風紋(Sand Ripples)~あの頃だってそうだった~

宗像紫雲

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第二部第十三章スチムソンドクトリン

第十三章第三節(スチムソンドクトリン)

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                 三

「アメリカの対日感情が今日ほど友好的なことはなかった」--。

 満洲事変前夜の九月十七日、賜暇しか休暇で近々帰国すると挨拶にやってきた出渕勝次でぶちかつじ大使を、スチムソン国務長官がそんな言葉で迎えたのは、つい四か月ほど前のこと--。
 今の二人はそのときのことなんかまるで無かったかのように、張りつめた面持ちで向き合っている。

 満洲事変が勃発してからの当初二カ月あまり、スチムソン長官が興奮する米国の輿論を抑え込んで日本政府をかばったのは疑う余地のない事実だ。出渕に対してもこう言って、友好的な両国の関係維持を重んじた。

 「九カ国条約および不戦条約の発案者として、米国がこの際何らかの措置を講じるべきだと主張する人もある。
  しかし、事態は結局出先軍隊の衝突であり、米国政府は日本政府の事変不拡大の声明による苦衷くちゅう諒解りょうかいしているのだから、この際貴国に対して何らか公式の措置を取ってしまうと、貴国の輿論を刺激して面白くない結果をきたすから、依然沈黙を守っている」

ところがヘンリー・スチムソン氏はそれから五年経った一九三六(昭和十一)年に出版した『極東の危機』と対する自著のなかで、あたかも「あれは本心ではなかった」かのような物言いをしはじめた。
 
 「その秋の長時日にわたる張り合いのない協商は、やむを得ぬことだがほとんど外交手続きのヴェールの後ろで行われていた」
 
事変の勃発早々に、「不拡大方針」と表明した日本政府の言葉とは裏腹に、関東軍は満洲の占領地をどんどん広げていった。そのたびに出渕は国務省へやってきては政府擁護の弁を振るった。
出渕は「かくかくしかじかの理由で致し方なく“一時的に”出兵したが、事態が収まればすぐに撤兵する」と繰り返したが、事態は収まるどころかますます険悪化していって、ついには「日本人の生命財産の安全」と縁もゆかりもないはずの北満やら錦州きんしゅうやらまで占領してしまった。
さしもの国務長官も、とうとう出渕を信用しなくなった。

そんな四カ月を経た長官は、書類挟みの中からおもむろに白頭鷲はくとうわしの刻印が入った書面を取り出した。そこにはこんなことが記されてあった。
 
 「昨今の錦州における軍事行動により、一九三一年九月十八日以前に存在した南満洲における最後の中華民国政府は壊滅した。
(中略)
  満洲における現在の状況と自らが保有する権利および義務を考慮したとき、アメリカ合衆国政府は日本政府ならびに中華民国政府に対して米国もしくは在華米居留民の条約上の権利を侵害し、かつ中華民国の統治権、独立性および領土・行政権の保全や『門戸開放』原則に基づく民国を巡る国際間の政策に反するいかなる事実上の状態(situation de facto)の合法性や、今後両国政府および政府機関の間で結ばれるいかなる条約をも承認するつもりはない。また、日華および米国も調印した一九二八年八月二十八日の『パリ(不戦)条約』における規約や義務に反するような状況をもたらすいかなる条約や合意を承認はしない」

 これが世に「スチムソン・ドクトリン」と呼ばれる米国の「不承認政策」の表明である。
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