はい、私がヴェロニカです。

希猫 ゆうみ

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19(ガイウス)

ヴェロニカの行方が依然としてつかめないまま月日は過ぎて行った。

まず第一に、誰の協力も得られなかった。

使用人たちはヴェロニカの行方について誰も知らないと言う。だが、その表情を見れば、知っていても口を割らないと覚悟しているのがわかった。

一人、キッチンでヴェロニカとよく一緒にいるのを見かけたメイドが姿を消していたのに気付いた。使用人たちは彼女を守っているのかもしれなかった。
彼女がヴェロニカの逃亡を助けてくれたのかもしれない。

私は気付かないふりをした。
ソレーヌに悟られないように、無意識にそうしたのだ。

皆、ソレーヌからヴェロニカを守っている。
それがわかるだけに、私は誰のことも責められなかった。

ソレーヌは当初からヴェロニカがオリヴァーを誘拐したのだと主張していた。私を含め、誰も信じてなどいない。だが妻がそう吹聴する恐れがあった。
私は宮廷に、此方の不手際が招いた事態という大前提の元、ヴェロニカの失踪を報告し、オリヴァーの捜索の援助を求めた。
併し、却下された。

ヴェロニカが去り、親子だけの穏やかな生活を望んでいるなら、そうさせるべきだというのが宮廷からの返答だった。
同時に、オリヴァーの相続権を守るよう強く命じられた。

意外だったのは、ソレーヌに対する気遣いもあったことだ。
身重だからというだけではなく、戦場での辛い経験から難しい状態にあるだろうからよく労わるようにとのことだった。

妻はかつて、女騎士として功績を讃えられた女傑だ。
私は結婚を通して彼女の誇りを傷つけてしまった。この結婚生活の在り方が少しでも違えば、ソレーヌをここまで追い詰めることはなかっただろうと悔やんでいる。

だが、現場は厳しい。

跡継ぎを身籠ったソレーヌは、それまで彼女を詰り謗った者たちへの復讐かのように高圧的な態度を隠さなくなった。
一旦、悪阻でそれどころではなくなったものの、使用人たちは随分と辛く当たられて、若い者たちから暇乞いが続出した。
年長者の励ましと配置換えでなんとか繋ぎ止めるに至ったものの、先が思いやられる。

私は独自の調査のみでヴェロニカを探さなくてはならず、当然ながら個人の力では限界はすぐに訪れた。
諦めはしなかったが、依然、成果は上がらない。

身重な妻が私の子を日々その体の中で育ててくれているのも事実であり、気持ちの面でも離れることができず、私は妻を労わり支えた。努めたというより、そうせずにはいられなかった。夫であり、父親なのだ。

では、ヴェロニカはなんなのか。
私は苦悶した。苦悶しながらヴェロニカとオリヴァーの無事を祈り続けた。

確かに愛している。
大切な、掛替えの無い存在だ。

それなのに、私は……

「旦那様」
「?」

執事の呼び掛けに我に返る。
客人が応接室で待機しているという。予定のない、突然の訪問だった。

もし、ヴェロニカについての情報が何か一つでも齎されたなら……

「……」

どんな些細なことでも構わない。

会いたい。
無事だと信じている。

だが、全く無関係な要件の訪問者である可能性もあった。
私は気を静め、自身を律した。

しかし客人の姿を見た瞬間、私の心臓は早鐘を打ち、目頭が熱くなった。

「……貴方は……!」

私を待っていた人物と、私は面識はなかった。
ただその顔を一目見ればそれが誰なのかは明らかだった。

「ダグ……」

目元が、ヴェロニカとよく似ている。
年齢も合致する。

正義を果たしたが為に、その報復として悪人に陥れられ冤罪で汚名を被せられ、命を狙われ、姿を消した近衛兵がいたという。

ヴェロニカの祖父で私と亡き父の剣の恩師でもあるゴメス元騎士団長も、娘エイダの相手は姿を消した近衛兵だと知っていた。
少年だった私は、亡き父からその件ついて聞かされていた。父亡きあとは私が恩師の娘家族の後ろ盾となることを、父も望んでいたからだ。また、本人や母子を守る為の箝口令であることも厳しく教えられた。

恩師は悔いていた。
娘エイダから夫を奪い、孫娘ヴェロニカから父親を奪ったのは、悪事を働いた徴税人の一族ではなく自分だと後悔していた。

自分が寛容な父親であれば、娘が耐え忍ぶこともなかった。
自分が寛容な舅になっていれば、陰謀から婿を守れた。

そう、生涯、悔やんでいたという。

「はい。私がダグラスです」

椅子から腰をあげ名乗った男の声を聞くなり、心が激しく揺さぶられ私は嗚咽を洩らした。

私はまず何よりも、私自身の罪についてこの人物に詫びなければならなかった。
併し私が駆け寄るより早く、ヴェロニカの父親ダグラスが跪き床に額を擦りつけた。

「お願い申し上げます、伯爵!娘を離さないでください……!」
「!」

胸が張り裂けるような痛みを覚えた。
私が平伏させてしまったのだ。あってはならないことだった。

「いけない……やめてくれ、そんなこと……!」
「お願いです!娘を一人にしないでください……!どうか、どうか……!!」

駆け寄り、跪き、その逞しい肩に触れ身を起こすよう促した。併しヴェロニカのようにはいかなかった。屈強な壮年の元近衛兵は、尚も額を床にこすりつけ私に懇願した。

「私は過ちを犯しました。妻に孤独を強い、一人で死なせてしまいました。どうか情がおありでしたら、娘の夫として、赤ん坊の父親として、関りを持ち続けてください。結婚まで望んだりいたしません。ただ家族で在り続けてください。お願いです、お願い申し上げます、お願いです、しないでください……!」

