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42.ラッテ王国の女狐
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フロレルは、暴漢に襲われた翌日は一日ベッドの中にいた。軽い擦り傷ぐらいしかなかったのだが、精神的な負担を考えて休養するよう医師から指示されたためだ。
数日の休日の後も、フロレルはしばらくの間の外出を控えるようにとジョゼフとアントワーヌから言われている。とはいえ、フロレルにとっては、オランジュ教授と古代語についての話ができないことを残念に思う程度のことだ。
「アンヌ、一段落したら休憩しないか? お茶を淹れさせよう」
「ああ、そうだね。フロル」
テーブルに広げた資料を整えながら、フロレルがそう言うと、アントワーヌは笑顔で返事を返し、ペンを置く。そして、アントワーヌはいそいそとフロレルの隣に座ると、その肩にもたれかかるように頭を載せた。フロレルからほのかに香るヴァニラの香りを鼻孔に吸い込みながら、アントワーヌは目を閉じる。
「……ああ、フロレルに癒される」
「アンヌは働きすぎなのではないか? わたくしが外に出られるようになれば、二人で観劇にでも行こう」
「フロル、うれしい……」
アントワーヌはフロレルの言葉を聞いて、その髪にキスをしてから、額にキスをした。
「アンヌ、くすぐったいよ」
「フロル、ねえ唇にキスしていい?」
「……まだ婚約を結んだばかりなのだから、だめだ」
「え、じゃあ、どれぐらいすればキスしてもいい?」
「……」
「ねえ、フロル、いつならいいの?」
アントワーヌは黙ってしまったフロレルを抱きしめながら、耳元で質問を繰り返す。
フロレルは、一緒に執務室にいるのならばと、アントワーヌの仕事を手伝っている。
フロレルとアントワーヌはいずれ伴侶になり、ともにショコラ公爵家を盛り立てていくのだ。これまで古代語と天文の研究だけをする自由が与えられていたのは、アントワーヌが自分を縛り付けまいと気を使ってくれていたのだとフロレルは思っていた。
実際のところは、フロレルが古代語と天文に夢中になっていれば家の中で引きこもっているに違いないとアントワーヌが考えたからである。
愛しいオメガを囲い込みたいアルファの気持ちは、フロレルにはよくわからない。
フロレルは、アントワーヌはショコラ公爵家の継嗣になってから大人っぽくなったと思っていた。そう、アントワーヌは遠くに行ってしまったのだと。
しかし、婚約が結ばれてからは、幼い頃に戻ってしまったように感じていた。近頃では、その度合いがひどいので困惑している。
そう、大学院での事件以降、アントワーヌがフロレルに自分の目の届く場所で過ごすことを望み、側から離れなくなってしまったのだ。
そのうえ、アントワーヌの言うところの婚約者らしい振る舞いを求められている。
以前にアルファの婚約者がいたといっても、フロレルはシャルルにはエスコートとダンスぐらいしか触れられたことはなかったのだから。
「わたしの心の準備ができてから……」
戸惑うフロレルは、やっと喉の奥からその言葉を絞り出した。
この後、早く心の準備ができるようにとアントワーヌが張り切ることを、フロレルは予想してはいなかった。
フロレルとアントワーヌが休憩を終えた頃、二人はジョゼフに呼び出された。
「フロレルを襲撃した黒幕が確定した」
執務室のソファに座ったフロレルとアントワーヌに、ジョゼフがいつものような笑みを浮かべてそう告げた。
誰がこの事件を起こしたかったかなど、ショコラ公爵家の立場であれば容易に予想がついた。いや、国王や宰相もフロレルが襲われたという時点でまず頭に浮かんだのは彼女だ。
そう、北の離宮にいる王妃である。
ラッテ王国から王妃に付き添ってきた侍女の立場であったマヤが計画したということで、フロレルとオランジュ教授との関係性や大学院の警備体制を把握した上での襲撃だったということがわかった。
大学院の清掃員として潜り込んだ破落戸は、警備員がオランジュ教授の研究室の近くに来ないようにあらかじめ清掃中の札を巧みに使用していた。破落戸を雇ったのは、マヤの恋人であった下級騎士だ。腕の良い襲撃者を選ぶことができなかったのは、軍資金の多くを自分の懐に入れたからのようである。亡命できると破落戸には伝えたが、下級騎士は彼らと一緒に行動する気はなく、襲撃が起きた時点では既に国境付近まで移動していた。国境の町で恋人であるマヤを待っていたのだ。
そして、マヤとともに国境の街でシュクレ王国の警察に確保された。
マヤが北の離宮を無事に抜け出せたのは、泳がされていたからだ。警戒厳重な北の離宮から、たとえ侍女一人といえど、逃れられるわけはない。
「侍女は我が国の警察に確保されなければ、ラッテ王国に消されていたでしょうね」
「そうだな。ラッテの諜報員が国境の街にいたことは確認している。先手を打てて良かった」
アントワーヌの問いに、ジョゼフは薄く微笑みながら言葉を返した。
マヤは、王妃に命じられて全てのことを計画したと証言した。王妃の命令に自分は逆らえるわけはないと。
「それで王妃殿下は、自分の罪を認めているのでしょうか?」
「認めるわけはないだろう?」
「まあ、予想通りですね」
ジョゼフの返答にフロレルはため息を吐いた。
フロレルは、王妃の要求でシャルルの婚約者になった。厳しい教育にも耐えて、シャルルの役に立つように振舞ってきたのにどうしてこれほどに憎まれるのか全く理解できない。
フロレルがオメガであるということだけを理由に蔑んでも良いと王妃は考えていた。しかし、有能であったためにその蔑みは憎しみに変わった。
もしもフロレルがもっと劣った能力を持っている令息であれば、蔑みを露わにして虐待していたことだろう。
いずれにしてもフロレルは、シャルルの婚約者に選ばれた時点で王妃の生贄であったのだ。
王命によりフロレルをシャルルの婚約者にすることには逆らえなかったが、王妃の生贄にすることまでは、ジョゼフが許さなかった。
それにより、王妃の欲求不満は積み重なっていたのであろうが、そのように程度の低い欲求にショコラ公爵家が答える必要はないだろう。
「ラッテ王国の女狐が自分の関与を認めなくても、今回は許されないでしょう。それで、女狐の処分はどうなるのですか?」
重苦しくなった空気の中、アントワーヌが王妃の今後の処遇について、ジョゼフに問うた。
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