君の為の物語

有箱

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「あっ、また手付けてない!」

 お決まりの声に引き戻され、頭の中の世界が閉じる。瞬間、眩しさを自覚し、五感も働きだした。ブルーライトを霞ませる朝日が、遮りのない窓から注いでいる。キーボードと連携していた手が、自然と遮光を買ってでた。

 いつも通り視線が右へ、それから下へと点を結ぶ。そこにはコピーしたような一場面があった。頬をやや膨らませた彼女の下方、形の違う二つの握り飯がある。

「ごめん集中してた……えっと、おかえり」
「ただいま聖《ひじり》くん。ちゃんと食べて寝てくれないと心配になっちゃうんだけど?」
「本当ごめん。切りが良いところでって思ってたら……」

 私は作家だ。否、今は世間から透明にされている唯の物書きである。二十五の時、一作だけ注目を浴びた。だが、以降出版すら不可能な駄作制作マシンと化した。
 現在は、作家に戻るため必死に世界を編んでいる。とは言え、この作業も近々五年になるが。

 そんな見過ごせないような歳月にも拘らず、彼女ーー陽菜乃は寄り添い続けてくれた。不満も不安も見せず、私以上の仕事を掛け持って。

「ってことで朝食できたよ。食べよ」

 固くなった握り飯を回収し、陽菜乃は軽やかに立つ。私はというと、型のついた体に苦戦し、その背を一旦見送った。

***

 味噌汁とオムレツ、カラフルなサラダ。それと、作りたてに戻った握り飯がある。和洋混ざった食卓を挟み、私たちは向かい合った。口に含んだ出汁の優しさが、身体中に染み渡る。

「美味しい……」
「それは良かった。エネルギー足りてなかったんだよ、きっと」

 同じメニューを口にした陽菜乃は、一時《ひととき》を慈しむよう穏やかに笑む。世界を行き来していた脳には、少々遅すぎるほどのーーだが快いーー緩やかさがそこにはあった。
 心身が欲するまま、握り飯を頬張る。あっという間に全て取り込み、頷いた。

「そうかも」
「小説、中々上手くいかない感じだね」

 陽菜乃は小学生の級友で、夢見る時代の私を知っている。彼女との共通点も小説で、その頃から私を応援してくれていた。
 作家になったら結婚しようなんて誓い、実現させたはいいがこれだ。捨てられると怯えていたが、陽菜乃は見放しすらしなかった。

 私は、そんな陽菜乃を心から愛している。だから、彼女の為に再び夢を叶えたい。

「うん。色々頭ん中にネタは出てくるんだけどさ、これだ!って感じになってくれないんだよなぁ……」

 脳内では、常に多数の並行世界を展開させていた。人気要素や流行を引き込みつつ、オリジナリティを併せ、展開には心地よさを。そんな基盤を神の如く掲げて。
 ただ、どうしても美しい世界は練りあがらなかった。理想が折られ続け、焦燥すらするほどに。

「そっかぁ、やっぱ大変なんだね」
「まぁ、でも頑張るよ。陽菜乃ばかりに無理させられないからね」
「無理してないのにー」

 馴染みすぎたやり取りに、陽菜乃は無邪気な笑みを讃える。私も同じ振りをして、苦さを飲み込んだ。
 さすがに五年は、長すぎる。
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