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「おはよう。牝豹たち」
朝食後にサンルームで寛いでいたグレース妃の元に、忍び足で摘まんだ毛先を振り回しながらクリストファー殿下が御機嫌取りに現れた。
「お客さんだよ」
それはそうだ。
早朝から突然の来客があったために食卓に着かなかったのだから、セイントメラン城の全員が承知している。
グレース妃が一言目を発するより早くクリストファー殿下はおどけて告げた。
不服そうに眉を動かしたのは侍女頭だけで、グレース妃は無言だった。勿論、私も無言。
そうこうしているうちに身形のいい紳士が背筋を伸ばし姿を現した。
長兄ローガンより少し年上くらい。叔父より少し、若いくらい。
「あなた……」
グレース妃はこの人物が誰であるかご存知らしい。
私は侍女頭の表情を伺ったけれど、特に説明はなかった。
その説明は本人がした。
「国王陛下と国王付首席近侍マクシームが申し上げます」
……?
なんだか私、頭の隅に引っかかるのだけれど……
「!」
そうだった。
初めての妊娠と夫不在の心細さで号泣していたグレース妃から言われたのだ。
国王陛下の首席近侍の抱えるスパイがフィンリー侯爵の証言を取る為に現地に向かったと。
併しその直後、グレース妃の難産な体質や天に召された母親と姉の話になった為にすっかり忘れていた。
国王首席席近侍。
この王国で唯一、平民でありながら国王陛下の傍近くに仕え、王家から絶大な信頼を得ている人物だ。
彼の職務はその不可思議な人脈を用いて王国中を見張り、朝晩、国王陛下に告げ口すること。
何人の不届き者がその囁きに葬られたことか。
どんな人物だろうかと想像を巡らせたことはあるものの、ダウエル伯爵家には秘密も心配事もなく、身近に迫る問題としてとらえたことはなかった。
「ダウエル伯爵家御令嬢レイチェル様、ご機嫌いかがですか?」
「……」
今、過去最高、彼を身近に感じる。
国王付首席近侍という、貴族たちに恐れられる、一人の男を。
「元気です……」
ほぼ無意識に呟いた私を素晴らしいタイミングで侍女頭が叱りつけた。
「こら!失礼ですよ。妃殿下を差し置いて、あなた方どういうつもりですか?」
最高だ。
なんと頼りになる人だろうか。
クリストファー殿下も同じ気持ちらしく、毛先を侍女頭ウォリロウ侯爵夫人に向けて振って見せた。
そして私は安堵すると同時に気づいてしまった。
クリストファー殿下ほどの人物であろうとも、国王付首席近侍には頭が上がらないのだという衝撃的事実に。
「グレース様」
と、呼びつつ跪く国王付首席近侍マクシーム。
グレース妃はサッと手を掲げ、大真面目な顔で言った。
「健康を維持しています。殿下が、ご機嫌なのがその証拠です」
「おめでとうございます」
何を見せられているのか。
奇妙な儀式は一分足らずで終わり、国王付首席近侍マクシームが起立した。そして私を見た。
「……」
もう一度、元気ですと伝えるべき?
それともグレース妃に倣って片手を掲げるべき?
ウォリロウ侯爵夫人はもう口を挟んでくれない。
「国王陛下は、レイチェル様の御心情を慮り、旧結婚予定日が過ぎるのを待って今こうしてお尋ねになられるものであります」
「……はぃ」
大変なことになってしまったという予感が私の声を裏返らせた。
「すまんレイチェル」
クリストファー殿下が小鳥のような高い声を作り早口で詫びる。
勿論、毛先を摘まんでくるりと回している。
その毛先が私を助けてくれやしないかと見つめていると国王付首席近侍も慇懃に声を高くした。
「レイチェル様のお好みの御相手を伺いたく、聞き取り調査を実施させていただきます」
「…………」
え?
フィンリー侯爵の離婚理由ではなくて?
「ぁ……」
私と無関係な事柄について、ましてやマシューとは関係ありそうな事柄について、聞きたくもないし話したくもなかった。
けれど用件は私の……好みについてらしい。
えええ?
