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26.怖かった
しおりを挟む「ここで僕が、本心をお話ししてもよろしいのでしょうか……?」
「ああ、かまわない。俺がルネの本心を聞きたいのだ。何を言っても俺が守ってやる」
シャルルは、ルネの不安を打ち消すように彼を守る言葉を口にして、いつものように愛おしそうな眼差しを向けた。それは、学園の卒業生からは見慣れたものであるが、臨席している保護者や来賓たちにすれば初めて目にする光景だ。
一部で噂になっていた『第一王子は婚約者を蔑ろにして子爵令息を寵愛している』という噂は真実であったのだと、それを見たみなは判断した。
再び俯いたルネだが、暫しの後に上げた顔には決意の表情が見て取れた。そして、毅然とした様子をで話を始めたのだ。
「僕……、僕は、他人から可哀想だなどと言われるなんて恥ずかしいことだと思っています……」
「そうだろうルネ! フロレルはひどいことを言う奴だ!」
「……でも、可哀想だと言ってくれる人がいたというだけで、救われたような気持ちになりました」
「ルネ……?」
「シャルル殿下。畏れながら、ルネは殿下だけに話をしているわけではありませんので、相槌は心の中でお願いいたします」
ルネの言葉に都度都度反応するシャルルに対して、カミュが落ち着いた様子で苦言を呈した。その言葉に目を泳がせたシャルルは、アントワーヌとジャックにも頷かれて慌てて口を噤む。
「シュクレ王立学園に転入して来てすぐに、畏れ多くも第一王子殿下とお知り合いになりました。それと同時に、僕は他のみな様と仲良くなる機会を失ってしまったのです」
ルネはシャルルと廊下で鉢合わせをして知り合いになってから、王族と高位貴族のアルファに囲まれたオメガとして、なんとなく敬遠されるようになった。そして、夏季休暇前の試験のときにシャルルがルネを庇護していると言わんばかりの態度を学園内で示したことで、本格的に周囲から距離を取られるようになってしまったのだ。
それからのルネは、学友と連絡事項や簡単な会話をすることはあっても、親しい関係を築くことはできなかった。私物が隠されたり壊されたりしたこともあったようだが、それはすぐに収まった。そして、そのような被害よりも、特別扱いによる孤独感の方がルネには辛いことだったのだ。
また、ときには、王族を誑かしたとして謗られたり、アルファのお手付きになったオメガとして蔑まれたりしたこともあったという。
シャルルに『寵愛されている』と見做されることによって受ける精神的な苦痛は、決して小さなことではなかった。
「お名前で呼ばせていただきます。アントワーヌ様とカミュ様、ジャック様は、僕が害されないように何かとお気にかけてくださいました。学習の手助けもしてくださって、良い成績を修めることもできました。そのことには、感謝しています。だけど僕は……、下位貴族という立場に見合った学園生活を送りたかった……」
ルネはそう言うと、ぽろぽろと涙を零した。
ルネにとっては、シャルルの寵愛など迷惑でしかなかった。
ましてやシャルルに心を預けていたなどと思われていたとなれば、ルネにとっては怖気が立つものでしかない。
「ルネ……、ルネ……、嘘だろう? 俺のことを慕ってくれていたんじゃないのか? いつも誘えば喜んでくれたし、笑顔を見せてくれていたじゃないか……」
「第一王子殿下、下位貴族が王子殿下に逆らうことなどできません。自分の感情を表に出すことも……できません……」
シャルルの呼びかけに、再び拒絶するようなルネの言葉が返される。それに衝撃を受けて青褪めたシャルルがルネに手を伸ばそうとすると、ジャックがその邪魔をするかのように二人の間に体を割り込ませた。
シャルルには、その光景に既視感があった。
シャルルがルネとの距離を縮めようとすると、必ず誰かが邪魔をする。最初はみながルネに懸想しているのかと思ったが、そのような雰囲気でもないのでシャルルは不思議に思っていた。
それは、シャルルに過剰に近づかれることをルネが望んでいないと、側近たちにはわかっていたからなのだ。
「第一王子殿下、オメガにとっては、好きでもないアルファから行動を制限されるというのはとても怖いことなのですよ。だからわたくしはボンボン子爵令息を可哀想……、失礼、ボンボン子爵令息は、不本意な状況に置かれていると思っていたのです。そのような方を害するなどと、わたくしには想像もできません。ましてや貴方は王族のアルファだ。下位貴族のオメガでは貴方に抗うことが難しいとわかっているからフロマージュ侯爵令息やガレット伯爵令息、そしてわたくしの義弟は貴方の行動がエスカレートしないように配慮していたのではありませんか?」
フロレルの言葉に大きく頷いたルネは、アントワーヌが手渡してくれたハンカチで涙を拭いながら絞り出すように声を発した。
「フロレル様のおっしゃる通りです。僕は怖かった。僕、この学園に来て、第一王子殿下に出会ってからずっと、ずっと毎日怖かったんです。でも、それも今日で、このパーティーで終わりだと思って、静かに過ごすつもりでした……。それなのに……」
「ルネ……、ルネ……」
ルネの言葉を聞いたシャルルは、その名を呼びながら項垂れた。
シャルルはこの場でフロレルに婚約破棄を宣言して断罪し、ルネに愛を告白する予定だった。
それは予定通りにいかなかった。
それどころか、シャルルは自分がルネに怖いと思われていたということに、完全に打ちのめされていた。
とんだ喜劇である。
しかし、この喜劇はそれでは終わらない。
「シャルル! この場を任せたというのにどういうことなの! 早くフロレルの罪を暴いてしまうのではなかったの?」
「母上……、もともと証拠がなくて、動機もなくなってしまったのです……」
王妃の金切り声を聞いたシャルルは、何とか気力を振り絞って、それに応えた。しかし、王妃はその高貴な身に不釣り合いなほど顔を歪めてシャルルを罵った。
「本当にお前は情けない子ね。だから、ショコラ公爵家の後ろ盾をつけてあげたのに、子爵家のオメガなんかに夢中になってしまって。ああもう、そのオメガも邪魔ね!」
「母上……、何をおっしゃるのですか!」
「手ぬるい方法を使わないで、さっさと殺してしまえば良かったわ……」
シャルルの叫びに王妃は更に顔を歪め、最後には小さく自分の後悔の言葉を漏らした。それは小さなものではあったが、周囲のいくばくかの人間には拾える程度のものであった。
「殺してしまえば……?」「え、王妃殿下は何をおっしゃられている」「先ほど激高されていたのはやはり」「何と言ってらっしゃるのだ」「殺してしまえばと……」「……!」
王妃の呟きが聞こえた者はそれを周囲に確認した。それによりその内容は、会場の中を駆け巡ることとなったのだ。
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