10 / 15
9日目 〜雨の後、泥の匂い〜
しおりを挟む
雨は一晩中降り続いた。
朝になっても止まず、田んぼは水で溢れ、畔が決壊しかけている。
昨日の喜びは、半日で現実の厳しさに塗り替えられてしまった。
村人たちは泥まみれで畔を補強し、水を逃がすために必死に土を盛る。
誰も口を開かない。
ただ、雨音と鍬の音と、時折上がるため息だけ。
私は、オクトさんと一緒に決壊寸前の排水路へ向かった。
昨日の提案通り、深く掘り石と木の根で固めたはずの溝が、土砂で半分埋まっている。
水が逆流し、苗が水没しかけている。
私は泥に膝まで浸かりながら、土を掻き出す。
指先が冷たく、爪の間に泥が詰まる。
「これじゃ、せっかくの雨が仇になる……」
オクトさんが無言で隣にしゃがみ、鍬を振るう。
雨が顔を叩き、視界がぼやける。
「龍は応えた。だが、俺たちの手が追いついていないだけだ」
その言葉に、胸が締め付けられた。
昨日、祠で聞いた「渇き」がまだ足りない?
今度は「溢れ」の苦しみ。
龍はただ水をくれるだけ。
それをどう扱うかは、私たち次第なのだろう。
午前中、若い男たちが集まり、緊急の会議が開かれた。
平床の建物に、濡れた体で座る。
水滴が床板を叩く音が、皆の苛立ちを増幅させる。
一人の男が声を荒げた。
「神女が龍を呼んだのはいいが、この雨じゃ全部流される! 去年より酷くなるんじゃないか?」
視線が私に突き刺さる。
疑いと怒りと、わずかな恐怖。
私は深呼吸して、ゆっくり言った。
「雨は必要な量じゃなかった。
でも、これを無駄にしない方法がある。
水を溜め、ゆっくり逃がす。
今、田んぼの周りに小さな堰を作って、水位を調整するの。
そうすれば、苗は溺れずに済む。
そして、次に雨が来ても、土が柔らかくなって根が張りやすくなる」
男たちは顔を見合わせた。
半信半疑。
でも、オクトさんが静かに言った。
「俺は神女の言う通りにする。
反対する者がいるなら、今ここで言え」
沈黙が落ちた。
誰も反対しなかった。
ただ諦めが強いだけか、わずかな期待が混じった空気。
午後、雨が小降りになった隙に、皆で動き始めた。
私は苗の並び方を確認しながら、指示を出す。
「ここは水が溜まりやすいから、浅く掘って逃がして」
「こっちは土が固いから、鍬でほぐして」
ミナちゃんも小さな鍬を持って、私の後ろを付いて回る。
泥だらけの顔で、時折笑う。
「神女、雨が止んだら、またあの池に行ける?」
私は頷きながら、心の中で思う。
池の幻視は、まだ終わっていない。
二つの道は、今も分岐したまま。
夕方近く、雨がようやく上がった。
空は灰色に濁ったまま、でも西の空に薄い光が差す。
田んぼはまだ水浸しだけれど、水位は少し落ち着き始めていた。
村人たちは疲れ切った顔で、互いに肩を叩き合う。
誰も大喜びはしない。
ただ、「今日はこれで助かった」という安堵だけ。
オクトさんが私のそばに来て、ぽつりと言った。
「今日も、死なずに済んだ。それだけでも、十分だ」
私は勾玉を握りしめ、濡れた髪をかき上げた。
「まだ、十分じゃない。
明日も、明後日も、続けるだけ」
夜、広場に小さな火が焚かれた。
雨上がりの冷たい空気の中、皆が輪になって座る。
歌はない。
ただ、火を囲んで黙って粥をすする。
ミナちゃんが私の膝に頭を乗せて、眠りについた。
私は彼女の髪を撫でながら思う。
龍は応えてくれた。
でも、私たちの手はまだ不十分。
この泥と雨と、疲れと、疑いの連鎖をいつか断ち切れるのか。
それは、まだわからない。
ただ、今日も一歩、進めた。
泥にまみれた、遅い、遅い一歩。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
一晩中降り続いた雨は田んぼの稲を襲いました。
村人総出で田んぼを守ろうと必死です。
次回は、弱った稲を回復させる知恵、おばあちゃんの知恵袋。
朝になっても止まず、田んぼは水で溢れ、畔が決壊しかけている。
昨日の喜びは、半日で現実の厳しさに塗り替えられてしまった。
村人たちは泥まみれで畔を補強し、水を逃がすために必死に土を盛る。
誰も口を開かない。
ただ、雨音と鍬の音と、時折上がるため息だけ。
私は、オクトさんと一緒に決壊寸前の排水路へ向かった。
昨日の提案通り、深く掘り石と木の根で固めたはずの溝が、土砂で半分埋まっている。
水が逆流し、苗が水没しかけている。
私は泥に膝まで浸かりながら、土を掻き出す。
指先が冷たく、爪の間に泥が詰まる。
「これじゃ、せっかくの雨が仇になる……」
オクトさんが無言で隣にしゃがみ、鍬を振るう。
雨が顔を叩き、視界がぼやける。
「龍は応えた。だが、俺たちの手が追いついていないだけだ」
その言葉に、胸が締め付けられた。
昨日、祠で聞いた「渇き」がまだ足りない?
