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第三章
3-2☆
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屋敷まで、送ってくれたことのある彼だ。場所を知っていることについては驚くこともなかったけれど。何故、どうして、何をしに。そんな疑問は僅かの間にも数多浮かんだが、よくよく見ればその美しい顔色は蒼褪めて血の気がない。リオの手を取った白い手も、固く冷たく冷え切っている。
あなたが呼び込まなければ、誰も、と。念を押された言葉はリオを躊躇わせたが、それでも彼を凍えさせておくに忍びなかったリオは彼を部屋に招き入れ、窓を閉めた。
(あ、でも、服装が)
にわかに男物の寝間着姿の自分が気になったリオは、軽く羽織っていた薄掛けをきっちり巻き付け直すことで気休め程度に気持ちを落ち着けた。多少の透け感が否めないそれは、リオの真実を完全には隠してくれないだろうけれど。彼なら、寝支度を済ませている淑女――と、堂々と言うには気が引けるが――を、不躾に眺めまわすようなことはしないだろう。
ひとまず少しでも暖かい所にと手を引いて、いつかのように、二人並んで寝台に座る。月明かりにも明確なほどに、彼の顔色は優れない。心配になってその顔を覗き込めば、蒼褪めた彼はふと表情を緩めて苦笑した。
「流石の結界ですね。甘く見ていたわけではないのですが……敷地に入るだけで精一杯でした」
「入れただけですごいよ! でも、そんな、辛かったでしょう?」
魔力を持たないリオには如何ほどのことでもないが。侵入者の魔力に応じて、相応の圧を加える特製の防護結界は、潜在の魔力が大きいほどに効果を発するようにできている。効果の確認をしたオリガは、その日一日枕から頭が上がらなかったくらいだ。
彼の尋常でない顔色から察するに、相当の負荷をかけられたことは間違いない。薄々気が付いていたことではあるが、彼の魔力はとても強いのだろう。
(馬車も操れたし、傷も治してくれたし。……それに)
何やら、変な気分にも、と。思い出してしまったリオが、何と形容すればいいのか自分でも解らない感情に翻弄されて狼狽える前で、美貌の彼は美しい所作で頭を下げた。
「招き入れて頂かなければ、再び門から出て行くことも難しかったことでしょう。ありがとうございます」
「ううん。それはいいんだけど……」
こんな無茶をしてまで、何をしに、と。尋ねようとして顔を上げれば、思い詰めたような色を乗せた眩い瞳が、苦悩を深めながらリオを見つめ返す。
月夜にも眩いその眼差しに、何故だか、身を焦がされるような焦燥が込み上げて。リオは落ち着きなく目を逸らした。
「……あの。今、明かりをつけるから」
ごめんね、暗かったね、と。取り成すように笑ったリオが寝台を立とうとすれば、唐突に腕を捕まれて重心が崩れた。
柔らかな寝台に勢いよく尻もちをついたリオは、そのまま倒れ込みこそしなかったものの。ぐいと強引に肩を押され、結局寝台に仰向けになる。ぐるりと回った視界の理由がとっさに掴めなかったリオが戸惑って瞬けば、月と星の光の差し込む白い天井とリオの間に、美しい瞳が割り込んだ。
炎のように眩いその瞳に混じる、月光にも似た魔性の色を目にした途端、びりりと身体が痺れて体温が上がる。あ、と。思った時にはもう遅く、咄嗟にもがこうとした腕はろくに持ち上げることもできなくなっていた。
「……明かりは、必要ありませんよ」
何が何だかと瞬くリオも、そう意味ありげに囁かれて、首筋に唇まで寄せられては流石に察する。察したが、冷静になれるわけではない。むしろ混乱は深まるばかりで、唐突な展開を受け止めかねた顔色は、真っ赤と真っ青の狭間を行き来した。
だが、リオがありとあらゆる事情の元に焦り倒したところで、そんなことが彼に伝わるわけもない。耳朶に触れた吐息にぞくっと背を震わせ、思わずぎゅっと目を瞑ってしまったリオの首に、躊躇いのない熱い唇が触れた。
「ん……っ」
反射的に小さく跳ねたリオの身体を押さえ付けながら、何度も首筋への口付けを繰り返される。くすぐったさと、腰回りをぞくぞくと甘く痺れさせる快楽の兆しに抵抗しようとしても、身体が動かないのではどうすることもできない。あぅ、と。情けなくこぼれた、抵抗とも呼べない微かな声に、ふ、と。彼が笑った。
「……可愛らしいお声ですね」
(そうかな!?)
