筆を折る

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筆を折る(1)

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 コメントも通知もない。けれど孤独は戻らなかった。
 もちろん、姿を消した理由を頭は求める。曖昧な最後が引っ掛かっている。可能なら謝罪だけでもしたかった。なんて、原因も分からなければ、会えもしないのに。
 
 なんて諦めかけて数日、奇跡は意外と身近にあった。記憶通りの背中が、数メートル先で揺れていた。

 謝罪したい。原因が分かれば更にいい。なら、謝りに行くのが正解だ。けれど、今度こそ作品ごと嫌われたら――気温と恐れに促され、汗が次々と滴り落ちる。
 正直、ものすごく怖い。けれど、引っ掛かりを抱えたまま、書き続けるのはやっぱり嫌だ。

 保っていた距離を、決意に身を任せて詰める。名を呼ぶと、背中が竦んで止まった。
 怯えを含みながら、SORが振り向く。逃げ去る瞬間を想像し、声で隙を埋めた。

「この間はすみませんでした! 不快な思いをさせてしまいま」
「違います! 私の勝手な事情です! ほむさんは何も悪くありません!」

 だが、逆に上塗りされる。顔が見えないほど、頭が下がっていた。

「アカウント急に消して、悩ませてしまいましたよね……すみません。あの、消した後も作品は拝見させて頂いておりまして……やっぱり面白くて、大好きで……」

 告白の中には、上部《うわべ》と真逆の色が灯っていた。温かくて、やっぱり心が滑らかになる。

「SORさんは僕の支えです。なんて重いかもしれないけど……」
「あの」

 俯いたまま、鞄から出されたのは日射だった。変わらぬ姿がそこにある。

「読めませんでした……」
「えっ」

 読まないではなく読めない――理由はやっぱり一つしか見つからなかった。語りすぎて、重くなってしまったのだろう。
 けれど、反省とは裏腹に、未読は勿体ないと考えてしまう。

「すみません。あの、この間の語りは全部忘れて頂いて下さい。あと、感想を求めたりもしないので、やっぱり読んでほしいって言うか……僕のせいで読まずに終わるのは寂しいって言うか」
「違うんです。内容はもう知ってるんです」
「え」
「これ、私の作品ですから」

 頭から爪先へ、衝撃が走った。夢より読めない展開に、頬をつねるのも忘れてしまう。

「佐藤タデ先生……なんですか?」
「はい」

 サイン会か何かで会えていたら、僕は全身で歓喜を蒔いたことだろう。しかし、今は相応しくないと瞬間的に分かってしまった。伏せられた目に上がりきらない口角、やや中央に寄った眉――それら全てが苦さを帯びていたからだ。
 きっと、僕の目に映るものこそが“窓をさす日射”への感情なのだろう。

「すみません、何も知らずに……」

 今だって何も知らない。けれど、単純な想像くらいはできた。

「私こそちゃんと話をしてから消えればよかった……宜しければ喫茶店に入りませんか? 外は暑いですし」

 笑まれて、体の湿り気を自覚する。SOR――タデの瞳には覚悟と、それからやっぱり柔らかな綿雲があった。
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