エメラルドの猫

有箱

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よん

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 すやすやと眠るおばあちゃんに、行ってきますを言う。隙間に体を滑り込ませて外に出た。
 雲のかかった月が僕を見る。今日は少し曇っているが、眩しくなくて心地良い日だ。

 この時間でも人は疎らにおり、僕を見つけると驚いたような目をした。
 どうやら暗闇でもこの毛は映えるらしい。誉め言葉が耳を擽る度、僕は誇らしくなった。おばあちゃんの分も喜んだ。

「猫ちゃんおいで」

 ふと、少し遠くから声が聞こえた。聞き慣れた言葉に足が向く。とても暗い場所に人間はいたが、暗さは僕の味方ゆえ迷うことはなかった。

 優しく背中を撫でられ、本当に綺麗だとの声が舞い降りる。ありがとうと言うと人間も笑った。けど、目元は帽子に隠れていてよく見えなかった。

 更に遠く、横切って行くノラを見つけた。僕には気付いていないらしく、道の狭間に消えていってしまう。追いかけるため、人間に別れの挨拶をした。

 そうして横切ろうとしたその時だった。

 体が突然掴まれる。久しぶりの強い力に、驚き固まってしまった。戸惑う僕を、男は狭い箱へと放り込む。

 何が起こっているのか分からなかった。恐怖の中、ただ僕はおばあちゃんを呼び続けた。

***
 
 酔いそうに揺れる箱が、動きを止めたのはしばらく後のことだった。急に差し込んできた光は、格子状の影を伸ばしている。
 光の方から、大きな顔が近付いてきて僕を見た。その匂いは、先程の人間の物だった。

「ほら、お前も見てみろよ。合成を疑っていたが、本当にエメラルドだ。ネットの噂は本物だったってわけだな」

 もう一人いたらしく、別の人間も近付いてくる。二人とも笑顔だ。
 しかし、纏う空気が知っているものとは違う。正反対と言っても良いかもしれない。温かさはなく、禍々しくて異様な形をしていた。

「やったな、これで大金が手に入る」
「こんなに簡単に捕獲できるとは思わなかったな。さて、取引先を検討するかー」

 二人は僕を箱に入れたまま、何かをし始めた。限定された穴からでは、何をしているかまでは分からない。

 けれど、これだけは分かった。多分、僕はもうおばあちゃんに会えない。しかも永遠に。
 
 それから、僕は長い時間、閉じ込められ続けた。

***

 何気なく眺めていた、朝夕の移ろいが恋しい。人工的な光では、今が何時ごろなのか。はたまた何日経ったのかさえ分からなかった。
 ただただ、寂しさと怖さと悲しさとーー青黒い感情だけが体を満たして行く。

 猫神さまはこうなることを知っていたのだろうか。それともここまでは考えなかったのだろうか。分からないが、もう確かめることすらできない。

 気付けば、視界の中に毛がたくさん落ちていた。美しい毛は、こんな状態でも艶めいている。嬉しかったはずの変化が、濁った思い出と化した。

「猫ちゃーん、取引先が決まりましたよー」

 浮わついた声が落ちてきて、人間が中を覗き込む。凶器的な笑顔に体が竦んだ。

「あれ? こいつなんか変じゃね?」

 のも束の間、笑みが消え、人間は僕を舐めるように見回す。そうして何かに気づいた瞬間、血相を変えて箱を開けた。

 体を引っ張られる。出されたら最後、苛められる気がして全力で拒んた。だが、人間の力に勝てる訳がなかった。
 外に出された僕を前に、人間は戦慄く。思いっきり手を引っ掻くと、驚いて僕を落とした。

「おーい、早く猫連れてこいよー……ってなんだそいつ!」

 部屋の扉が開き、もう一人の人間が現れる。細い風に反応し、目を向けるとほんの僅かな隙間があった。あのくらいの隙間なら、余裕ですり抜けられるーー。

 後ろ足をバネに、全力で飛んだ。二人は慌てて僕に掴み掛かろうとする。だが、その手が僕に届くことはなかった。
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