攻略対象の婚約者でなくても悪役令息であるというのは有効ですか

中屋沙鳥

文字の大きさ
86 / 90

86.次のハッピーエンド

しおりを挟む


◇◇◇◇◇

「まずーい……」

 パンを齧ったノエルは、その可愛らしい顔を歪めた。
 最近、運ばれてくる食事がまずくなったとノエルは思っていた。今日のパンも固くてパサパサしている。それに、何か臭う。
 以前は、高級なバターの香りがする柔らかいパンが出ていたのに、最近は固くて臭いパンしか出てこない。それに、パンに添えられていたジャムやバターもなくなった。白身魚のフリットや子牛のカツレツというような油を多く使った料理もなくなり、鶏をスープ煮にしたような料理や名も知らぬ魚のソテーのような料理ばかりが出されるようになっている。量も減った。
 ノエルは、幼い頃は裕福ではなかったので、料理については我慢できた。しかし、酪農が盛んなオネスト王国では、貧しい者が食べるパンでもバターが使われた美味しいものだったのだ。もともとファクツ皇国でとれる小麦の質が悪いため、オネスト王国よりもパンの味が落ちるのが当たり前だ。そのうえ、バターも使っていない固いパンであれば、ノエルにとってはまずいに決まっている。

「最近、ごはんがまずくなっただけじゃなくて、石鹸や香油も上等のものはもらえなくなってるよね。もう、僕はヘンリーに飽きられちゃったのかな?」

 実際のところは、ファクツ皇国全体が貧しくなっていて、ものがなくなっているのだ。香油などのぜいたく品をノエルに与えているのだから、ヘンリーにすればできるだけのことはしているつもりなのだろう。しかし、離宮に閉じ込められた状態のノエルには、そのようなことはわからない。

 やがてヘンリーがノエルの元を訪れることがなくなり、身の回りの世話をする者が侍女から慣れないメイドに変わる。ノエルは、ヘンリーに捨てられるのが時間の問題であるのだと考えるようになっていった。

「これは本格的にここから出ることを考えないとだめだよね」

 ノエルがベッドに座って足をぶらぶらと振ると、足元でしゃらしゃらと鎖が音を立てた。


 その年のファクツの皇都は大寒波に襲われた後、春が来ているというのにいまだ寒い日が続いていた。ファクツ皇国内には、冬を超える程度の燃料はあっても、それからも暖をとることができるほどの蓄えはなくなっていた。そして、春の寒さにより、当面の食糧としてあてにしていた野菜などの農作物の収穫量も振るわない。
 そう、皇都の民だけでなく、皇国に暮らす多くの市民が生きるための蓄えが、底を尽きそうになっていた。
 ファクツ皇国はもともと貴族の力が強く、更にその中でもアルファが全てを牛耳っていて貧富の差が激しい。国の豊かさが損なわれると、庶民の生活が大きな打撃をこうむる体制の国である。
 食糧も燃料も尽きようとしている今、民の不満が爆発するのは、時間の問題であろう。


「今日は晴れてるし、ちょうどいいよね」

 ノエルはそう呟くと、ヘンリーから送られた宝石や金細工を袋に詰め込んで体に巻き付けた。そして、なるべく地味な衣服を身につけてから、オネスト王国からここへやってきたときに着ていたローブを羽織る。

「思い出のローブだから置いておきたいって言ってよかったよ」

 男爵令息だった頃のローブは程よく地味で、くたびれている。これならば、ひっそりと城外へ出ていくことができるだろう。

「こんな鎖が外れないわけないよね。僕は主人公なんだから」

 ノエルは、ベッドの上に放り出された鎖を持ち上げて、壁に放り投げた。主を失った鎖はかしゃりと音を立てて床に落ちる。もう自由を犠牲にしてまでノエルがヘンリーから得たいものはない。

「僕を満足させられないぐらい貧乏になった攻略対象はもういらないよね」

 ヘンリーがどうなるのか、ノエルは知らない。しかし、離宮の中の荒れ果てた様子を見れば、ファクツ皇族の懐具合は知れたものだと思った。自由のない貧乏暮しは御免だし、どんな目にあわされるかわからないのだから、逃げた方が良いとノエルはここでの生活に見切りをつけた。