「私を見つめても駄目よ」
グレース妃がゆっくりと首を振っている。
私は我知らず主に助けを求めていたのだ。
「手は揚げなくていい」
我知らず上がり掛けた手をグレース妃に押さえ込まれた丁度その頃、国王付首席近侍が私の足元に跪いた。
「年齢は?下は何才から、上は何才まで?」
「……」
初対面の中年間近の平民の男である。
併し、本人が国王陛下と自分の名前を並べる口上には特別の意味があると、貴族ならば弁えている。
マクシームの言葉は国王の言葉。
私は、成す術がなかったのだ。
答えるしかなかった。
「同世代。上下三才くらい」
マクシームが慇懃に私の発言を書き留めた。
私の好みが王国の歴史に刻まれた。表だろうと裏だろうと、そんな事は些細な問題だった。
朝食後にサンルームで寛いでいたグレース妃の元に、忍び足で摘まんだ毛先を振り回しながらクリストファー殿下が御機嫌取りに現れた。
「お客さんだよ」
それはそうだ。
早朝から突然の来客があったために食卓に着かなかったのだから、セイントメラン城の全員が承知している。
グレース妃が一言目を発するより早くクリストファー殿下はおどけて告げた。
不服そうに眉を動かしたのは侍女頭だけで、グレース妃は無言だった。勿論、私も無言。
そうこうしているうちに身形のいい紳士が背筋を伸ばし姿を現した。
長兄ローガンより少し年上くらい。叔父より少し、若いくらい。
「あなた……」
グレース妃はこの人物が誰であるかご存知らしい。
私は侍女頭の表情を伺ったけれど、特に説明はなかった。
その説明は本人がした。
「国王陛下と国王付首席近侍マクシームが申し上げます」
……?
なんだか私、頭の隅に引っかかるのだけれど……
「!」
そうだった。
初めての妊娠と夫不在の心細さで号泣していたグレース妃から言われたのだ。
国王陛下の首席近侍の抱えるスパイがフィンリー侯爵の証言を取る為に現地に向かったと。
併しその直後、グレース妃の難産な体質や天に召された母親と姉の話になった為にすっかり忘れていた。
国王首席席近侍。
この王国で唯一、平民でありながら国王陛下の傍近くに仕え、王家から絶大な信頼を得ている人物だ。
彼の職務はその不可思議な人脈を用いて王国中を見張り、朝晩、国王陛下に告げ口すること。
何人の不届き者がその囁きに葬られたことか。
どんな人物だろうかと想像を巡らせたことはあるものの、ダウエル伯爵家には秘密も心配事もなく、身近に迫る問題としてとらえたことはなかった。
「ダウエル伯爵家御令嬢レイチェル様、ご機嫌いかがですか?」
「……」
今、過去最高、彼を身近に感じる。
国王付首席近侍という、貴族たちに恐れられる、一人の男を。
「元気です……」
ほぼ無意識に呟いた私を素晴らしいタイミングで侍女頭が叱りつけた。
「こら!失礼ですよ。妃殿下を差し置いて、あなた方どういうつもりですか?」
最高だ。
なんと頼りになる人だろうか。
クリストファー殿下も同じ気持ちらしく、毛先を侍女頭ウォリロウ侯爵夫人に向けて振って見せた。
そして私は安堵すると同時に気づいてしまった。
クリストファー殿下ほどの人物であろうとも、国王付首席近侍には頭が上がらないのだという衝撃的事実に。
「グレース様」
と、呼びつつ跪く国王付首席近侍マクシーム。
グレース妃はサッと手を掲げ、大真面目な顔で言った。
「健康を維持しています。殿下が、ご機嫌なのがその証拠です」
「おめでとうございます」
何を見せられているのか。
奇妙な儀式は一分足らずで終わり、国王付首席近侍マクシームが起立した。そして私を見た。
「……」
もう一度、元気ですと伝えるべき?
それともグレース妃に倣って片手を掲げるべき?
ウォリロウ侯爵夫人はもう口を挟んでくれない。
「国王陛下は、レイチェル様の御心情を慮り、旧結婚予定日が過ぎるのを待って今こうしてお尋ねになられるものであります」
「……はぃ」
大変なことになってしまったという予感が私の声を裏返らせた。
「すまんレイチェル」
クリストファー殿下が小鳥のような高い声を作り早口で詫びる。
勿論、毛先を摘まんでくるりと回している。
その毛先が私を助けてくれやしないかと見つめていると国王付首席近侍も慇懃に声を高くした。
「レイチェル様のお好みの御相手を伺いたく、聞き取り調査を実施させていただきます」
「…………」
え?
フィンリー侯爵の離婚理由ではなくて?
「ぁ……」
私と無関係な事柄について、ましてやマシューとは関係ありそうな事柄について、聞きたくもないし話したくもなかった。
けれど用件は私の……好みについてらしい。
えええ?
「私を見つめても駄目よ」
グレース妃がゆっくりと首を振っている。
私は我知らず主に助けを求めていたのだ。
「手は揚げなくていい」
我知らず上がり掛けた手をグレース妃に押さえ込まれた丁度その頃、国王付首席近侍が私の足元に跪いた。
「年齢は?下は何才から、上は何才まで?」
「……」
初対面の中年間近の平民の男である。
併し、本人が国王陛下と自分の名前を並べる口上には特別の意味があると、貴族ならば弁えている。
マクシームの言葉は国王の言葉。
私は、成す術がなかったのだ。
答えるしかなかった。
「同世代。上下三才くらい」
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