最後は涙声だった。
出だしの畏まった口調はすっかり消え去り、一人の男としての、身分を越えた無我夢中の懇願をしているのだった。

私は嗚咽を堪え、その肩に手を添えたまま祈るように言葉を返した。

「許されるなら、私も、そうしたい」
「伯爵……!」

ダグラスが勢いよく身を起こした。私は咄嗟に避けたが、入れ違いに跪き平伏した。

「……伯爵……」
「申し訳ない。私は、貴方の代わりを務めるべきだったのに、ヴェロニカに──」
「愛しているのかいないのか、どっちなんですか」

頭上から厳しい問いかけが降り注ぎ、叱責は却って私の心を癒した。

ああ、そうだ。
愛している。

私が、過ちを犯してしまった。
心の整理を付けず、物事の順序を弁えず、守るべき時に守れず、見失い、一人悶々としていた。

「愛している。だが、相応しい男には程遠い」

ヴェロニカの父親に、オリヴァーの祖父に、私は懇願したかったのかもしれない。
愛する許可を、得たかったのかもしれない。

「難しい状況を理由に離れて後悔しているのが、この俺です。俺……失礼いたしました。私です」
「許してください……」

私は、懇願した。
ヴェロニカの人生に関与し続けたかった。

「生きている間に会ってやってください。何度も」

ヴェロニカの父親が、そう、言ってくれる。
もう懇願の色はなく、命じるように、言葉をくれる。

手が震えたが、無論、ダグラスは握ってなどくれない。私もそこまで甘えられない。
だが、私を励ますか叱咤するつもりで紡がれたであろうダグラスの言葉に私ははっとした。

「可愛かったエイダは死に、娘は、知った瞬間もう母親になっていたのです。娘も孫も俺そっくりで、そりゃあ嬉しいですが、ヴェロニカの成長をこの目で見ることができなかったのは──」

私は身を起こした。
そしてダグラスの手を掴んだ。

「ど、何処に……!?」
「娘たちですか?」
「ぶ、ぶ、無事に……!」
「はい。元気です」
「ああ!」

思わずダグラスを抱きしめる。
当然ながら抱擁は返されなかったが、私は事実上の義父の体にしがみ付くよう抱擁しながら安堵の涙を流した。

耐えきれないものを感じたのかダグラスが冷静さを強調して言った。

「それで、奥様の調子はどうですか?」

私は抱擁を解き、ダグラスにソファーで寛ぐよう促した後、自分も向かいに腰を下ろした。
感極まっている場合ではない。

「貴方にこんなことを聞かせるのは心苦しいが」
「俺だって、あ、いや、私としましても」
「どうか私の前では畏まらないで。貴方は特別な方だ」
「そうですか?じゃあ、お言葉に甘えます。俺としては父親として命を懸けても娘を守るつもりで来ましたよ」
「……妻が、酷い仕打ちをして、すまなかった。心からお詫びします」
「随分と有名な女騎士だそうですね。で、具合はどうですか?」
「悪阻が落ち着き、安定したように思う」

そうですか、とダグラスが目尻を拭った。

「オリヴァーの異母弟ですか。きっと娘も、奥様の無事と、元気な子が産まれるように祈っていますよ」
「ヴェロニカは……そういう女性です」
「暮らしの心配は要りません。宮廷から俺の件で賠償金が出て、住まいも都合して貰えたので、充分やっていけます」

驚かされることばかりだった。
私の嘆願を却下した宮廷は、ヴェロニカの保護を私ではなく実の父親に任せていたのだ。私たち夫婦の行いを思えば納得の采配だった。

会話を続けながら、ダグラスは現在の近衛連隊長から発行された身元保証書と宮廷からの書状と通行証を並べ、身分の証明を徹底する。
手際の良さから交渉慣れしていると感じた。どのような人生を歩んでいたのだろうか。

「ところで、此方にアイザックという男がいませんか?愛称はザックです」
「アイザックか。厩舎にいるが」
「娘についてきて支えてくれているお嬢さんの恋人なので、連れて帰りたいのですが」
「え……!?」

私は快くアイザックを送り出した。
二人を見送りながら、次第に、ダグラスは私を牽制しに来たのではないかと思えてきた。
ヴェロニカがどれだけ守られているかを明らかにした上で、隠れずに交流を持つことで、尊厳と生命を脅かすような愚行は許さないと伝えに来た。違うだろうか。

そうでなければ、命を懸けて娘を守るという言葉は出ないのではないか。

「奥様の出産が無事に終わるまで、御内密に。刺激してはいけません」

去り際、ダグラスは厳しくそう言い残した。
さらにアイザックと二言三言交わした後、鋭い視線を建物全体へと投げ、刺客さながらの素早さで馬に飛び乗り、揃って宵の霧の中へと消えた。

守る為に姿を消すことも、守る為に命を懸けることも、私はまだ、していない。
父親としての強さを私も身につけなくてはならない。そう、強く思い知らされた。
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