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1月17日
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[1月17日、火曜日]
目が覚めると真っ先に、譲葉の居るベッドへと視線が向かった。いつもの後ろ姿を目にして、日々は幕を開ける。
しかし今日は、その姿が無かった。
お手洗いに行っているのか、早くに起床しただけか。などと色々考えながらリビングに入ると、椅子の背凭れに大人しく納まる背中が見えた。
「おはよう譲葉くん」
「……おはよう月裏さん」
首だけを振り向かせ、横目を向ける。考え事でもしていたのか、眠気がまだ顔に残っていた。
「大丈夫?」
言いながら真正面に移動すると、譲葉の視線も一緒に移動する。キッチンに立った時、その動きは分からなくなったが。
「……大丈夫だ。起きたは良いが、今更眠くなってきただけだから」
自然とやかんを取り、水を入れてコンロにかけた。
「そう、眠くなってきたなら寝てきても良いよ。無理はしなくて良いからね」
文字通りの意味と、もう一つの意味を込めて伝えたが、譲葉に伝わっているかは不明だ。
「……そうだな……もう一度寝てこよう……」
欠伸を塞いで我慢した譲葉は、背凭れを軸に立ち上がった。
感情の見えない背中を見送りながらも、あえて補足は加えなかった。
そう言えばまだ、はっきりとした譲葉の気持ちを聞いていない。自分の意見を伝えるのに必死になってしまったり、上手い事状況の中に消されたりと、耳を傾ける機会が無かった。
今日は発するだけでなく、譲葉の気持ちにも耳を傾けてみよう。
全ては、彼の気持ちにかかっているのだから。
「朝日奈さん、考え事ですか?」
「あっ、いえ、すみません……!」
呼びかけに恐縮しつつ顔を上げると、にこやかな上司が立っていた。
こんな時は、前の上司の反応を思い出す。何も考えていない時でさえ、目に余る素振りがあれば心を木っ端微塵にされたものだ。
「…………何でもないです……すみません、もっと集中します、すみません……」
経験が先立ち、対処法を練り上げるよりも先に体が会釈を繰り返した。
「いやいや何でもないならいいんですよ。もし気分が悪いなら遠慮なく言って下さいね?」
声にこそ表さなかったが、配慮に非常に驚いてしまう。周囲にも同じ言葉をかけているなら疑問は無いが、もし自分だけを対象としてかけていたら……と思うと洞察力の鋭さに畏怖しそうだ。
このところ調子は良好で、自分自身顔色もいいと思っていたのに、見透かされているとしたら。
「……あの、僕変な顔してましたか?」
「いいえ?」
「……そうですか」
上司に別の用は無かったらしく、挨拶代わりに軽く手を上げると去っていった。
譲葉が電話をかけたか気になる。対面はどうなっただろう。上手く切り出せただろうか。
そもそも連絡を入れたかさえ怪しいのに、色々と想像してしまう。
もし会った時、互いが笑いあえるほど意気投合したら。
空想した時、嬉しいような寂しいような気分に襲われた。
優しくて真面目で、清らかで純粋で暖かい人。祖母も譲葉も認めてしまうような素敵な人。
面識のない相手への完璧なイメージ像が練りあがり、月裏はなぜか敗北した気になった。
気持ちは全て伝えた。だから後は成り行きに任せるだけ。助けを要求されない限り、遠くから見守るだけ。
利点と欠点を視野に入れて考えると、メリットデメリットは五分五分だと思える。
どちらに傾いても、最終目標は譲葉を幸福にする事だ。
月裏はその後も数々の未来を思い、安堵したり寂しさを覚えたりと感情の迷路を辿った。
「月裏さん、急だが明日会う事になった」
「えっ……!」
帰宅早々、聞かされた報告に放心してしまう。展開が早すぎて、頭が真っ白になった。
「さすがに月裏さんが居ない時に部屋に上げるのはと思ったから、この付近で会う事になった」
「…………付近?」
周囲の建造物を記憶から掘り起こしたが、スーパーや公園くらしか浮かばない。
「駅で待ち合わせて顔を合わせる、その後どうするかは未定だ」
「そ、そう……」
極まった無表情で話す譲葉は、重大な話をしている割に平気そうに目に映る。
月裏ならば未定事項は絶対埋めてしまうが、そうしない譲葉は意外にも大胆なのかもしれない。
自分とは違う性格の中に、強さを見た気がした。
「良いよ、家呼んでも……ただ服の部屋には入らないでほしいかな? リビングは……まぁ良いか」
貴重品は引き出しの中にあるし、家にある物で隠したいものは大してない。
「……そうか……」
隠したいものは、体に残る傷跡と自分の性格くらいだ。
「……上手く行くと良いね……」
譲葉の本音を訊ねようと思ったが、もし否定に傾いていたらの場合を考え、もう一日だけ待ってみる事にした。
着替えていても布団に入っても、絶えず心臓が早い脈を打っている。目を閉じれば、耳に轟くほどだ。
