可哀想なわたくしが、世界でいちばん可愛いのです!

希猫 ゆうみ

文字の大きさ
46 / 50

46(アベル)

「よしてくださいよ、兄上。僕は弟ですよ?そう畏まれると居心地が悪いですって」
「あー……」

面倒見のいいカールフェルト伯爵は、母と僕の生活を劇的に変えた。
ろくでもない人格の父親に育てられた僕は、父親違いの兄カールフェルト伯爵に庇護される生活を満喫している。

まず、煩くない。
堅苦しくもないが礼儀正しい兄シモンは、品性を損なわない程度に豪快で愉快な大人の男だった。

「だよな。そろそろ、いいか」
「そうですよ」

兄は僕が望む前に声をかけてくれるし、話をしたくなった頃に尋ねてくれる。全てが丁度いい按配で、ちょっと畏まった口調を使われたところで別に居心地が悪くなったりはしない。
単純に、もっと仲良くなりたかった。だから嘘をついた。

「よし。じゃあ、アベル」
「はい、兄上」
「馬をやろう。ついてこい」
「やった!」

優しくて頼れる兄。
敬愛する聡明な姉。
僕は此処へ来て、自分がかなり幸せな人生を生きていると気づかされた。

「一人で遠くに行くなよ?まだ土地勘がないし、一応、高貴な閣下からお預かりしている御子息なんだから」
「無断でね」
「ああ。俺の首が掛かってる」

こんなに軽口を言い合える相手はこれまで誰もいなかった。
馬を選んで辺りを駆け回り、兄と共に笑い転げながら帰って来ると、バルコニーに佇む母が見えた。

泣き喚いたり、歌ったりしている声が、夜、よく聞こえてくる。
狂ってしまったようで、でも、そんな母はとても自由で、むしろ正気に戻った姿のように僕の目には映っていた。

そして今、母の目には晴れた空が映っているのだろう。
見ているのは、きっと、誰かと眺めた空なのだ。
母は今、愛の続きを生きている。

「芸術が好きなのはわかったが、何でも愛好しているのか? 絵とか、音楽とか、あるだろう」

兄が、母を見ていた僕を現実に引き戻す。

「そうですねぇ、文献で読む限りいちばん興味を引かれるのは宗教画ですね」
「宗教画……」
「ええ。でも、オペラはよかったなぁ。歌をやってみたいです」
「歌か……」
「兄上はオペラとか、どうです?」

兄がバルコニーの母を一瞥し、それから、小さく口ずさみ始めた。
僕は足を止めた。兄が歌うと思わなかったし、兄は、とてもいい声をしていた。

「……望むなら、音楽教師を雇ってもいい」

短い喉自慢の後、兄は言った。
少し躊躇いがちに感じたのは、詳細はわからないけれどたぶん母を気遣ったのではないかと予測する。

あの男から手紙が届いた。
カールフェルト伯爵に宛てられたクルーム侯爵の手紙は、最初、丁寧なものだった。それが攻撃的な命令に変わったのは、三通目の返事の後だ。

『離婚は後でもいいから、息子を返せ。後悔するぞ』

つまりは脅迫だった。
どうして僕が手紙の内容を知っているかというと、そろそろクルーム侯爵が行動に出るだろうと予測していた時期に兄宛の手紙が届いたので、兄に頼んで読ませてもらった。それ以来、兄は共有してくれているのだ。

僕は言った。

「母に、離婚に応じないよう言ってください。身分は母の鎧です。命を守る為の鎧ですから、兄上の父君も妥協してくれるはずです」
「まあ、そうだが。併し、ついに『誘拐罪』をちらつかせてきたな」
「僕が自分の意思で兄のところに引っ越したのに、馬鹿な爺さんですよ」
「俺への脅迫としてはまっとうだ」
「まっとうな脅迫なんかありません。あぁ、死ねばいいのに」
「本当に嫌いなんだな」
「当然です。母上を殴って、首を絞めたんですよ?」
「なんだって?」

まだ話していなかった母への暴力について、うっかり口を滑らせてしまった。
兄の表情が冷酷な怒りに変容していくのを眺めていると、胸がスカッとした。

「僕をいいなりにしたくて、目の前で虐めたんです」
「……」
「何度もじゃないですよ?それで決意して、二人で出奔したんですから」
「だが、居場所は知られている」
「ですよね。兄上、頑張ってください」
「暴力は一度きりか?」
「まあ、最近の大きいのはそれ一回かな。三年くらい前までは、やられっぱなしな僕でした」

