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4-2.何処に向かって駒鳥は行くの?
しおりを挟む次の日には宮を移ろうかという夕刻。荷物をまとめ終わったジーンが、夕餉の準備をするよう侍女に指示を出していた。
俺の魔道具の工具は、俺が持ち運ぶよう鞄にまとめた。
今の宮で過ごす最後の日。穏やかな宵のはずだった。
宮の外が騒がしい。そう思ったのは、夕餉の準備がなかなか整わないと思い始めたころのことだった。
尋常ではない様子なので、近衛騎士の一人に様子を見に行くよう指示を出した。その直後のことだ。
王宮ではめったに聞くことのない、大きな足音。扉が開かれる、大きな音。
扉の方を見ると、常にチェスターの護衛についている近衛騎士エディが、宮に駆け込んできたところだった。亜麻色の髪に薄青い瞳の美丈夫の顔色が悪い。
「失礼いたします。許可もなく立ち入りましたこと、お許しください。サルビア殿下、マグワイア帝国の軍勢が、王都に攻め込んできましたので、すぐにお逃げください! 殿下のことはわたしが護衛するよう、チェスター殿下から命令を受けております」
「……マグワイア軍はもう王宮まで来ているの?」
「いえ、今は市街地に迫っていると、聞き及んでおります」
「市街地だったら南門から突入してくるのかな。では、逃げる時間があるね。ジーン、外出許可証を出して」
ついにこんな日が来たのか。リバーバンクと王都の距離を考えれば、予想できないことではなかっただろう。少なくとも軍の幹部にとっては。
現実感が湧かないまま急いで外出許可証にサインをし、下賜する宝飾品とともにその場に残っていた侍女に渡していく。エディがこの部屋に入って来た時点で逃げ出した者には、何も渡せないけれど、仕方がない。
「危険なのに残ってくれてありがとう。もう必要ないかもしれないが、外出許可証を持って北門から出ると良い。全力で逃げてくれ。宝飾品は餞別だ。売れば当座の生活費にはなるだろう。
至らない王子の世話をしてくれたことに感謝する。これでお別れだ」
「サルビア殿下!」「殿下!」
泣き出す侍女もいたけれど、そんな暇はないのだ。王宮勤めの者は、王族が許可をしなければ逃げることすらできない。王族の側に侍る者ほど、そういう教育をされているのだ。今、残っているような者の背中は、俺が押してやらねばならない。
侍女を急いで宮から追い出して、次は俺が逃げなければならない。王宮を枕に討ち死にするなんて御免被る。
「エディ、待たせて済まなかった。すぐに逃げよう。ジーンはどうする」
「いえ、侍女を逃がしてくださって感謝します。騎士も戦いやすくなります」
「わたしはいつもサルビア殿下とともに」
ジーンの声にかぶさるように、空気を振動させる大きな破裂音が連続して聞こえてきた。方角から考えて、市街に面した南門のあたりだろう。王宮の北側に位置する俺の宮からはまだ少し離れているものの、王宮に攻め込んでこられては落ちるのは時間の問題だ。
「あの音は……、王宮が攻められているのだな」
「サルビア殿下、早く行きましょう」
俺の宮の近衛騎士は王宮での戦闘に行くという命令が出されたようで、この宮にいるのはジーンとエディだけだ。俺のことは、守らなくていいということなのだろう。目の前にいるエディだけが頼りだ。
「こちらに、王宮の外に出る道がありますから」
ジーンが俺を衣裳部屋に連れて行き、大鏡の横にある飾りをねじって引き抜いてからひっくり返し中へ押し込むと、鏡が扉のように開いた。原始的な構造である。魔道具ではないのか。
鏡は、衣裳部屋からは元通りに見えるようジーンが飾りを再び填め込んでから、閉めこんだ。
地下に降りていく階段があって、その先に道が続いている。人が両手を広げたら壁に触れるぐらいの幅で、想像より歩きやすい。壁面には火を灯して使うランプがある。かなり古いものだ。あれを使うと、通路の空気がなくなってしまうのではないだろうか。通風孔がどこかにあるのだろうか。
ジーンが前に、次に俺が、後ろにエディが続く。俺が持ってきた魔道具のランプの灯りが頼りだ。用意がいいとジーンは言っていたが、褒められている気はしなかった。
「ジーン、どうしてこんな抜け道を知っているのだ」
「チェスター殿下から、いざという時に使えということで教えられました」
「はあ?」
これは本来、宮の主たる王子である俺が知っているべきことではないのだろうか。王宮から逃げる道筋や方法を、いろいろと考えていたのに。悩んでいたことが無駄であったような気になる。
「なぜ、宮の主人の俺が知らないんだよ」
「サルビア殿下に教えたら王宮から逃亡するから、絶対に悟られるなと言われました」
「……くそ」
「サルビア殿下、汚い言葉をお使いになりませんように。お言葉遣いが乱れていますよ」
チェスターはいずれ俺が逃亡を図ると予想していたのか。侮れない男である。
「サルビア殿下、背中に負っていらっしゃる荷物は何でしょうか。わたしが運びましょうか?」
エディが俺の鞄を見とがめるように声をかけてきた。
「いや、不要だ。これは魔道具の工具だから自分で持ち運ぶ」
「ええ…?」
エディは何か言いたげだったが、黙っていた。こんな時に持ってくるものではないと、あきれているのだろう。
しかし、これは俺にとっては、大事なものだ。これさえあれば、俺が王子であるとは誰も思わない……と思う。そのうえ何かあっても、俺はこれで食っていけるのだ。ファルに贈られた鞄は、大きな力を発揮している。
俺たちはその後、何を語るでもなく黙って道を歩いた。
抜け道の出口は、王都の外れの森の中だった。こんな抜け道を、いつ作ったのだろうか。かなり古いもののようだった。
市街の方角は、夜中なのに空が明るい。おそらく大規模に燃えているのだろう。俺が育った王都の魔道具の店には、二度と戻れないのだと思うと悲しくなってきた。王宮に戻れないことは、何とも思わないのに。
「ここからラプター連合王国へお連れします」
森の中を歩きながら、エディがチェスターの命令内容を話す。チェスターの頭の中では、不測の事態に陥ったときには、俺をラプター連合王国に送り込むことになっていたようだ。そのために必要な書類も、エディがチェスターから預かってきたという。
チェスターは、王宮にマグワイア軍が攻め込んでくるところまで予測していたのだろうか。
「王宮はどうなったのだろうか。チェスター殿下は無事かな…」
俺の声に答えることなく、ジーンもエディも黙ったままで森を進んでいく。そんなことは誰も知りようがないのだ。
俺の疑問は宙に浮いたまま、森の空気に溶けていった。
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