風紋(Sand Ripples)~あの頃だってそうだった~

宗像紫雲

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第八章理事会前夜

第八章第十五節(イギリス外務省)

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                十五
 
「『大綱第五項』の鉄道に関する交渉は、場合によって『日本人の生命財産の保護』という範囲を逸脱いつだつしかねない。この点につき日本側から、明瞭に説明を受けたい」--。
 カドガン次官の懸念はレジェやマシグリのものより現実的だ。「条約尊重」で日英両国の利害は一致している。だが大陸における日本の勢力伸長が、英国の「既得権益」にとって“目の上のたん瘤”であるのもまた事実である。英国政府としてそれを放置するつもりはない。一定のけん制は必要である。

「『大綱』の交渉と撤兵の交渉を“同時に”開始するとのことですが、我々の見るところでは、それで民国側の了解を取り付けるのは極めて難しい」
 総論賛成でもやはり各論となると、立場の違いが浮き彫りになる。英国は自国の国益もさることながら、“聯盟の立役者たてやくしゃ”という立場上、日本のように手放しで「自国権益の擁護」を叫べない。
「何しろ日本軍が自国領内に駐留する限り、彼らは絶対に交渉へ応じようとはしないでしょうからね……」
 民国側の“構え”についての見方では、ドラモンド総長もカドガン次官も同じ意見だ。さしもの英国外務省も、極東の「事大主義じだいしゅぎ」に対する認識は甘いと言わざるを得ない。
 あくまで後講釈あとこうしゃくの個人的感想に過ぎないが、「交渉」を巡る問題をここまで紛糾ふんきゅうさせたのも、ひとえに「事大主義じだいしゅぎ」を巡る認識の在り方が聯盟と日本で大きく異なったためではないかと、考える。

 カドガン次官の反応に、芳澤や沢田だったらきっと青筋を立てて反論したに違いない。だが聯盟事務局員の立場にあった杉村は、彼らと異なる態度をとった。
「日本側が九月三十日決議の時点で大綱協定に触れていなかった以上、理事会側も民国代表へ圧力をかける訳にはいかないでしょう」
 杉村はドラモンド総長の言葉を引き合いに、聯盟事務局員ぜんたる振る舞いをして見せた。先に引用した松岡洋右まつおかようすけの講演において、「いったいあれは日本人であるかなとさえ思うくらい、“聯盟病”にかかっている人がいる」と揶揄やゆしたのは、ほかならぬ杉村陽太郎すぎむらようたろうその人であった。

「事態がこれほど複雑化するとは思わなかったとはいえ、その点は日本側の落ち度と言わざるを得ません」
 カドガン次官は日本側の不手際をたしなめた上で、一つの提案を試みた。
「どうでしょう。二つの交渉を“同時”に行うと言わず、多少のこと前後の余地を持たせて“並行して”という表現にしては--」
 複雑な問題をスパッと切るのではなく、いわゆる“寝技”を使おうというところか--。いかにも老獪ろうかいな外交術を重ねてきた英帝国らしい発想なのだろう。こうしたやり方なら東京も耳を貸しやすい。
「もっとも、撤兵交渉がまとまっても『大綱交渉』がまとまらなければ、撤兵は行われない可能性がありますがね……」
 いくら聯盟事務局員として“中立”を装って見たところで英国側から見て杉村は、まごう方なき“日本人”である。カドガン次官は自分の提案に英国人らしい皮肉を付け加えた。

「ところで……」
 次官はここで一転、話題を変えた。
「前回の理事会以来、英国に対する日本の輿論が極度に悪化しているのが気になります。日本の新聞は連日にわたり英国を論難しているとのことですが、英国はあくまで聯盟に忠実であらざるを得ないのであって、決して日本へ悪意を抱いているのではありません。セシル卿が芳澤理事へ辛く当たるのも、ブリアン議長に次ぐ聯盟の“顔役”として必要に迫られたまでのことであり……」
「その点は十分に承知していますので、ご安心ください」
 会談の締めくくりにあたって杉村は、結局“日本人”として話を引き取った。
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