灰色の海で待つ

からり

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 窓に灰色の雪が降る。城木さんの髪や髭、もしくは、彼にあった日の空を思い出させる色だった。
 道が一筋伸びて、木々は密集して生い茂っているけど配置は計算されていた。外灯もある。いつの間にか森が公園に変わっていた。公園で彼の遺体が見つかったと聞いたから、私の無意識が窓に影響したのだろう。
 目をそらすようにベッドに入る。とても疲れていた。何も考えず眠りたい。でも考えずにいられない。
『答えはでた?』とリグルが枕の下から這い出てきた。
「ずっと隠れていたの?」
『うん』
「遊理との話、聞いてた?」
『最初から最後までね。口出ししないように我慢するのが大変だったよ』
 リグルは大あくびをして『遊理は相変わらずどっか抜けているよね』
「どういう意味?」
『城木がどうしてカイナに依頼したかって話。写真の彼が生きていたらまずいからって、説得力ないよ』
「そうかな」
『だって生死がわかったから何なの?彼がどこにいるかわかるならまだ意味があるけど』
 あ、と思う。
『DNAという証拠が彼の服や体にべったりついてるんだよ。死人に口なしって訳にはいかないじゃん。実際、ばれてるし。写真の彼に逃げられた時点で城木が取るべき行動は、一刻も早く姿をくらますこと。それだけでしょ』
「じゃぁどうして」
『人間の不合理な行為の理由は、大抵は感情だよ。城木はどうしても彼の生死を確認せずにはいられない感情的な理由があったんだ。わからない?』
 私はだまりこむ。
『ちゃんと筋道をたてて考えれば、城木がカイナを訪ねてきた理由はわかるはずだよ。少なくとも推測はできる』
 寂しげな目、何かを失った人間の喪失感。……拷問。リスクがあっても相手の生き死にを確認せずにはいられない理由……もし私だったら?それはどんな時だろう?
 はっとする。
「城木さんは彼を憎んでいた」
『その通り』リグルが耳元でささやく。『きっと何度殺しても飽き足りないほどの憎しみだろうね』

 午前4時、うつらうつらしていたらドアがノックされた。
 ノックの仕方で誰かはわかった。どうぞ、と言う前にドアが開く。
 紙谷さんが立っていた。
「おはようございます」
 驚きで言葉がでない。思わずリグルを探すが、いなかった。私と紙谷さんはしばらく黙ったまま向かい合う。
「庭に行きましょう」
 紙谷さんの手にはバスケットがあった。

