君の為の物語

有箱

文字の大きさ
4 / 4

最終話

しおりを挟む
 刻んだ記憶を辿るほどに、心までもが流れ込んできた。

 拙い文章でも良かった。ただ楽しかった。心のままに世界を紡げて、矛盾点も味の一つで。気取った奴なら馬鹿にするようなそれを、読んで喜んでくれる人がいて。エンディングの続きや裏話で盛り上がって。

 でも段々目的ができて。現実と向き合いはじめて。楽しさに辛さが混ざりだして。それでも書くことが好きで。大好きで。続けたくて。

 夢を掴んだと思ったら、また打ちのめされて。戦って。そう言えば、その頃から段々見せなくもなったっけ。一度拒絶してからは、陽菜乃から求めてくることも減って。そうこうして、一体何年になるだろうか。

 もしかして、陽菜乃はずっと待ってくれていたりするのだろうか。
 
「ねぇ聖くん、小説書くの辛い?」

 ページを捲る手が止まる。視線を飛ばすと、陽菜乃は私を直視していた。

「……そうだな」
「嫌いになった? もう書きたくない?」
「……ううん」

 純粋さまで流れ込んだのかもしれない。嘘を繕う必要を、今は一切感じなかった。枷に縛られていた真心も、不思議と解放されている。自分でも理解しきれなかった心が、喉を伝い零れていた。

「それは違う。私は書くことが好きだし、続けたいとは思う。もう一度作家に戻りたい気持ちもある。けど、世間と能力が私を許さないから……それに、これ以上陽菜乃に迷惑をかけたくない」

 陽菜乃は、私の発言と真逆の顔をする。それから、穏やかな声を紡ぎだした。

「私、迷惑だと思ったことないよ。聖くんが頑張ってるの好きだし。でも辛いのなら、もう一度だけ書いてみてよ。次は聖くんの好きなようにさ。世間様の為じゃなくて自分の為だけに。この小説たちみたいに。それが終わったら、二人でちゃんと今後のことを決めよう。私がそうしてみてほしい」

 言葉が、微笑みが、私を擽る。心を走らせる。
 ニーズも関係ない。文章力も構成も関係ない。指先が紡ぐままに物語を描く。そんな風に描けたなら、きっと濁った瞳は透き通る。その目で未来を見られたなら、続きでも終わりでも、きっと受け止められるだろう。
 それに、陽菜乃が求めるのなら、私に拒否する理由はない。

「…………それもいいかもしれないな」
「よし、じゃあ今日はそろそろ寝て、明日に備えますか! バイト休みだったよね?」

 時計に導かれた瞳が、二十三時七分を捉える。運よく明日は一日フリーだ。充分な時間が確保できる。陽菜乃の言う通り、休息の後に取り組んだ方が効率はいいだろう。
 だが、心が寝かせてくれそうになかった。

「……いや、今から書く」
「おっ」
「明日じゃなくて、今日から書きはじめたい!」

 まだ、文章の一つすら咲かない。世界の欠片さえ見当たらない。
 それでも書きたいと疼いている。誰の為でもない、私の為の物語を。

***

 陽菜乃は空気を読んでか、就寝の挨拶をし出ていった。いつもの動作を少し足早に済ませ、文書の新規ページを開く。

 全身が高揚している。こんな感覚が生きているとは思わなかった。未だ世界は芽吹かなかったが、その焦りさえ心地よかった。

 私は今、何が書きたいだろう。今、私が好きなものはなんだろう。
 どんな気持ちが、世界が、溢れたいと訴えているだろうか。私が物語に込めたいものはーー。
 
「捗ってる?」

 突如、扉が空いた。足音のない登場に肩が跳ねる。ロックオンした時計は、深夜二時半を指していた。

「まだ……。えっと、今夜中だよ?」
「喉乾いちゃって。で、聖くんはお腹が空いてくる頃じゃないかな、と」

 その手には握り飯がある。いつもの形が違う握り飯だ。右側の丸形はチーズおかかで、左の三角はツナマヨ。どちらも私の好きな味である。
 ふと、懐かしいを逸話を思い出した。形の違いについての話だ。

"何で形が違うかって? 手触りで判断できるようにだよ。これで書きながら食べれるでしょ"

 そんな風に笑ったあの時の顔が、今目の前にある。

「あのさ、面白くないかもしれないけどさ、完成したらまた読んでくれる?」

 快い緊張感に、心臓が高鳴った。頭の中に物語が咲き始める。

「もちろん! すっごい楽しみにしてる! じゃあ邪魔しちゃ悪いから部屋に戻るね! 執筆楽しんで!」
「うん」

 私以上に嬉しそうな陽菜乃が、彼女が愛しい。その笑顔が、背中が、言葉が、行動が、全てが愛しい。
 温度を含めた握り飯を頬張る。優しい味は、身に染みて幸福を味わわせた。
 そうか、私が書きたいのは、世間でも自分の為でもなくてーー。

 指先が、最初の一文をタイピングする。頭ではなく、心が書いた文章だ。
 恐らく世間には受けない。お蔵入りが増えるだけかもしれない。けれど、必ず陽菜乃は笑ってくれる。それから私も幸福になる。
 今から紡ぐのは、そんな物語だ。
 
 ーーこれは、君だけに捧げる、君の為だけの物語。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

借金した女(SМ小説です)

浅野浩二
現代文学
ヤミ金融に借金した女のSМ小説です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

妻への最後の手紙

中七七三
ライト文芸
生きることに疲れた夫が妻へ送った最後の手紙の話。

処理中です...