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11月16日
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[11月16日、水曜日]
翌朝も早めに目が覚めて、月裏は何時も通りシャワーの準備をしていた。
早朝の浴室は寒く、考えるだけで億劫になるが浴槽に湯を張っている時間もない。
譲葉は一人でも湯を溜め、浴槽に浸かってくれているだろうか。以前に流れるように許容したきりだが、行動に移しているだろうか。
考えながら今日の分の服を手繰ると、棚の上にすっかり置きっぱなしになっていた手紙を見つけた。
直ぐに、思考回路が当時にワープする。
手紙の主、梅谷 彩音は、嘗て隣に住んでいた。
まだ母親が居て月裏も学生だった内から、梅谷家とは付き合いがあり、よく食事しに行ったり遊びに行き来したりした。
だが母親を失い就職も始めた辺りから、付き合いは著しく低下した。
そんな流れがあっても、長女の彩音は特に気を遣い、よく家を訪問してくれていた訳だが。
その優しさがあっても精神崩壊は止まらず、日を重ねるごとに職場でのストレスと孤独感は心を蝕み、ついに月裏は始めての自殺を試みた。
しかしそれは、偶然音を聞きつけた彩音の通報により、未遂で幕を閉じてしまった。
その時、彩音は泣いていた――気がする。しかしその涙さえ荒んだ心には響かず、冷酷な感情を抱いていたのを淡く思い出す。
その後も何度か未遂を繰り返したが、どういう訳か見つかってしまい一命を取り留めるばかりだった。
恐らく大家さんも発見に関わっていたのだろうが、詳しい事は今となっては分からない。
叱ったり慰めたり、時には強制的に家に乗り込んできたりと、繰り返す度に懸命に向き合ってくれていた彼女だったが、ある日突然別れの挨拶と共に隣の家から消えた。
彩音が先に出て行き、その後に家族が引っ越したのだ。
その時知った。彼女が無理を続けていた事を。
そうして、どれだけ頑張っても気持ちを改めない自分に、厭きれを感じ見捨てたのだとも思った。
そんな彼女からの手紙だ、気にはなるが読めない。気持ちが揺れ動いて、また憂鬱になるのが怖くて読めない。
月裏は、ファンシーな熊のイラストと彩音の名前を交互に見つめながらも、置いてあった場所へと封を切らないまま戻した。
この世界には――、いや小さな限られた生活の中だけでも、煩いの種が多すぎる。多すぎて、気の休められる暇を見つけられない。
月裏は傷つかないよう思考を放棄しつつも、最低限の必要分だけ脳を使い、仕事に励んでいた。
変わらない現状、それなのに見えない未来。次々と生まれ来る憂慮、上手く描けない幸福像。
いつになったら、幸せだと叫べるのだろうか。
少なくとも現状を打開しない事には、幸福なんて見出せないな。
月裏は呆れつつも、必死に手を動かした。
「ただいまー」
灯りが点いていると、癖のように挨拶してしまう。だが、譲葉が玄関先に居ないと理解した瞬間、自然と声は小さくなった。
今日は奥の部屋で、何をしているだろうか。
考えながら開いたが寝室は暗く、譲葉の姿は無かった。
「……あれ……?」
お手洗いに行くなら、態々電気を消したりしないだろう。だとすると、別の部屋だと考えられる。
小さく戸惑いながらも寝室の扉を閉め翻ると、すぐ反対側の部屋から灯りが漏れ出している事に気付いた。
服の部屋だ。もしかして着替え中だろうか。月裏は可能性を考慮し、軽くノックをする。
「譲葉くん帰ったよー」
譲葉が動く音がして数秒後、扉がゆっくりと開いた。
「おかえり、お疲れ様」
「着替え中だった?」
「いいや、洗濯物を畳んでた」
隙間から部屋内を見遣ると、綺麗に形作られた衣服と畳みかけの衣服が置かれていた。
「あっ、そうだったんだ、ごめ……ありがとう」
譲葉は律儀だ。小遣いの話の時仕事をせがまれて承諾はしたが、実行がとにかく早い。
月裏は、意図せず溢れてきた申し訳なさを隠して、親切心を飲み込んだ。
「……あとどの位?」
「もう直ぐ終わる、着替えか?」
「いや、手伝おうかなって」
「大丈夫だ。直ぐに終わらせるから着替えるのちょっと待っててくれ」
「分かった」
淡々と事を勧めてゆく譲葉に半ば圧倒されながらも、月裏は意思を尊重する。
コートをハンガーにかけながら、横目で譲葉の仕事ぶりを見守った。
譲葉は几帳面な性格なのか、畳み方がとても綺麗だ。丁寧で、皺も少ない。家事全般を手伝っていたのだろうと思わせるくらい、手際もいい。
「譲葉くん畳むの上手いね」
「普通だ」
多分心からの謙遜しながら、譲葉は畳んだ服を重ねて持ち上げる。一瞬よろりとバランスを崩しかけた所を、月裏が支えた。
「すまない」
「えっ、あっ、ううん」
譲葉は即行持ち直すと、箪笥へと向かった。
――はっとなる。譲葉の視線の先に、彩音からの手紙が置かれたままだ。
存在感のある物体に、引かれない筈が無い。
「…………えっと、それは」
「ここで良いのか」
勝手に言い繕おうとした月裏の台詞を、譲葉が留めた。月裏は冷静になり、肯定する。
何かを悟ったのか興味が無かったのか、遮った理由は分からずとも月裏は安堵していた。
譲葉が去った後、月裏は直ぐに手紙を本棚の端に挟み隠した。
そうしてから、深く刻まれた傷跡を、愁い見ながら着替えを済ませた。
翌朝も早めに目が覚めて、月裏は何時も通りシャワーの準備をしていた。
早朝の浴室は寒く、考えるだけで億劫になるが浴槽に湯を張っている時間もない。
譲葉は一人でも湯を溜め、浴槽に浸かってくれているだろうか。以前に流れるように許容したきりだが、行動に移しているだろうか。
考えながら今日の分の服を手繰ると、棚の上にすっかり置きっぱなしになっていた手紙を見つけた。
直ぐに、思考回路が当時にワープする。
手紙の主、梅谷 彩音は、嘗て隣に住んでいた。
まだ母親が居て月裏も学生だった内から、梅谷家とは付き合いがあり、よく食事しに行ったり遊びに行き来したりした。
だが母親を失い就職も始めた辺りから、付き合いは著しく低下した。
そんな流れがあっても、長女の彩音は特に気を遣い、よく家を訪問してくれていた訳だが。
その優しさがあっても精神崩壊は止まらず、日を重ねるごとに職場でのストレスと孤独感は心を蝕み、ついに月裏は始めての自殺を試みた。
しかしそれは、偶然音を聞きつけた彩音の通報により、未遂で幕を閉じてしまった。
その時、彩音は泣いていた――気がする。しかしその涙さえ荒んだ心には響かず、冷酷な感情を抱いていたのを淡く思い出す。
その後も何度か未遂を繰り返したが、どういう訳か見つかってしまい一命を取り留めるばかりだった。
恐らく大家さんも発見に関わっていたのだろうが、詳しい事は今となっては分からない。
叱ったり慰めたり、時には強制的に家に乗り込んできたりと、繰り返す度に懸命に向き合ってくれていた彼女だったが、ある日突然別れの挨拶と共に隣の家から消えた。
彩音が先に出て行き、その後に家族が引っ越したのだ。
その時知った。彼女が無理を続けていた事を。
そうして、どれだけ頑張っても気持ちを改めない自分に、厭きれを感じ見捨てたのだとも思った。
そんな彼女からの手紙だ、気にはなるが読めない。気持ちが揺れ動いて、また憂鬱になるのが怖くて読めない。
月裏は、ファンシーな熊のイラストと彩音の名前を交互に見つめながらも、置いてあった場所へと封を切らないまま戻した。
この世界には――、いや小さな限られた生活の中だけでも、煩いの種が多すぎる。多すぎて、気の休められる暇を見つけられない。
月裏は傷つかないよう思考を放棄しつつも、最低限の必要分だけ脳を使い、仕事に励んでいた。
変わらない現状、それなのに見えない未来。次々と生まれ来る憂慮、上手く描けない幸福像。
いつになったら、幸せだと叫べるのだろうか。
少なくとも現状を打開しない事には、幸福なんて見出せないな。
月裏は呆れつつも、必死に手を動かした。
「ただいまー」
灯りが点いていると、癖のように挨拶してしまう。だが、譲葉が玄関先に居ないと理解した瞬間、自然と声は小さくなった。
今日は奥の部屋で、何をしているだろうか。
考えながら開いたが寝室は暗く、譲葉の姿は無かった。
「……あれ……?」
お手洗いに行くなら、態々電気を消したりしないだろう。だとすると、別の部屋だと考えられる。
小さく戸惑いながらも寝室の扉を閉め翻ると、すぐ反対側の部屋から灯りが漏れ出している事に気付いた。
服の部屋だ。もしかして着替え中だろうか。月裏は可能性を考慮し、軽くノックをする。
「譲葉くん帰ったよー」
譲葉が動く音がして数秒後、扉がゆっくりと開いた。
「おかえり、お疲れ様」
「着替え中だった?」
「いいや、洗濯物を畳んでた」
隙間から部屋内を見遣ると、綺麗に形作られた衣服と畳みかけの衣服が置かれていた。
「あっ、そうだったんだ、ごめ……ありがとう」
譲葉は律儀だ。小遣いの話の時仕事をせがまれて承諾はしたが、実行がとにかく早い。
月裏は、意図せず溢れてきた申し訳なさを隠して、親切心を飲み込んだ。
「……あとどの位?」
「もう直ぐ終わる、着替えか?」
「いや、手伝おうかなって」
「大丈夫だ。直ぐに終わらせるから着替えるのちょっと待っててくれ」
「分かった」
淡々と事を勧めてゆく譲葉に半ば圧倒されながらも、月裏は意思を尊重する。
コートをハンガーにかけながら、横目で譲葉の仕事ぶりを見守った。
譲葉は几帳面な性格なのか、畳み方がとても綺麗だ。丁寧で、皺も少ない。家事全般を手伝っていたのだろうと思わせるくらい、手際もいい。
「譲葉くん畳むの上手いね」
「普通だ」
多分心からの謙遜しながら、譲葉は畳んだ服を重ねて持ち上げる。一瞬よろりとバランスを崩しかけた所を、月裏が支えた。
「すまない」
「えっ、あっ、ううん」
譲葉は即行持ち直すと、箪笥へと向かった。
――はっとなる。譲葉の視線の先に、彩音からの手紙が置かれたままだ。
存在感のある物体に、引かれない筈が無い。
「…………えっと、それは」
「ここで良いのか」
勝手に言い繕おうとした月裏の台詞を、譲葉が留めた。月裏は冷静になり、肯定する。
何かを悟ったのか興味が無かったのか、遮った理由は分からずとも月裏は安堵していた。
譲葉が去った後、月裏は直ぐに手紙を本棚の端に挟み隠した。
そうしてから、深く刻まれた傷跡を、愁い見ながら着替えを済ませた。
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