今度は「溢れ」の苦しみ。
龍はただ水をくれるだけ。
それをどう扱うかは、私たち次第なのだろう。
午前中、若い男たちが集まり、緊急の会議が開かれた。
平床の建物に、濡れた体で座る。
水滴が床板を叩く音が、皆の苛立ちを増幅させる。
一人の男が声を荒げた。
「神女が龍を呼んだのはいいが、この雨じゃ全部流される! 去年より酷くなるんじゃないか?」
視線が私に突き刺さる。
疑いと怒りと、わずかな恐怖。
私は深呼吸して、ゆっくり言った。
「雨は必要な量じゃなかった。
でも、これを無駄にしない方法がある。
水を溜め、ゆっくり逃がす。
今、田んぼの周りに小さな堰を作って、水位を調整するの。
そうすれば、苗は溺れずに済む。
そして、次に雨が来ても、土が柔らかくなって根が張りやすくなる」
男たちは顔を見合わせた。
半信半疑。
でも、オクトさんが静かに言った。
「俺は神女の言う通りにする。
反対する者がいるなら、今ここで言え」
沈黙が落ちた。
誰も反対しなかった。
ただ諦めが強いだけか、わずかな期待が混じった空気。
午後、雨が小降りになった隙に、皆で動き始めた。
私は苗の並び方を確認しながら、指示を出す。
「ここは水が溜まりやすいから、浅く掘って逃がして」
「こっちは土が固いから、鍬でほぐして」
ミナちゃんも小さな鍬を持って、私の後ろを付いて回る。
泥だらけの顔で、時折笑う。
「神女、雨が止んだら、またあの池に行ける?」
私は頷きながら、心の中で思う。
池の幻視は、まだ終わっていない。
二つの道は、今も分岐したまま。
夕方近く、雨がようやく上がった。
空は灰色に濁ったまま、でも西の空に薄い光が差す。
田んぼはまだ水浸しだけれど、水位は少し落ち着き始めていた。
村人たちは疲れ切った顔で、互いに肩を叩き合う。
誰も大喜びはしない。
ただ、「今日はこれで助かった」という安堵だけ。
オクトさんが私のそばに来て、ぽつりと言った。
「今日も、死なずに済んだ。それだけでも、十分だ」
私は勾玉を握りしめ、濡れた髪をかき上げた。
「まだ、十分じゃない。
明日も、明後日も、続けるだけ」
夜、広場に小さな火が焚かれた。
雨上がりの冷たい空気の中、皆が輪になって座る。
歌はない。
ただ、火を囲んで黙って粥をすする。
ミナちゃんが私の膝に頭を乗せて、眠りについた。
私は彼女の髪を撫でながら思う。
龍は応えてくれた。
でも、私たちの手はまだ不十分。
この泥と雨と、疲れと、疑いの連鎖をいつか断ち切れるのか。
それは、まだわからない。
ただ、今日も一歩、進めた。
泥にまみれた、遅い、遅い一歩。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
一晩中降り続いた雨は田んぼの稲を襲いました。
村人総出で田んぼを守ろうと必死です。
次回は、弱った稲を回復させる知恵、おばあちゃんの知恵袋。
0
あなたにおすすめの小説
転生したら世界一の御曹司だった〜巨乳エルフメイド10人と美少女騎士に溺愛されています〜
まさき
青春
異世界転生した最強の金持ち嫡男、
専属エルフメイドと美少女騎士に囲まれて至福のハーレム生活
現代日本で「地味だが実は超大富豪」という特殊な人生を送っていた青年は、ある日事故で命を落とす。
しかし目を覚ますと、そこは魔法と様々な種族が存在する異世界だった。
彼は大陸一の富を誇る名門貴族――
ヴァン・バレンティン家の嫡男カイルとして転生していたのだ。
カイルに与えられたのは
・世界一とも言える圧倒的な財力
・財力に比例して増大する規格外の魔力
