中条秀くんの日常

藤野 朔夜

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プロローグ

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「秀、大学に行く気はありませんか?」
  高校生最後の夏を前に、一番上の兄に言われた。
  自分の生まれ育った家から出て、この長兄に付いてきたのは、まだ去年の頃。
  俺は大学へ行く気はなくて、自分たちが持って産まれた力を使っての仕事を、一手に引き受けても良いと思っていた。
「正兄?」
  霊安寺からの依頼と寄付金。自分たちに直接来る依頼。
  それだけで、全員が生活していくには、やはり依頼遂行者が、しっかりいるのが必要だと思ってたから。
  特に、大学で学びたいこともないし。
  だったら、自分の情報収集能力を生かした、情報屋としての仕事も増やせば、もっと楽に皆が生活できていくんじゃないかとも思った。
「私はね、秀。君にはもっと色々な世界を見て欲しいと思っているんだ。あれが学びたい、とかないのかもしれない。けれど、大学で何か秀にとって良い出逢いがあるんじゃないかと、思っているんだよ」
  優しいけれど、威厳のある兄。
  俺は、いつも遠くからしか見ていなかった。
  中条家の総帥になる人物として、兄はいたから。
  反対に、俺は、家族の中でも異端だと、隔離されていた。
  霊安寺に、預けられて……母や父よりも、住職を慕っていた。優しくて、厳しくて。でも、子供らしくいて良いんだと、悪戯なんかを教えてくれたのも住職だった。
  兄のことは、尊敬している。
  早くから、自分の力を見極めて、それこそ総帥にふさわしくあるために、厳しく育てられたはずなのに。
  優しい眼差しは、かわらず俺を見てくれていた。
「でも、俺が大学へ行くのは……」
  既に、すぐ上の兄はアメリカ留学をしている。
  従兄も、大学生だ。
  家が貧しい訳じゃない。どっちかというと、裕福である。
  どこからこんなにお金が入ってくるか、よくはわからないんだけれど。
  多分、俺が大学へ行っても、問題はないんだろう。だから、兄は提案しているのだ。
  俺は、高校生活でも、友人を作らなかった。否、作れなかった。
  自分の力を知られるのが、怖かったから。
  そして、何よりも、人間が恐かった。
  ここにいる、仲間は大丈夫だ。大事な仲間、友人だと思っている。
  でも……人の、人間の体温が恐いだなんて、そんなこと言えやしない。
  兄は、俺に友人を作って欲しいと思っているんだろうけれど。軽いけど、人間不信ともとれる俺のこの、人間への恐怖心、人間の体温への恐怖心を伝えてはいないんだから、仕方ないのかもしれない。
  小さなころから、接点が無さすぎたんだ。尊敬してるし、大事な兄だけど、俺のこんな弱さを見せたくなかった。知られたくなかった。知られて失望されるのが、何よりも怖い。
「可能性、ですよ秀。駄目だ、と思ったら、退学しても良いんです。気楽に考えてください」
  優しい兄の言葉。
  俺に逃げ道も与えてくれる言葉。
  首を、横には振れなかった。


  俺は結局、人間の何が恐いのか考える為に、人間というものを知る為に、心理学科を選んで受験した。
  高校の教師が、もっと良い大学があると、勧めてくれた大学は、とてもじゃないが、家から通えなかったから辞退した。
  今までの高校生活、勉学はまじめにしてきたから、俺の選んだ大学の推薦がもらえてしまった。
  簡単なテストと、面接だけ。論文なんかは必要なし。
  テストは、こんなんで良いのか?っていうくらい簡単すぎて。こんなんじゃ誰も落ちないだろう、とか考えながら受けた。
  面接は、ある程度予想通りの質問で、優等生回答して終わり。
  推薦がもらえたくらいだから、内申点も問題ない。
  まぁ、つまり、見事に合格してしまったので。
  大学生……か。
  ちょっと前までは考えてなかったから、どんな風にすごそうだとか、そんなこと何もなくて。
  こんなんで大丈夫なのか、とも思ったんだけど。
  合格を知らせた時に、兄は嬉しそうに笑ってくれたから。兄が言うように、楽しめたらそれで良いかな、なんて思って。
  確かに、俺の世界は狭いから、広げられる可能性があるならば、経験して、広げていくのも大切かな、とか。
  俺の世界は兄たちと、仲間だけの世界だから。友人もいる世界っていうのが、作れたら良いのかななんて。
  俺の中の人間不信的なものは、きっと無くなりはしない気もしたけれど。
  兄の言う、可能性、信じてみようと、思った。


  明日は大学の入学式。
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