上 下
14 / 33

第十三話

しおりを挟む
 昇格試験に関する詳しい内容をイサリアから説明されたヒロキではあったが、心構え以外については特別な準備や訓練を必要とするわけではなかった。何しろ地下迷宮の探索は挑戦するミーレ達の魔法を始めとする総合的な能力を確かめる実地試験だ。
 魔法を使えない彼としては荷物持ちやアドバイス等の直接魔法に関わらない分野での協力しか出来ない。このような立場であったので、イサリアがヒロキに頼んだのは試験までの健康維持と、可能な限りベリゼート帝国の風俗や習慣に慣れることぐらいだ。
 翌日から彼はイサリアに誘われるままに魔法とは関係のない講義を受けるといった地味な学院生活を送ることになった。

「こんにちわ、イサリアとヒロキ君。どう学院に慣れてきた?」
 そんな生活が四日目になろうとする頃、歴史の講義を終えたヒロキは、席を立って移動を開始しようとしたところでクロリスに話し掛けられる。いつもはエリザと行動を共にすることが多い彼女だが、受ける講義を個人で選択出来るのが〝鷹の学院〟の教育方針なので不思議はない。
 エリザは歴史よりも他の分野に力を注いでいるということなのだろう。もちろん、ヒロキがこの世界の歴史に特別な関心があるというわけでもない。前述の理由で魔法の才能を全く持たない彼が少しでも理解出来る講義の一つが歴史というだけだ。
「うん、まあまあの調子だよ!」
 クロリスの呼び掛けにヒロキはイサリアよりも先に答える。彼女とエリザとはイサリアとの縁もあって何かと接することが多い。ヒロキも彼女達をクラスメート的な立場と見做すようになっていた。
 たった一人で異世界の真っただ中に放り込まれたヒロキだが、持前の若さで日を重ねるごとに学院での生活に適応していた。もちろんこれは召喚者であるイサリアの手厚い便宜があったからこそだが、もう一つの要因としてベリゼート帝国の文明水準が現代日本と比べて大きな差がないことにあった。

 魔法という日本では考えらない技術をエネルギーの要にしているが、料理や衛生観念、個人財産の尊重等の基本とする価値観は共通していた。唯一、政治体系は日本と大きく異なっており、帝国は民主主義国家ではなかったが、〝鷹の学院〟でも優秀ならば、生まれが貴族や有力部族でなくとも出世の門が開かれているように、才能次第では皇帝直属の高官に取り立てられる等の下から上に上がる階層間の流動性を備えている。
 基本は封建制度を元にしているが、新しい血を随時採用するシステムを持っているのが、ベリゼート帝国の特徴だった。おそらく貴族達の完全な専横が許された社会ではヒロキも慣れることが出来なかっただろうし、帝国もここまで発展することはなかったに違いない。

「本当?後ろから見ていたけど退屈そうに見えたよ!」
「ええ、見られていたの!」
 クロリスの言葉にヒロキは苦笑を浮かべる。彼女の指摘どおり先程までの歴史の講義は彼にとっては退屈な内容でしかなかったからだ。
 講義の内容はこの国で数百年前に起った人体の精神に影響を及ぼす魔法の開発と、それによって引き起こされた社会的混乱についてだったのだが、異世界の人間であるヒロキとしては対岸の火事というよりは、地球の裏の南米辺りで起った火事のようなものである。
 この国と世界に与えた影響は大きいのであろうが、あまり積極的にその背景を知ろうとは思えなかったのだ。それでも、礼儀として真面目に講義を受けるフリをしていたのだが、後ろから見れば彼の注意力が散漫であったのが丸見えだったのだろう。
「ヒロキをこの講義を誘ったのは私だ。彼は帝国に組み込まれて間もない部族の出身だからな。帝国の歴史に親身になれないのは仕方ないことだ。同じ三階の個室を使ってはいるが、ヒロキは短期留学のお情けで個室を与えられたに過ぎない。私やクロリスと一緒にしてはいかんぞ!」
「もう、イサリアは直ぐに酷いこと言うんだから!」
 イサリアの言葉にクロリスは窘めるように反応する。彼女は平民出身ながら〝鷹の学院〟に入学が許可されただけでなく、優秀生としても認められた才能ある人物だ。魔法力ではイサリアが抜きん出ているようだが、真面目で争いを好まない性格は正に優秀生といった印象を持たせた。
 もっとも第三者には嫌味の強い冗談に聞こえるイサリアの言葉も、ヒロキにとってはありがたいフォローである。毒舌を交えてヒロキの正体を勘付かれる可能性の芽を早めに摘み取ってくれたのだ。
「そう言えば、ヒロキ君はスエン族の出身だったね。それじゃ仕方ないか・・・ごめんね」
「いや、大丈夫。気にしないで」
「ありがとう。・・・それでイサリアにちょっとした相談があるのだけれど聞いてくれるかな?」
「・・・どうしたのだ、改まって?」
 ヒロキの許しを得ると本題とばかりにクロリスは改めってイサリアに告げる。その真剣な態度にイサリアも表情を変えて先を促した。
「うん、エリザのことなんだけどね。最近、怒りっぽいの・・・最初はミゴールへの昇格試験が迫っているからそれで緊張しているじゃないかと思っていたのだけど、どうやらエリザの実家であるバルゲン家で何かが起っているようなの。イサリアのリゼート家とバルゲン家はライバル関係にあるけど、あなたなら何かしらの情報を知っているんじゃないかなって思って・・・」
「・・・それは」
 クロリスの告白を受けたイサリアは周囲に視線を送ると声を濁らせる。いつもは小柄な体格とは思えないほど堂々としている彼女だが、他のミーレ達の存在が気になるようだった。
「・・・心当たりはあるが、ここで話すには少々やぶさかではない内容だ。場所を変えて話そう・・・ヒロキも付いてきてくれ!」
 イサリアはそう告げると教室から出るために出入り口へと向かう。許可を得たことでヒロキはクロリスとともに頷くとその後に続いた。イサリアはエリザについて何か心当たりがあるに違いなかった。

