眠れる勇者99九回目で

ネム・サブロウ

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一部

二部第5話神隠しの街・カエリオン

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コケコッコー。

遠くで鳴く鶏の声が、薄暗い部屋に染み込む。
音は一度きりではなく、少し間を置いてもう一度響いた。
静かな空気の中で、その余韻だけがやけに長く残る。
湿り気を帯びた朝の空気が、ゆっくりと肺に入ってきた。
夜の冷えがまだわずかに残っていて、吐く息がかすかに白く揺れる。
窓から差し込む淡い光が、床をなぞるように広がり、部屋の輪郭を浮かび上がらせていく。
影だった家具が、少しずつ形を取り戻していく時間だった。

シュン「……んっ、朝か」

低く息を吐き、シュンは気だるそうに布団から体を起こす。
寝起き特有の重さが肩に残り、軽く首を回すと、骨が小さく鳴った。
一瞬、外の音に耳を澄まし、それから隣へと視線を向ける。

隣では三郎が、腹の底から響くような豪快ないびきをかきながら爆睡していた。
口は半開き、掛け布団は完全に蹴飛ばされ、足先が無防備に露出している。
寝返りを打つたび、床がかすかに揺れた。
まるで小さな地鳴りのように、一定のリズムで振動が伝わってくる。

シュンはしばらくその様子を眺め、わずかに苦笑してから、静かに三郎の肩へ手を伸ばした。
起こすべきか、もう少し放っておくべきか。ほんの一瞬だけ迷う。

シュン「三郎さん、起きてください」

軽く揺する。
だが反応は鈍い。

三郎「……まって……あと五分……」

眠気全開の声。
布団の中でもぞもぞと動き、顔を枕に押し付けるようにして抵抗する。

次の瞬間。
三郎の背筋を、冷たいものが一気に駆け上がった。

理由は分からない。
だが、身体が本能的に「危険」を察知した。
心臓が一拍、空白を作る。
空気が重くなった気がした。

シュン「三郎さん。起きましょうか」

穏やかな声。
だが、ゆっくりと目を開けた三郎の視界に映ったのは――
笑顔なのに、目がまったく笑っていないシュンだった。
その視線だけが、妙に鋭い。

三郎「おはようございます!!」

反射的に飛び起きる。
心臓が一拍遅れて激しく脈打ち、背中に冷や汗が滲んだ。



身支度を整え、二人は階段を降りてリビングへ向かう。
木製の床が、朝の静けさの中で小さく軋み、足音が妙に響いた。

グリム夫妻に顔を向ける。

グリムの妻「おはよう。朝ごはん、食べていく?」

柔らかな声とともに、温かい匂いが鼻をくすぐる。
焼き立てのパンと、煮込みの香りだ。

三郎「食べます!!」

即答だった。
椅子を引く音が、やけに大きく聞こえる。

シュン「僕もお願いします」

グリムの妻「ふふ、わかりました。すぐ用意しますね」

その優しい微笑みに、二人の肩から自然と力が抜けた。
張り詰めていた緊張が、朝の空気に溶けていくのを感じる。
湯気の立つ皿が並ぶだけで、不思議と胸の奥が温まる。

三郎は勢いよくパンにかぶりつき、
シュンは静かにスープを口に運ぶ。
対照的な二人の様子に、グリムの妻が小さく笑った。



朝食を終え、二人はグリムの工房へ向かった。

金属の匂いと、かすかに残る熱気。
壁には武器や防具が整然と並び、刃の一つ一つが鈍く光っている。
長年の仕事の痕跡が、空間そのものに染み付いていた。
無数の打痕、削り跡、煤の色。ここで積み重ねられた時間が、静かに語っている。

