婚約者様にお子様ができてから、私は……

希猫 ゆうみ

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「ねえ、スノウ先生。スカーレイ先生って実は不機嫌じゃない?」

八才のフローラ姫はおてんばに加えて利発なので、こっそりと私にそう質問してきても不思議ではなかったのだが、こちらとしては正直に答えられたものではなかった。

「あの、ええと……」

言い淀む私をスカーレイが目敏く見とめ、席を立った。

スカーレイは私の監督者としてダンスの授業中もずっと室内に控えている為、隠し事はできない。そもそも〝罪の子〟である私の存在以外やましいことは一つもなかった。

これは逆も然りで、語学の授業には私も同席することが許されていたので、フローラ姫と一緒にスカーレイから学ぶことができている。
恩情で同席を許されている私が質問するなど出過ぎた真似は絶対にしない。それでも八才の姫君に向けた基礎的な語学教育は私にもわかりやすく、深い学びになっている。

これを幸せと呼ばずなんと呼べと言うのか。
私は確かに幸せなのだった。

第一、フローラ姫は元気で可愛らしく愛くるしい。
この方の為なら命も惜しくないと母性本能を掻き立てられる日々は、貴族の忘れ形見である赤子の養母になるという近い未来を既に凌駕している。

このようにスノウは今日も幸せだった。

「どうしました?先生を困らせてはいけませんよ?」

傍に来るとスカーレイはまずフローラ姫を問い詰めた。
スカーレイはフローラ姫にとって厳しい語学教師である。

身分からして低く遜る以外ない私は、フローラ姫にとって気楽に付き合える大人であるらしかった。

八才の姫君に〝罪の子〟という存在がどの程度理解できているか定かではないが、少なくとも現段階で侮蔑されたことは一度もない。
いずれ態度が豹変するかもしれないという覚悟を持ちながら、私は来たるべき舞踏会に向けてダンスを教えさせて頂いているのだ。

「そう言うスカーレイ先生はスノウ先生を困らせていないの?」

フローラ姫は勝気なので、スカーレイが厳しかろうと臆することはない。

「どういう意味です?」

スカーレイも臆することはない。
片や優雅で、片や最も高貴ながら勝気な二人の会話はその多くがハラハラするものだが、もう慣れた。

フローラ姫が頬を膨らませ腰に手を当てる。
この威張る姿勢の可愛らしいことといったら、もう……

「先生、今日すごく不機嫌でしょう。隠してもわかるんだから」
「……」

スカーレイも真顔で不機嫌さを表し、姫君と睨み合った。

アスガルド王国随一の美貌と名高いスカーレイはどんな表情も芸術的に美しいが、その無表情は畏怖の念を抱かずにはいられない程に神々しく輝いている。
怒った顔は、とても恐い。主にフローラ姫の我儘が過ぎる時などスカーレイは無言で目を剥くが、それを見て面白がれる幼い姫君の度胸もまた畏怖の念を掻き立てられるものだった。

「スノウ先生に八つ当たりしちゃ駄目よ?」

フローラ姫の見当違いな忠告に焦りを覚えた私は中腰になって二人の間に割って入ろうとしたが、小さな姫君が右に飛び退いた為、無に帰した。

「……」

そんな私の肩にスカーレイはそっと手を置き、フローラ姫をじっと見下ろす。

「姫様。私が不機嫌だとしてもスノウ先生を虐めたりしませんよ?」
「それならいいけれど。でも……息苦しい!」
「大人の事情には気づかないふりをなさるようにとお教えいたしましたでしょう」
「一昨年ね。もう八才よ?私を大人の女性に育てあげるのが二人の仕事でしょう?何があったの?聞いてあげるから言ってごらんなさいよ!」

八才のフローラ姫は既に権威をふるっている。

スカーレイは小さく溜息をつくと気遣うような視線を私に向けた。
私は徐々に周囲に知れ渡っており、じきに王国中に周知されるであろう私の結婚について気持ちの整理がついていた。

私が笑顔で頷くと、承諾と捉えたらしくスカーレイも頷いた。
そして大人に顛末を伝えるような口調でフローラ姫に伝えた。

結果、フローラ姫が憤慨した。

「はああああっ!?」

その後、フローラ姫の口からは凡そ八才の姫君が発してはいけないような罵詈雑言が止まず、どこでその言葉を覚えたのかと咎めるスカーレイの叱責との応酬が激化し、授業どころではなくなった。

「私が大人だったらヴィクターを吊るして鞭で五千万回叩いてやるんだから!!」
「姫様。死にます」
「女の敵に生きる価値なし!!」
「姫様。おやめなさい、はしたない」
「自分だって怒ってたくせに!」
「私は罵りませんよ?やりもしない刑罰だって軽率に口にしません」
「大人は狡い!そうやって善人面して逃げるんだわ!とりあえずヴィクター・ストールは王室騎士団から追放よ!!」
「姫様。権力が欲しかったらまずはお行儀よくお過ごしになることです。姫様であるからこそ、話はそれからです」
「大人しくしすぎてスノウ先生は馬鹿にされたのよ!私のスノウ先生を傷つける奴は木端微塵に引き裂いて地獄の底で業火に焼かれて叫び散らかしてもらっ────あれ誰ッ!?」

吠え猛る仔獅子のようなフローラ姫が気色ばんだまま唐突に視線を逸らし、勢いのまま疑問を叫ぶ。
スカーレイのお説教から逃げる時の態度と酷似していたが、今は話を逸らしたいというより突き詰めたい様子のフローラ姫であることと、宮殿内で姫君の授業中にも関わらず未知の人物が視認できるという異常事態であることが私たちを同時に突き動かした。

私とスカーレイは咄嗟にフローラ姫を庇う姿勢を取り、周囲に注意深く視線を走らせる。

「誰でもいいからヴィクターを殺してよ!嫌いィィッ!!」

フローラ姫の金切り声が耳をつんざく中、その人物はやや驚いた表情を浮かべこちらに向かって歩いて来るのだった。

アスガルド王国の軍服を着ている。
若い軍人だ。

危険は、ないだろう……

「……」

その軍人は私を見ていた。
深い湖のような瞳の色が、印象的だった。
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