「どこまで信憑性があるかは定かではないのだが・・・、エリザのバルゲン家が次代の後継者を早めに発表するのではかという噂話が出ているそうだ。これまでの慣習からしてバルゲン家は当主を決めるのに、いつも揉めていたからな。今回は面倒を早めに解決しようとしているのかもしれない。まあ、一度決めると結束する変わった一族なのだが・・・。おっと、話が逸れたな。まあ、そのようなことがあってエリザも気が立っているのではないか?もっともこれは、水面下のやり取りで流れている不確定な情報に過ぎない。同じ五大公家出身の私なら何か知っていると睨んだクロリスの判断は正しいが、事実だとしても当主選びはその家の問題だ。部外者が口を出すようなものではない。そっとしておくのが良いだろう。この話もここだけにしてくれ・・・」
 中央棟の屋上テラスにヒロキとクロリスを連れて来たイサリアは、クロリスの質問に対して自分の持つ情報と見解を告げた。以前は陽の光に満ちていたテラスだったが、今日は生憎の曇り空だ。もっともそのためか利用する人影は彼ら三人のみである。内密の話をするのに調度よい環境だった。
「そっか、そういうことだったのね!私・・・知らず知らずの内にエリザを怒らせてしまったのかと思って心配していたのだけど・・・そういうことなら無理に不機嫌の理由を問いたりせずに、そっとしておくのが良いみたいね」
「うむ、それが最善だ・・・」
「ありがとう、イサリア!私も胸の支えが取れた気分になれたわ!さっそくだけど不調なエリザの代わりに試験に備えて魔法の調整に入るわね。相談に乗ってくれて本当にありがとう!」
 イサリアの説明にクロリスは笑顔を見せて納得したように頷いた。どうやら彼女は親友の様子を案ずるともに、その原因が自分にあったのではないかと心配していたようだ。
 確定した事実でないにしてもエリザの機嫌を煩わしている原因が知れたことで安堵したのだろう。礼を告げると思いついたようにイサリアとヒロキの前から去って行った。

「うお、何をする!変なことをして驚かすな!」
「なんか、ぼんやりしていたからさ。俺達も・・・ちょっと早いけど昼食としようよ」
 クロリスを見送るイサリアの肩をヒロキは不意打ちのように軽く指で突いた。彼女とクロリスは友人関係にあるが、クロリスが昇格試験のパートナーに選んだのはエリザだ。
 この事実についてイサリアは何も語ることはないが、クロリスを見送った彼女の寂しそうな表情を見るに複雑な思いを抱いていると想像出来る。ヒロキはそんなイサリアを自分なりに元気付けたのだ。
「本当にヒロキは食欲が旺盛だな!まあ、少し早いが昼食にしようか」
「うん、そうしよう!」
 いつもの調子を取り戻したイサリアの笑顔にヒロキも口角を崩す。彼女はこの世界に自分を召喚した張本人で日本に戻してもらう契約の履行者でもあるのだが、今ではそれらの前提を越えた大切な存在になりつつあった。
 頑固で傲慢だが、心根はそこまで捻くれていないはずのイサリアが自分に屈託のない笑顔を見せてくれる。それは彼にとっては心が満たされる出来事になっていた。
 このようにしてヒロキはミゴール昇格試験までイサリアと充実した日々を過ごしたのだった。
しおりを挟む

処理中です...