グリム「おっ、来たか! いいのが揃ってるぞ!」

三郎「うぉお……! カッケェ!!」

思わず声が漏れ、足が勝手に前へ出る。

グリムは三郎に、一振りの両刃剣と、赤く淡く光る鎧を差し出した。
光を受けて、表面が静かに反射する。

グリム「三郎くんの剣だ。
それと……君に似合いそうな装備をな」

三郎は剣を握り、その重さと感触を確かめるように、慎重に構えた。

三郎「これにする!!」

迷いは一切なかった。

グリム「シュンくん。君の剣と鎧も、ちゃんと磨いておいた」

シュン「ありがとうございます」

短く頭を下げる。

グリム「短い付き合いだったが、楽しかったよ。
さぁ、最後に朝飯でも食おう」

三人は再びリビングへ戻り、グリムの妻と共に食卓を囲んだ。
何気ない会話が続く中、その一つ一つが胸に残っていく。
笑い声が、いつもより少しだけ長く続いた。

食後、二人は揃って深く頭を下げる。
言葉に、自然と重みが乗った。
それが最後になるかもしれない、とは誰も口にしない。

三郎「本当にありがとうございました!」

シュン「お世話になりました」

そのまま二人は、セラノス国王のもとへ向かった。



そこには、すでに出立の準備を整えたマルセルの姿があった。
鎧は装着され、馬は静かに地面を踏みしめている。

マルセル「おぉ! 二人とも、いい感じになったじゃないか」

三郎「マルセルさん! 稽古は――」

マルセル「それなんだがな……」

一瞬だけ、表情が曇る。

マルセル「魔王討伐の最前線へ行け、って命令が出た」
マルセル「稽古をつけてやりたかったが、すまん」

三郎「……カエリオンに行くんですか?」

マルセル「いや。
俺が派遣されるのは“カンプス・プラエリイ”だ」

シュン「大規模戦闘区域……ですね」

マルセル「あぁ。王国軍が正面で当たり、
冒険者たちがカエリオン側から攻める形になる」

マルセル「じゃあ、俺は行く。
武運を祈る」

マルセルは馬に跨り、振り返ることなく走り去った。
蹄の音と土煙が、ゆっくりと遠ざかっていく。
背中は迷いなく、朝日に照らされていた。

三郎は、その姿が見えなくなるまで目で追った。
胸の奥に、言葉にならない何かが残る。



三郎「……シュン。俺たちも行くか」

シュン「えぇ。カエリオンへ」

二人は短く視線を交わし、無言で歩き出した。

道中、何度も魔物と遭遇し、その度に剣を抜く。
息が荒くなり、腕に疲労が溜まる。
それでも足は止まらなかった。
刃がぶつかるたび、金属音が乾いた空に響く。
血の匂いが風に混じり、すぐに消えていく。

そして――。

視界に映る景色は、どこか荒れ果て、静まり返っている。
窓は閉ざされ、通りには人影がない。風が砂埃を巻き上げるだけだった。

三郎「さすが、魔王に一番近い街だな……」

シュン「街と言っても……今のところ、人の気配がありません」

その時。
背後から、乾いた足音が近づいてきた。

二人は瞬時に振り返る。

男「お二人さん。
こんな危険な場所で、何をしてるんですか?」

三郎「……あんた、誰だ?」

男「私は、このカエリオンの住人です」

三郎「びっくりした……魔物か魔人しかいないと思ってた」

男「それも無理はありません。
ここは、人間より魔物や魔人の方が多い」
男「私たちは……実質、人質なんです」

シュン「……そうですか」

男「申し遅れました。
私の名はカリストです」

三郎「僕たちは魔王討伐に来ました!」
三郎「必ず、守ります!」

カリスト「……任せていいんですか?」
カリスト「私の家族は、魔族に殺されたんです」

シュン「僕たちが、仇を討ちます」

三郎「だから……報告、待っててください」

カリストは唇を噛みしめ、やがて涙をこぼした。
堪えていたものが、一気に溢れ出したように。
背中が、小さく震えている。

カリスト「……お願いします!」



カリスト「……あ、待ってください!」

二人は足を止める。

カリストは一度、周囲を見回した。
崩れかけた家屋。閉ざされた窓。人の気配のない通り。
風が吹き抜け、砂埃が足元をかすめていく。

声を潜める。

カリスト「お役に立つか分かりませんが……
“神隠し”について、お話しします」

その言葉を口にした瞬間、空気がわずかに変わった気がした。
ただの噂話ではない。
この街に住む者なら、誰もが一度は耳にする名だ。

三郎「教えてください!」

カリストは喉を鳴らし、ゆっくりと息を吸い込む。
言うべきかどうか、迷っているようだった。

カリスト「これは、僕が生まれるずっと前……
百年以上前の話です」

カリスト「この街に、一人の男が来た」

カリスト「その男は魔王城へ向かい……
二度と戻らなかった」

一陣の風が吹き抜ける。
どこかで扉が軋んだ。

シュン「その後に、神隠しが?」

カリスト「はい。
彼の失踪の直後から、冒険者たちが消え始めたそうです」

カリストは拳を握る。

カリスト「戦って死んだわけでもない。
遺体が見つかったわけでもない。
ただ……いなくなった」

その言葉の余白だけが不自然に長く残り、説明も証拠もなく人が消えるという事実そのものよりも、何も分からないまま語り継がれてきた時間のほうがよほど重く、この街に住む者たちの胸の奥に澱のように沈み続けてきたのだと、三郎ははっきりとした根拠もないままに感じていたし、その得体の知れない空白こそが噂を噂のまま終わらせず、今もなお人の足を鈍らせ、言葉を濁らせているのだという感覚が、ゆっくりと背筋を冷やしていくのを覚えていた。

シュン「その男について、何か情報は?」

カリスト「何も……
当時を生きていた人間は、もう誰もいない。
真実かどうかも分からない……
だから“神隠し”と呼ばれているんです」

言い終えた後も、しばらく誰も口を開かなかった。
街の静寂だけが、やけに重く感じられる。

三郎「……貴重な話、ありがとうございます」

二人は深く礼をし、再び歩き出した。

その先――
魔王城へと続く道を、静かに、しかし確かに見据えながら。
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