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第二部第十三章スチムソンドクトリン
第十三章第十二節(グリーン大使1)
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十二
「閣下! あんまりじゃないですか! 本使の面目まるつぶれですよ!」
二月十日、英国のグリーン大使が血相を変えてやって来た。
「はて、いったい何ごとですかな?」
そう言われても、外相の加藤高明に思い当たる節はなかった。掛け値なしに思い当たる節はなかった……。
「今回、貴国から北京政府へご提示された要求事項のことですよっ--!」
グリーン大使はそう言って誘い水を向けて見たが、加藤が依然キョトンとしたままなので自分で話を続けた。
「聞くところでは、先般北京へ宛てご要求された事項に関し、先だって本使へご内示いただいた条項のほかにもいくつかご提示されたと言うではないですか--。しかもそれをフレーザーから聞かされるまで何も知らなかったとあっては、同盟国の当局者として赤っ恥もいいところです」
記憶をたどれば数日前、『タイムズ』紙の北京特派員であるフレーザー記者の取材に応じたのは間違いない。
その際、記者が「北京では盛んに風説が流布されている」とあれこれしつこく詮索するものだから、行き掛かり上いくつかのことを話して聞かせた。だがそれらの話は同盟国をはじめ他国の利害に関係するものではなかったから、敢えて表明しなかったまでのことである。
「ああ成る程、その件ですか……」
興奮気味の英国大使に詰め寄られても、加藤には相手の意図するところがピンとこなかった。後から振り返るなら、この判断、外交センスが致命的な問題を惹き起こしたと言えないでもない。しかし繰り返すが、二国間交渉の内容は外部へ漏らしてはならないのが原則。だから加藤外相が北京へ提起した内容の一部を知らせなかったからといって後ろ指を指されるいわれなど本来は、ない。
ただしグリーン大使が得た情報によれば、日本側が伏せている条項の中には揚子江沿岸における英国の利害と衝突しかねない事項も含まれているという。だとするなら、日本側のこの措置は何か自分たちの裏を掻く企図が潜んでいると見えなくもない--。
「フレーザーばかりではありません。実は仏露の大使も何やら別の条項があると聞き及んでいる様子です。先だって事前に交渉事案をご内示いただいた際には、同盟国のよしみとばかり、大臣のご好意に心底感銘を受けました。しかるに、実はその“裏”で別途何かのお考えをお持ちとあっては……」
「“裏”にとおっしゃるは何とも解し難いっ!」
さすがに大使のこの一言は聞き過ごせなかった。もともと後ろめたいことなど何もないが、かといって安易に言いふらすような事柄でもない。加藤外相は相手をたしなめるような言い方でこう話して聞かせた。
「北京政府へ提出した“要求”事項は、先だってお話したもの以外に何もありません。ただそれ以外に、日置公使から我が方の“希望”を若干述べさせていただいた……」
「はあ、希望……、ですか……」
グリーン大使はいよいよ狐につままれた顔になった。
「ええ。“要求”と“希望”が自ずと異なることは、ご承知ですよね……」
「……要求とは『必ずこうせよ』の意味。希望は『こうできないものでしょうか』と伺いを立てることかと……」
「いかにもその通り。つまり日置公使は我が方の希望を述べたばかりで、決して新たな要求を加えたなどと言う事実はありません」
「閣下! あんまりじゃないですか! 本使の面目まるつぶれですよ!」
二月十日、英国のグリーン大使が血相を変えてやって来た。
「はて、いったい何ごとですかな?」
そう言われても、外相の加藤高明に思い当たる節はなかった。掛け値なしに思い当たる節はなかった……。
「今回、貴国から北京政府へご提示された要求事項のことですよっ--!」
グリーン大使はそう言って誘い水を向けて見たが、加藤が依然キョトンとしたままなので自分で話を続けた。
「聞くところでは、先般北京へ宛てご要求された事項に関し、先だって本使へご内示いただいた条項のほかにもいくつかご提示されたと言うではないですか--。しかもそれをフレーザーから聞かされるまで何も知らなかったとあっては、同盟国の当局者として赤っ恥もいいところです」
記憶をたどれば数日前、『タイムズ』紙の北京特派員であるフレーザー記者の取材に応じたのは間違いない。
その際、記者が「北京では盛んに風説が流布されている」とあれこれしつこく詮索するものだから、行き掛かり上いくつかのことを話して聞かせた。だがそれらの話は同盟国をはじめ他国の利害に関係するものではなかったから、敢えて表明しなかったまでのことである。
「ああ成る程、その件ですか……」
興奮気味の英国大使に詰め寄られても、加藤には相手の意図するところがピンとこなかった。後から振り返るなら、この判断、外交センスが致命的な問題を惹き起こしたと言えないでもない。しかし繰り返すが、二国間交渉の内容は外部へ漏らしてはならないのが原則。だから加藤外相が北京へ提起した内容の一部を知らせなかったからといって後ろ指を指されるいわれなど本来は、ない。
ただしグリーン大使が得た情報によれば、日本側が伏せている条項の中には揚子江沿岸における英国の利害と衝突しかねない事項も含まれているという。だとするなら、日本側のこの措置は何か自分たちの裏を掻く企図が潜んでいると見えなくもない--。
「フレーザーばかりではありません。実は仏露の大使も何やら別の条項があると聞き及んでいる様子です。先だって事前に交渉事案をご内示いただいた際には、同盟国のよしみとばかり、大臣のご好意に心底感銘を受けました。しかるに、実はその“裏”で別途何かのお考えをお持ちとあっては……」
「“裏”にとおっしゃるは何とも解し難いっ!」
さすがに大使のこの一言は聞き過ごせなかった。もともと後ろめたいことなど何もないが、かといって安易に言いふらすような事柄でもない。加藤外相は相手をたしなめるような言い方でこう話して聞かせた。
「北京政府へ提出した“要求”事項は、先だってお話したもの以外に何もありません。ただそれ以外に、日置公使から我が方の“希望”を若干述べさせていただいた……」
「はあ、希望……、ですか……」
グリーン大使はいよいよ狐につままれた顔になった。
「ええ。“要求”と“希望”が自ずと異なることは、ご承知ですよね……」
「……要求とは『必ずこうせよ』の意味。希望は『こうできないものでしょうか』と伺いを立てることかと……」
「いかにもその通り。つまり日置公使は我が方の希望を述べたばかりで、決して新たな要求を加えたなどと言う事実はありません」
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