そこで兄が苛立ち混じりの深い溜息をついた。
僕は兄に笑顔を向けた。

「僕はすばしっこいんです。躱し方を心得てからは簡単でしたよ。毎日おちょくってやりました」
「永遠に帰らなくていい。もう誘拐で結構だ」
「大丈夫ですよ。何年か待てば、僕の方が確実に強くなります。そうだ!兄上、剣の稽古をつけてください。兄上の逞しさを見れば、達者なのは明白ですよ!」

若く健康な僕が、老いた父親を暴力で黙らせたら、さすがにまずいかな。

「自分で自分を守れるようになれば、母上も安心してくれますよね」
「実を言うと、お前が成長して父親から爵位を奪えば解決する。本当に領地経営に興味がないのか?」

兄が自分で自分を諭している様子で丁寧に言葉を選んで僕に尋ねた。
僕はとぼけて空を眺めた。

「できなくはないけど、楽しくないですからね」
「……楽しいと感じそうな血筋なんだがな」
「確かに。姉上は生き生きとやっていますしね」
「アベル。今日一日、俺と執務室に籠れ。相手が悪かっただけかもしれない」
「兄上を手伝うだけなら歓迎です」

母が僕たちに気づいたのか、素早く身を翻し中に隠れてしまった。
別に避けられているわけではなく、食卓や、日中に図書室などで顔を合わせれば話してくれる。
以前より多少陰気になったものの、母はとにかく安心して暮らしているのがよくわかるから、僕はそれが嬉しい。

僕の生物としての父親は最悪だった。
でも、兄の父親は、本当にいい人間だったのだろう。
会ってみたかった。

そうしたら、きっと、僕が見たこともないような母の笑顔も、見ることができただろう。

この日から、僕は兄の補佐を務める形でカールフェルト伯爵家の仕事に携わるようになった。
兄の言った通り、相手が悪かっただけだとすぐにわかった。
ただ、クルーム侯爵家を継ぐと誰よりもまずあの男を喜ばせてしまうのが癪で、大問題だった。

そんな些細な葛藤を抱えながら楽しく毎日を過ごしていると、季節はあっという間に過ぎていった。

姉が女の子を産んだという報せには、僕はもちろん、母も喜んだ。
久しぶりに見た元気な母の笑顔に僕はますます嬉しくなった。兄も喜んで、家族だけで遠くの公女誕生を祝うパーティーを催してくれた。

国王夫妻の孫娘である公女ガブリエラと、その母親トーシュ公爵夫人フレデリカ。
王家から、二人がすこぶる健康であると公表された直後。

カールフェルト伯爵を相手に、クルーム侯爵が宣戦布告。

僕を攫い、兄と母を殺す為、あの男は兵を挙げたのだった。
感想 62

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢にされたので婚約破棄を受け入れたら、なぜか全員困っています

かきんとう
恋愛
 王城の大広間は、いつも以上に華やいでいた。  磨き上げられた床は燭台の光を反射し、色とりどりのドレスが揺れるたびに、まるで花畑が動いているかのように見える。貴族たちの笑い声、楽団の優雅な旋律、そして、ひそやかな噂話が、空気を満たしていた。  その中心に、私は立っていた。  ――今日、この瞬間のために。 「エレノア・フォン・リーベルト嬢」  高らかに呼ばれた私の名に、ざわめきがぴたりと止む。

結婚式の翌朝、夫に「皇太子の愛人だろう」と捨てられました――ですが私は、亡き国王の娘です

柴田はつみ
恋愛
母の遺した薬草店を守りながら、慎ましく暮らしていたアンリ。 そんな彼女に求婚してきたのは、国内でも名高い騎士にして公爵家当主、アルファだった。 真っすぐな想いを向けられ、彼を信じて結婚したアンリ。 けれど幸せなはずの結婚式の翌朝、夫は冷たく言い放つ。 「君を愛していると本気で思っていたのかい? 」 彼はアンリが第一皇太子と深い仲にあり、自分との結婚は身を隠すための偽装だと誤解していたのだ。 アンリは実は、亡き国王の婚外子。 皇太子にとっては、隠して守らなければならない妹だったのである。

