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33.幼い気持ちのままであれば
しおりを挟む夏季休暇に入ってすぐに、アラステアはラトリッジ領へ向かった。コートネイ領とは異なり、ラトリッジ領は王都と近い。
ラトリッジ侯爵家の家格だけでなく、領地のある場所も第三王子の婿入り先としては望ましかったのだろう。領地へ向かう魔導車の中で、アラステアはそのようなことを考えていた。
アラステアとクリスティアンの縁組は、王家にとってもラトリッジ侯爵家にとっても非常に好ましいものだ。
しかし、『コイレボ』の件が落着すれば二人は婚約を解消して、クリスティアンは本当に好きな人と結ばれるのだ。アラステアには、これほど好条件の婚約を解消するのは難しいように見えるが、クリスティアンはそれほどのことだとは思っていないようだ。むしろ、状況を楽しんでいるかのように見える。
「きっと、寂しいだろうな……」
クリスティアンと離れる日を思うと、胸の中がなぜかつきんと痛むような気がする。
アラステアも、クリスティアンとの婚約が解消されれば新たな婚約相手を探さなければならないのだ。
黄金色に染まった小麦畑を車窓から眺めながら、アラステアはため息を吐いた。
「おお、初めて挨拶に来られた時には頼りない坊ちゃんだと思っておりましたが、半年ほどでしっかりされましたなあ」
「ふふ、本当に頼りないと思われていたのですね」
満面の笑みを浮かべながら話しかけてくるラトリッジ領地の食品加工委員会のグルテン会長に、アラステアは訓練された美しい微笑を浮かべてそう答えた。
「わしの孫で跡取りなのだから、当たり前だろう」
「ははっ、侯爵閣下のおっしゃる通りですな。たいした成長ぶりに、良い意味で驚いておりますよ」
ラトリッジの領地は、小麦などの農作物と酪農が主産業であるが、近年は食品加工も手掛けるようになっている。コートネイ商会との結びつきにより、加工食品を国内のみならず国外へも流通させることが容易になったからである。
祖父と同じ年頃のグルテン会長は、農業委員会の会長を長らく勤めている。祖父との付き合いは、加工食品を作る実験のために小さな加工場を建設したときからで、食品加工に詳しい貧乏子爵家の次男坊だったグルテン会長を、祖父が加工場の責任者に抜擢したのだ。
アラステアから見た祖父とグルテン会長は、志を同じくする仲間のようだ。
アラステアが初めてグルテン会長に会った時には、「ははっ、まだひよっこでいらっしゃいますな」と笑われたのだ。
グルテン会長に悪意はなかったのだろう。祖父と同じぐらいの年齢と経験を持つグルテン会長からはそう見えても仕方がない。しかし、それまで甘やかされてきたアラステアにとって、その発言は衝撃であった。
当時は、ラトリッジ侯爵家の嫡子になると決まったばかりで、まだ覚悟も知識もなにもない子どもだったのだと今であればアラステアにもわかる。グルテン会長から見たアラステアは、さぞかし頼りない子どもに見えただろう。
コートネイの領地に帰ってから、ジョナサンとジェラルドにグルテン会長の発言を伝えたことで、侯爵になる者としての心構えを祖父から学ぶようにと諭され、領主になるための勉強を始めることになったのは、アラステアにとっては僥倖であった。
「成長したと思っていただけたことを嬉しく思います。これからもラトリッジの発展のために勉強しますので、協力してください」
アラステアはグルテン会長にそんな話をするとともに、夏季休暇の期間に婚約者を伴って再び訪れると約束をした。
「そのようなことがあったのです」
「なるほどね。では、グルテン会長はアラステアが成長するためのきっかけを作ってくれたということだ」
「はい」
アラステアは、領地を訪れてくれたクリスティアンにグルテン会長との会話と為人を話した。
強面だが、優しい人であること。厳しいことを言うが、それは仕事で必要なことだからであること。そして、加工食品工場の運営が引継ぎの時期であることなどを。
「わたしもラトリッジの発展のために勉強しなければね」
そう言ってアラステアの手を握って微笑むクリスティアンに、アラステアは戸惑いを覚えた。
いつか解消される婚約のために、クリスティアンがラトリッジのことを勉強する必要があるのだろうかと。
ラトリッジ侯爵領特産のさくらんぼ菓子を味わいながら農作物について語るクリスティアンの赤い瞳を、アラステアはただ見つめていた。
クリスティアンはアラステアの話を聞いた後で、『コイレボ』のアリーと現実のアラステアの行動の違いについて考えていた。
『コイレボ』のアリーは、現実のアラステアよりかなり子どもっぽい行動をしていた。もしかしたら、学院に入学する前にラトリッジの嫡子になっていなければ、アラステアは物語ほどではないにしろ、かなり幼い人物だったのではないだろうか。
ジェラルドが卒業後すぐにコートネイの跡継ぎになることを主張しなければ、アラステアは幼いままだったのだろう。
クリスティアンは、そう思った。
物語の中で悪役令息が主人公に対して行う嫌がらせの内容を聞いたアラステアが、「そのように幼稚なことを僕たちがするのですか」という言葉を心外そうに漏らしていたことを思い出す。
そして、入学式の日のアラステアは、ラトリッジの嫡子であるからこそ、ステイシー伯爵家のエリオットからの侮辱を許してはいけないと考えたのだろう。
しかし、コートネイ伯爵家の次男のまま、幼い気持ちのままのアラステアであったならば、嫌がらせの内容はともかく、学院に入学した後も幼馴染だからという理由でエリオット・ステイシーに執着していたのかもしれない。
小さな子どものように。
『コイレボ』は単純化した物語であったから、嫌がらせは幼稚で断罪は残酷だった。クリスティアンは、それは物語だからだと考えていたのだが、登場人物の精神年齢が幼いと考えればあり得るのではないかと考えを改める。
それが現実世界であっても、起こりうるのではないのかと。
現に主人公ノエルの行動は、非常に幼稚である。
「この件については、ジェラルド・コートネイの行動が、『コイレボ』の流れを大きく変えているといえるのだな。これがどう転ぶのか」
ジェラルドの一連の行動には、アルフレッドからの働きかけによる影響が大きく作用していることだろう。そう考えると、似て非なる世界ではなく、自分のせいで物語の世界が変容したと考えることもできるかもしれない。
クリスティアンは、様々な可能性を考えながら、ラトリッジ侯爵家が持つ領館の客間で眠りにつく。
「幼子のようなアラステアにも会ってみたかったな……」
そんな呟きを漏らしながら。
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