自分のことながら、もはや男の声には聞こえなかったが、可愛いかと訊かれれば別に可愛くはない気がする。
だが、そんな些事にもはや構っていられる余裕もない。優しく頬を撫でられて、お腹と腰と――体の中心が。甘く疼いて濡れ出すのを感じたリオは目を白黒させた。
(ど、どどどど、どうしたら?)
恋かな? の段階から一歩も動けていないリオにこれは、いくらなんでも展開が急すぎる。本当に、ちょっと待って欲しい、心の準備が。いや、ちょっと待ってもらえたら僕はオーケーなの!? と。ロマンやムードどころではない大パニックが脳を騒がせる。
そもそもリオは正真正銘、歴とした男である。将来の展望に淑女の道がなくもないだけで、まだ身体を作り変える魔法なんて少しも使っていない。そもそもセンシティブな話題過ぎて、身体機能を変える必要があるかどうかさえ聞けてもいなかった。
そもそも今はすっぴんで男物の寝間着で下着もちょっと……と。自分のことばかりをあわあわと考えたその果てに、ぎゅ、と。巻き付けた薄掛けを握り締めれば、アルトが戸惑ったように手を止める。
(……あ)
月の逆光に翳る彼の表情を、ようやくそこで視界に納めて。少しだけ冷静になったリオは、乱れた情緒が滲ませた涙の満ちる青い瞳を一つ瞬いた。
痺れる腕は、相変わらず上手く持ち上がらない。それでも、馬車のときよりはまだ動くその腕をようやく動かして、寝台に突かれた彼の白い手にそっと触れた。
「あ……のね、アルトくん」
呼び掛けて、彼の手にぎこちなく指を絡ませれば、眩い瞳がリオを見つめる。上擦って、どうしても揺れてしまう声を情けなく思いながら、それでも伝えなければいけないことを見つけて。リオは微かに震えながらも、真っ直ぐに彼を見上げて口を開いた。
「したくないことは、しなくていいんだよ……」
たとえば、リオを殺そうとした、小間使いの少女。自分の意志を口にすることなんて、少しも許されたことのなかった母。望まぬ婚姻に、恋を捨てようとしていた姉。
リオも、ここに来てはじめて知ったこと。やりたくないなら、やらなくていい。そう、そんなに――辛そうな眼差しで。リオに触らなくていい。
あなたが呼び込まなければ、誰も、と。念を押された言葉はリオを躊躇わせたが、それでも彼を凍えさせておくに忍びなかったリオは彼を部屋に招き入れ、窓を閉めた。
(あ、でも、服装が)
にわかに男物の寝間着姿の自分が気になったリオは、軽く羽織っていた薄掛けをきっちり巻き付け直すことで気休め程度に気持ちを落ち着けた。多少の透け感が否めないそれは、リオの真実を完全には隠してくれないだろうけれど。彼なら、寝支度を済ませている淑女――と、堂々と言うには気が引けるが――を、不躾に眺めまわすようなことはしないだろう。
ひとまず少しでも暖かい所にと手を引いて、いつかのように、二人並んで寝台に座る。月明かりにも明確なほどに、彼の顔色は優れない。心配になってその顔を覗き込めば、蒼褪めた彼はふと表情を緩めて苦笑した。
「流石の結界ですね。甘く見ていたわけではないのですが……敷地に入るだけで精一杯でした」
「入れただけですごいよ! でも、そんな、辛かったでしょう?」
魔力を持たないリオには如何ほどのことでもないが。侵入者の魔力に応じて、相応の圧を加える特製の防護結界は、潜在の魔力が大きいほどに効果を発するようにできている。効果の確認をしたオリガは、その日一日枕から頭が上がらなかったくらいだ。
彼の尋常でない顔色から察するに、相当の負荷をかけられたことは間違いない。薄々気が付いていたことではあるが、彼の魔力はとても強いのだろう。
(馬車も操れたし、傷も治してくれたし。……それに)
何やら、変な気分にも、と。思い出してしまったリオが、何と形容すればいいのか自分でも解らない感情に翻弄されて狼狽える前で、美貌の彼は美しい所作で頭を下げた。
「招き入れて頂かなければ、再び門から出て行くことも難しかったことでしょう。ありがとうございます」
「ううん。それはいいんだけど……」
こんな無茶をしてまで、何をしに、と。尋ねようとして顔を上げれば、思い詰めたような色を乗せた眩い瞳が、苦悩を深めながらリオを見つめ返す。
