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45.いつの間にか消える
帰りの馬車の中でもフロレルは胸が痛むような感覚から逃れられなかった。自分の感覚を扱いかねたフロレルは、黙って車窓から外を眺める。日暮れまではまだ時間がある王都市街は人が溢れ、活気に満ちている。
フロレルはその人混みの中に、自分の身を置きたいような気持になっていた。
「フロル、せっかく外出したのに仕事の話なんかしてしまってごめんね……」
「いや、アントワーヌのせいじゃないよ。気にしなくてよい」
アントワーヌの切なげな声での謝罪に、フロレルは素っ気なく応じた。アントワーヌはフロレルの手を握り、その肩に頭を摺り寄せる。ふわりと立ち上るアントワーヌの香りを感じて、フロレルは目を伏せた。
いつもなら、アントワーヌの手を撫でてやるところなのだが、今のフロレルはそんな簡単なことができずにいた。フロレルは、自分の胸の内に沸いた、わけのわからない不快な感情に囚われていたのだ。
屋敷に帰るまでの馬車の中で、アントワーヌはフロレルに身を摺り寄せたまま離れなかったが、フロレルはただ車窓から外を眺めていた。フロレルは、アントワーヌが不安気に自分の表情を窺っているのはわかっていたが、いつものように振舞うことができなかったのだ。
「パネはアントワーヌ様に恋慕の情を抱いていたようでしたから、フロレル様に恨みを持ったのかもしれませんが」
「許さない」
ロジェからパネがフロレルに対する暴言を吐いていたとの報告を聞いたアントワーヌは、その秀麗な顔から表情を消した。
カフェから帰る馬車の中で、フロレルはずっと沈んだ様子だった。パネの無礼な態度に怒っているのだとアントワーヌは思っていたのだが、そうではないのだろう。
ロジェの報告から、パネがフロレルに対して悪意があったから、あのような態度を取ったのだという確信をアントワーヌは持った。
自分の愛するオメガを貶められたアルファの怒りには凄まじいものがあると、ロジェは知っている。パネはただでは済まないだろう。
独り言でフロレルを貶めただけならば、内容が差別的であったことを勘案しても上層部からの厳重注意処分だけだったかもしれない。しかし、その前に客として訪れているアントワーヌに、執拗に話しかけ、フロレルを無視しようとする挙動が皆に見られているのだ。
フロレルに不快な感情を抱かせるなど、許されることではない。
そして、ショコラ公爵家の従者がまだいる空間で暴言を吐いたのだから、ただで済むはずはない。
アントワーヌは、速やかに行動した。
人間が他者に悪意を持つことはおかしなことではない。そして、気に入らない人間に対する愚痴を言ったり、或いは悪し様に言ったりすることもあるだろう。しかし、その悪意を誰にでも垂れ流すというのは愚かな人間の行動である。
カフェは、不特定多数の人間が出入りする場所だ。
そのような場所での発言に十分な注意を払えない人間を雇用していても問題はないのだろうか。
ましてやそのカフェは、貴族や富裕層の平民を対象にした場所だ。高位貴族の令息を明らかに貶める発言をする人間をマネージャーにしていても良いのか。
経営者はそれをどう思うのだろうか。
アントワーヌは、自分が思うことをカフェの経営者に伝えただけだ。出資者としては、カフェの運営に良くない影響がある事態を観測したのだから、注意喚起をするのは当然のことである。
結果的に、パネは異動になった。
カフェの経営者が慈善事業として進めている貧しい高齢者向けのカフェのサービス要員になったのだ。経営者はパネに、「本当のサービスというのはどのようなものか学んでほしい」という要望を出していた。
それは経営者がパネに恩情をかけたのだといえるだろう。解雇したわけでも、閑職に追いやったわけでもない。再教育を施そうと考えたのだから。
その時点では甘い処分だとアントワーヌは思っていたが、行く末の想像がついたため口は出さずにいた。
「どうして、流行のカフェのマネージメントができるわたしが、こんなくたびれた年寄り相手の仕事をしなければならないのよっ!」
プライドが高く偏見の強いパネは、高齢者向けの慈善事業でサービスを提供する立場になることに我慢ができなかった。
自分はマネジメントする才能があるのに、それを発揮できないのはおかしいと。
高齢者に笑顔でサービスをする他の従業員と比べて、パネの対応の悪さは際立っていた。
儲けにつながらないサービスを提供するのは勿体ないと発言し、高齢者に不愛想に応じるパネは、他の従業員からも不評だった。
慈善事業が自社の儲けにつながるという経済の巡りもわからないのだと思われていた。
それは、経営者からは聞いていたはずだが、パネは忘れてしまったのだろう。そしてカフェの従業員は、誰もパネには教えてくれなかった。
サービスを軽視する者が、サービスを提供するカフェのマネジメントをすることはできないだろう。
パネは結局、サービスを提供するということがどのようなことかを理解できなかったのだ。
憤って退職届を叩きつけたパネであったが、再就職は叶わない。誰がショコラ公爵家を怒らせたものを雇うというのか。
パネはいつの間にか王都から姿を消した。
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