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6回目のヒート
しおりを挟むオメガの誘惑フェロモンの流出とアルファの誘引フェロモン暴走という緊急事態発生。
滅多にないことだが、全く経験が無いわけではないバース社会のアルファたちは訓練通りの対応を即座にとる。
各々が、常に所持している抑制剤を飲み、緊急抑制剤が近くある者は迷わず手に取り、教員に緊急事態を通報する。オメガの補佐や警護についている者はオメガたちを避難させるか、守るように固め、煽られて発情するアルファに対応できるように備える。
だが、慶介のクラスの教室にいたアルファの半数はその訓練通りの行動がとれなかった。慶介の濃厚な誘惑フェロモンに完全に惑わされてしまったからだ。
酒田は自分用に所持していたペン型注射器で抑制剤を打ち、慶介に覆いかぶさる永井を掴み投げ飛ばした。
運命のオメガしか見ていなかった永井の目に酒田が敵として捉えられ闘争心が燃え上がる。永井の後ろから緊急抑制剤を手にした他のアルファが2人がかりで永井を捉えようとするが、華麗な柔道の投げ技で2人とも床に打ち付けられてしまった。
正気を保っていた他のアルファたちは皆、思った。「これだから格闘技をしているアルファは厄介なんだ」と。
酒田が永井の抑え込みに向かおうとした時、背後に慶介とは違う気配がして一瞬伺うと、誘惑フェロモンに惑わされた別のアルファが慶介に手を伸ばしていた。
思わず舌打ちをした。
(永井だけでも手に余るのに、他のアルファまでいるなんて、どうしたらいいんだ?!)
対処の順番に迷った隙を狙われて永井に胸ぐらを掴まれ、小内刈りであっさりとコカされ、背中を打ち付けた。だが「永井を行かせるわけには行かない!」と最後の意地で、掴んだ袖は離さない。
そんな酒田に教員たちという援軍がやって来た。
教員が、正気を保っているアルファらに「惑わされているアルファを外に連れ出せ」と指示を出すと、他の教室のアルファたちもワッと入ってきて次々と惑わされたアルファが引きずり出されてゆく。
残るは永井の対処だけ、と安堵した束の間、別の問題が発生。
当然の対処法として、誘惑フェロモンを出してしまっている慶介に緊急抑制剤を打とうと教員が近づいてきた。酒田は慌てて割って間に入り、それを止めた。
「既に追加の薬を二重に飲んでるんです。医師からも、薬も緊急抑制剤との併用は危険だと言われたから打たないでください。」
「でも、誘惑を止めなければ永井のラットは止まらないぞ。」
「・・・っ、保健医に、判断を委ねます。」
複数の教員が引っ張るが、それを振り払い慶介に向かってくる永井を、酒田は最後の壁として取っ組み合い防いだ。
やっと来た保健医は「救急車を呼んである」といって、慶介に緊急抑制剤を打った。
救急隊員がやってきて、進級式以来の大人数で永井を抑え込み、救急隊員は永井にアルファ用の緊急抑制剤を打ち昏倒させた。
永井は学校の保健室へ、慶介は救急車で病院へ運ばれた。
**
病院に運ばれた慶介はまたもや腹痛を起こした。
前回、学校のシェルターでヒート中に腹痛が出たという情報は伝えられていたらしいが、最初の2時間は薬の効果が切れるまでは鈍痛に苦しみ、薬が切れ始めると悶絶し呻いた。
やっと鎮痛剤を点滴されたときは看護師が天使に見えた心地だった。
病院で過ごすヒートは、鎮痛剤で腹痛を和らげ、ヒートの症状を抑制剤と鎮静剤でおさえ、更に睡眠薬を服用して寝ているかぼんやりしているかどちらかという5日間だった。
腹痛もヒートも収まり、明日は家に帰れると思っていたら、病院側から「お話があります」と言われて信隆と景明が同席して、聞かされたのは『運命の番』についての話だった。
『運命の番』については様々な分野で研究されているが、医学の分野である病院が担当するのは運命の番たちが番えなかった場合のアルファとオメガの生死だ。
一般的に、番の関係になった者が死に別れると、その後はたいてい辛いものばかりだ。2割が何らかの形で死に至り、4割が心理的な要因による病を抱えるか、精神的な病を抱える。
運命の番は番っていなくても、出会ってしまっただけで番ったのと同じようになり、引き離せばそれらと同じ不幸が起こる。
医学の『運命の番』研究の1つの答えが「運命の番を自称する2人は番わせる方が良い」という統計的結果論だ。
運命を自称するアルファとオメガは番えなかった場合、高い確率で精神的に体か心を病む。すでに、慶介にも体に異常がないのに原因不明の腹痛が起こっている。
今、腹痛はヒート中にしか起こらないが、この先、治まっていくのか、ヒート期間以外も腹痛が起こるようになるのかは未知数だ。
いかに未知数なのかを、医師は過去の運命の番を自称したいくつかの症例で教えてくれたが、結果は本当にどれもバラバラ。
運命と引き離されて衰弱死したオメガもいれば、別のアルファと番って子沢山の幸せ家庭を築いたオメガもいる。かと思えば別のアルファと番ったあとも原因不明の病に苦しみ衰弱死したオメガもいた。