そして何より彼を驚かせたのは――
彼に仕える十人の専属メイド全員が、巨乳美少女だったことである。
献身的なエルフのメイド長リリア。
護衛騎士でありながら隙あらば誘惑してくる女騎士シルヴィア。
さらに個性豊かな巨乳メイドたち。
カイルは持ち前の財力で彼女たちの願いを叶え、最高級の装備や生活を与えていく。
すると彼女たちの忠誠心と愛情はどんどん加速していき――
「カイル様……今日は私が、お世話をさせてください」
領地を狙う貴族を金と魔力で圧倒し、
時にはメイドたちの愛が暴走して甘すぎる時間に巻き込まれながらも、
最強の御曹司カイルは
世界一幸せなハーレムを築いていく。
最後までお読みいただきありがとうございました。よろしければ応援をお願いいたします。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
「婚約破棄された転生令嬢ですが、王城のメイド五百人に慕われるメイド長になりました。なお元婚約者は私のメイドに土下座中です」
まさき
恋愛
社畜OLとして過労死した私は、異世界の令嬢・アリア・ヴェルナーに転生した。
目が覚めたら、婚約破棄されていた。
理由は「地味で面白みがない」から。
泣く暇もなかった。翌朝、王城のメイド採用面接に向かった。
最初は鼻で笑われた。雑用係からのスタートだった。
でも——前世で叩き込まれた仕事術と、一人ひとりの話を聞く姿勢で、少しずつメイドたちが集まってきた。
厨房が変わった。リネンが変わった。王城全体が変わっていった。
そして就任スピーチで宣言した。
「500人全員の名前を、覚えます」
冷酷と噂される王太子は、静かに見ていた。
悪役令嬢は妨害を仕掛けてきた。
元婚約者は——後悔し始めていた。
婚約破棄された令嬢が、500人に慕われるメイド長になるまでの物語。
なお元婚約者は、私のメイドたちの前で土下座中です。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
異世界転生したおっさんが普通に生きる
カジキカジキ
ファンタジー
第18回 ファンタジー小説大賞 読者投票93位
応援頂きありがとうございました!
異世界転生したおっさんが唯一のチートだけで生き抜く世界
主人公のゴウは異世界転生した元冒険者
引退して狩をして過ごしていたが、ある日、ギルドで雇った子どもに出会い思い出す。
知識チートで町の食と環境を改善します!! ユルくのんびり過ごしたいのに、何故にこんなに忙しい!?
第5皇子に転生した俺は前世の医学と知識や魔法を使い世界を変える。
黒ハット
ファンタジー
前世は予防医学の専門の医者が飛行機事故で結婚したばかりの妻と亡くなり異世界の帝国の皇帝の5番目の子供に転生する。子供の生存率50%という文明の遅れた世界に転生した主人公が前世の知識と魔法を使い乱世の世界を戦いながら前世の奥さんと巡り合い世界を変えて行く。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
予言姫は最後に微笑む
あんど もあ
ファンタジー
ラズロ伯爵家の娘リリアは、幼い頃に伯爵家の危機を次々と予言し『ラズロの予言姫』と呼ばれているが、実は一度殺されて死に戻りをしていた。
二度目の人生では無事に家の危機を避けて、リリアも16歳。今宵はデビュタントなのだが、そこには……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる