灰色の海で待つ

からり

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 私は遊理の言葉に首を傾げる。
「でもさっき被害者は調査会社で働いていたって」
「別ルートの情報です。警察も一枚岩じゃありませんからね。どこかしら綻びはあるんです。こう見えてぼくは結構顔が広いんで」と得意げに言ったあと、眉を寄せた。
「でも残念ながらそれ以上は探れませんでした。警察内でも箝口令がしかれているみたいです」
 私はデジタルブックの中の“彼”を見つめる。
 復元写真はよくできていた。彼の顔の造りを見事に再現している。でもあの写真にあった静かで優しげな雰囲気はない。人間味の薄い顔が私を見返してくる。
 ……あなたは誰で、なぜ城木さんに監禁されることになったの?
 心の中で問いかける。当たり前だけど答えはない。無表情な彼は自分が誰であるか語りたがっていないようにも思えた。
 ふと疑問がわく。
「この事件概略って、私に見せて大丈夫?」
 秘密保持を厳しく言われているのにいいのだろうか。
「もちろんです。宮池室長の許可も出ています。むしろ見てもらう必要があります」
「どうして」
「だって話が進みませんから」遊理は言った。「今日、ぼくがここに来た用件は二つです。一つは城木が三鬼さんと何を話したかを聞くため。もう一つは荒鐘副室長と警備部の紙谷さんの当日の行動確認をするためです」
「城木さんの件はわかるけど、荒鐘と紙谷さんの行動確認って?そういえば荒鐘の事件を調べ直してるって言ってたけどどうして?城木さんが犯罪者だったから?」
「半分はそうで半分は違います」遊理は大きなため息をついた。
「荒鐘副室長は、室長代理の権限を濫用して、城木をここに入れるのに必要な手続きをいくつかすっ飛ばしているんです。しかも入れるだけならまだしも、アビリティ保有者に会わせてアビリティを使わせた」
 私のことだ。
「正規の手続きを踏んでいれば問題はなかったんですけどね。城木が犯罪者だなんて知りようがないんですから、ここまで責められることはなかった」
「手続きってそんなに大切なの」
「実際のところ、事務手続きの不備なんて後で帳じり合わせることはよくあります。有力者に融通をきかせることもあります。でも相手が犯罪者となると話は別です。副室長もこれで終わりでしょうね」
 同情する様子もなくさらりと言って、遊理はコーヒーを飲んだ。カップが空になった。もう一杯飲むかきくと首を振った。
「今日は家に帰って自分のベッドで眠れそうなんです。コーヒーを飲みすぎると眠りが浅くなって堪能できませんから」
 と疲れた顔で笑って、本題に入りますね、と言った。
「10月25日、城木がこの第三東京研究室を訪れ、庭で三鬼さんにアビリティ使用の指示をしたことはわかっています。その時の写真はこれですね?」
 遊理がデジタルブックを操作して、あの穏やかな表情をした彼の写真を表示させる。テーブル、グラス、店員の後姿。どこかのお店の風景。
 うなずきかけて違和感を覚える。同じ人、同じ場所に見える。でも……
「この写真、どこで手に入れたの?」
「紙谷さんから写真を借りてスキャンしました。まさか違う写真ですか」
「同じだと思うけど」
「けど?」
「わからない。違和感があるけど気のせいかもしれない」
 アビリティを使った時に感じた“棘”のことを思い出す。
「この男性が写っていたことは間違いないですか?」
 私がうなずくと、遊理はほっとした表情をした。
「そこが間違いなければ、とりあえず良しとしましょう」
 多分、これ以上ややこしいことになって家のベッドで眠れなくなるのは困るのだろう。こだわるほどの違和感ではないし、遊理の言う通り重要なのは“彼”が写っているということだ。私は棘を飲み込んだ。
「キャンバスから、彼は消えていましたか?」
「えぇ。消えていた」
「アビリティの使用は、10月25日、城木とあった日に終わりましたか?」
「そう」
「完了したのは何時ごろ?」
「夜の10時50分くらい」
「つまり彼はその時点では亡くなっていたということですね。警察は死亡時刻が絞れて喜ぶかもしれません」
 死亡時刻。頭の奥がうずいた。記憶と思考の糸がからまったその奥。
「ねぇ、遊理」私は考えながら言った。「何で城木さんはわざわざ私に依頼したんだろう?」
「被害者に逃げられたからですよ」遊理は何を今さら、というように言った。「生きていたら色々とまずいじゃないですか」
 なるほどと思ったが、頭の奥のうずきは消えない。遊理ともっと話し合ってみたかったけれど、目の下のクマを見てためらう。
「城木はどんな様子でした?」
「彼は紳士的だった」私は言った。「優しかったし、怪しげなところは少しもなかった。でもとても……寂しそうだった」
 城木の遠くを見るような目と、憂いを帯びた横顔を思い出す。
「何を話したんですか?」
 頭の奥のうずきが強くなり、私は答えをためらった。
「……ただ写真を渡されてアビリティを使うように頼まれただけ。後は世間話を少し」
「世間話ってなんですか」
「タマゴサンドのこととか」
「タマゴサンド?」
「昼食のバスケットにタマゴサンドが入ってて一緒に食べたの。その時、タマゴサンドが好きだって話をした」
「そうですか。タマゴサンドおいしいですよね、ぼくはハムとチーズ派ですが」
 にこりと笑う遊理に、かすかに罪悪感を覚える。嘘は言ってない。城木さんの子供もタマゴサンドを好きだったなんて話は遊理を混乱させるだけだ。
「ほかには何か話しましたか?」
「コローの画集を一緒に見て、絵の話をしたり」
「そうですか」
 デジタルブックでメモをとる遊理を見ながら、そういえば、と思う。
「庭にはたくさん監視カメラがあるのに、なぜ私にわざわざ話の内容を聞くの?音声も残っているでしょう」
「だったらよかったんですけどね」
 遊理は深いため息をついた。
「城木が庭にいる間、監視カメラは切られていました。これも規則違反の一つで、紙谷さんが荒鐘副室長の命令で切っていたんです。ところが副室長は知らないと言いはってて。ほかの違反行為は認めてるのになぜかこれだけは認めないらしいんですよ。そのうち観念して本当のことを言うとは思うんですけどね」
「紙谷さんの話と食い違っているということ?」
「副室長の悪あがきか、紙谷さんが嘘をついているのか。わかりませんね。ただ今のところ、自分の不正をごまかすために副室長が監視カメラを切るように命令した、という見方が強いですね。荒鐘副室長と紙谷さんの人徳の差でしょう」
 “誰が嘘つきか”というリグルの問いかけが頭をよぎる。考えがまとまらないうちに、遊理が話を先に進める。
「当日は、紙谷さんの案内で庭に行き、庭では荒鐘副室長が待っていた、これで間違いないですか?」
「……えぇ」
「夜、紙谷さんがここに来て、キャンバスの結果を確認した」
「……えぇ」
「荒鐘副室長と紙谷さんの証言通りです。よかった。ここで何か違うってなったら、また確認作業で徹夜です。これでようやく家に帰れますよ」
 遊理の嬉しそうな顔に罪悪感を覚えながら、私は聞かずにはいられない。
「ねぇ、遊理、紙谷さんはどうなるの?何か罰を受けるの?」
 うーん、と遊理は首をひねる。「微妙なところですね。城木を荒鐘に紹介しただけで、彼女自身は不正行為はしていませんから」
「監視カメラを切った件は?」
「副室長の命令なら彼女に責任は問えません。ただ今回の不祥事の原因を作ったのは彼女と言えなくもない。宮池室長の判断次第というところでしょうね」
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