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5話
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テオドールは馬車から降りた。夏の休暇が始まるので、王都の実家、公爵家に戻ってきたのだ。彼は優雅なしぐさで馬車の傍らで待っていた乳母にキスを送り、そして彼女の肩を暖かく抱いて屋敷へ入った。金の髪はなんとも柔らかな光を反射する。召使達はそのさまに、公爵家の跡継ぎの信頼に足る人柄に安堵するのだ。
「夜会?」
テオドールはいぶかしむ。
「はい、奥方様がテオドール様がお帰りになったので、ぜひにと」
テオドールのタイをほどきながら侍従は主人に告げる。
「帰ったばかりだというのに…。本当に、あの人は相手の都合はおかまいなしだ」
愚痴るように言う。
そして、窓から東屋の煙突から煙が出ているのを見る。
「キースが帰っているのか」
「はい。キース様も夜会にいらっしゃいます」
テオはぴくりと眉をひそめた。
弟は苦手だ。人の気持ちを覗けるなんて、気味が悪い。そして、あの母そっくりの美貌で結局いつも、なにもかも自分の手に入れてしまう。
テオドールは己の掌を見つめた。
弟のせいで手に入らなかった、手に入れたかったものを思い浮かべているのだ。それは銀色に輝いていた。だが、あの弟はそれを無視した。その屈辱は、今も忘れられない。自分が欲しくてたまらなかったものを、あいつは「いらない」と言ったのだ。
テオドールはその碧の瞳を静かに瞑ると気持ちを落ち着かせた。
昔話だ、と自分に言い聞かせる。
そして、その優雅な相貌を侍従に見せた。
「――わかった。母上には必ず出席しますとお伝えしてくれ」
彼は、決して母に自分から会いにはいかない。
そして、侍従から返事を聞いた母はポツリと言う。
「本当に、冷たい息子たちだこと…」
マーネメルト男爵令嬢は美しい。その蜂蜜色の巻き毛、愛らしい桜色の唇。マーネメルト男爵夫人はそれがとても自慢だった。
だが、今 目の前にいるのは令嬢とは別人だった。
なんて平凡な栗色の髪。貴族なら手入れの行き届いているはずの手はかさついていて、下層の娘と一目で知れよう。顔…は整っているように思えるが、どうにも印象が薄い。化粧を施してもこの出来とは。背筋は良いのでドレスは映えるが、なぜか、そのとっときの衣装を身に着けてもどこかまた印象が霞むのだ。
「…せめて、髪を銀に染めましょう…。王家では喜ばれる色だし、染めていれば、貴女が娘と別人だと気がつかずにいてくれるでしょう」
そう、ひくついた笑顔で言うマーネメルト男爵夫人に、その印象の薄い娘が泣きそうに訴えた。
「む、ムリです!! あたしに男爵令嬢の身代わりなんて…!! お、お嬢様はどちらにおられるんですか!? どうぞ、お許し下さい、奥様!」
「それは私が聞きたいわ! お願い、イルネギィア! 歳も背丈も近いのは貴女だけなのよ…! 一夜だけの身代わりよ。どうしてもこの夜会で男爵は公爵との商談を成功させたいの。欠席するわけにはいかないのよ!! 私はこのありさまだし、そして、出席の条件が娘を連れて行くことなのよ。公爵夫人の目的が、息子様方の結婚相手の品定めなのですもの…!」
そう言って太っちょの男爵夫人はドレスの裾をそっとあげて、さらに腫れて太くなった足首を見せた。
マーネメルト男爵家に使える女中のイルネギィアはまた泣きそうになって部屋にいる仲間の女中たちを見た。誰も助けてくれないのは明白だ。男爵家はあまり裕福とは言えず、若い女中は自分一人なのだから。
…でも! だからって!!
心の内で反芻するが、この商談が成功しなければ確かに己も路頭に迷う。
公爵家の主とお近づきになれるチャンスなど、こんなことでもなければとても田舎男爵になどありはしない。若く美しい令嬢に皆が感謝していたというのに。
「…お嬢様はどちらにおいでなのでしょう…」
「本当に…。あの子はもっと己の立場を理解して欲しいわ…。あの子の身を飾るドレスも、明日には売らなきゃならないかもしれないというのに」
その言葉に素直なイルネギィアはぞっとした。
――こ、これは、お嬢様だけに向けているのではないよね…?
