少し飲んでく?梅酒とカップヌードルがあんねん」と、嬉しそうに、その奇妙なコンビネーションをすすめた。まるでそれらが抜群の相性を誇るワインとアペタイザーかのように。
それは、僕に「ねえ、シャブリと生牡蠣があるのよ・・・」みたいな感じに響いた。
僕はいうまでもなく嬉しかった。
バレンタインデーに好きな女の子から電話がかかってきて、公園に誘われたみたいに嬉しかった。
小学一年生のときに、そんなことがあった。
そして僕は浮かれていたのか、緊張してたのか、もらったチョコレートを公園のベンチに置き忘れて帰宅し、母親にこっぴどく叱られた記憶がある。
僕らは梅酒で軽く酔っぱらい、カップヌードルを豪快に音をたてて啜った。
そして僕はその晩、彼女のフラットに泊まることにした。
彼女の誘いに甘い淫靡な響きはなかったように思う。
しかし、彼女は一緒にベッドで寝ようといい、シャワーを浴びている。僕は彼女の恋人のTシャツを着て、ベッドに身体を横たえている。
さて、一体どうしたものか・・・。
彼女を抱くのか?しかし、それはあんまりじゃあないか?恋人の男には少しばかり残酷な気がするし、僕にはとても早急な気がする。
うーむ、と軽く唸り、身体の向きを変えたとき、視界の端でフワフワしたそれが動いた。
始めは巨大なテディ・ベアでも倒れてきたのだと思った。しかし、それは着ぐるみのあの男だった。
「なんだ君か・・・。ところで、いきなり質問なんだけど、それは一体なんの動物なんだい?」
「ポッサムだよ。一昨日、公園で会ったじゃないか」
ああ、ポッサム。
ポッサムというのは、オーストラリアやニュージーランドで広く生息している狸のような動物で、僕もつい先日、仕事帰りに間近でお目にかかることができた。
野性動物としては警戒心が足りていないような、もたついた動きと愛らしい表情に好感がもてた。
「それで、どうかしたのかい?なぜここに?」
「君が迷っているからさ。好きな女の子の部屋に二人っきりでいるってのに、とんだ腰ぬけだね、君は」
「草食動物のくせに随分と肉食なことをいうもんだね」
僕は皮肉のつもりでそう言ってやった。僕には僕のやり方や生き方があるのだ。彼にそんなことを言われる覚えはない。
すると、ポッサムは小馬鹿にしたように笑った。
「僕らは雑食さ。山猫のように獲物を追いかけ回すことはなくても、もし栗鼠が片足を引き摺って現れたら、躊躇せず襲いかかるよ。
君はいつも良い子ぶってるよ。そして恵まれていて余裕があるんだね。僕らの毛皮ってね、高値で売れるんだよ。僕らは捕まったら皮を剥がれる。だから君が想像するより、必死で戦い、生きているのさ。
それだけを言いにきたんだよ。そろそろ帰るよ。彼女がドライヤーで髪をとかし終わる頃だ。どうか手遅れになりませんように。気づいた頃にはもう遅い。捕まって皮を生きたまま剥がされる。そして激痛が永遠に続くのさ」
ポッサムが窓から出ていくのと、彼女がバスルームのドアを開けるのは、ほぼ同時だった。
「どうかしたん?梅酒、飲み過ぎたん?」
窓を睨みながら、凍ったような・・・あるいは解凍されかけているような僕の表情を見て彼女が訊いた。
「ねえ・・・」
「セックスしようか」
気がつくと僕は彼女にそう言っていた。
もしかしたら、僕はその後に、「シャブリと生牡蠣があるからさ・・・」と続けるべきだったのかもしれない。
0
あなたにおすすめの小説
橘若頭と怖がり姫
真木
恋愛
八歳の希乃は、母を救うために極道・橘家の門を叩き、「大人になったら自分のすべてを差し出す」と約束する。
その言葉を受け取った橘家の若頭・司は、希乃を保護し、慈しみ、外界から遠ざけて育ててきた。
高校生になった希乃は、虚弱体質で寝込んでばかり。思いつめて、今まで養ってもらったお金を返そうと夜の街に向かうが、そこに司が現れて……。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
17歳男子高生と32歳主婦の境界線
MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。
「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる