造花の開く頃に

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12月25日

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[12月25日、日曜日]
 大したハプニングも無ければ、変化も変哲もない日が2日続いた。
 昨日も一昨日も、譲葉と目を合わせたのは朝のみだ。その短い時間の中で見た譲葉は、強い眠気と戦っている様子だった。
 それも理由となり、特別な話は一切していない。

 上司の話も、何一つ知らない譲葉に話すべきではないとの結論に達し、伏せておいた。
 頻繁に落ちてくる謝罪したい気持ちも、何度も何度も呑み込んだ。
 治療についても、気になって切り出そうとも思ったが切り出せず今に至る。
 譲葉の今ある状態が見えず、不安になる部分もあったが、職場でのストレス環境に上限が付いたからか気分は落ち着いていて、深い葛藤に陥る事は無かった。

 そんな月裏は、普段目覚める時間になっても、珍しくまだ夢の中に居た。
 だが、譲葉が近付く気配に勘付き、薄く瞳を開ける。譲葉は、不安げな顔でこちらを見ていた。
 随分前に見た場景と完全一致した景色に、一瞬時間の巻き戻りを連想した。

「…………どうかした……?」
「いや、なんでもない」

 返事も、とある日とよく似ている。

「…………こういうの、前にもあったの覚えてる?」

 もう既に懐かしい域に達した日々を、月裏はしみじみと思い返していた。

「……………覚えてる……」
「あっ、本当? 忘れちゃってると思ったよ」

 譲葉の中でも、記憶に残る出来事に該当するのだろうか。それかただ単に記憶力がいいだけか。

「……あの時は、月裏さんが起きないのが怖くて……」
「えっ、そうだったの?」

 疑問の解決があっさりとしすぎて、ただただ拍子抜けしてしまう。
 普段病んでいる時なら刺さる言葉だが、今は軽い気持ちで受け止める事が出来た。恐らく過去形の表現になっている事も、受け止め方に大きく関係するのだろう。

「今はただ、少し質問に来ただけだ」
「……質問?」

 わざわざする問いかけに少々身構えたが、

「天気が微妙なんだ、洗濯物はどこに干せばいいだろう?」

 と言われて、もう一度拍子抜けした。

 譲葉の言う通り空は曇っていたが、携帯で見た天気予報では雨降りの心配は無いと報道していた為、結局は外干しした。
 その後流れで、二人して買い物に出る。こうして穏やかな心持ちで並ぶのは、随分久しぶりな気がする。経過が上手く行き過ぎて、逆に怖いくらいだ。
 店は年末一色で、鏡餅やら〆縄やらが売り出しを行っている。前回も前々回も目にはしたが暇が無く、こうしてまじまじ見るのは初めてだ。

「譲葉くんとこ、こういうの飾ってた?」
「ばあちゃん家では飾ってたけど……」
「折角だから買おうか?」
「……いや、いい……」
「そう」

 譲葉の意見を受け、通り過ぎ食材売り場に直行した。年末だが早朝の為、相変わらず客は居ない。しかし従業員は忙しそうだ。
 果物を見る譲葉の柔らかな横顔に気付き、月裏は密かに一笑した。
 もう直ぐ12月が終わる。長かった今年も終わる。

 9月17日、初めて家に譲葉が遣ってきた日、あの日を思うと懐かしさが込み上げる。あの時は一生懸命で、一緒に年を越すなんて考えてもみなかった。
 それが今は、大切な関係になっている。まだ家族にはなりきれていないが、それでも唯一無二の存在になった。
 譲葉が居たから、今があるのかもしれない。

「……譲葉くん、ありがとう」

 らしくもない台詞を吐いてから、月裏は顔を真っ赤にする。振り向いた譲葉はきょとんとしていて、言葉を捜している様子だ。

「早く帰ってご飯作ろうか」

 月裏は流すように仕向け、買い物を続行した。
 このまま、幸せに直行できたら。
 考えてから、何時もの癖の通り、多分それは無いなと結論づく。
 しかしそれでも、求めるだけだ。

 帰宅して二人で食事を制作し、食卓に並べる。二人分の力があるからと、今日は一週間分を纏めて作った。
 相変わらず、譲葉の食事姿勢は綺麗だ。家庭での丁寧な教養が伺える。

「…………月裏さん、そう言えば話が……」

 口にした料理を飲み込み、端を丁寧に箸置きに置いた譲葉が、視線を上げて月裏を見た。
 視線と合わさった目線を、月裏から逸らす。
 滅多に自分から話さない譲葉の切り出しに、緊張感を取り戻す。
 しかも口調が、重大発表を匂わせてくる。

「……俺、ちょっと思い出した……」
「……えっ」

 直ぐに記憶の話だと理解する。恐らく治療の段階で蘇ったのだろう。
 思わず上げた視線は、次は譲葉から逸らされた。

「……俺、昔学校で……苛め……られてて……」

 既に会話した部分でさえ、譲葉は辛そうに告白する。

「……特に苛めてくる、上級生が居て……」

 その内、冷や汗も伝ってきた。月裏は止めるべきか任せるべきか困惑する。
 だがそうしている内に、譲葉の様子は一変していた。
 頭に強く手を当てて、呼吸を乱している。また記憶の混乱に陥っているのだろう。

「譲葉くん……!」

 月裏は席を立ち、譲葉の背中を摩る。底に沈んでいた恐怖が、一気に蘇り姿を形作る。

「……すまな……い……思い出したら……打、ち明けよう……って……思ってた……のに……俺……出来ると……思った……のに……」

 前屈みになり涙を溜めて苦しむ譲葉を前に、月裏は緩和法を探した。直ぐに¨薬¨との方法が出てきたが、その為には一旦部屋を離れなければならない。
 しかし構ってはいられない、と月裏は急いで部屋を出た。

 戻ってきた時、譲葉の呼吸は幾らか落ち着いていた。だが、瞳がぼんやりとしている。

「…………譲葉くん、一応薬飲んで」

 用意した水と共に薬を渡すと、譲葉は直ぐに含んだ。そしてそのまま、脱力して背凭れに身を委ねる。
 月裏は一週間ぶりの譲葉の苦しげな顔に、涙したい気持ちを蘇らせていた。

「…………月裏さん、俺……がんばるから……」

 横からの健気な決意に、月裏は別の気持ちも思い出した。

「……うん、僕に何が出来るか分からないけど、一緒に頑張ろうね……」

 泣きたいと騒ぐ心を圧し付け、態と譲葉と顔を合わせて右手を頭上に置く。そしてそのまま、優しく左右に移動した。
 今こそ、罪悪感を購う時だ。譲葉に報いる時だ。些細な事で泣いてなんかいられない。今はなんとしても憂愁に閉ざされてはいけない。 
 今苦しいのは、譲葉なのだから。

 譲葉は中途半端に思い出したのが堪えたのか、薬の副作用か、食後直ぐに眠ってしまった。
 月裏はいつかのように隣に寄り添い、悪夢を取り去る為の監視役として、いつでも対処して上げられる家族として、譲葉を見守り続けた。
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