文句を言わない婚約者は、俺の愛する幼馴染みを許していなかった【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
幼馴染を優先しても、婚約者アウローラは何も言わない。だから、これからも幼馴染みとイチャイチャできる── 侯爵令息トリスタンは、そんな甘い幻想を信じていた。 だが婿入りした瞬間、彼の“軽んじた態度”はすべて清算される。 アウローラは冷徹に、トリスタンの傲慢と欲望を1つずつ暴き、労働と屈辱を与える。 そして最後に残ったのは、誰にも必要とされない現実だけ。 「どうして……俺は、こんなにも愚かだったんだ」 これは愛を勘違いし、身分を過信し、自分の価値を見誤った男の終焉を描くダークドラマ。 ⚠️ 本作は AI の生成した文章を一部に使っています。過激ざまぁタグあります。 4/1「エステルに対する殺意」の内容を一部変更しました。

【完結】悪役令嬢は婚約者を差し上げたい

三谷朱花*Q−73@文フリ東京5/4
恋愛
アリス・デッセ侯爵令嬢と婚約者であるハース・マーヴィン侯爵令息の出会いは最悪だった。 そして、学園の食堂で、アリスは、「ハース様を解放して欲しい」というメルル・アーディン侯爵令嬢の言葉に、頷こうとした。

【完結】私を裏切った不倫夫に「どなたですか?」と微笑むまで 〜没落令嬢の復讐劇〜

恋せよ恋
恋愛
「早くあんな女と別れて、可愛い子と一緒になりたいよ」 不倫中の夫が笑う声を聞き、絶望の中で事故に遭うジェシカ。 結婚五年目に授かったお腹の子を失った彼女は、 「記憶を失ったフリ」で夫と地獄の婚家を捨てることを決意。 元男爵令嬢の薄幸ヒロインは、修道院で静かに時を過ごす。 独り身領主の三歳の男の子に懐かれ、なぜか領主まで登場! 無実の罪をなすりつけ、私を使い潰した報いを受けなさい。 記憶喪失を装った没落令嬢による、「ざまぁ」が幕を開ける! ※本作品には、馬車事故による流産の描写が含まれます。  苦手な方はご注意ください。主人公が絶対に幸せになる  物語ですので、安心してお読みいただければ幸いです。 🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。 🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。 🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。 🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。 🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!

【短編完結】地味眼鏡令嬢はとっても普通にざまぁする。

鏑木 うりこ
恋愛
 クリスティア・ノッカー!お前のようなブスは侯爵家に相応しくない!お前との婚約は破棄させてもらう!  茶色の長い髪をお下げに編んだ私、クリスティアは瓶底メガネをクイっと上げて了承致しました。  ええ、良いですよ。ただ、私の物は私の物。そこら辺はきちんとさせていただきますね?    (´・ω・`)普通……。 でも書いたから見てくれたらとても嬉しいです。次はもっと特徴だしたの書きたいです。

「君を抱くつもりはない」初夜に拒絶した公爵様、身代わりの後妻(私)が姉の忘れ形見を守り抜く間に、なぜか執着が始まっています?

恋せよ恋
恋愛
「私は君を愛さない。僕の妻は、亡きフィオーラだけだ」 初夜の晩、初恋の人パトリックから告げられたのは、 凍りつくような拒絶だった。 パトリックの妻・姉フィオーラの出産後の不幸な死。 その「身代わり」として公爵家に嫁いだ平凡な妹ステファニー。 姉の忘れ形見である嫡男リチャードは放置され、衰弱。 乳母ナタリーの嘲笑、主治医の裏切り、そして実家の冷遇。 不器用で健気な後妻が、真実の愛と家族の絆を取り戻す、 逆転のシンデレラストーリー。 🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。 🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。 🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。 🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。 🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!

婚約破棄で悪役令嬢を辞めたので、今日から素で生きます。

黒猫かの
恋愛
「エリー・オルブライト! 貴様との婚約を破棄する!」 豪華絢爛な夜会で、ウィルフレッド王子から突きつけられた非情な宣告。 しかし、公爵令嬢エリーの心境は……「よっしゃあ! やっと喋れるわ!!」だった。