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「ホイットモア山脈に不満が?」
夏の訪れを待ちバラクロフ城に帰還した私がホイットモア山脈への酷評を告げたところで夫レジナルドは眉を顰めた。
銀縁の眼鏡が怜悧な眼差しを数倍冷たく見せるのに役立っているが、本当の寒さを知った私には通用しない。
「くしゃみする前に凍るのよ。あの場所に春なんてない」
「君に見た目通りの繊細さがあるとは」
「あなたも凍ってくるといいわ。私の辛さが身に沁みる」
「遠慮しておこう。こう見えて忙しいのでね」
「ただいま」
「ああ、おかえり」
妻たる私との会話がすれ違いざまで行われたのには理由がある。
どうやらレジナルドはちょうど外出するところだったらしく、黒衣に身を包み些か荘厳な雰囲気を醸し出している。
「お葬式?」
そうであるならば私も同行するべきだろう。
「否」
「あら、そう」
「気にするな。それより旅疲れを解消しないと病むぞ」
「寝るわ」
こうして私たち夫婦は一季節ぶりの再会を果たした。
夏のバラクロフ侯領は緑豊かで湿気もなく、厳しいという程の気温でもなく、極めて快適だった。
追い迫るくしゃみと思いがけぬ山脈の寒さを乗り越えた私は、過ごしやすい一夏を満喫した。
それは景色であり、食べ物であり、届けられる手紙であり、招き招かれる社交界、つまり全てだ。全て普通だった。普通とは極めて平穏で好ましいという意味である。
自らの鼻で吸い込む生い茂った草木の匂い。
「緑の……大地……」
実に感慨深い夏だった。
生命力に溢れつつも穏やかな日常を送りながら私は夫レジナルドの動向に初めて興味を持った。
レジナルドは毎月決まった日に黒衣を纏い出かけ、夕方前には帰ってくる。
習慣と見ていいそれが何であるか、純粋に疑問を抱いたのが始まりだった。
畏まった格好からまず先代のバラクロフ侯爵、つまり父親への挨拶に行っているのかと思った。しかし先代のバラクロフ侯爵、つまり私の義父は離れの塔で隠居生活を送っており、わざわざ身形を整えて会いに行くほど物理的に畏まった距離ではない。
秋が訪れ食卓に新たな彩が加わったのを機に、その日、私は義父の住む塔を観察してみた。やはり夫は塔へは向かわず、馬に乗り丘を駆けて行く。
「?」
しかし思わぬ展開となった。
夫レジナルドと入れ違う形で義父が馬車に乗ってどこかから帰ってきたのだ。社交界にも顔を出さず滅多に外出しない義父にしてみれば、この日に限り外出するというのは一大行事に思われた。
私は夕食の席で夫レジナルドに尋ねた。
「あなた、毎月どこへ行ってるの?」
「ふん。女を囲っているわけでもあるまいに、まさか君に干渉されるとは」
「……」
「嫌味に聞こえたなら気のせいだ。君が気を煩わせる必要のない用事だと思ってくれていい」
「嫉妬していると思わないで。夫という立場の人間の定期的且つ正確な外出理由に対しての純粋な疑問よ」
「なるほど」
「秘密なの?秘密でも構わないけれど」
「墓参りだ」
「え?」
葬儀ではないと確かに言った。
だが察して余りある真実だった。
「何方の?」
「母だ。弟を死産し、その際に死んだ」
「そう……」
私とて人間だ。
まして夫の最も近い肉親の墓にさえ足を運んだことがないというのは倫理的に許し難い失態だった。
「言って下さればよかったのに」
「君が気にするまでもない。二人とも君が産まれる前に死んだ」
「でもあなた、毎月いらっしゃるでしょう?」
「だから?」
「夫の肉親の安らかな眠りを妻の私が祈ってはいけない理由があると仰るなら今ここで教えて」
そこでレジナルドはふと思案顔になり、はたと私を凝視した。
「君も来るか?」
「ええ。そう言ってる」
「そうか。それはありがとう」
「忘れないけれど、声を掛けて。私を置いて行かない為に」
「私は馬鹿ではない」
「そんなことは言ってない」
短い会話で次回の約束をし、疑問は晴れた。
夫の人間的な一面を見た一幕だった。