「バイバイ、ヘンリー。最初は楽しかったよ。僕はこれからも幸せになるから心配しないで」

 とりあえずの『コイレボ』のハッピーエンドは終わったのだから、ノエルは次のハッピーエンドを目指して行動する。
 ノエルは荒れて人気のなくなった離宮から使用人の出入り口を通り、やすやすと皇城の外へと出て行った。


◇◇◇◇◇


「ファクツ皇国で革命が起きた」
「予測通りですね」

 王太子の執務室内にある応接室で発されたアルフレッドの言葉に、クリスティアンは頷いた。人払いはしてある。
 ファクツ皇国で起きた革命の指導者は、皇帝の従兄弟であるマールブルグ辺境伯だ。辺境伯とともに辺境伯領の精鋭部隊が皇城に攻め入り、あっさりと皇帝をその座から引きずり降ろした。
 不満の溜まっていた皇国民は、マールブルグ辺境伯の行動を諸手を挙げて受け入れたのだ。
 かつての皇族は全て裁判にかけられ、罪状が決められる。昔なら皇帝がその座から降ろされれば極刑であっただろうが、現代社会では微妙なところである。しかし生涯、自由な立場になることはないだろう。
 今後マールブルグ辺境伯は、ファクツ皇国を立憲君主制の国にするつもりであるらしい。革命の着地点がどうなるかというのは不確定要素ではあるけれど。

「後は、どのあたりで新政府と交渉を始めるかだな」
「コートネイ商会が既に食い込んでいますから、その辺りの見極めは大丈夫でしょう」
「……ジェラルド・コートネイは、やはり惜しかったな」

 コートネイ商会はファクツ皇国での取引停止となった時点で、マールブルグ辺境伯領とだけ第三国経由の取引をしていた。当然、政治状況を見極めてのことである。もちろん、ジェラルドが直接マールブルグ辺境伯に皇室を打倒するようにと唆したことなど一切ない。
 そのような迂闊なことをするようなジェラルドではないのだから。

「ジェラルドは、わたしがアラステアと仲良くしている間は、こちらの益になるよう行動してくれるでしょう」
「では、一生安泰だな」

 クリスティアンの言葉にアルフレッドは笑顔を向ける。クリスティアンはアラステアと番になったのだ。そうでなくても、二人は愛し合い、信頼し合っている。美しい弟を溺愛しているジェラルドは、アラステアの幸せのためなら協力してくれることだろう。

「ところで、ヘンリー皇子の処遇はどうなるでしょうね」

 笑顔から真顔になったクリスティアンは、アラステアを侮辱した皇子のことを口にした。



しおりを挟む
感想 76

あなたにおすすめの小説

5回も婚約破棄されたんで、もう関わりたくありません

くるむ
BL
進化により男も子を産め、同性婚が当たり前となった世界で、 ノエル・モンゴメリー侯爵令息はルーク・クラーク公爵令息と婚約するが、本命の伯爵令嬢を諦められないからと破棄をされてしまう。その後辛い日々を送り若くして死んでしまうが、なぜかいつも婚約破棄をされる朝に巻き戻ってしまう。しかも5回も。 だが6回目に巻き戻った時、婚約破棄当時ではなく、ルークと婚約する前まで巻き戻っていた。 今度こそ、自分が不幸になる切っ掛けとなるルークに近づかないようにと決意するノエルだが……。

悪役令息に転生したので婚約破棄を受け入れます

藍沢真啓/庚あき
BL
BLゲームの世界に転生してしまったキルシェ・セントリア公爵子息は、物語のクライマックスといえる断罪劇で逆転を狙うことにした。 それは長い時間をかけて、隠し攻略対象者や、婚約者だった第二王子ダグラスの兄であるアレクサンドリアを仲間にひきれることにした。 それでバッドエンドは逃れたはずだった。だが、キルシェに訪れたのは物語になかった展開で…… 4/2の春庭にて頒布する「悪役令息溺愛アンソロジー」の告知のために書き下ろした悪役令息ものです。