本来緊張すべきは譲葉なのに、当人以上に反応してしまっている自分を可笑しく思った。
目が覚めると真っ先に、譲葉の居るベッドへと視線が向かった。いつもの後ろ姿を目にして、日々は幕を開ける。
しかし今日は、その姿が無かった。
お手洗いに行っているのか、早くに起床しただけか。などと色々考えながらリビングに入ると、椅子の背凭れに大人しく納まる背中が見えた。
「おはよう譲葉くん」
「……おはよう月裏さん」
首だけを振り向かせ、横目を向ける。考え事でもしていたのか、眠気がまだ顔に残っていた。
「大丈夫?」
言いながら真正面に移動すると、譲葉の視線も一緒に移動する。キッチンに立った時、その動きは分からなくなったが。
「……大丈夫だ。起きたは良いが、今更眠くなってきただけだから」
自然とやかんを取り、水を入れてコンロにかけた。
「そう、眠くなってきたなら寝てきても良いよ。無理はしなくて良いからね」
文字通りの意味と、もう一つの意味を込めて伝えたが、譲葉に伝わっているかは不明だ。
「……そうだな……もう一度寝てこよう……」
欠伸を塞いで我慢した譲葉は、背凭れを軸に立ち上がった。
感情の見えない背中を見送りながらも、あえて補足は加えなかった。
そう言えばまだ、はっきりとした譲葉の気持ちを聞いていない。自分の意見を伝えるのに必死になってしまったり、上手い事状況の中に消されたりと、耳を傾ける機会が無かった。
今日は発するだけでなく、譲葉の気持ちにも耳を傾けてみよう。
全ては、彼の気持ちにかかっているのだから。
「朝日奈さん、考え事ですか?」
「あっ、いえ、すみません……!」
呼びかけに恐縮しつつ顔を上げると、にこやかな上司が立っていた。
こんな時は、前の上司の反応を思い出す。何も考えていない時でさえ、目に余る素振りがあれば心を木っ端微塵にされたものだ。
「…………何でもないです……すみません、もっと集中します、すみません……」
経験が先立ち、対処法を練り上げるよりも先に体が会釈を繰り返した。
「いやいや何でもないならいいんですよ。もし気分が悪いなら遠慮なく言って下さいね?」
声にこそ表さなかったが、配慮に非常に驚いてしまう。周囲にも同じ言葉をかけているなら疑問は無いが、もし自分だけを対象としてかけていたら……と思うと洞察力の鋭さに畏怖しそうだ。
このところ調子は良好で、自分自身顔色もいいと思っていたのに、見透かされているとしたら。
「……あの、僕変な顔してましたか?」
「いいえ?」
「……そうですか」
上司に別の用は無かったらしく、挨拶代わりに軽く手を上げると去っていった。
譲葉が電話をかけたか気になる。対面はどうなっただろう。上手く切り出せただろうか。
そもそも連絡を入れたかさえ怪しいのに、色々と想像してしまう。
もし会った時、互いが笑いあえるほど意気投合したら。
空想した時、嬉しいような寂しいような気分に襲われた。
優しくて真面目で、清らかで純粋で暖かい人。祖母も譲葉も認めてしまうような素敵な人。
面識のない相手への完璧なイメージ像が練りあがり、月裏はなぜか敗北した気になった。
気持ちは全て伝えた。だから後は成り行きに任せるだけ。助けを要求されない限り、遠くから見守るだけ。
利点と欠点を視野に入れて考えると、メリットデメリットは五分五分だと思える。
どちらに傾いても、最終目標は譲葉を幸福にする事だ。
月裏はその後も数々の未来を思い、安堵したり寂しさを覚えたりと感情の迷路を辿った。
「月裏さん、急だが明日会う事になった」
「えっ……!」
帰宅早々、聞かされた報告に放心してしまう。展開が早すぎて、頭が真っ白になった。
「さすがに月裏さんが居ない時に部屋に上げるのはと思ったから、この付近で会う事になった」
「…………付近?」
周囲の建造物を記憶から掘り起こしたが、スーパーや公園くらしか浮かばない。
「駅で待ち合わせて顔を合わせる、その後どうするかは未定だ」
「そ、そう……」
極まった無表情で話す譲葉は、重大な話をしている割に平気そうに目に映る。
月裏ならば未定事項は絶対埋めてしまうが、そうしない譲葉は意外にも大胆なのかもしれない。
自分とは違う性格の中に、強さを見た気がした。
「良いよ、家呼んでも……ただ服の部屋には入らないでほしいかな? リビングは……まぁ良いか」
貴重品は引き出しの中にあるし、家にある物で隠したいものは大してない。
「……そうか……」
隠したいものは、体に残る傷跡と自分の性格くらいだ。
「……上手く行くと良いね……」
譲葉の本音を訊ねようと思ったが、もし否定に傾いていたらの場合を考え、もう一日だけ待ってみる事にした。
着替えていても布団に入っても、絶えず心臓が早い脈を打っている。目を閉じれば、耳に轟くほどだ。
本来緊張すべきは譲葉なのに、当人以上に反応してしまっている自分を可笑しく思った。
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