 空はまだ暗く、庭は夜の中にあった。重く湿った空気はひんやりと緑の香りがした。
 私たちは、しばらく無言で庭を歩き続けた。
「ここに座りましょう」
 紙谷さんがベンチの前で立ち止まる。この間、城木さんと座ったベンチだった。
 私たちはバスケットを真ん中にはさんで座る。紙谷さんがバスケットをあける。飲み物のボトルと、ラップにくるまれたサンドイッチが入っていた。
「タマゴサンドです」と渡される。
「ありがとうございます」私はとまどいながら受け取る。
 食欲はなかった。でもサンドイッチはふっくらと柔らかで、タマゴは優しい温かみのある黄色だった。
「やっぱりタマゴサンド」思わずつぶやく。
「別な具材が良かったですか?」
 私は首を振る。
「紙谷さんが庭へ案内してくれる時は、いつもバスケットにタマゴサンドが入ってる気がして」
 紙谷さんは「はい」と生真面目にうなずき
「タマゴサンド、好きですよね?」
 今度は私が「はい」とうなずく。
「なぜ知っているんですか?」
「この庭には無数の監視カメラがあり警備部が管理をしています。アビリティ保有者が散歩する時は、何かあったらすぐに動けるようにモニター前で専任の警備部員が待機しています」
 監視カメラがあるのはわかっていたけど、そこまで見られていたとは思わなかった。リグルが庭に一緒に来なかったのは正解だったかもしれない。
「息抜きのための自由時間に、強固な監視。矛盾していますね。怒りましたか?」
「ううん、少し驚いたけど」
 アビリティ保有者という不確定要素を見張るのは、当然と言えば当然の措置だろう。私の認識が甘かっただけだ。
「でも異常があれば勝手にアラートが上がるので、ほとんど何もすることはありません。庭に出られるのはリスクレベルが低いアビリティ保有者ですし、何か起こったことも一度もありません。警備部の仕事では一番楽で退屈な仕事です。皆、モニターなんかろくに見ない。私もあなた以外のアビリティ保有者の時は本を読んでいます」
「私以外?」
「ある日、たまたま目を上げてモニターを見たらあなたはとても美味しそうにタマゴサンドを食べていました。それ以来私はあなたの庭の散歩の日は、モニターを見るようになりました。他のサンドイッチの時も、あなたはそれなりに食事を楽しんでいる様子でしたが、タマゴサンドの時はバスケットを開けた瞬間、本当に嬉しそうな顔をするんです。まるで小さな子供が欲しかったクリスマスプレゼントをもらった瞬間みたいな顔です。それから、あなたはゆっくり時間をかけてタマゴサンドを食べます。一口一口幸福をかみしめるみたいに」
 顔が赤くなる。食い意地のはった姿を見られていたことが恥ずかしかった。
「庭へのエスコートを担当する警備部員は、調理室に食事をオーダーするのも仕事の一つです。だから私が担当になった時は、必ずタマゴサンドをオーダーしました」
 そういうことだったのか。私は嬉しくなる。
「ありがとう」
「お礼を言われることではありません」
「だって私が好きなものを、わざわざ頼んでくれたんでしょう?」
「というよりは、私が、あなたがタマゴサンドを食べるところを見たかったのです。あなたがタマゴサンドを食べるのを見た後は、私もタマゴサンドを食べずにいられませんでした。何年もずっと食べることができずにいたのに」
 意味がわからず、紙谷さんの横顔を見つめる。紙谷さんの顔がゆっくりとこちらを向いた。いつも鋭い彼女の目が優しい光を放っていた。
「昔、同じようにタマゴサンドを好きだった友達がいました」紙谷さんは言った。「友達、というよりは妹のような存在だったかもしれません。あなたは彼女と雰囲気が似ています」
 タマゴサンドが好きで、雰囲気が私に似ている人。つい最近、同じようなことを聞いた。だけどその人は……。
 紙谷さんは話し続ける。
「私は施設で育って家族というものをしりません。ずっと一人で生きてきました。何度も裏切られ利用され、人間を信じることができずにいました。でも、そのおかげで悪人を見抜くことができたし、身体的にも丈夫だったので警察官になりました。私は怖いもの知らずで、どんな状況でもある程度、冷静でいられました。危険な現場では役に立つ能力です。
 いくつかの犯罪多発区域で警察官として実績を積んだ後、特殊任務を請け負うチームに配属されました。彼女の父親はそのチームのトップでした。そしてある危険なミッションで、私は彼に命を救われました。私はその時、生まれて初めての恐怖を味わい、深いトラウマを負いました」
 先日、紙谷さんが私の部屋を訪れた時、聞かせてくれた話だった。“彼女の父親”が城木さんなのは間違いないだろう。
「しばらく休職することが決まり、上司は自分の家で静養するように言いました。一人でいることはよくないと。
 上司の家は古くて大きくて立派な家でした。玄関で気後れしていると、不意にドアが開きました。天使。一瞬、本気でそう思えるほど優しい笑顔を浮かべた女性が立っていました。彼女は私を日当たりがよくて、清潔なベッドのある部屋に案内してくれました。
 当時、彼女はまだ高校生でした。習い事や勉強で忙しいのに、一日に何度も私の部屋を訪れてくれました。
 不思議な少女でした。あどけないのに大人びていて、全身から柔らかな光を発しているような。一緒にいるとその光が私に移ってきて、心を包んで癒してくれるような……。
 親しくなると、彼女は自分で創った歌を聞かせてくれました。とても美しいメロディと声でした。私は生まれて初めて音楽を聴いて泣きました。限りなく優しく、どんな人間も受け入れ許してくれる。彼女の音楽は彼女そのものでした。
 私は彼女と彼女の音楽のおかげで心の傷を癒し、仕事に復帰できました。
 彼女の父親に命を救われ、彼女に心を救われました。二人は私にとってかけがえのない存在です」
 紙谷さんの目は遠い過去をさまよい愛しんでいた。
 だが不意に表情が冷たくこわばる。
「でも6年前の12月、彼女はいなくなりました」
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