婚約破棄で悪役令嬢を辞めたので、今日から素で生きます。

黒猫かの
恋愛
「エリー・オルブライト! 貴様との婚約を破棄する!」 豪華絢爛な夜会で、ウィルフレッド王子から突きつけられた非情な宣告。 しかし、公爵令嬢エリーの心境は……「よっしゃあ! やっと喋れるわ!!」だった。

義理の家族に虐げられている伯爵令息ですが、気にしてないので平気です。王子にも興味はありません。

竜鳴躍
BL
性格の悪い傲慢な王太子のどこが素敵なのか分かりません。王妃なんて一番めんどくさいポジションだと思います。僕は一応伯爵令息ですが、子どもの頃に両親が亡くなって叔父家族が伯爵家を相続したので、居候のようなものです。 あれこれめんどくさいです。 学校も身づくろいも適当でいいんです。僕は、僕の才能を使いたい人のために使います。 冴えない取り柄もないと思っていた主人公が、実は…。 主人公は虐げる人の知らないところで輝いています。 全てを知って後悔するのは…。 ☆2022年6月29日 BL 1位ありがとうございます!一瞬でも嬉しいです! ☆2,022年7月7日 実は子どもが主人公の話を始めてます。 囚われの親指王子が瀕死の騎士を助けたら、王子さまでした。https://www.alphapolis.co.jp/novel/355043923/237646317

転生したら同性の婚約者に毛嫌いされていた俺の話

鳴海
BL
前世を思い出した俺には、驚くことに同性の婚約者がいた。 この世界では同性同士での恋愛や結婚は普通に認められていて、なんと出産だってできるという。 俺は婚約者に毛嫌いされているけれど、それは前世を思い出す前の俺の性格が最悪だったからだ。 我儘で傲慢な俺は、学園でも嫌われ者。 そんな主人公が前世を思い出したことで自分の行動を反省し、行動を改め、友達を作り、婚約者とも仲直りして愛されて幸せになるまでの話。

巻き戻りした悪役令息は最愛の人から離れて生きていく

藍沢真啓/庚あき
BL
11月にアンダルシュノベルズ様から出版されます! 婚約者ユリウスから断罪をされたアリステルは、ボロボロになった状態で廃教会で命を終えた……はずだった。 目覚めた時はユリウスと婚約したばかりの頃で、それならばとアリステルは自らユリウスと距離を置くことに決める。だが、なぜかユリウスはアリステルに構うようになり…… 巻き戻りから人生をやり直す悪役令息の物語。 【感想のお返事について】 感想をくださりありがとうございます。 執筆を最優先させていただきますので、お返事についてはご容赦願います。 大切に読ませていただいてます。執筆の活力になっていますので、今後も感想いただければ幸いです。 他サイトでも公開中

悪役令息(Ω)に転生したので、破滅を避けてスローライフを目指します。だけどなぜか最強騎士団長(α)の運命の番に認定され、溺愛ルートに突入!

水凪しおん
BL
貧乏男爵家の三男リヒトには秘密があった。 それは、自分が乙女ゲームの「悪役令息」であり、現代日本から転生してきたという記憶だ。 家は没落寸前、自身の立場は断罪エンドへまっしぐら。 そんな破滅フラグを回避するため、前世の知識を活かして領地改革に奮闘するリヒトだったが、彼が生まれ持った「Ω」という性は、否応なく運命の渦へと彼を巻き込んでいく。 ある夜会で出会ったのは、氷のように冷徹で、王国最強と謳われる騎士団長のカイ。 誰もが恐れるαの彼に、なぜかリヒトは興味を持たれてしまう。 「関わってはいけない」――そう思えば思うほど、抗いがたいフェロモンと、カイの不器用な優しさがリヒトの心を揺さぶる。 これは、運命に翻弄される悪役令息が、最強騎士団長の激重な愛に包まれ、やがて国をも動かす存在へと成り上がっていく、甘くて刺激的な溺愛ラブストーリー。

[離婚宣告]平凡オメガは結婚式当日にアルファから離婚されたのに反撃できません

月歌(ツキウタ)
BL
結婚式の当日に平凡オメガはアルファから離婚を切り出された。お色直しの衣装係がアルファの運命の番だったから、離婚してくれって酷くない? ☆表紙絵 AIピカソとAIイラストメーカーで作成しました。

処理中です...