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新婚旅行編

新婚旅行編:医者の判断

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「本当に行くんですね。医者としては全くオススメできないんですけどねぇ。」
「先生に何と言われようと行きます。」
「はぁー、心配しかないですよ・・・」

 今日は旅行に行く前に診察を受けに来た。
 計画した旅行は通常通りヒートが来ると仮定した10月の後半。ズレる可能性を考慮していなかったので、この旅行中にヒートが来てくれるかどうかが心配になり、卵子が排卵可能な状態にまで成長しているかの確認とヒート誘発剤の処方をお願いしにきた。


「本多さん。ヒート誘発剤って、処方される理由が大体2つに分けられるんですよ。」
「はい・・・?」
「一つは、ヒートを前倒して特別な日に重ならないようタイミングをずらすために処方をすることがあります。もう一つは不妊治療関係で、アルファ側の勃起不全であったり、夫婦仲がこじれた時の仲直り方法として処方することも可能です。ですが・・・」

 急に医師の表情が固くなり、ボールペンでコンコンと机を鳴らしたあと、沈んだ声で話を続けた。

「ヒート誘発剤はオメガ暗黒時代に悪用された薬でもあります。ですから、医師としてはあまり処方したい薬ではないんですよ・・・。本多さんの場合は、タイミングをずらすためという理由で処方できるっちゃ出来るんですが、さっき診たところ、卵胞が十分に大きくなっているので誘発剤を使わなくてもアルファの誘引フェロモンで誘発可能だと思うんです。」

 それはつまり、処方しないと言う話なのかと思って慶介は自身がおもう懸念点を伝えた。

「でも先生、7月のヒートが2週間ずれたじゃないですか。今回もきっちり2週間ずれたら旅行の最終日にヒートが起こることになるんで、それはちょっと困るんですけど。」
「確証もなしに言うのもなんですけど。前回のヒート、パーティが終わった2日後に来たでしょう? ウェディングパーティがストレスになって排卵されなかったパターンだと思うんですよ。もともと、避妊薬でコントロールされてないヒートってのはストレスなんかで前後するもんなんです。」

 医師が指摘した通り、ウェディングパーティーがストレスだったのは認める。
 人前で項を晒すのも、パフォーマンスをするのも緊張したし、酒田との番わない結婚に後ろ指を指されると言われていたから、親しい人に祝ってもらえれば良いと思っていたいたけど、正直、気にしていた。
 本番で本多本家の次期当主が庇ってくれたことで嘲笑が少なかったのは本当にありがたかった。

 だけど、番わない結婚は早々に頓挫しかけた。
 それも、予測されていた理由であっけなく。
 慶介自身のせいで──。

 ストレスでヒートがずれるというのなら、次のヒートが来ることそのものが最大のプレッシャーだということを、7年目の付き合いになる担当医なのだから予想して欲しいと思うのは過度な期待だろうか。

「むぅ~~・・・」
「そういう顔されます~? 仕方ないですねぇ。じゃぁ、ヒート誘発剤、出しときます。でも、薬を試す前に永井さんの誘引フェロモンで誘発させて、ダメだった場合にのみ使用してください。」
「・・・・・・はーい」
「あ、これ、ダメですね。酒田くん、頼みましたよ。」
「はい。」


 そもそも、リスクを冒してまで新婚旅行に行く必要があるのかについては警護会議で話し合いをした。

 当然、中止するべきではないかとの意見も出た。せめてあと一回、避妊薬なしのヒートを経験して、問題がないということを確認してからのほうが良いのではないか、と。
 最もな意見だと思ったが、それは景明が医師から中止を言い渡されない限り続行するつもりだと否定した。そうして、取られた対策が定期連絡と補佐アルファの常駐待機だった。

 中止ではなく続行が決まった瞬間、慶介は胸をなでおろし安堵した。
 新婚旅行は指輪を交換した時から夢見ていた『憧れ』だったからだ。いや、本当のところは、アパートを借りて二人だけで暮らす『新生活』をイメージしていた。でも現実は、オメガである慶介が二人暮らしをするどころか、酒田と二人きりになれる時間と場所が自室だけというのが現状である。それを理解してからは、なお一層、新婚旅行だけでもしたいという気持ちが強くなっていた。

 だから、新婚旅行に行けるのは嬉しい。

(嬉しいけど・・・)

 永井の服を持っていかなければならないというのは、やっぱり水をさされた気分になる。





 慶介は病院から帰ってきてからずっと、ぶすっと顔で筋トレスペースに転がっている。

「慶介、やっぱり不満か?」
「・・・別に。言ってもしゃーないし。」

 酒田は態度に出さずに心中でため息をついた。
 慶介のこういった小さな不満を飲み込んで発散してくれないところは厄介だと思う。

 昔は母親の謎すぎるくらいの自由奔放っぷりや同級生オメガたちのワガママに「アレが可愛い? 解らん・・・」や「補佐という仕事でなきゃ付き合ってられない。」と内心思っていた酒田だが、今なら、先人たちがオメガをワガママに育てた理由がわかる。
 オメガを軟禁に近い形で閉じ込めておくには息抜きや発散が重要になる。それらが最も手軽に済ませられるのがワガママだ。声を荒げて言いたいことや暴言は好きなだけ言わせて、アレが欲しいコレが欲しいなどのワガママを多少聞いてやればオメガの不満は一旦は落ち着く。そうして重大な問題に発展させないようにするのだ。

(慶介は幼少期の環境のせいで我慢が癖づいてるからな・・・)

 聞き分けが良くてワガママを言わない慶介を、他のオメガと違って扱いやすいと思っていたのは大いなる勘違いで、実際は本音を引き出すのが難しいタイプなのだと日々実感している。

「じゃあ、怖いのか?」
「こ、怖いって、そんなんじゃ・・・! なくも、ないって言うか・・・勇也は、永井の服、使うの、嫌じゃねぇの?」
「・・・・・・前回・・・慶介が、腹痛で苦しむ姿を見ているだけなのは辛かった。だから、俺としては、苦痛を緩和出来る手段があるというのは安心する。でも、・・・使わずに済んだら良いなと思うよ。」
「・・・そっか。使わずに済むこともあるのか。」

 永井の服を使わないことも有り得るのか、と気付かされた慶介は眉間のシワや唇のとがりがなくなり、表情は軽くなった。


 しかし、これは酒田のミスリードだ。
 慶介のヒートが予定通り来ようが遅れて来ようが、避妊薬無しのヒートで起こる腹痛を永井の服を使わずに鎮めることが出来ないのは酒田が誰よりもわかっている。
 この話で『使わずに済めば良い』と言ったのは永井の誘引フェロモン・・・・・・・のことだけだった。


 転がる慶介を仰向けにして、膝の角度は90度、足首を固定して、指でクイクイっと誘い、腹筋をさせる。
 日常的に筋トレをしている慶介なら10回、20回は余裕。

「左右にひねって、ロシアンツイスト20回。」
「休みなしかよっ」

 後半にかけて息が上がるにつれて明るい顔になっていく様子に、これで、鬱々とした気分は多少は紛れただろうと一安心する。
 最後の一押しにと、ロシアンツイストをやりきって体育座りをする慶介の膝にキスをして・・・

「慶介、例のアレ、届いたから試着しといてくれ。」
「・・・わかった・・・。」


 体育座りの膝の間に顔を落とす慶介の顔が赤い理由が筋トレ運動だけではないことに酒田は小さく微笑む。
 確かに憂いはある。しかし、二人きりになれる新婚旅行を楽しみにしているのは酒田だって同じである。











***










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