アルファの側はオメガに比べれば死亡率も病を抱える人数も少ないが、アルファの不調は狂気と無気力に分けられるようで、無気力になれば衰弱死する事もあるし、狂気に振れれば暴走し最終的に自殺してしまうパターンが多かった。
医者の側としては命は救いたい。だから、運命の番を自称する人には番になるように勧めることになっているそうだ。
続いて、製薬会社の研究員が運命の番のフェロモンについての話をした。
こちらは専門的な内容が多くてちょっと分からなかったけど、要は、運命の番たちは特殊なフェロモンを使うとかではなく、普通では感じ取れないような、威圧、誘引、誘惑、以外の感情と連動するような極微量のフェロモンを嗅ぎ分けて感じ取れる。それをできるのが本当の運命の番だ。と、製薬会社の『運命の番』研究では仮定しているそうだ。
慶介が永井を叱ろうとしても怒りの感情が消えてしまうのは、永井の喜びのフェロモンを感じて許してしまった結果だろう。と言われた。
この極微量なフェロモンは周りに被害を振りまくことは無い。フェロモンを感じ取れるのはお互いだけ。永井の誘引フェロモンに引き寄せられる他のオメガは出ないだろうし、慶介の誘惑フェロモンに惑わされるアルファも出ないだろう。
しかし、体や脳が反応すること自体を止めたいのならば追加の抑制剤以上のものを常用するしかなく、命に関わる過剰摂取状態を続けることになるだろう。と言われた。
医師は患者が望むのなら処方はしてくれるらしい。ただし、将来的に脳に障害を負う可能性が高いことを理解しておいて欲しい。と、過剰摂取の患者の症例を印刷した紙の束を渡された。
病室に戻り、渡された紙の束を捲る勇気が出ないまま、沈黙の時間が過ぎる。
慶介の気持ちはほとんど固まっている。ただ、それを口にするのが怖いだけで。
他の選択肢を選ぶことは考えもしなかった。
(俺が決めたことなら、本当に「何でも良い」って言ってくれるか?)
猛烈に話を聞いて欲しい。言いたい事と思ってる事を全部吐き出してスッキリしてから、いつもの口角だけ上げた顔で大丈夫だ、って言って欲しい。けれど、知られたくないとも思う。優しいの代名詞かとも言えるほどに優しい酒田が、こんな重い事情を知ってしまったら、もう、困った時に下がる眉が戻らなくなるんじゃないか。と心配になってしまうし、そういう顔が見たいわけじゃない。
酒田には、いつもの顔でいて欲しい。
「安全で快適な環境と生活を保証する。この約束はもう守れなくなったね。謝罪するよ。すまない。」
信隆が沈黙を破って謝罪を口にした。
婚約者が現れたときも言っていたな、と。もうあれから半年も過ぎたのか、と。時間の流れの速さと、その間にあった怒涛の出来事が一気に駆け抜けていった。
慶介の中で決まっていた気持ちに、具体的な計画が組み上がっていく。そのためには協力者が必要だ。信隆が古い約束を守ってくれているのならば、この方法が取れるかもしれない。
「あの、もう一つの、望み通りにってやつは有効?」
「オメガとしての安全が確保出来るならね。」
慶介は乾く口の中、少ないツバを2回飲み込み、想いを口にした。
「ーー俺、薬を飲む。それから、さっきの、先生と製薬会社の人たちの話を、・・・他の皆には言わないで欲しい。」
「駄目だ。薬を選ぶくらいなら、もう学校に行く必要はない。オンライン授業にしなさい。」
「高校の間だけ・・・。大学は行かないから。」
全然、納得していない信隆。
「駄目だ。」
「でも、学校には行きたい。」
「薬は止めなさい。」
「体が反応するのは嫌だから、薬は飲みたい。」
「飲むくらいなら行くな。」
「・・・オンラインは嫌だ・・・。」
「どうしても学校に行きたいなら、転校しろ。ヤツが追い出された東京校に転校してしまえば、薬を飲む必要もなくなるだろう。」
それは良いかも?と、思った瞬間、腹がキリッと痛んだ。驚きと同時に、転校も駄目?!と思わず、体に問いかけてしまった。
まるでそれぞれが別々の意志を持っているかのように、心と体が乖離していく。
「慶介、痛むか?」
景明が側に寄ってきて、膝をつく。
慶介は反射的に首を小さく横に振った。
「正直に言え。今、痛かったんやろ?転校の話して、腹、痛くなったんやろう。」
景明の目が慶介の嘘を射抜く。
射抜くと言えば矢だが、景明のは圧が強すぎて、でっかい丸太で射抜かれてる気分なので、鋭いというより重い。
押しつぶされて、本音がグエっと出た。
「い、痛かった・・・。でもっ、一瞬だけ、ちょっとやし、そんなに痛みも強くなかった。急に来たから大げさになっただけ・・・っ。」
景明が振り返り信隆を見る。短い睨み合いの後、信隆が折れて言った。
「人形にしておけばよかった。」
「やったら、お前1人でも育てられたかもしれんな。」
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