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86.次のハッピーエンド
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「まずーい……」
パンを齧ったノエルは、その可愛らしい顔を歪めた。
最近、運ばれてくる食事がまずくなったとノエルは思っていた。今日のパンも固くてパサパサしている。それに、何か臭う。
以前は、高級なバターの香りがする柔らかいパンが出ていたのに、最近は固くて臭いパンしか出てこない。それに、パンに添えられていたジャムやバターもなくなった。白身魚のフリットや子牛のカツレツというような油を多く使った料理もなくなり、鶏をスープ煮にしたような料理や名も知らぬ魚のソテーのような料理ばかりが出されるようになっている。量も減った。
ノエルは、幼い頃は裕福ではなかったので、料理については我慢できた。しかし、酪農が盛んなオネスト王国では、貧しい者が食べるパンでもバターが使われた美味しいものだったのだ。もともとファクツ皇国でとれる小麦の質が悪いため、オネスト王国よりもパンの味が落ちるのが当たり前だ。そのうえ、バターも使っていない固いパンであれば、ノエルにとってはまずいに決まっている。
「最近、ごはんがまずくなっただけじゃなくて、石鹸や香油も上等のものはもらえなくなってるよね。もう、僕はヘンリーに飽きられちゃったのかな?」
実際のところは、ファクツ皇国全体が貧しくなっていて、ものがなくなっているのだ。香油などのぜいたく品をノエルに与えているのだから、ヘンリーにすればできるだけのことはしているつもりなのだろう。しかし、離宮に閉じ込められた状態のノエルには、そのようなことはわからない。
やがてヘンリーがノエルの元を訪れることがなくなり、身の回りの世話をする者が侍女から慣れないメイドに変わる。ノエルは、ヘンリーに捨てられるのが時間の問題であるのだと考えるようになっていった。
「これは本格的にここから出ることを考えないとだめだよね」
ノエルがベッドに座って足をぶらぶらと振ると、足元でしゃらしゃらと鎖が音を立てた。
その年のファクツの皇都は大寒波に襲われた後、春が来ているというのにいまだ寒い日が続いていた。ファクツ皇国内には、冬を超える程度の燃料はあっても、それからも暖をとることができるほどの蓄えはなくなっていた。そして、春の寒さにより、当面の食糧としてあてにしていた野菜などの農作物の収穫量も振るわない。
そう、皇都の民だけでなく、皇国に暮らす多くの市民が生きるための蓄えが、底を尽きそうになっていた。
ファクツ皇国はもともと貴族の力が強く、更にその中でもアルファが全てを牛耳っていて貧富の差が激しい。国の豊かさが損なわれると、庶民の生活が大きな打撃をこうむる体制の国である。
食糧も燃料も尽きようとしている今、民の不満が爆発するのは、時間の問題であろう。
「今日は晴れてるし、ちょうどいいよね」
ノエルはそう呟くと、ヘンリーから送られた宝石や金細工を袋に詰め込んで体に巻き付けた。そして、なるべく地味な衣服を身につけてから、オネスト王国からここへやってきたときに着ていたローブを羽織る。
「思い出のローブだから置いておきたいって言ってよかったよ」
男爵令息だった頃のローブは程よく地味で、くたびれている。これならば、ひっそりと城外へ出ていくことができるだろう。
「こんな鎖が外れないわけないよね。僕は主人公なんだから」
ノエルは、ベッドの上に放り出された鎖を持ち上げて、壁に放り投げた。主を失った鎖はかしゃりと音を立てて床に落ちる。もう自由を犠牲にしてまでノエルがヘンリーから得たいものはない。
「僕を満足させられないぐらい貧乏になった攻略対象はもういらないよね」
ヘンリーがどうなるのか、ノエルは知らない。しかし、離宮の中の荒れ果てた様子を見れば、ファクツ皇族の懐具合は知れたものだと思った。自由のない貧乏暮しは御免だし、どんな目にあわされるかわからないのだから、逃げた方が良いとノエルはここでの生活に見切りをつけた。
「バイバイ、ヘンリー。最初は楽しかったよ。僕はこれからも幸せになるから心配しないで」
とりあえずの『コイレボ』のハッピーエンドは終わったのだから、ノエルは次のハッピーエンドを目指して行動する。
ノエルは荒れて人気のなくなった離宮から使用人の出入り口を通り、やすやすと皇城の外へと出て行った。
◇◇◇◇◇
「ファクツ皇国で革命が起きた」
「予測通りですね」
王太子の執務室内にある応接室で発されたアルフレッドの言葉に、クリスティアンは頷いた。人払いはしてある。
ファクツ皇国で起きた革命の指導者は、皇帝の従兄弟であるマールブルグ辺境伯だ。辺境伯とともに辺境伯領の精鋭部隊が皇城に攻め入り、あっさりと皇帝をその座から引きずり降ろした。
不満の溜まっていた皇国民は、マールブルグ辺境伯の行動を諸手を挙げて受け入れたのだ。
かつての皇族は全て裁判にかけられ、罪状が決められる。昔なら皇帝がその座から降ろされれば極刑であっただろうが、現代社会では微妙なところである。しかし生涯、自由な立場になることはないだろう。
今後マールブルグ辺境伯は、ファクツ皇国を立憲君主制の国にするつもりであるらしい。革命の着地点がどうなるかというのは不確定要素ではあるけれど。
「後は、どのあたりで新政府と交渉を始めるかだな」
「コートネイ商会が既に食い込んでいますから、その辺りの見極めは大丈夫でしょう」
「……ジェラルド・コートネイは、やはり惜しかったな」
コートネイ商会はファクツ皇国での取引停止となった時点で、マールブルグ辺境伯領とだけ第三国経由の取引をしていた。当然、政治状況を見極めてのことである。もちろん、ジェラルドが直接マールブルグ辺境伯に皇室を打倒するようにと唆したことなど一切ない。
そのような迂闊なことをするようなジェラルドではないのだから。
「ジェラルドは、わたしがアラステアと仲良くしている間は、こちらの益になるよう行動してくれるでしょう」
「では、一生安泰だな」
クリスティアンの言葉にアルフレッドは笑顔を向ける。クリスティアンはアラステアと番になったのだ。そうでなくても、二人は愛し合い、信頼し合っている。美しい弟を溺愛しているジェラルドは、アラステアの幸せのためなら協力してくれることだろう。
「ところで、ヘンリー皇子の処遇はどうなるでしょうね」
笑顔から真顔になったクリスティアンは、アラステアを侮辱した皇子のことを口にした。
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