夏の訪れを待ちバラクロフ城に帰還した私がホイットモア山脈への酷評を告げたところで夫レジナルドは眉を顰めた。
銀縁の眼鏡が怜悧な眼差しを数倍冷たく見せるのに役立っているが、本当の寒さを知った私には通用しない。
「くしゃみする前に凍るのよ。あの場所に春なんてない」
「君に見た目通りの繊細さがあるとは」
「あなたも凍ってくるといいわ。私の辛さが身に沁みる」
「遠慮しておこう。こう見えて忙しいのでね」
「ただいま」
「ああ、おかえり」
妻たる私との会話がすれ違いざまで行われたのには理由がある。
どうやらレジナルドはちょうど外出するところだったらしく、黒衣に身を包み些か荘厳な雰囲気を醸し出している。
「お葬式?」
そうであるならば私も同行するべきだろう。
「否」
「あら、そう」
「気にするな。それより旅疲れを解消しないと病むぞ」
「寝るわ」
こうして私たち夫婦は一季節ぶりの再会を果たした。
夏のバラクロフ侯領は緑豊かで湿気もなく、厳しいという程の気温でもなく、極めて快適だった。
追い迫るくしゃみと思いがけぬ山脈の寒さを乗り越えた私は、過ごしやすい一夏を満喫した。
それは景色であり、食べ物であり、届けられる手紙であり、招き招かれる社交界、つまり全てだ。全て普通だった。普通とは極めて平穏で好ましいという意味である。
自らの鼻で吸い込む生い茂った草木の匂い。
「緑の……大地……」
実に感慨深い夏だった。
生命力に溢れつつも穏やかな日常を送りながら私は夫レジナルドの動向に初めて興味を持った。
レジナルドは毎月決まった日に黒衣を纏い出かけ、夕方前には帰ってくる。
習慣と見ていいそれが何であるか、純粋に疑問を抱いたのが始まりだった。
畏まった格好からまず先代のバラクロフ侯爵、つまり父親への挨拶に行っているのかと思った。しかし先代のバラクロフ侯爵、つまり私の義父は離れの塔で隠居生活を送っており、わざわざ身形を整えて会いに行くほど物理的に畏まった距離ではない。
秋が訪れ食卓に新たな彩が加わったのを機に、その日、私は義父の住む塔を観察してみた。やはり夫は塔へは向かわず、馬に乗り丘を駆けて行く。
「?」
しかし思わぬ展開となった。
夫レジナルドと入れ違う形で義父が馬車に乗ってどこかから帰ってきたのだ。社交界にも顔を出さず滅多に外出しない義父にしてみれば、この日に限り外出するというのは一大行事に思われた。
私は夕食の席で夫レジナルドに尋ねた。
「あなた、毎月どこへ行ってるの?」
「ふん。女を囲っているわけでもあるまいに、まさか君に干渉されるとは」
「……」
「嫌味に聞こえたなら気のせいだ。君が気を煩わせる必要のない用事だと思ってくれていい」
「嫉妬していると思わないで。夫という立場の人間の定期的且つ正確な外出理由に対しての純粋な疑問よ」
「なるほど」
「秘密なの?秘密でも構わないけれど」
「墓参りだ」
「え?」
葬儀ではないと確かに言った。
だが察して余りある真実だった。
「何方の?」
「母だ。弟を死産し、その際に死んだ」
「そう……」
私とて人間だ。
まして夫の最も近い肉親の墓にさえ足を運んだことがないというのは倫理的に許し難い失態だった。
「言って下さればよかったのに」
「君が気にするまでもない。二人とも君が産まれる前に死んだ」
「でもあなた、毎月いらっしゃるでしょう?」
「だから?」
「夫の肉親の安らかな眠りを妻の私が祈ってはいけない理由があると仰るなら今ここで教えて」
そこでレジナルドはふと思案顔になり、はたと私を凝視した。
「君も来るか?」
「ええ。そう言ってる」
「そうか。それはありがとう」
「忘れないけれど、声を掛けて。私を置いて行かない為に」
「私は馬鹿ではない」
「そんなことは言ってない」
短い会話で次回の約束をし、疑問は晴れた。
夫の人間的な一面を見た一幕だった。
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