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第二十六話

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「・・・誰だ!」
 イサリアとの口づけの瞬間に胸を焦がしていたヒロキは、彼女が上げた険しい声に反応して目を見開いた。期待が外れた失意と憮然の思いが胸に込み上げるが、演技とは思えない緊張した声と自分を抱き締めるイサリアの腕によってそれどころでないことを知る。
 急いで目を開けたヒロキの目にマントを纏った人影の姿が映った。光源の加減とフードを目深く被っているので顔は見えない。特別に大きい体格ではないが、直立不動のままこちらを黙って見つめる姿は不気味でもあり不遜でもあった。
「クロリスの仲間か?!」
 続けて発せられたイサリアの問いにヒロキは、先程のクロリスとの会話の中で彼女が〝私達〟という言葉を使っていたことを思い出した。今更ではあったが、共犯者や仲間の存在に留意すべきだったと後悔する。
 これはヒロキにとっては危機を脱した昂揚感によって失念していた事実であり、イサリアにとってはクロリスの協力者が近くには存在しないであろうと思い込んだ希望的観測による甘さだった。
 もっとも、謎の人物は彼が目を閉じた数秒の間に姿を現している。なにかしら魔法を使ったのは間違いない。警戒をしていたところで接近は防げなかっただろう。

 新たな敵に対抗するためにイサリアは急いで立ち上がろうとするが、よろめく彼女をヒロキは倒れる寸前で受け止めねばならなかった。彼に膝を貸していたイサリアだが、その本人も咄嗟には立てないほど消耗していたのだ。満身創痍とも言える二人だったが、それでもお互いを支え合いながら辛うじて立ち上がる。
 絶好の攻撃機会のはずだったが、フードの人物は彼らを無視するかのように床に転がるクロリスへと歩み寄っていた。
「どうする気だ?!」
 喘ぐイサリアの代わりを務めるようにヒロキは謎の人物に問い掛ける。だが、その者はなおも二人を無視してクロリスの身体を助け起こして肩に担いだ。
 クロリスが女性とは言え、人間一人を抱き起すのは大変な重労働と思われるが、その人物は軽々と熟す。見た目以上に力があるのか、こういった荒事に慣れているに違いなかった。
「・・・駄目だ」
「・・・く!」
 魔法の詠唱を開始しようとするイサリアを、ヒロキは抱き締めるようにして止める。イサリアは彼が支えることによって、ようやく立てる状態だ。そんな彼女が魔法を使うのは命を削るにも等しいだろう。
 それに謎の人物がクロリスを連れ去ろうとしていることは明らかだが、現在の時点では明確な攻撃の意志を示していない。今はギリギリまで様子を見るべきだと判断する。もちろん、最悪の場合に備えて〝離脱〟を込めた水晶球に手を伸ばすことも忘れない。
 肩に担ぐクロリスのバランスを整えた謎の人物は、一度だけ二人に視線を送るとマントの下に手を入れる。杖を取り出すと思ったのだろう、イサリアは緊張を強くして身構えるが、フードの人物はヒロキ達が持つ例の水晶とまったく同じ透明な結晶を懐から出現させる。そしてそれを使い、現れたと同じように彼らを無視して、この場から忽然と姿を消したのだった。
「みすみす逃がしてしまった・・・」
 その場に尻もちを付くようにしゃがんだイサリアは、謎の人物とクロリスが姿を消した虚空を見つめながら悔しさを隠させないとばかりに言葉を漏らす。
「でも、下手に手を出していたら俺達はどうなっていたか・・・」
「うむ、そのとおりだな・・・ヒロキが止めてくれなかったら今頃はどうなっていたか・・・今日は二回も助けられてしまったな」
「まあ、いざとなったらこっちも水晶を使うつもりでもいたけどね。いずれにしてもさっきの奴が冷静で良かったよ。こっちの状態を見越して手を出せないと判断したんだろうな・・・」
 イサリアに引き摺られるように腰を床に落としたヒロキは彼女の抱擁を受けると、照れ隠しも込めてフードの人物について問い掛けた。
「うむ・・・冷静になって考えれば・・・敵ながら妥当な判断だ。エリザが脱出した時点で計画は破綻している。その状況で私達を殺害したとしても、リゼートとバルゲンが決定的な対立になることはない。むしろ・・・私を殺せば、バルゲンはリゼートに借りを持つことになる。エリザを助けた私が命を落としたのだからな。それは皇帝への復帰を願うルキノス派にとっては不都合なことだ。そしてクロリスが口を割れば帝国内に残るルキノス派の全容が明らかになる可能性がある。あの者にとってはクロリスの回収こそが最優先課題だったのだ。そして、ヒロキの指摘どおり私達が疲弊しているのも知っていた・・・」
「抜け目がないね・・・」
「まったくその通りだ。おそらくはあの者が事件の黒幕に違いない。・・・そして残念なことだが、学院の関係者である可能性も高い。だから、一切口を開かなかったのだ」
「やはりそうか・・」
 耳元で語られたイサリアの見解にヒロキも同意を示す。これまで帝国内の力関係には無関係であったが、イサリアを通じて巻き込まれたことで、彼にとっても切実な問題となっている。
 クロリスが引き起こそうとしていた危機の重さを考慮すれば、ルキノス派は小さな組織であるはずがない。他にも学院内に潜りこんでいると疑うのが自然だ。
「うむ、だが、もうその話はあとにしよう。私達だけでは手の余る問題だからな。ルキノス派については学院長や皇帝が何かしらの手を打つはずだ。だから、今しばらくはこうしていよう・・・」
「ああ・・・」
 耳元に囁かれるイサリアの言葉にヒロキは昂揚感を持って頷いた。それを合図にしたように二人は三度目の正直とばかりお互いの顔を至近距離から見つめ合う。淡い光に映えるイサリアの長い睫毛が閉じられたことで、ヒロキはいよいよ最後の数センチの距離を詰めようとした。
 だが、まさにその瞬間、二人の耳に自分達を呼ぶ思われる声と岩盤を伝わる複数の人間が立てる足音に辺りに響く。報告に戻ったエリザが援軍とも言える導師達を連れて来たに違いなかった。二人は溜息を吐くと、相応しい状態にしようと慌ただしく動き始めるのだった。
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