月夜にも眩いその眼差しに、何故だか、身を焦がされるような焦燥が込み上げて。リオは落ち着きなく目を逸らした。
「……あの。今、明かりをつけるから」
ごめんね、暗かったね、と。取り成すように笑ったリオが寝台を立とうとすれば、唐突に腕を捕まれて重心が崩れた。
柔らかな寝台に勢いよく尻もちをついたリオは、そのまま倒れ込みこそしなかったものの。ぐいと強引に肩を押され、結局寝台に仰向けになる。ぐるりと回った視界の理由がとっさに掴めなかったリオが戸惑って瞬けば、月と星の光の差し込む白い天井とリオの間に、美しい瞳が割り込んだ。
炎のように眩いその瞳に混じる、月光にも似た魔性の色を目にした途端、びりりと身体が痺れて体温が上がる。あ、と。思った時にはもう遅く、咄嗟にもがこうとした腕はろくに持ち上げることもできなくなっていた。
「……明かりは、必要ありませんよ」
何が何だかと瞬くリオも、そう意味ありげに囁かれて、首筋に唇まで寄せられては流石に察する。察したが、冷静になれるわけではない。むしろ混乱は深まるばかりで、唐突な展開を受け止めかねた顔色は、真っ赤と真っ青の狭間を行き来した。
だが、リオがありとあらゆる事情の元に焦り倒したところで、そんなことが彼に伝わるわけもない。耳朶に触れた吐息にぞくっと背を震わせ、思わずぎゅっと目を瞑ってしまったリオの首に、躊躇いのない熱い唇が触れた。
「ん……っ」
反射的に小さく跳ねたリオの身体を押さえ付けながら、何度も首筋への口付けを繰り返される。くすぐったさと、腰回りをぞくぞくと甘く痺れさせる快楽の兆しに抵抗しようとしても、身体が動かないのではどうすることもできない。あぅ、と。情けなくこぼれた、抵抗とも呼べない微かな声に、ふ、と。彼が笑った。
「……可愛らしいお声ですね」
(そうかな!?)
自分のことながら、もはや男の声には聞こえなかったが、可愛いかと訊かれれば別に可愛くはない気がする。
だが、そんな些事にもはや構っていられる余裕もない。優しく頬を撫でられて、お腹と腰と――体の中心が。甘く疼いて濡れ出すのを感じたリオは目を白黒させた。
(ど、どどどど、どうしたら?)
恋かな? の段階から一歩も動けていないリオにこれは、いくらなんでも展開が急すぎる。本当に、ちょっと待って欲しい、心の準備が。いや、ちょっと待ってもらえたら僕はオーケーなの!? と。ロマンやムードどころではない大パニックが脳を騒がせる。
そもそもリオは正真正銘、歴とした男である。将来の展望に淑女の道がなくもないだけで、まだ身体を作り変える魔法なんて少しも使っていない。そもそもセンシティブな話題過ぎて、身体機能を変える必要があるかどうかさえ聞けてもいなかった。
そもそも今はすっぴんで男物の寝間着で下着もちょっと……と。自分のことばかりをあわあわと考えたその果てに、ぎゅ、と。巻き付けた薄掛けを握り締めれば、アルトが戸惑ったように手を止める。
(……あ)
月の逆光に翳る彼の表情を、ようやくそこで視界に納めて。少しだけ冷静になったリオは、乱れた情緒が滲ませた涙の満ちる青い瞳を一つ瞬いた。
痺れる腕は、相変わらず上手く持ち上がらない。それでも、馬車のときよりはまだ動くその腕をようやく動かして、寝台に突かれた彼の白い手にそっと触れた。
「あ……のね、アルトくん」
呼び掛けて、彼の手にぎこちなく指を絡ませれば、眩い瞳がリオを見つめる。上擦って、どうしても揺れてしまう声を情けなく思いながら、それでも伝えなければいけないことを見つけて。リオは微かに震えながらも、真っ直ぐに彼を見上げて口を開いた。
「したくないことは、しなくていいんだよ……」
たとえば、リオを殺そうとした、小間使いの少女。自分の意志を口にすることなんて、少しも許されたことのなかった母。望まぬ婚姻に、恋を捨てようとしていた姉。
リオも、ここに来てはじめて知ったこと。やりたくないなら、やらなくていい。そう、そんなに――辛そうな眼差しで。リオに触らなくていい。
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