婚約者様にお子様ができてから、私は……

希猫 ゆうみ

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あれから城内の空気が変わった。
ヴィクターに対する嫉妬で不機嫌な者もいるにはいるが、それより過度な待遇と総帥の関与に対して警戒心が高まっている。

二十三年前の戦いを知る者たちが各々の立場からカイン・ガルムステットという男を恐れているようだった。

私はアスガルド国王から悪戯に縁談を持ち掛けられ嫌悪しかなかったが、あの呪われた男がスノウを使い交渉を成し遂げてしまったことに憤りを覚えずにはいられなかった。

そしてヴィクターだ。
普段あれほど傲慢な振る舞いをしているというのに、肝心なところで敵に圧されあっさり敗北した。
急ぎ父に便りを送ったがティレスタム伯爵家及びフリュク伯爵家までこの危機が正しく伝わる頃、事態がどこまで変化してしまうか予測できない。

大至急アレス王子を救出しなければならない。

「……?」

見回りも兼ねて城内を歩いていると、廊下の前方にフローラの乳母パウラ・ロヴネルを発見した。
肥満体は脇に置くとしても宮廷人の中で飛び抜けて粗野なあの女は唯一無二の存在感を示している。姫の乳母であろうと本人が血筋を弁えており、人当たりの良さも手伝ってあまり敵視されていない。
世渡りの上手い中年女だ。

授業が終わり、スノウには私の代理を務めるという口実で亡命に備えた語学の学習を言いつけてある。
フローラと同席させ基礎は身に付いているはずという前提で、一冊の異国の本を読み内容を私に説明するというのが今日の宿題だ。どこまで理解できるのか把握したい。

だから乳母がこんなところにいるということは、フローラが一人で野放しということだ。

「……」

まさか、あの忌々しい偽りの姫は、スノウの勉強を邪魔しているのだろうか。

「……」

葬る理由がまた一つ増えた。
だが、今はまだその時ではない。

パウラ・ロヴネルはメイドからトレイを受け取る間も始終笑顔だった。メイドの方も普段から付き合いがあるのか打ち解けた笑顔で軽い挨拶を済ませ足早に立ち去る。

相手の姿が見えなくなると、パウラ・ロヴネルはトレイに乗るグラスに鼻を寄せた。

「……」

卑しい平民の女。
私はその嫌悪感で眉を顰めた。

併し次の瞬間、平民の中年女の顔つきが変わる。
些細な変化だったが、私は即座に物陰に身を潜めた。それからひっそりと様子を伺うと、パウラ・ロヴネルは肥満体にはそぐわない俊敏な身の動きで踵を返し、フローラの居室とは関係ない方向へとトレイを運び始めた。

「……」

追尾した私が数分後目にしたのは、草地にグラスの中身を撒く無表情の乳母だった。

「……」

陽気を装いその実は陰湿なのか。
或いは、愚鈍を装い実は鋭敏なのか。

少なくとも警戒すべき事態だった。
城内でパウラ・ロヴネルが給仕できるのはフローラ只一人であり、グラスの中身を捨てたのだ。毒見に他ならない。

私以外にもフローラ暗殺を目論む人物がいる。
そして私は、その相手を知らない。

同胞が協力者の存在を隠す理由はないことから、もう一人の暗殺者は《アヴァロン》の人間ではないということになる。

今、動き出した者。
動ける者は、あの呪われた男、レイクシアの神を蹂躙したカイン・ガルムステットの他はいない。

レイクシア王国からアスガルド教団に寝返ったあの男が、今度はアスガルド国王を裏切ろうとしているのか。あり得ない話ではない。

私は踵を返した。
フローラを抹殺してくれるなら手間が省けて結構だが、スノウが懐かれている。傍に居合わせたスノウがフローラを庇うかもしれない。怪我をするくらいで済めばいいが、たとえそうだとしてもあの美しい柔肌が傷つけられるなど到底認められない。

それにスノウの身柄は呪われた男の手の内へ移ってしまったのだ。

「……!」

急いでスノウの元へ戻らなければ。
今夜にでもフローラを殺しスノウを連れて逃げるのだ。現実はどうなるかわからない。だが、心構えはしておくべきだろう。

邪神を崇めるアスガルド王国は瓦解する。
飼い慣らしたはずの猛獣、カイン・ガルムステットの牙に砕かれ、爪に引き裂かれ臓物を撒き散らす。

私には二十三年前の記憶はない。
あの戦いを生き抜いた者たちのように生き延びる保証はどこにもない。

アレス王子を守る者たちを私は知っている。
だがスノウは、ただ蹂躙され貪られる弱い存在に他ならない。私しかいない。

スノウの身の安全を確保したら私は〝正義の子〟として生きよう。戦おう。
誉れ高きレイクシアの繁栄の為、私の、愛の為に。
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