くるりと見回せば年寄りのハウスキーパーがゆっくり、そして、悲愴な顔をして自分に頷いている。
イルネギィアもそれに答えるように、ごくりと喉を鳴らす。
「お、奥様、お引き受けします…! め、目立たぬようにしていますから! 旦那様と公爵様のお話が終わるまで、あたし、頑張ってお嬢様が駆け落ちなさったことを隠し通しますわ!」
あー、言っちゃったー、と男爵夫人が思った。
その場の誰もが思ってはいたが口にしていなかったことを、素直で正直者のイルネギィアは言葉にしてしまった。
そして、彼女は周囲のその気配に気がつき、ごまかすように、赤ん坊のように ほにゃっと笑った。
「夜会?」
テオドールはいぶかしむ。
「はい、奥方様がテオドール様がお帰りになったので、ぜひにと」
テオドールのタイをほどきながら侍従は主人に告げる。
「帰ったばかりだというのに…。本当に、あの人は相手の都合はおかまいなしだ」
愚痴るように言う。
そして、窓から東屋の煙突から煙が出ているのを見る。
「キースが帰っているのか」
「はい。キース様も夜会にいらっしゃいます」
テオはぴくりと眉をひそめた。
弟は苦手だ。人の気持ちを覗けるなんて、気味が悪い。そして、あの母そっくりの美貌で結局いつも、なにもかも自分の手に入れてしまう。
テオドールは己の掌を見つめた。
弟のせいで手に入らなかった、手に入れたかったものを思い浮かべているのだ。それは銀色に輝いていた。だが、あの弟はそれを無視した。その屈辱は、今も忘れられない。自分が欲しくてたまらなかったものを、あいつは「いらない」と言ったのだ。
テオドールはその碧の瞳を静かに瞑ると気持ちを落ち着かせた。
昔話だ、と自分に言い聞かせる。
そして、その優雅な相貌を侍従に見せた。
「――わかった。母上には必ず出席しますとお伝えしてくれ」
彼は、決して母に自分から会いにはいかない。
そして、侍従から返事を聞いた母はポツリと言う。
「本当に、冷たい息子たちだこと…」
マーネメルト男爵令嬢は美しい。その蜂蜜色の巻き毛、愛らしい桜色の唇。マーネメルト男爵夫人はそれがとても自慢だった。
だが、今 目の前にいるのは令嬢とは別人だった。
なんて平凡な栗色の髪。貴族なら手入れの行き届いているはずの手はかさついていて、下層の娘と一目で知れよう。顔…は整っているように思えるが、どうにも印象が薄い。化粧を施してもこの出来とは。背筋は良いのでドレスは映えるが、なぜか、そのとっときの衣装を身に着けてもどこかまた印象が霞むのだ。
「…せめて、髪を銀に染めましょう…。王家では喜ばれる色だし、染めていれば、貴女が娘と別人だと気がつかずにいてくれるでしょう」
そう、ひくついた笑顔で言うマーネメルト男爵夫人に、その印象の薄い娘が泣きそうに訴えた。
「む、ムリです!! あたしに男爵令嬢の身代わりなんて…!! お、お嬢様はどちらにおられるんですか!? どうぞ、お許し下さい、奥様!」
「それは私が聞きたいわ! お願い、イルネギィア! 歳も背丈も近いのは貴女だけなのよ…! 一夜だけの身代わりよ。どうしてもこの夜会で男爵は公爵との商談を成功させたいの。欠席するわけにはいかないのよ!! 私はこのありさまだし、そして、出席の条件が娘を連れて行くことなのよ。公爵夫人の目的が、息子様方の結婚相手の品定めなのですもの…!」
そう言って太っちょの男爵夫人はドレスの裾をそっとあげて、さらに腫れて太くなった足首を見せた。
マーネメルト男爵家に使える女中のイルネギィアはまた泣きそうになって部屋にいる仲間の女中たちを見た。誰も助けてくれないのは明白だ。男爵家はあまり裕福とは言えず、若い女中は自分一人なのだから。
…でも! だからって!!
心の内で反芻するが、この商談が成功しなければ確かに己も路頭に迷う。
公爵家の主とお近づきになれるチャンスなど、こんなことでもなければとても田舎男爵になどありはしない。若く美しい令嬢に皆が感謝していたというのに。
「…お嬢様はどちらにおいでなのでしょう…」
「本当に…。あの子はもっと己の立場を理解して欲しいわ…。あの子の身を飾るドレスも、明日には売らなきゃならないかもしれないというのに」
その言葉に素直なイルネギィアはぞっとした。
――こ、これは、お嬢様だけに向けているのではないよね…?
くるりと見回せば年寄りのハウスキーパーがゆっくり、そして、悲愴な顔をして自分に頷いている。
イルネギィアもそれに答えるように、ごくりと喉を鳴らす。
「お、奥様、お引き受けします…! め、目立たぬようにしていますから! 旦那様と公爵様のお話が終わるまで、あたし、頑張ってお嬢様が駆け落ちなさったことを隠し通しますわ!」
あー、言っちゃったー、と男爵夫人が思った。
その場の誰もが思ってはいたが口にしていなかったことを、素直で正直者のイルネギィアは言葉にしてしまった。
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